第三話
父親を亡くし、透真は放心状態のまま天子ヶ丘高校に入学した。辛くて辛くて仕方がない。もっと一緒にいたかった。だから透真は父親からよく言われていた言葉にすがりながら生きていた。
「―――透真、幸せになる方法を、知ってるか」
「自分が幸せになりたければ、他人を幸せにしなさい。そして、その幸せを自分の幸せと感じられるようになりなさい」
当時の透真は不幸を強く感じていた。だから、幸せになりたかった。自分が幸せになるために他人を幸せにする。その言葉に従い進んでいってたどり着いたのがボランティア部だった。自ら進んで社会活動に無償で取り組むボランティア部。透真はボランティア部に入れば何かが変わるかもしれないと思い、入部した。実際、変わった。ありがとう、助かったよなどの感謝の言葉をたくさんもらい、充実感のある学校生活をおくったことで透真の心の隙間はすこしずつうまっていった。そして、そのボランティア部で出会ったのがこの日室環という女子である。
「水野くん、相変わらず波白さんたちと仲いいねぇ~」
「まあな。ほら、とっとと部活いく準備しろ」
「はいはいっと」
小柄な体格にゆるふわな明るい髪。その言動から小動物を連想させる彼女は教科書をかばんにぎゅっと詰め込んで席をたつ。
「にひひ、それじゃ行きますか」
「おう」
透真は鼻歌を歌って歩く環についていく。
この学校でボランティア部は通称『勉強部』とよばれている。これは別に部活でガリガリ勉強するからそうよばれているわけではない。この学校は全員部活に入らないといけないことになっているのに帰宅部がなく、青春を勉強に捧げたい人に優しくない。だから、勉強を頑張りたい人はボランティア部のような活動の少ない部に入る。ボランティア部は全体としての活動は月一回で、ほとんどの部員はその一回にしか顔をださないが、透真や環を含めた何人かは毎日部室をおとずれ他の生徒からの急な依頼も受けれるようにしている。
「そういえばさー」
「ん?」
「今日新入生がくるんじゃなかったっけ?」
「そうだけど、うちみたいなマイナー部活誰もこないだろ」
「それもそうか」
にひひ、と笑い環はずんずん歩いていく。窓から上級生が新入生を勧誘しているのがみえる。一人でも多くの部員を確保しようと奔走するその姿から部活への熱意が感じられる。やがて、部室についた。ボランティア部、と黒ペンでかかれドアに貼られた紙がはがれかけている。環はそんなことは気にもとめずにガラリとドアをあけた。
「こんにちは~」
環は元気に挨拶して入り、透真はその後につづく。部屋の中にはすでに一人の人物がいた。その人物は環と透真をみてニコリと笑いかけた。
「やっほ~環ちゃん、透真くん」
ポニーテールをゆらりと揺らしてそう挨拶したのは佐倉暁美。透真たちより一つ上の三年生だ。
「……部長は、まだきてませんか」
「みたいだね~」
ケラリと笑う暁美。その明るい雰囲気は慌てふためき入ってくる依頼人を落ち着かせるのに長けている。
「よいしょっと」
透真はいつもの席に腰掛ける。この部室でやることは人によってまちまちだ。課題をやったり、本をよんだり、ボードゲームをしたり。透真はかばんから一冊の詩集をとりだし、よみはじめる。
「水野くん、またそれ読んでるの? 好きだねぇ~」
「透真くんロマンチストだもんね」
「えぇ、まあ。詩は昔から触れる機会が多かったので」
「じゃあさ、環ちゃん。私たちオセロやらない?」
「いいですね、負けませんよ?」
詩を噛みしめるように読む透真の横で暁美と環はオセロを始めた。数十分後、透真は一通り詩を読み終わり顔をあげるとぐったりした暁美とドヤ顔を決めている環の姿があった。……どうやら環はオセロが強いらしい。
と、透真はここで暁美に疑問をなげかける。
「佐倉先輩。さっき日室とも話したんですけど、新入生についてどう考えてますか?」
「うーん。どうって言われても。たぶん勉強頑張りたい子たちが数人入ってくれるんじゃないかなぁ……? でも、透真くんや環ちゃんみたいに毎日きてくれる子もほしいかな」
「……今日とかって、新入生きたりします?」
「それは部長がボランティア部の宣伝をしてるかどうかだけど……」
