月影の定期検診
今日は月影の定期検診の日。
月音がついてきたがったけどエウの本体でもある霊樹がまだ安定しきらないということでお預けだ。
自転車とケーブルカーを乗り継いでシャルの家まで月影を連れてきた私は、診療室に増えたシャルの絵をなんとなく見ていた。
「シャル、今って話しかけても大丈夫かね」
「なんですの」
月影に杖をかざしつつ空中に浮かぶ情報の窓を操作するシャルが視線は月影に向けたまま私の声に答える。
シャルが絵を再び描き始めたのはここ最近のことだ。
「私がいうなって言われそうだけどシャルも大概に自分のことは後回しよね」
「いまさらですか」
私は一番近くにあったコズミックホラーを適当に見ながら言葉を続ける。
「アカリの好意、わかってるよね」
診察台の上に行儀よく座った月影がじっとシャルを見上げる中、銀髪紫眼の妹が小さくため息をついた。
「ええ……そうなんでしょうね……」
おっとシャルにしては煮え切らない返事だこと。
「そういやさ、シャルの奥さんってどうなってるのよ」
死んでるんだろうなとは思ったけどここはあえて聞く。
「正妻という意味であれば息子が小さかったころに病で逝きました」
「そっか。息子さんは戦争でかね」
「いいえ。当時の青の龍王に入婿してから数年後に同じく病で」
ほう、青の龍王に入婿ねぇ。
「ということは咲ってシャルの孫とかだったりするんかね」
「孫ではなくひ孫ですわね」
なるほど、そういう縁でロマーニに居たんか。
今の姿になる前のシャルが七十歳くらいで咲の今の年が十歳。
そうすると大体二十年くらいで世代交代してるのか。
庶民だともっと早いんだろうね。
「青の龍王が王位を継いだりはしないんだ?」
「基本はしませんわね。他にも子はいましたし」
そして私に会う前の最後のロマーニ王がシャルだっということは、まぁそういうことなんだろうね。
「ロマーニって後宮あったんだっけか?」
「ええ。後継問題を避けるには必須ですからね」
「シャル、奥さん何人いたのよ」
口元を隠したシャルが私の質問に答える。
「最終的には第八までいました」
旧ロマーニの後宮は王の後継を生み出す機能の他に、各地の都市の領主や貴族の娘を預かることで人質にするという側面もあったと以前シャルから聞いた。
貴族たちの別館も後宮周辺にあったということだからアルドリーネちゃんあたりはそういったとこへの輿入れだったのかもね。
「最後まで皆よく尽くしてくれましたが敗戦の前にそれぞれの出身地に一時避難させました。その後どうなったかまでは私にはわかりません」
「んー、カリス教ってやっぱり一夫一婦推しだったりする?」
「ええ」
中世土台の王政と一夫一婦制は根本的に相性悪いわな。
カリス教のモラルがずっと維持できたかというと多分無理だったろうし。
大霊界とやらの礎という名目で殺してかまわないとなってしまえば尚更ね。
「そこら辺もカリス教とぶつかった理由だったりするんかね」
「そうですわね」
会話には律儀に答えながらもシャルはこちらを振り返らない。
そんなシャルの前に青い光を伴って宙を飛んできた書籍が自動で止まり、同じく魔導の力によってページが順に捲られていく。
「人は平等、理念としては素晴らしいですが現実問題としてそれを貫くだけの余裕はこの世界にはありません。国が破れ支配が解けてしまえば略奪が起こります。いくら規律を高めても抑えきるのは至難です。表立ってはソータが抑えてくれましたが多数の強奪や殺人が発生しました。通常は亜人に転換するリスクがあるので踏みとどまりますが戦時では無理があります」
「前々から聞こうと思ってたんだけどさ、亜人と人間の差ってどこよ」
シャルは動きを止めることなく私の質問によどみなく答えてくる。
「正確に言えばこの世界には人はいません。人種と呼ばれるものは全部亜人です」
「そりゃまた……あれかね、テラと比較してってことかね」
「はい」
ティリアが言ってしまったという『あんたたちなんて家族じゃない。偽物の、でっち上げの人形だ』って言葉が原因か。
「その中でも人と呼ばれるものは第一類から第三類までで、ゴブリンなど含む第四類を一般的には亜人と呼称しています」
「ロマーニ人はどうなのよ」
「第五類です」
魔族か。
「第四類の亜人はMPの挙動が不全になっていることまでは確定しています」
「ほーん、壊れてるのかね」
「その場合もありますが多くは挙動停止ですわね。MPは人としての境界線を超えた場合に不全に陥ることがわかっています」
「殺しとか?」
「それだけでは超えません。詳細については研究途中で止まっていますが原則としてはステータスを担当する月華王が破損することで第四類へと変化します」
「ほー。その割にはナオとか人のままだったけど」
ナオの救済は人としての境界線を越えていたと思うんよね。
「いくつか例外があります。その一つが星神によって束ねられている場合です」
