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『夜明けと共に飛び立つ翼/Chrono Beyond』

 視界を覆い尽くす桜吹雪――それは『三番目(ディレット・クラウン)の剣(・トゥロワ)』が創り出した現実を侵食する心象。『剣崎黒乃(けんざきくろの)』の心、その象徴。

 『誰もが笑って、幸せでいる世界』は光に包まれて消えていく。そうだ。これらはすべては幻想だ。

 けれど、だからといって否定してはいけない。すべては手の届かない夢だと、諦めてはならない。

 

 七年前のあの夏の日。『剣崎黒乃』と『アリサ・ヴィレ・エルネスト』は出会った。


 そして五年前の春。始まりの出会いを忘れ、彼女と桜並木の下でもう一度、始まりを果たした。

 舞い散る桜吹雪の中、雪のように風に靡く彼女の流麗な髪に、宝石のように輝く綺麗な紫色の瞳に、その姿に心を奪われ、同じように恋に落ちたのだ。

 

 黒乃は覚えている。何度忘れようとも魂に刻まれている。


 ――それは光。


 自分の内側に根付いていた闇を照らす光。それがあったから黒乃は家族に認められることを諦め、そしてもう何も諦めないことを誓えた。その強さを手に入れた。閉ざしていた心を開くことを決められた。

 

 きっとアリサは、黒乃の在り方に救われた部分があると笑って話すだろう。だがそれは逆だ。先に救われたのは黒乃の方だった。

 今の自分が抱えている悩みなど、この恋心と比べてしまえばどうだっていい。心に焼き付いたあの眩しさに見劣りしないように。いつか、その光を守れるように。そう思えた。


 あの夏の日も、桜並木の下でも、病室でも、病院の屋上でも――そう思えたのだ。


 そんなどうしようもなく一方通行で、エゴだらけの感情。それでも黒乃は一歩踏み出すことができた。

 待っているだけでは世界は変わらない。

 その想いは何度も忘却の檻に囚われ――何度でも、黒乃は恋に落ちた。

 『アリサ・ヴィレ・エルネスト』の存在に惹かれ、焦がれたのだ。


 今、彼女がどのような選択をしたのかは分からない。それでも言えることはただ一つ。彼女が、彼女たちが掴み取ったその結果は絶対に受け止めてみせる。

 そして――その選択が無駄にならないように運命を超えて、未来を掴み取ってみせる。


 光に包まれた視界は、端から徐々に闇へ塗り替えられていく。――否。それは闇ではない。それは星が瞬く夜空。あと少しで夜明けに届く満天。

 さあ、前を向け。歯を食いしばれ。気合いを入れろ。拳を握れ。

 『起源選定(きげんせんてい)』というどこまでも残酷で悲しい物語の幕を――閉じる時がやってきたのだ。

 

「――――」


「――――」

 

 視界が開ける。

 剣が生み出した結界が完全に消失し、黒乃と『K』は倒れそうな体を足で支えるように立っていた。 

 互いの距離は数メートル。一歩踏み出せばそれで手が届く。


 呼吸が荒い。全身には鋭い痛みが走り、その中心に手を当てると、赤い血がべっとりと絡みついた。『三番目(ディレット・クラウン)の剣(・トゥロワ)』発動時に刃が貫通したのだろう。カードを奪うまではいかなかったが、黒乃も『K』も、横っ腹から大量に血を流している。

 それは――充分な致命傷だ。互いに瀕死の体で、それでも何とか大地の上に立っている。


 全身を纏う鎧はいつの間にか消えていた。

 黒乃の紫色の双眸、『K』の紫色の隻眼、その視線が熱く交差し、一秒でも一瞬でも早く動き出すために浅い呼吸を繰り返して酸素を供給する。

 背中を支えるヴァイオリンの音色はもう聴こえない。残された戦いはこの一つのみだ。


「――――」


「――――」


 刹那――どちらかが見計らったわけではない。両者が今この瞬間だと己で選び、決断した。

 黒乃と『K』は同じタイミングで大きく息を吸い、そして彼女がそうしたように、天を衝くほどの想いを込めて高らかに叫ぶ。

 

「変身‼」


「チェンジ‼」


 『Awakening(アウェイクニング) Heavens(ヘヴンズ) Program(プログラム)』――『IGNITION(イグニッション)

 

 頭の中に直接響く声が聞こえるのと同時に黒金のフレームが全身を覆い、蒼穹のように澄み渡った青いラインが黒乃に絶対的な平静さを与える。

 一方で同じように『K』の全身を包みこむ漆黒のフレーム。不気味に浮かぶ赤いラインが夜の帳が下りた世界の中で、妖しい残像を生み出しながら一直線に駆け抜ける。


 先に動いたのは『K』。一陣の風が吹き抜け、そして疾風の如く繰り出される右ストレート。

 それに合わせて黒乃も動く。


「――ッ‼」


「ッ――‼」


 互いの顔面に全身全霊を拳が放たれた。狙いはどちらもクロスカウンター。しかし拳は強引にねじ込まれ、両者ともカウンターは失敗。等価のダメージを負う。


「がッ……‼」

 

