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『旅立ちの飛翔/Ideal is different from reality』

 『剣崎黒乃(ぼく)』はこの鳥籠の外へ――――翼を広げる。


「僕も行く」


 ただ一言、己の心を侵食せんとする闇を振り払う言葉を――告げた。これだけでよかった。この言葉だけで、今の黒乃(くろの)黒乃(くろの)で在れたのだ。

 当然として三人の歩みは止まり、真っ先に振り返ったヴォイドが威圧するような声音で問いかける。


「何を……言っている?」


 負けない。もう、何にも縛られてたまるものか。


「――待ってるだけでは世界は変わらない。『僕』はアリサを守ると約束したんだ」


 ヴォイドが、(れん)が、そしてアリサが言葉を失う。呆気に取られた一瞬が終わり、蓮は堪えきれずに黒乃の胸倉を掴み上げた。


「自分が何を言ってるのか分かってるのか!」


「ああ。記憶があった昔も、記憶がない今も、アリサの隣が僕の居場所だ!」


 蓮が強い眼差しを向ける。きっとこの男も自分なりの信念を、相当の覚悟を抱いて行動しているのだろう。彼の瞳が、傷だらけの手が、その証だ。だがその覚悟を黒乃は正面から見返す。

 他人から見ればちっぽけかもしれないが、それだけの理由が、世界さえ変えてしまうほどの想いが――僕にはあるんだと、黒乃は目で訴える。

 刹那――――、


「……なに、これ……?」


 視界の端で、アリサの胸の辺りに光が灯った。それに共鳴するように、掴まれた胸の辺りに光が――灯る。蓮は反射的に手を離し、黒乃は数歩下がった。


「光……?」


 いつの間にか黒乃の目の前には――カードが在った。青白い光を放つそれは、冷たい夜風に粒子を散らし、透き通る水のようなその姿を現す。何も描かれていない一枚のカード。


「なッ、カード……⁉ 数字のない『ブランクカード』だと!」


 明らかに動揺を見せるヴォイド。アリサはヴォイドと黒乃を静かに見つめ、胸元で小さく拳を握った。


(……共鳴……、何故このタイミングで覚醒を……、ッ――クソ、これでは――!)


 声には出さないが、ヴォイドは大きく動揺していた。これまで積み上げてきたもの――今まさに崩れ去ろうとしているものの、瓦解。その決定的な瞬間を目撃してしまったのだ。

 

「――――」


 声もなく、黒乃は何も描かれていない神秘的なカードを見つめていた。そして数十秒の後にアリサに宿った光が消え、同じく黒乃の光も静かに消えていった。

 視線は再び交錯する。――夜代蓮(やしろれん)。黒乃は彼を真っすぐに、彼は黒乃を値踏みするように、見つめている。

 そして数秒後、蓮はヴォイドへ向けて口を開く。


「――ヴォイド、彼を連れていく」


「……え?」


 黒乃の声だ。あまりにも意外な言葉に、つい口を突いて間抜けな声が出てしまった。それはヴォイドも同じだったようで、眩暈がしたのか目蓋を閉じてゆっくりと首を横に振った。


「冗談じゃない、冷静に考えろ。彼は我々の世界においては無力も同然。はっきり言って足手まといになる。ならここに閉じ込められていたほうが、彼にとっても――」


「話を聞け、理由はある。敵は再びアリサ・ヴィレ・エルネストを狙ってくるだろう。その際に彼女と親しい関係にある剣崎黒乃が狙われる可能性がある。そして彼が軟禁されているこの病院にも、同じことが言える。だったら俺たちに同行させた方が『危機を管理』することができる。そして――彼には利用価値がある。『モノクローム』への潜入に、剣崎(けんざき)の名前は役立つはずだ。最後に、貴方も先ほど目にしたはずだ」


「『ブランクカード』……か……チッ」


 蓮は先ほどと打って変わって、黒乃を連れていくための説得をヴォイドに行っている。


(一体どういう風の吹き回しなんだ。それに『ブランクカード』――あれは何なんだ?)


 少しばかりの静寂が流れる。ヴォイドは黒乃を見て、そしてアリサに視線を向けた。一方でアリサは黒乃を、興味深そうにじっと横目で眺めていた。

 一方で交錯する思惑に気づく素振りもなく、黒乃は寒さから来るくしゃみを我慢していた。


「……待ってるだけでは世界は変わらない、か。核心を突いた言葉だ。……黒乃君。我々は君の命の保証をしない。君は今、『運命』と相対した。本当に――覚悟はあるか?」


「――もちろん」


 ヴォイドは一瞬、ほんの刹那――下唇を噛んだ。怒りとは違う。名前もないような不鮮明な感情なのかもしれない。いずれにしてもヴォイドはその一瞬、黒乃の答えを拒絶したがっているように見えた。


