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僕らの悠翼は君に届くだろうか―Chrono Beyond―  作者: 悠葵のんの
エピローグ『それは未来』
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あとがき


 『僕らの悠翼は君に届くだろうか―Chrono Beyond―』を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


 サブタイの通りあとがきです。

 余韻を壊すのもあれなので本当は活動報告にあげようかなと思っていたのですが、長くなってしまったので本編に付け足す形で更新しました。

 

 あとがきから読んでるよ方も絶対にいると思いますが、がっつりネタバレしているので本編読了後推奨です。


 本題です。

 活動報告やTwitter等では何度も言っているのですが、この作品は自分が数年前――確か三年くらい前――に書いたものです。

 で、書いたはいいものの結局人目に付くことなくデータに埋もれてしまって、それを供養するかという想いで投稿を始めました。


 しかし投稿するにつれて新たに話を書き足したりと次第に力が入っていき、元々約20万文字だったものがおよそ50万文字にまで膨らみました。

 それどころか改稿もびっくりするくらいして、我ながら初稿の完成度の低さを認めざるを得ないです。


 それで完結しといて言うのもなんですが、新たに書き足した30万文字があっても、全然掘り下げられてない話だったり、この設定死んでね? ってのがあったりして、書きたいものに対して実力が全然追い付いてないなぁって分からされました。


 でもこの作品は本当にとてもお気に入りで、とても気持ちが籠っています。


 というのも、この作品のテーマの一つには『子供から大人への成長』みたいなものがあります。

 これ書いていた当時は成人することが近づき、それに伴った将来への不安みたいなものがありました。


 物語の主人公みたいに迷わず前に進むこと。

 理想と現実のギャップに戸惑い立ち止まってしまうこと。

 昔してしまった行動への後悔。

 それらは生きる上で必要なことで、だからこそ否定せず受け入れて、ゆっくりでも前へ進んでいこう……という、いわば未来に怯える自分を奮い立たせるためにこの作品を書きました。


 その気持ちがあって、未来へ進む黒乃、現在に迷う蓮たち、過去を悔やむ『K』といったキャラクターが出来上がり、そしてそれを肉付けする要因として、自分の好きなものを片っ端から詰め込みました。


 好きな作品のオマージュだったり、映画のパロ、そして一番は『メタ性』です。


 自分は例えばアニメのキャラクターが『おいおいアニメの中じゃねーんだからよぉ!』と安易に発言するようなメタはあまり好きではないのですが、某潜入ゲームの主人公=プレイヤーみたいな、上手く言えないのですが『読み手やプレイヤーを部品の一つに組み込んだ作品』みたいなスタンスのメタはすごい好きです。


 だからこそ自分も『イノセント・エゴ』という装置を考えました。

 このお話は『イノセント・エゴ』という赤子の神様に、物語の中で生きているキャラクターたちが、成長させた心を届けること。

 そしてキャラクターたちが神様と袂を分かち生きていくことが最終目標になります。


 無論これは一つの見方なので、絶対にこういう解釈をしろ! というつもりは毛頭ありませんが、自分はこの物語において、神様=作者=読者だと思っています。

 その考え方をすると、この作品タイトルの意味も明らかになるんじゃないでしょうか。


 『僕らの悠翼は君に届くだろうか』の僕らは黒乃たちで、悠翼は悠か彼方まで飛ぶための翼――翼とは未来へ向かう意志、そして君とは『二人の心/hope and despair are always together』で言った通り『イノセント・エゴ』を指しています。

 『イノセント・エゴ』は作中で言われている通り神様です。 


 つまりこのタイトルは――『黒乃たち物語の中のキャラクターが未来へ進もうとする意志、心は、読者に届くだろうか』という意味です。

 

 もっとフランクに言えば『黒乃たちの生き様を見て、読者はこの作品を好きになってくれるかな?』みたいな感じですね。

 Chrono Beyondは、読者の方がこの作品を好きになってくれたらそれは、黒乃たちが心を届けてくれた=世界を超えたという意味でもあるので、お洒落度を増す意味合いも含めて付けました。


 他にもテーマとして『創造主の手を離れるキャラクター』というものがあって、だからこそシンギュラリティや観測者の死などを物語に組み込みました。


以下《》内、追記。


 《結局のところ自分は『作品が終わっても生き続ける世界、キャラクター』を作りたかったのかもしれません。

 たとえば日常系アニメとかって最終回はものすごく悲しくなります。

 日常が終わるんだって感じがして、大げさに言えば、先が描かれないことで彼らの命がそこで終わったみたいな感じがして。

 続きができるかどうかも作者とか会社次第で。


 だから自分は、黒乃たちが、黒乃たちの神様である作者や現実を生きる人々から解放されて、何にも縛られずに生き続ける世界を作りたかったんだと思います。


 作品の終わりを精一杯前向きに表現したかったというか、ふとした瞬間に『今も黒乃たちは別の世界で生き続けて、あの世界は広がり続けているんだろうな』って思えるようなものを生み出したかったというか》



 そういったメタ性を持って、別の視点からもこの作品を見ていただけたら、また違った楽しみ方ができるんじゃないかなと思います。


 他にも色々とあるのですが、書き始めたらぐちゃぐちゃになったので全部消しました。


 ただどうしても言いたいことがあって。

 各章タイトルを繋げると文章になるっていうあの仕掛けが個人的にかなり自慢したいポイントです。

 初稿の時からなので三年くらい前に思いついた演出なのですが、我ながらこれやっただけでも価値あったなと思うくらい気に入ってます。


 以上、あとがきでした。


 最後、心を得た『イノセント・エゴ』はハクノという一人のキャラクターとして物語に登場し、そして創造主の手から離れ、観測者のいない未来を黒乃たちと歩んでいきます。


 作品としてはここで終わりになりますが、彼らは神様の知らないところ、見えないところで生きていきます。

 決まった運命なんてない世界を。


 どうか――親鳥のもとから飛び立った彼らを、その未来を祝福してただけると幸いです。

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