一般人ですが牢屋からざまあさせて頂きます。
きらきら輝く紅茶色の瞳、同じくらい色素の薄い、ふわふわの長い髪。
すんなりと伸びた手足はモデルと見間違えるくらいで、きゅっとしまったウエストを強調するリボンがかわいらしい。
聖女さまの名にふさわしく、いつも慈愛を帯びた眼差しを民に注ぐアナベル。
けれど私に対しては、死にかけの動物を見るような目しかしない。
「ちゃんと生きてるわね。一時は食べ物を口にしていないと聞いたから、餓死するんじゃないかと心配してたの」
「……無理やり口に食べ物を押し込んできたくせに、よく言う」
「当たり前でしょう。あんたには生きていてもらわないと、私が帰れないもの」
そう言って微笑むアナベルは、悔しいけれど、やっぱりかわいい。
例え中身が、最低最悪だったとしても。
こつ、こつという靴音が聞こえる。その足音を聞きつけたアナベルが顔を輝かせた。
「ヨセフ様!」
「ああ、アナベル。ここにいたのか」
流れるような金色の髪、海を思わせる深い青の瞳。すっと通った鼻梁は彫刻のように完璧で、全身からロイヤルな雰囲気が漂っている。
彼はアナベルの腰をそっと抱き寄せ、慈しむように彼女の頬を撫でた。
アナベルも、されるがままでうっとりと目を細めている。
――そして私はそれを、牢屋の中から見ている。
私はエリザ。本名は忘れた。エリザというのはこの肉体の名前だ。私は魂のみでこの世界に転生してきたので、肉体を借りているということになる。
ぱさぱさの赤毛に、栄養不良で土気色の肌は、アナベルと比べるまでもなく貧相だ。
アナベルが聖女さまとしてたぐいまれな力を持っているのとは対照的に、私は何の力も持っていない。
それもそのはず。私はアナベルを元居た世界に帰すための「鍵」でしかないのだから。
ヨセフは汚いものを見る目で私を見た。イケメンの視線がちくりと痛い。
「奴隷か物乞いでももっとまともな恰好をしている。アナベル、こんなよどんだ場所にいては体を壊す。さあ行こう」
「ええ、ヨセフ様。また国境にゴーレムたちが攻め入ってきたと聞きますし、その対策を立てなければ」
「ああ、愛しいアナベルよ。あなたはそんなことをしなくても良いのだ」
「いいえ、私は異世界から来た聖女。この国を救うための存在なのですから」
ヨセフはたまらないと言った様子でアナベルの唇を奪った。
どうでもいいから、私の見えないところでやってほしい。
その思いが通じたのだろうか、二人はイチャイチャしながら城の方へと戻っていった。
「……はあ」
ため息がこぼれるのは許してほしい。
私はアナベルのおまけだ。かつていた場所から、このエレンディア国に魂を召喚された時にそれを知らされた。
『おお……! 聖女だ、聖女さまがお出ましになったぞ!』
その言葉を聞いた時、少しだけ期待したのだ。
私も皆に何か影響を与えられる、ヒーローみたいな存在になれるかも、と。
けれど現実はいつだって残酷で、皆が待ち望んだ聖女さまは、私じゃなくてアナベルだった。
容姿からして違う。いるだけでぱっと華やぐようなアナベルとは対照的に、陰気臭い私は、かつていた場所でもここでも忌み嫌われる。
幸いと言うべきか、私はアナベルが元の世界に戻るための「鍵」となるため、少なくとも殺されることはなかった。
そういうシステムなんだそうだ。召喚するのは常に二人で、一人が主役、一人はおまけ。
このエレンディア国には資源とかがないらしく、常に財政がひっ迫しているらしい。
だから聖女さまとか、勇者さまを外部から召喚してきては、色々助けてもらうのだという。
二人召喚するのは、一人を人質にとって、言うことを聞かせるためなんだとか。結構非人道的である。
「そういうシステムでやるんなら、おまけ役の扱い、もう少し手厚くしてくれてもいいと思うんだけど」
最初は私も牢屋暮らしではなかった。
けれどアナベルもヨセフも、この国の人たちも、私をまるでいないもののように扱うから――。
一度アナベルに向かって怒ったことがあったのだ。私を何だと思ってるんだ、とか。