暁美がそう言った直後、ドアがガラリと開いた。
「お、みんなおそろいだねぇ」
「部長」
ボランティア部の部長―――伊良紀人が入ってきて部員を見渡す。
「今しがた依頼が入ってね。先生たちが中庭の整備を手伝ってほしいらしい。軍手とかは借りれるから、準備して中庭集合ね」
「ねぇ紀人くん」
「なんだい暁美くん」
「新入生の勧誘とかってやってるの?」
「ボランティア部は勧誘をしないんだ」
紀人はそのどこか安心感を持たせるような声でいう。
「……勧誘なしで俺らみたいな部員って確保できるもんですかねぇ……?」
「僕は勧誘しなくても君たちのような部員が入ってくれるところがボランティア部のすごいところだと思っているよ、透真くん」
「まあ、確かに俺や日室みたいなやつも、学年に一人や二人いるかもしれませんね」
「だろう?」
紀人は目を細めてニコリと笑う。透真は紀人の笑顔以外の表情を見たことがない。伊良紀人という人間は穏やかであり、その雰囲気が人を安心させる力をもっている。まあ、笑顔しか顔に浮かべないというのが反面、何を考えているかわからないように感じてしまうときもあるが……。
◆
「今日はありがとう! お疲れ様でした~」
額に吹き出た汗をぬぐいながら依頼主の教師が言う。ボランティア部の面々は使ったスコップやシャベルを洗い、片付ける。全ての作業が完了するころには新入生はほとんど帰っており、空もオレンジ色に染まっていた。
「それじゃみんなお疲れ。今日はこれで解散ね」
お疲れ様でしたー、と部員たちは紀人の言葉に返し次々と帰っていく。
「伊良先輩、鍵、やりますよ」
透真は紀人に鍵を返しにいくと申し出る。
「ああ、ありがとう。でも僕はこれからここでやることがあるから、今日のところは僕が鍵かけるよ」
「わかりました。じゃあ俺はこれで」
「うん、また明日」
トン、と透真は静かに扉を閉じ窓から空を見上げる。すでに一番星が輝き始めている。カラスが遠くの方で鳴き、サァっと風が桜の木を揺らす。
「……今日はちょっと遅くなっちゃったな……」
透真はそんなことを呟く。遅くなったところで家には誰もいない。待ってない。だけど、ただいまをいった瞬間それが暗く冷たい家に吸われていくようなあの感覚が苦手だった。孤独を感じる。寂しさを感じる。透真は颯爽と靴に履き替え校舎を後にした。
と、
「透真」
透真の名前をよぶ、穏やかな声がきこえた。透真は声の主の方をみる。
「柊」
そこには、相も変わらず爽やかな柊が立っていた。
「部活、終わったの?」
「ああ、今から帰る」
「そうなんだ」
「……柊も、部活終わりか?」
「ん? いや、僕は透真を待ってたんだよ」
「ああ悪い、今日活動があって遅くなっちまった」
「全然いいよ」
「じゃあ、帰るか」
「待って」
家へ一歩踏み出した透真を柊のやや固い声が引き止める。
「透真」
「……どうした?」
「透真に会いたいって子がいるんだけど」
「俺に? 新入生?」
「うん」
はて、誰であろうか。透真は思考する。だけど、答えはすぐに見つからなかった。
「ほら、でておいで」
透真は柊のその言葉ですぐ横の柱に誰かが隠れていたことに気づいた。その人影はゆっくりと姿を現した。
ドクン。
透真の心臓は強く脈打った。目が見開かれる。呼吸が震える。思考がまとまらない。口をパクパクするだけで、言葉が出てこない。腕に力が入らず鞄を落としてしまう。落としたことにさえ、気づかない。
驚愕。そこにはただただ大きい驚きの感情があった。
「……」
柱からでてきた少女は、嬉しいような、悲しいような、戸惑ったような表情をしていた。その少女は透真と目が合うと、ばつが悪そうに目を逸らす。
「……ルラ……」
透真は少女の呼び名を呟く。少女は再びゆっくりと透真へ視線を戻す。そして、透真と同じく震えているその唇を動かした。
「……先輩。お久しぶり……ですね」
透真は中学三年生のころの9月からその年のクリスマスまで、一緒に過ごした少女がいる。たくさん話し、語り合った。その時間は透真にとってとても心地のいい時間だった。この少女は、まさしくそのときの少女だった。
……一年以上の時を経て、透真とその少女―――天上瑠奈は再開した。