『桜舞い散る/after the end credits』
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「ふむ、君が新人の……久之宮唯葉、だったね」
とある病院の談話室で、ブラックスーツを着た男がそう言った。それに答えるのは同じく支給されたブラックスーツを着用する十代の少女。
少女はいつもの癖で天井の隅にあるカメラに背を向ける位置から、男の話を聞く。唇の動きから会話の内容を悟られないようにするためのテクニックだ。
「はい。本日付けで警護の任務を引き継がせていただきます」
「噂は聞いているよ。若くて優秀。次代を担う逸材だとね。新たな警護隊長として申し分ない人材だ。とはいえこの七年、問題が発生したことはなくてね。もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないか?」
「報告書には目を通しています。ですがこれまで何もなかったということは、これから何も起こらないということではありませんので。未来を取り戻した英雄――彼が帰還するまで、その器は私が必ず守り抜いてみせます」
「ああ。君が居ればオレも安心できるよ。それじゃあ今日から早速頼む。と――――?」
男は何かに気づいたように少女から目を逸らした。それと同時に院内の静寂を破る声が響く。
「た、隊長! 大変です!」
刹那、付近のナースステーションから無言の威圧が飛んできた。が、やってきた部下の男はそのことを気にも留めず一枚の紙を大慌てで見せてくる。
「部屋に言ったらこれが!」
「……、まさか襲撃⁉」
反射的に『組織』に反抗する組織による敵襲があったのだと思い身構える少女。
その一方で本日付けで警護隊長を引退する男は、受け取った紙を見ても特に何のアクションも起こそうとしない。
「何が書いてあるんです! 見せてください!」
置き手紙、可能性としては誘拐された線が濃厚だ。だとするなら悠長にしている場合ではない。
呆然としている男に半ば呆れながら、少女は紙を奪い取る。
「あー……久之宮さん。悪いけど君は初日でクビだ」
羅列された文字を読むが、直後、まさかのクビ通告にすべての思考が崩壊。
開いた口が塞がらないまま何度も何度も文字を読み直し、そしてようやく理解できた。
「な~~~~~~~~~⁉」
――『行ってきます』。
かつてそうしたように、彼は鳥籠から飛び立っていた。
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二〇一七年三月――あの戦いから七年の時が経った。
あれから変わったことは沢山ある。
真っ先に思いつくのは、護衛から友人になったあの二人のことだろうか。
桐木町で生活するようになったレベッカはこの町で学校に通い、今では立派な大学生になった。すらりと伸びた身長に幻想的な金髪金眼はどこでも目立ち、この町ではすっかりアイドルのような存在だ。
ジェイルズ改め、JBは意外にもこの七年で資格を取得し、町の図書館で司書として働いている。本人曰く、静かで穏やかなこの生活はかなり気に入っているとのこと。
そしてアリサは料理を学ぶために始めたアルバイトがきっかけで調理師の資格を取得。その後はレベッカの愛用するゴスロリ衣装を見て興味を持ち、服飾を学び始めた。
服のデザインで大切なのは、どれだけ豊かな想像力を持てるか。研ぎ澄まされた感性、絶えず変化する流行に付いていく新鮮な心だ。
自分の心はこんなにも生きているぞ――そう訴えるようにアリサはひたすら心の景色を形にし続けた。
その一方で、剣崎黒乃は未だ昏睡状態にあった。魂をなくした器となった黒乃の体は、何の因果かあの病院、あの病室、そして主治医の神丘訪太によって管理されている。
しかも『組織』による監視、護衛もあったり。
とはいえそれはセラのような『要監視対象』入りということではなく、むしろ『組織』としては黒乃を『世界の未来を取り戻した英雄』として感謝――というか崇める部分があって、だからこそ世界の混乱を望むテロ組織などによる襲撃を警戒しているようなのだ。
しかしこの七年、そのような懸念とは裏腹に世界は掛け替えのないほどに平和だった。
だからこそJBとレベッカも徐々にアリサから離れて遠出する機会も増えたし、アリサ自身も勉強のために町を離れることもあった。
だけど結局は――戻ってくる。だって一番大事な人がいるのだから。
桜の季節。今日は母親であるフィーネの七回忌。そして数日もすれば兄であるヴォイドも。
二人のお墓は町の墓地とは少し離れた見晴らしのいい丘の上にある。
エルネストとは神が創造した人間とは似て非なる存在。死してなお、その骨、遺灰にも何か特殊な力が残り続けるようで、不埒な輩がそれを狙う可能性がある。