そうしたらアナベルは、待ってましたとばかりに私を捕まえ、この牢屋に入れたのだ。
何でも私は、聖女さまに対する不敬罪を犯してしまったらしい。なんだかな。
「せっかく転生したのに、な」
私は牢屋の奥の壁に背を預けた。
と、背骨がごりり、と何かを押した。
「んん?」
石組みの一つが緩くなっている。他にすることもないので、私はその石を両手でつかんだ。
ゴゴッ、という鈍い音がして、石は呆気なく引き抜かれた。
石の向こうは壁、というわけでもないらしい。暗くて見えないけれど、他の牢屋に繋がっているのかも。
私は目を細め、暗闇の向こうにあるものをとらえようとした。
「……おや」
「!」
低くかすれた声が聞こえた。年齢不詳の、男性の声だ。
「なんと。久しぶりに人と話すな」
「わ、あ、えっと」
「ああ、驚かせてすまない。私は罪人ではない。ブレットという」
きっぱりと言う声は、かすれているけれど、凛とした響きを持っている。
罪人ではないという言葉は、嘘ではないのかも、と思った。
「君は? こんなところに閉じ込められるような、悪いことをするようには見えないが」
「私はエリザ。聖女さまが元の世界に戻るための『鍵』なんです」
「『鍵』……!? なんということだ、こんな偶然があるのか」
「偶然って、まさかあなたも?」
「ああ、私も異世界から召喚され『鍵』としてここに残されている」
壁の向こうでブレットががさごそ動く音が聞こえた。
穴からぬっと突き出された手は骨ばっていて、垢と砂塵にまみれている。見た感じ、けっこう年齢は上かもしれない。
けれどその手が、何かを求めるようにさまようものだから、私は思わず手を差し伸べた。
冷え切った手をぎゅっと握ると、ブレットの手のこわばりがほどけてゆくのが分かった。
「ああ……! 何年ぶりだろう、こうして人に触れるのは」
「あの、あなたと一緒に召喚された人は、どこにいるんですか?」
「分からないんだ。討伐隊に加わって、そのまま行方不明になったらしい」
「そんな! じゃああなたももう『鍵』の役目から解放されてもいいのに」
ブレットは自虐的に笑った。
「生死不明ということは、生きている可能性があるということだ。万が一のその可能性のために、私は生かされている」
「そんなことって……! それで牢屋に閉じ込めておくだなんて、ひどい」
先が見えない幽閉は、さぞかしつらいものがあるだろう。
なのにブレットは心配そうに、
「君も大変な目にあっているのだろう。今の聖女さまはずいぶん活躍していると聞くのに、その『鍵』をこんなところへ置くなど」
「アナベルと喧嘩をしたら、それが不敬罪に当たると言われてしまって」
「……相変わらずこの国は『鍵』を人間だとは思っていないらしいな」
「まったくですね!」
私たちはそれからとりとめのない会話をした。
自分の言葉を否定されることのないやり取りというのが久しぶりで、とても嬉しかった。楽しかった。
ブレットも楽しんでくれているようだった。この牢屋に閉じ込められてから、もう四年は経っているのだとか。
それだけ人と話していなければ、そりゃあ私程度の話し相手でも楽しいだろう。
ブレットの、色んなことを教えてくれるのに、上から目線ではないところが好ましかった。
ちょっとした冗談を言ったあとに、自分で恥ずかしそうに笑うのがかわいらしかった。
かすれた声を少しでもいたわりたくて、アナベルからたわむれに与えられる蜂蜜の飴(あんな女でも、私の機嫌を取ろうと思うことがあるらしい)をあげたら、びっくりするほど喜んでくれた。
牢屋生活も、悪いことばかりではないらしい――。
*
そんな生活を三か月も続けた頃だろうか。
心なしか城内がざわつき始めた。出される食べ物の量も少しずつ減っている。
現れたアナベルは、珍しく少し荒れた肌をしていた。
それでも彼女の美しさは大きく損なわれていなかったけれど。
「……最近、ずいぶんよく食べるのね。能天気なこと」
ブレットがいるから調子が良い、とは言わないでおいた。なんとなく秘密にしておきたった。