「なるほど」
それでカリス教では殺人がタブーに該当していなかったのか。
「それで人の間での戦争ができたのか」
「ええ。カリス神の加護のもと亜人転換のリスクが下がるとなればなおさらですわね。カリス教は恭順したモノには寛容ですから神への信仰を誓えば生存は可能でした」
状況によっては国民が皆殺しになる可能性もあったとは思うけどそこも計算内だったんかね。
「それで国民を捨てて逃げた王をわざわざ演じたんか。少しでも国民がカリスに回心しやすいように」
「さて、何のことでしょう」
なんというかこの子も私と同じでつける薬がない部類だわ。
「そんなに足りんかね、この世界」
「不足の話でしたら長くなりますわよ。テラにあってこちらにはないものはかなりの数に及びます。化石燃料、重い元素、他には地殻変動もですわね」
「そこなんだよね。以前から気になってたんだけどこっちって地面の下とか山の中とかに資源ってないのかね」
ページをめくる動きがピタリと止まりシャルがこちらを振り返った。
「鉱物資源という意味であればありません。あるとすれば土中に生育していた怪獣の死骸が変質したものが残留してる場合です。経年による堆積物によって形成されている層によって地下水脈は発生しますし粘土などは採取できますが他はまずありませんわね」
随分はっきりと言い切ったね。
「そういやアカリも似たこと言ってたっけか」
「あの子も魔導士ですしテラの知識も持ち得ているので早い段階で気が付いたのでしょう。テラとは別な意味でこちらも神が作り上げた世界なのです」
「ティリアやね」
「ええ」
私の反応にシャルが深く頷いた。
「それってSGMってやつが関係する?」
「はい、おそらくは」
お、やっとSGMについて聞けるのか。
「月音やクラウドに聞いたんだけどはっきりしなくてさ。シャルはSGMって何のことかわかるかね」
私がそう聞くとシャルが口元に手を寄せて少し考えこんだ。
そしてゆっくりと口を開く。
「その単語は古代遺跡などを探索すると周期的に出て来るものです。そして超越や古神とも呼ばれる古参の星神たちはSGをシークレットガーデンと呼びます」
「シークレットガーデンねぇ、秘密の花園ってか」
私がそういうとシャルが苦笑を見せた。
「テラの文学にもそのような名前がありましたわね」
「お、よくしってたね」
「妻が好んで読んでいましたので」
おっと、地雷だったか。
「古神や超越たちの言うところのSGは平たく言えばティリアに紐づく亜空間全般のことです。ここシスティリアもそうですし怪獣などから身を隠すために星神が形成する隠れ里、もっと小さいものであれば冒険者たちが使用する空間収納機能もこれに該当します」
「ほう、冒険者ってやっぱそういうの使えるんだ」
「ええ。冒険者カードに機能が付与されています。詳細についてはアカリかステファに聞いてくださいまし」
そういって口元を隠したシャルの目の前で再び本のページが捲れはじめた。
「それじゃSGMってのはシークレットガーデンなんちゃらってことでいいんかな」
「いえ、おそらくはシークレットガーデン自体が隠語です」
「ははっ……念のいったことで。どんだけ隠したいんよ」
私がそういうとシャルがちょいちょいと手招きしているのが見えた。
「なによ」
私が近づくと空中に展開されている窓の一つを指し示してきた。
「これは月影の検診データです、ここをご覧ください」
例によって読めない文字と数字が羅列する中、私はシャルが指さした場所を見た。
そこにはアルファベットと数字の組み合わせが表現されていた。
「SGM-01って私には見えるんだけどあってるかね」
「ええ、アルファベットと数字で間違いありませんわ。隣に書いてあるのは改定された王機名であるルナティリアの呼称ですわね」
ほー。
私が横目で見ていたシャルの口元はその時確かにアルファベットと動いていた。
「てことはシャルはこの子の中身が王機だって気が付いていたのか」
「いいえ。この文字はお姉さまがこの前の放送で暴露するまでは文字化けして読み取れませんでした」
「こういうデータ表現で文字化けって初めて聞くんだけど」
「古代遺産だとよくあることです」
よくあるのか。
今はそこはいいや。
「結局のとこ、SGMって何のことなのよ」
「一言でいうなら王機の機体識別コードです。ランドホエールはSGM-06でした。他にも多用されていますが何の略語なのかははっきりしません」
「結局わからんのかい」
思わず突っ込んだ私の言葉にシャルが深く頷いた。
「アカリにも確認しましたがSGM-02で識別されているメビウスイーグルの内部機構ではスタージェネレートという表記があったそうです。おそらくですが星神の実装後に当てたエイリアスでしょうね」
エイリアスってことは別名か。
少し考えこんでいるとシャルが再び月影の検診を始めた。