「……分かったよ。……オレとアリサは先に戻る」


「ああ。すまない」


 終わってしまえばあっけないもので、結局それ以上の会話はなかった。何事もなかったようにヴォイドとアリサはこの場を去っていく。

 この場に残ったのは黒乃と蓮だけだ。


「先ほどは済まなかった。お前の覚悟は本物だよ。改めて、夜代蓮だ。好きに呼んでくれ」


 蓮は握手を求めて手を出した。黒乃は無論それに応じる。


「気にするな、こっちこそ悪かった。剣崎黒乃、黒乃でいいよ、蓮。それにさっきはありがとう、僕を連れていくって言ってくれて。でもどうして急に?」


「理由なら既に語った。だが正直なところを言えば……そうだな。昔、お前と同じようなことを言った奴がいたのさ。だから気が変わった」


 蓮の表情はどこか弛緩していて、先ほどよりも柔らかい印象を受ける。冷たい夜風が吹き抜ける中、彼はきつく締めたネクタイを少しだけ緩めた。


「へぇー、そうなのか。なら、君の知り合いにも感謝しなくちゃね」


「もうしているよ」


「……うん?」


 意図の分からない答えに困惑する黒乃だったが、それと入れ替わる形であることを思い出す。


「ああ、そうだ、蓮。一度病室に戻りたい」


「荷物か?」


「いいや、あそこには僕の物は何もない。でも、担当医の神丘(かみおか)先生には迷惑をかけたくな――へっくし!」


 冷たい寒空の下に長時間出ていたおかげで随分と体が冷えたようだ。アリサたちはそれなりに温かい恰好をしていたのに対し、黒乃は薄い病院服一枚。


「さ、流石に寒いな……」


 氷のように冷えた二の腕を摩っていると、それを見かねた蓮は着ていたスーツの上着を貸した。


「使え。ここを出たら替えの服を用意しないといけないな」


「サンキュー、助かる」


「確か余っていたスーツがあったはずだ。サイズが合えばそれを――」


 そうして、第一印象が最悪だったせいか変に打ち解けた黒乃と蓮は、一度病室へ戻ることになった。

 病室への足取りはどこか軽く、まるで巣立ちの時を迎えたひな鳥のようだった。


 何事もなく、誰に見咎められることなく病室に辿り着いたところで、ふと黒乃はアレについて思い出して立ち止まる。

 せっかくこのサナトリウムから出られるというのに、その一歩を踏み出さないことに蓮は疑問を覚えた。


「どうした。入らないのか?」


「ああ、いや……この部屋、カメラが仕掛けられてる。入ってすぐの天井。真下は映らないと思うけど、中に入れば君の姿が映るよ」


 蓮は納得して小さく頷く。そしてクールな表情を少しだけ変えて、得意げな笑みを浮かべた。


「ほう、それはいい知らせだ。黒乃、スーツの内ポケットにペンが入ってる。それを貸してくれ」


 言われるままに内ポケットをまさぐる。


「ん――なんだこれ。ラーメン屋のクーポン券?」


「そっちじゃない右だ」


「ああ、右側ね。あったよ。で、これを何に使うのさ?」


 不敵な笑みを浮かべて、蓮はポケットから黒い板のようなものを取り出した。

 どうやらペンとその板を使うらしい。


「――――」


 少しだけ開けられた扉から床に滑らせるようにして黒い板を侵入させた蓮。その板に注目すると、なんと表面には天井の様子が映し出されていた。あれは小型の鏡なのだろうか。

 その鏡のような何かを使いカメラの正確な位置を特定した蓮は、先ほど渡したペンを地面に対し垂直に構える。ペン先が上だ。そして間を置かずに蓮はノックカバーを押した。


「カメラも夜には眠る――さ、入るぞ」


「……え? 今何したんだよ」


 蓮は何も言わず、足音を殺して部屋に入った。おそらくは今の行動で監視カメラを無効化したのだろう。だとすればあのペンは、まるでスパイ映画のガジェットだ。

 部屋に入った黒乃は机の上に置かれたメモとペンを手に取った。勝手に病室からいなくなる以上、何か書置きでも残しておかなければ外出を許可した神丘が気に病むに違いない。


「さて、僕がいなくなる言い訳……。探さないでくださいが王道だけど……? それともすぐに戻りますとか? いやそれだと嘘になる可能性があるよな……」


「……貸せ」


 ぐだぐだと悩む黒乃の手からペンを取った蓮は、すらすらと手馴れた手つきで文字を書き連ねていく。できた文章はこうだ。


「『剣崎黒乃は誘拐した』……これはまた直球だね」


「手間取るようなところではないからな。これなら担当医に迷惑は掛からないだろうし、どうせ財団からの圧力で通報もされないだろう。差出人はどうする?」


「じゃあ……『白百合の騎士マスカレードローズ』で」


「なんだそのふざけた名前は……。まあいい。後悔するなよ」


 神丘の提案で外出が可能になったその日に、偶然誘拐事件が起こることなどあるはずがない。聡明な彼ならば、黒乃が自分の意思でここを出たこと――そして、そうするだけの理由ができたことを察してくれるだろう。