「悪い? 『鍵』が健康なら、あんたも安心でしょ。いつでも帰れるんだから」
「ハッ、いつでも帰れたら苦労しないわよ。私がいないと、もうこの国は戦線を保つこともできないってのに……!」
美しい瞳には焦燥の色が浮かんでいる。
ヨセフはどうしているのかと尋ねたが、返事はなかった。
アナベルはドレスの裾を乱暴に翻して牢屋を後にした。
状況はどんどん悪くなってゆくようだ。与えられる食べ物の量が極端に減った。
「私の方は、どうやらこのまま見殺しにすることにしたようだ。昨晩から水の一滴も与えられていない」
「そんな……。ひどい、ならばせめてあなたを開放してもいいのに」
私は自分に与えられた食糧をブレットに分けた。
彼は遠慮したけれど、横で餓死される方が嫌だと言って、無理やり分けた。
もうアナベルは来なくなった。最後に見かけたのはいつか、もう思い出せない。
食料を差し入れる兵士たちも、負傷兵や、子どもであることが多くなった。
彼らは私にいろんなことを教えてくれた。
「もう戦争には負けるみたい。ゴーレムたちはこの国の中央まで攻め入っていて、あと残されているのはこのお城だけだって」
「西のエルフたちのゴーレムだね? 彼らには学習能力がある。この国の兵士の練度、将兵の力量からして、敗北は予想しうる事態だった」
「……アナベル一人じゃ、無理だったのかな」
「たった一人の強者のみでは、もはや覆せないほどに、戦況が悪くなってしまったのだろう」
そのうち、食糧の差し入れさえもなくなった。けれど牢屋の鍵は開けられなかったので、自分が餓死することが分かった。
せっかく転生しても、こういう終わり方があるんだなあと思った。
ゆるやかに餓えてゆくのはしんどかったけれど、ブレットと一緒なら悪くなかった。
彼がネズミを捕まえて、その肉を全て私にくれようとしたときは、こんなふうになっても、他人にここまで優しくできる人なのかと驚いた。
唇がすっかり渇いて、意識を失いそうになったその瞬間。
牢屋の入り口に重たい足音が響いた。石と石がこすれあう音、石壁が崩れ落ちる音、そして光が差し込む気配。
まぶしさに目を瞬いていると、全身が石でできているゴーレムが、のそりと姿を現した。
「ああ、お城が落ちたんだ」
呟くと、ゴーレムの背からひょっこりと一人の男が姿を見せた。
長い金髪、細面の白い顔、女と見まがう美貌。まるでエルフみたいだ。
「その方らは何者だ? 罪人にしては若すぎるように思うが」
「あ……私は、えっと」
「この国の人間か? ならば降伏せよ。逆らえば死ぬ」
逆らうほどの気力はもうない。もはや何か喋るのもおっくうで、壁に体を預けていると――。
「私はこの国の人間ではない。外の国から来た、異能を持つ者である」
ブレットの声が、石の隙間から朗々と響いた。
男は怪訝そうな顔をし、ゴーレムで石の壁を砕いた。
粉塵が舞い上がり、石のかけらが散らばる。せき込む私の肩を抱き、立ち上がったのは。
「ブレット……?」
「やあエリザ。顔を見るのは初めてだね」
私と同じくらいやせ細った青年が立っていた。
身長は私より頭二つ分ほど高く、黒髪は長年の幽閉生活で、肩のあたりまで伸びている。
けれどその目は、黒曜石のような瞳は、知性の輝きを失っていなかった。
「私は『鍵』だと言ったが――。それは嘘だ。私こそが、異能を持ってこの国に召喚された」
「えっ」
「私は国の命令に従わなかった。戦争など意味がないからね。それに怒った国王たちは、私をここに閉じ込めたんだ」
男は油断ないまなざしでブレットの言葉を聞いていたが、
「つまりそなたは、この国の敵であったということか」
「ああ。それに私が持つ異能は、きっとあなたたちの役に立つ」
そう言ってブレットは手のひらを上に向けた。風がぶわりと砂塵を巻き上げる。
遠くで、かすかな雷鳴の音が聞こえた。
「天候を操ることができる。夏に雪を、冬に虹をお見せしよう」
「……なるほど。天候を操ることができるのならば、我が軍にも大いに役立つ。その娘の方は何ができる」
