星羅と詩穂
「ねぇ、みて星羅、理沙が寝がえりうったの」
「あらほんと、まったく誰に似たんだか」
「わ、私じゃないからね」
そういいながらほほを膨らませる詩穂。
その手の中にはちょうど赤ん坊くらいの大きさの石がベビー服にくるまれていた。
「あ、わらった。やっぱり星羅に似てるね」
「そう?」
私が実家の者たちによって軟禁させられていた間に詩穂は大切なものを失っていた。
それは子供であり私との思い出であり、そして詩穂自身の魂の一部ともいえるものだった。
その後、私は詩穂を連れて家を出た。
もっと早く家を出るべきだったという後悔だけが募ったわ。
けど、もう全部後の祭りだったの。
傍目にも心を壊してしまった詩穂の挙動はおかしくなっていく一方だった。
川で拾ってきた子供の大きさの石を詩穂は私たちの子供だと言い張って聞かなかった。
壊れきった二人の逃避行。
石を育てながら季節が一回廻ると詩穂の様子はさらにおかしくなっていった。
「ねぇ、星羅。最近理沙が泣かないの」
「きっと疲れたのよ」
「それと、この前会ったおじさん、なんか事故で死んだんだって」
「……そう」
通常ならこんな生活一年以上も続くはずはなかった。
だけど、私の家の呪いはなぜか私についてきた。
どこかに出かければ何か懸賞が当たったり特別記念の人数になったり、高額の落とし物を拾って届けた人に感謝されて謝礼をもらったりとひっきりなしに収入が発生した。
そして私と詩穂が通った後には日々死体が積まれていった。
私たちを訝しんだ警察も職務質問するたびに面会した人たちがことごとく死に絶え、その原因がどこをどう探しても私たちに見当たらないことが明瞭になると近づこうとしなくなった。
おそらくだけど祖母の方からも行政にも手を回したんじゃないかと思う。
逃げれば逃げるだけ増えていく逃走資金に、私は眩暈と吐き気で何時しか満足に眠れなくなっていた。
そしてある日のこと。
「星羅、理沙、私が預かるから」
「大丈夫よ、どうせ眠れないのだから私が見てるわ」
とある海辺の民宿。
従業員もオーナーも近所の人たちも全員居いなくなったこの民宿で私たちは静かに子育てをしていた。
今時珍しい柱時計が時刻の鐘を告げる。
「星羅」
「なーに」
私が顔を見ると詩穂が笑いながら苦痛の表情を浮かべていた。
「ごめんなさい」
「なんで詩穂が謝るの。悪いこと何もないでしょ」
「でも……」
詩穂の頬に涙が伝った。
私は詩穂と理沙をそっと抱きしめる。
「馬鹿ね」
「うん」
良く晴れた遠くの海から潮騒の音が聞こえる気がしたの。
「星羅」
「なーに?」
「つかれ……ちゃった」
ぎゅっとしがみついた詩穂。
二人の間の塊が少しだけ苦しかった。
でも、そんなことはよくあること、だから私は詩穂をもっともっと強く抱きしめた。
「じゃあ、ちょっとお休みする?」
「うん」
その日も私たちはいつも通り家族で水入らずの生活をした。
皆でとった夕食、身支度を整えた後で私はお酒をコップに一杯入れてから窓の近くに置いておいたの。
「星羅、それは?」
「蛇神様のよ。ずっとお世話になったもの」
「そう……だね」
そうして二人で両手を合わせた。
そのあと私は詩穂が抱いてたのを預かって落とさないように自分にしっかりと結び付けたわ。
すっかり夜も暮れて波も穏やかな満月の夜だった。
二人で何度も歩いた海への散歩道、そしてその先のきりたった崖。
「ねぇ、星羅」
「なぁに?」
「その……ずっと逃げてて辛かったよね。ご……」
言いかけた詩穂の口を私はそっと塞いだ。
「違うでしょ、詩穂」
月夜の下で頬を染めた詩穂は本当にかわいらしかったわ。
「うん、ありがとう」
「ええ、私もよ。ありがとう、詩穂」
「ずるいなぁ、星羅ってさ、そんな感じに笑ってるほうが可愛いんだもん」
「詩穂もね、じゃぁいきましょうか」
「うん」
そうして私と詩穂の旅は終焉を迎えた、はずだったのよ。
砕いたマーマンたちをスライムたちがどこかに運び去っていく。
他にも水の中にいろんな魚っぽいものも見えた気がしたが、あえて見ないことにした。
水の色は徐々に薄らぎ数分もすると元の澄んだ色に戻っていた。
「あの子らボルシチどうするのかね」
「その、悪趣味な表現やめてください、本当に」
私とアカリがそんなことを話していると沙羅をなだめ終えたセーラが割り込んできた。
「私の『月下氷人』は相手の内部の水分で起こすの。その時に神技の副効果で対象のMPが完全に無くなるのよ。だからスライムたちの目から見たときにあの子たちの亡骸だったものは食べていいものに見えるのよね」
あの技、他力も使って発動するのか。
「それってあれかね。MP持ってる生き物には手を出さないってアカリが言ってたやつか」
「ええ、そうよ。古代種のスライムたちにとっては、それが食べていいかどうかの見極め方らしいわ」