 用事の済んだ黒乃を見て、蓮は先ほど使った黒い板を取り出して操作し始めた。


「――俺だ。九階の八号室にアレを飛ばしてくれ」


『りょーかい!』


 元気で明るい声が聞こえてくる。きっと可愛い女の子に違いない、と黒乃は内心思った。いや、それはそれとしてだ。


(――通話した。あれって携帯電話だったんだ。……そういえば新聞か何かで……最近台頭してきたスマートフォンだったっけ。でもあれに似た形状だけど、それよりもずっと進んだ技術のような気がする)


 やはりSF作品に出てくるような未来のガジェット、という印象を抱いた黒乃だった。そんな黒乃を余所に、蓮は部屋の窓を開ける。


「――黒乃、窓から出るぞ」


「おう! って、さすがに死ぬよな⁉」


「分かっている。別に今すぐじゃない。五秒待て」


 脅かすなよ、とため息を吐いた。


「――ところで、先ほどの『白百合の騎士マスカレードローズ』だが、あれは百合の騎士なのか? それとも薔薇の騎士なのか?」


「僕も詳しいことは知らない。……っていうか知っちゃいけない気がする」


「……この時代にそういうアニメか漫画があるのかもな。後でスズカに訊いて――」


 次の瞬間、窓から大きなラジコンヘリのようなものが飛び込んできた。


「なに、これ」


「仲間が開発したドローンだ。ラジコンの進化系だと思ってくれればいい」


 ラジコンにしては軍用と言われても違和感がないような、いかついシルエットだ。中心のプロペラが緩やかに静止しソレは部屋の中心に着陸する。するとバックパック全体に赤い光線が奔り、なんと変形を始めた。


 変形したドローンはまるで蜘蛛だ。六本に分かれた足はしっかりと床に固定され、中心からは何かを引っ掛けるピンが現れていた。蓮は自らのベルトの金具にピンを引っ掛ける。引かれたピンの先にはワイヤーが繋がれていた。


「まさかそいつで飛ぶつもり? 随分イカしたガジェットだけど、もしかして君、特殊な組織の人間だったりして……」


 蓮はドローンが固定されていることを確かめると、窓枠に片足をかけた。月明りに照らされて浮かび上がった彼の横顔は、どこか笑っているように見える。


「違うな、俺は十年後の二〇二〇年からやってきた未来人だ」


 瞬間――蓮は夜の帳に飛び込んだ。


「――――へ?」


 蓮が飛び降りて数秒。黒乃の口は開きっぱなしだった。開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。


(……彼が冗談を言うようには見えないけど、まさか未来人だったなんて)


 ドローンのモーターが駆動し、ワイヤーの巻取りが開始される。戻ってきたピンには先ほど蓮が使用していたベルトが取り付けられている。


「まったく、冗談だとしたら笑えるな。もし本当なら――やっぱり笑うしかない!」


 一度、風景を見た。まばらに灯る町の光を見回し、深呼吸をする。


(彼女を守るための冒険の門出。未知なるカード。未来人。ああ、――今の僕ならなんだってできる予感がある)


 高鳴る鼓動を押さえるように、胸に手を当て大きく息を吸う。


「――さあ、行こうか剣崎黒乃! 新たなステージに!」


 待ってるだけでは世界は変わらないのだから。自らを奮い立たせ現状を変えるための一歩を――踏み出した。

 勢いをつけて、壁を足場に降下を始める。待ち望んでいたサナトリウムからの脱出。それは存外気持ちの良いもので――、


「いや、この速度はちょっと想定――」


 ――外、まで言葉にすることはできなかった。壁を足場にするどころか、ほとんど落下に近い速度。それでも何とか着地の衝撃を和らげるため、体を宙で回転させ、壁を思いきり蹴り飛ばす。

 地面に対してできるだけ並行に、そしてこのままワイヤーを離し、地面に着地しようとした次の瞬間。


「――⁉」

 

 足を滑らせた。


「ぐぇ――」


 結局、大地に二本脚で立つことはかなわず、情けなく転がるに黒乃。とはいえ手足はくっ付いており、骨も無事だ。

 それだけで上々と言えるだろう。

 人間の体が意外と丈夫なことを知った黒乃は土塗れになったスーツと病院服を叩きつつ、なんとか立ち上がる。


「さ、さすがにちょっとビビった……」


 すると、少し離れた場所で腕を組んでいた蓮が、皮肉らしく言ってくる。


「大丈夫か? 随分とクールな着地だったが」


「笑えるね、それ」


 黒乃は蓮に向けて拳を突き出す。その光景を数秒見つめ、やっと意図を理解した蓮は、軽く握った自らの拳を黒乃の拳に当てたのだった。


「ところで、よくも俺のスーツを汚してくれたな」


 黒乃は一度自らの被害状況を確認し、そして諦めたように夜空を見上げた。


「あー……やっぱ笑えない」


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