「わ、私は」
私はアナベルの『鍵』だ。おまけだ。聖女さまでも何でもない、ただの一般人――。
「彼女は私の『鍵』だ。『鍵』がいなければ私は死ぬし、この能力も使えない」
「ブレット?」
ブレットは微かに口の端を歪めた。笑っているようだった。
「そうだろう? 君がいなかったら――あそこで話し相手になってくれなければ、食糧を分けてくれなければ、私はとうの昔に死んでいたのだから」
「分かった。そなたがそう言うのであれば、その娘も連れて行こう」
私とブレットは一緒に連れていかれた。彼はほとんど私から離れなかった(お風呂の時以外は)。
ブレットのおかげで、私たちはたっぷりの食糧とふかふかの寝床を与えられた。
まっとうな服を来て、温かいご飯を食べたのは、一体いつぶりだろう。
牢屋から出されて二週間後、私たちは城の中を自由に歩くことを許された。
侵略者であるエルフたちの手によって、すっかり内装を変えられた城は、全く違う場所のようだった。
「っていっても、私は召喚されてすぐ牢屋に入れられちゃったから、あんまり城の中を歩いた記憶はないんだけどね」
「エリザ……君はずいぶんと不憫な目にあったんだね」
それはブレットもだ。
彼の『鍵』は、言うことを聞かないブレットの目の前で殺されてしまったらしい。
「私が『鍵』だと君に嘘をついたことは、すまなかった。国の放った間者の可能性もあるかと思ったんだ」
「ううん、自分の身を守るためだもの、気にしてないよ」
帰る希望も断たれ、ただ牢屋に幽閉されるばかりだった彼は、私と話すことでほんとうに救われたのだ、と何度も繰り返した。少し、照れくさい。
髪をととのえ、肌艶がよくなったブレットは、結構整った顔立ちをしていた。
笑うことにも慣れてきた。はにかんだような笑顔がかわいらしい。
そっと伸ばされた手を握り返す。前よりずいぶんとふっくらとして、暖かい手のひらだ。
「ああ、ここにいたのか、ブレット」
私たちを牢屋から出してくれたエルフが、ブレットを見かけて近寄ってきた。にこ、と下手くそな愛想笑いを浮かべる。
「この国の中枢にいた人間をついに見つけた。小癪にも逃げ回っていてなかなか見つけられなかったんだが……。今日の昼、処刑をする予定だ」
「処刑……」
エルフは中庭を示す。そこには薄汚れた何人かの人間が、縄で縛られ、ゴーレムたちに見張られていた。
「……あ」
その真ん中に、アナベルとヨセフの姿があった。
薄汚れてボロボロで、まるで奴隷か物乞いみたい。
「……」
助けに行くことは――できるだろう。ブレットに頼めば、ヨセフは無理でも、アナベルくらいは助けられるかもしれない。
エルフたちの処刑はどんなものだろうか? 苦しいだろうか、それとも慈悲深いものだろうか?
「……なんて、彼女たちは、一度でも相手の境遇を想像してみたことがあったのかしらね?」
「え?」
「ううん、何でもない」
例えばアナベルが、牢屋の鍵を開けていなくなったならば。
せめて彼女が、残された私がどんな扱いを受けるか、少しでも想像してくれたのならば。
あるいは誰かが、ブレットの牢屋の鍵を開けていてくれれば。
いや、そもそも私を牢屋になんて入れなければ。
私は駆けだして、彼女を守るように叫んだかもしれない。
けれどそれは考えても仕方のない話だ。そんなことは「なかった」のだから。
私たちは不当に閉じ込められ、飢え死にしかけて、――でもここに立っている。
「行こう、ブレット」
「ああ」
十分な栄養と睡眠のおかげで、私の髪はさらりと流れ、真っ白な肌には健康的な艶が戻ってきている。
ブレットはそんな私をまぶしそうに見つめている。私は彼の『鍵』なのだ。
私はアナベルに一瞥もくれることなく、城の中を歩いて行った。
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(今いろんなタイプの作品を書いてみようと試行錯誤しているのですが、異世界転移と異世界転生、違いは分かるものの使い分けが難しいですね…)