私にそう答えるセーラをアカリがじっと見つめる。
「この時代、カリス神はまだ完成してなかったはずですが」
「まぁ、詳しいのね。一応プランだとカリスの標準能力に組み込むことになってるけど、MPドレインは元々は私のスキルの一部なのよ。神技名でいうなら『我田引水』ね」
私の横でアカリとセーラの視線が絡む。
背の高くて細身のセーラと背が低くて出るとこが出てるアカリ、二人が揃って話してるとこはなかなかに眼福だわね。
「アカリ、セーラのこと随分良く知ってるみたいだね」
「そりゃまぁ。セーラが完全に死んだのはカリス教にとっても予定外だったそうです。なので、カリス神の調律用に、本来なら処刑対象だったロマーニの上級魔導士だった私があえて残されたんですから」
「そういう……ことなのね」
頬に手を当てたセーラがため息をついた。
そのままアカリをキュッと抱きしめる。
「は、ちょ、ちょっとなにしてんだ」
「ごめんなさいね。正直いってメティス達がそこまで手段選ばないとは私も思ってなかったの。言い訳にもならないけど謝らせて頂戴」
「ち、ちがうっ、セーラに抱きしめられても、あ、や、えっ、やめてっ、今、ごりっと音がした、ごりっと」
「あら、力入れすぎちゃったわね。ごめんなさい」
苦笑するセーラ。
頬を染めつつ青ざめるという器用なことをしながら、セーラとの間をとって猫みたいな威嚇をするアカリ。
「もう一度確認するけど、私がいなくなった後のカリスの調整はあなたがしたのね」
「えぇ、まぁ……月魔導を土台に神聖術を作るときに、ついでにやらされたので」
ほぅ、この二人ってそういう縁もあったのか。
「本格的に戦争状態になるまではロマーニとカリスの間は冒険者ギルドが仲介してたのでバイトでいろいろと仕事受けてました。単価が高かったので割のいい仕事でしたね」
「私が言うのもなんだけど随分と危ない橋を渡ってるわね」
目を細めるセーラに対して肩をすくめたアカリ。
確かアカリは戦後、カリス教に捕まった時に拷問受けたんだっけか。
トリプルスパイの容疑とかかけられてそうだわね。
「実家が嫌って程貧乏だったので稼ぐ手段を選んでられる身分じゃなかったですからね。ギルド経由の受託は戦争になるまでは合法でしたし」
怪獣に荒らされたっていうアカリの実家か。
いざとなったら逃げますとよく口にするアカリだけど、こっちの実家からは逃げなかったのか。
ということは『魔導』の龍札で招来されたアカリが家族の食い扶持のために受けた仕事がカリス教を強化したってことになるのかね。
こりゃまた嫌な因果だわね。
「その頃から所属してたわけじゃないんやね」
私の言葉にアカリが頷いた。
「私がカリス教に正式に入ったのは戦後ですね。なのでこの時代のカリスには詳しくはないですよ」
「なら尚更会っておいたほうがいいわね。ユウちゃんもあってくれるわね」
「ええけど、アカリどうしたのよ」
「多分知ってる相手です。めんどくさいんですよ、色々と」
こちらに来てからちょいちょい嫌そうな顔をするアカリだけれども、行きたくないというのがはっきりと顔に出ていた。
「アイツは大きな川や池だとほぼ確実に分体がいましたし、カリスにも関係があったんでいやって程絡んでます」
見せたい場所って話だったけど、目的は場所じゃなくてそこに誰かいるっぽいね。
そんなことを考えていると、誰かが私の服の裾を引いた。
そこを見ると泣き止んだ沙羅が私を見上げている。
「ん、なによ」
「今から会うのって怖い人でしょうか」
「大丈夫、いくら何でもいきなり取って食ったりはしないだろうし」
沙羅をなだめてからセーラとアカリを見ると二人の視点が沙羅に集まっていた。
「沙羅姉ってあれの趣味だったりしませんかね」
「どうかしら。以前、リーシャをたまに連れて行ってた時もテンション上がってたのよね。沙羅ちゃんは肌の色が変わってる以外は王道の清純系だからあってるといえばあってるけど」
ジト目でセーラをにらみつけるアカリ。
「セーラ、まさかと思うけど生贄のつもりで沙羅姉を連れてきたんじゃないですよね」
「いいえ、そんなつもりはないわ」
そのまま黙った二人。
涙目になった沙羅が私を見上ている。
「お姉ちゃん、私、もう帰りたいです」
ごめんよ、夢の外への帰還手順は編んでないんだわ。
「河童の嫁入りって言葉あったっけか」
「そんな諺はないわ。大丈夫よ、沙羅ちゃんのことは私が守るから」
「まぁ、その時は私も手伝います。沙羅姉に何かあったら後から嫌味言われそうですし」
私は沙羅の頭にポンと手を置いた。
「なんか駄目そうだったら私と逃げよう」
「……はい」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
私の読みがあってるなら、結構面白い相手のはずなんだけどね。