だからこそ誰にも狙われないよう一般人の立ち入らない場所に魔術的な結界を張り、隠匿しているのだ。
まあおそらくはそれも取り越し苦労だと思うアリサだが、戦いが終わった世界を静かに見守れるあの場所は、決して悪い立地ではないだろうし、二人も満足だと思う。
道すがらには町一番の桜並木の通りがあって、この季節は桜を見ながらお墓に向かうのがなんとなくの決まりだ。
そして今年も――彼に想いを馳せながら、咲いては散り往く幽玄美を眺める。
平日の昼間というだけあって人影はまばら。誰もが一瞬の光景を永遠にするべくしてカメラを持ち、レンズ越しに景色を見ている。
おかげで道行く人は少なく、通りだけを見れば貸し切りのような状態だ。
「……」
平和な日常。焦がれる想いは季節が巡るごとに増して。何度も彼と並んで歩く夢を見る。
儚い幻想。あれからどれだけ前を進めたかなんて分からない。
ただ一つ言えるのは自分が今、確かに生きているということ。
一度は諦めた命。譲ってもらった存在。守ってもらった、育んでくれたこの恋心。
感謝を忘れたことはない。幸せになることを諦めたことはない。それは義務であり。精一杯の恩返しだから。
だから――伝えたい。届けたい。
――私は今、ちゃんと生きてるよって。
並ぶ桜の木。暖かな春の風が淡い桃色の花びらを攫い、ひらりはらりと宙を舞う。いくつかは大地を彩り、いくつかは近くを流れる川の水面に落ちて波紋を生み出す。
「――綺麗」
咲いて散り往くその様は、まさに儚き命の体現だ。
終わりがあるからこそ、その命は美しく、尊く輝く。
掌に落ちてくる二片の花びら。ああ、願わくば――この絶景を彼と。
「うん。――雪みたいに綺麗だ」
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鮮やかな桜吹雪を綺麗だと言った。それは返事なんてあるはずのないただの独り言。
そのつもりだった。けど――実際は違った。
舞う花びらと、その中で風に靡く白い髪。それを雪のように綺麗だと言ってくれた優しい声があったのだ。
刹那――花吹雪が風に攫われ、アリサは引き寄せられるように振り返った。
「――ただいま。アリサ」
少し伸びた白い髪、眩しく輝く紫色の瞳。凛々しい顔と風に吹かれたような爽やかな髪型。
白いシャツに黒いジーンズと身軽な格好で、彼はそこに居た。
剣崎黒乃が――アリサ・ヴィレ・エルネストの前に居た。
「――――」
ずるいと思った。そんな不意打ちをされたら言葉が出ない。
言葉より先に戸惑いがあって、それからどうしようもなく笑顔が溢れて、堪えようとしても涙が零れて、感情はもうぐしゃぐしゃだ。泣きながら笑うことしかできないじゃないか。
「……ど、どうして……エルネストなら感知できるのに……」
我ながら無粋というか気の利かない言葉だとアリサは言ってから気付く。細かい理屈より先に再会できたことを喜び、飛びついて抱き締めるくらいした方が絶対に良かった。
だがそんな思考はどこまでも空回りして、感情がパニックになって、結局は何も言えず涙が流れる。
そして黒乃はアリサのそんな不器用なところを全部理解していて。
「今の僕は、人間ともエルネストとも少し違うみたいだから」
そう答えてから静かに歩みを進め、アリサの白く細い手を握り、もう片方で華奢な体を優しく抱く。
「……待たせてごめん。よく頑張ったね」
「――――ぁ」
ずるい。ずるい。ずるい。何も謝ることなんてないのに。頑張ったのは黒乃の方なのに。
すっと、この七年間張り詰め続けていた何かが、解かれた。
それと同時にアリサはゆっくり膝を折り、その場にしゃがみ込む。
そしてそれは、黒乃も同じだ。
「あなたとまた会えて、本当に嬉しい。おかえり――黒乃」
泣きながら囁いたその言葉は、枯れた砂漠を癒す水のように心に浸みこんでいく。
「その言葉……一番に言ってくれたのが君で良かった。ああ……こうしてると安心する」
それから互いの温もりを感じ合った。散っては舞う花びらの中、その時間は永遠に思えて。
でも実際の時間は十秒にも満たなかった。
アリサと黒乃は涙を流し終えてから――ゆっくりと立ち上がる。
言葉はなく、風の音も聞こえない。
静寂――響くのは心臓の鼓動。見えるのは愛する人の姿だけ。
ゆっくりと黒乃の手がアリサの体を離れる。
当然だ。いつまでもこうしているわけにはいかない。このままじゃどこにも行けないし、桜を見にきた通行人だっていずれ。
だからまた少しだけ、ほんの少しだけ。
重なった手が離れて、感じた温もりが離れて――。
「――――」
やっぱりそんなの嫌だ。
そうして体を引き寄せて――アリサは黒乃にキスをした。
「あなたが好き。愛してる。ずっと一緒に居て……もう絶対、どこにもいかないで」
「ああ――君の隣が、僕の居場所だ」