 電流が奔り、視界に白い火花が散る。平衡感覚が喪失して足元がふらつき、崩れそうになる体を何とか支えながら、次の攻撃に転ずる。


「ッ――!」


 光と闇。二つの衝突は周囲の大地を抉りながら反発しあい、互いに弾き合った。そうして開いた距離。

 瞬時に黒乃と『K』は剣を出現させる。

 黒乃は『八番目(グリュック・フィーレ)の剣(・アハト)』――自らの体を蝕む致命傷を治癒するための剣。『共鳴歌(ヴィブレイド)』によるバックアップがなくなり、『K』も同じ傷を抱えている以上、この回復は大きなアドバンテージになる。


 だが当然『K』は予測していた。漆黒の鎧に紫色の光子が奔る。

 『K』が出現させた剣は『二番目(レヴォリューション)の剣(・デュース)』。他の能力を相殺することのできる剣。


「――ッ⁉」


 黒乃が発動した剣の力は相殺され、回復は失敗。ならばと剣を投げ捨て、大地を蹴る。

 再び始まる肉弾戦。お互いに剣の能力を相殺できる以上、鍛えた肉体が、纏った鎧が、何よりも強い武器となる。


「――、――ッ、――‼」


 攻撃を繰り出すにしても、受けるにしても、一撃ごとに倒れそうになる体。体中の骨が軋み、沸騰する血液が全身の血管を焼き、心臓など今にも内側から破裂しそうだ。

 加速した黒乃の思考が、やはり一度引いてでも『八番目(グリュック・フィーレ)の剣(・アハト)』を使用し傷の治療を優先するべきだろうと、道の一つを提示する。


 だが――黒乃もそして『K』も、そのような『停滞』は即座に思考から切り捨て、次の攻撃体勢に移る。


「――――ッ‼」


「ッ――――‼」


 足枷となる思考は必要ない。一歩でも退けば負ける。一瞬でも遅れを取れば負ける。それだけを脳に、肉体に、心に刻み込み、ただ眼前の男を倒すことを目的として肉体と精神を鋭く研ぎ澄ましていく。


 刹那――『K』の拳が放たれた。それは槍のように鋭く、そして圧倒的な速度で黒乃を貫いてその肋骨を砕いた。


「ァ――ガぁ……ッッ⁉」


 喉元からせり上がってくる血液。それを吐き出すことも忘れ、呼吸そのものを忘れ、反撃のために黒乃は即座に手を伸ばす。そうして『K』の胸倉を掴み、引き寄せ、ありったけの力を込めて頭突き。鎧越しとはいえその衝撃は計り知れない。


「グ――ァア――ッ‼」


 そして、まだ攻撃は終わらない。軽い脳震盪でふらつく『K』を――黒乃の、存在を懸けた拳が捉える。


「ちィ――‼」


 『K』は側頭部に向かってきた拳を左手で受け止め、そして右手で受け流すようにその軌道を逸らす。虚無を突いた黒乃の攻撃。

 すかさず『K』が黒乃の急所を狙うように、回し蹴りを放つ。

 的確な位置、的確なタイミング。やはり戦いの経験値だけで言えば十年の差がある分『K』の方が上手(うわて)になる。


「は――ァ――ッ‼」


 それでも――黒乃は必死に食らいつく。


「ッ――――ああッ‼」


 最適な重心移動をし、負傷した体で放てる最速の回し蹴りを繰り出し、『K』の攻撃を相殺。

 交差する蹴りと蹴り。どちらも一歩も譲らず、退かない。退けば負ける。退かせれば負ける。だから今はただ前に走り続けるしかない。

 

(コイツ……先ほどよりも動きが……ッ‼ ええい――‼)


 交差した一瞬が終わり、先に仕掛けたのは『K』。『八番目(グリュック・フィーレ)の剣(・アハト)』を出現させ、それを振り下ろすのと同時に能力を発動させる。

 これならば一歩も退かず、傷の治癒が可能になると考えた。黒乃の気迫にそう考えさせられた。


「――――ッッ‼」


 だが振り下ろされた刃は疾風よりも力強き烈風によって跳ね返られる。

 『二番目(レヴォリューション)の剣(・デュース)』――『K』が先ほどそうしたように、黒乃も向かい来る刃を跳ね返すのと同時にその能力を相殺したのだ。


 『K』の回復を防ぎ――そして黒乃は、一瞬も止まらずに攻撃を続ける。


「――、――、――――ッッッ‼」


 『K』から繰り出された拳を左手で受け止め、右手に作った手刀で腕の骨を砕く。それに怯んだ『K』を追撃。懐に入り込んで肘鉄を叩き込み、先ほどのお返しにと肋骨を砕いてやる。

 そして二、三歩後退した『K』をさらに追う。今度は拳でも蹴りでもなくただの突進。とにかく隙を与えない。


「ッ――――、……‼」


 体当たりを受け、地面に叩きつけられる『K』。だがやられっぱなしで終わるほど男の殺意は軽くない。


 眼前の男を何としても叩き潰す――。

 『K』は先ほど折った黒乃の肋骨を狙って膝蹴りを放ち、のしかかられることを回避。


「ぐッ――ぁぁぁぁぁ――ッ⁉」


 折れた肋骨を押し込み臓器を破るようなその攻撃は、どれほどの威力だろうと命を削るのに充分。

 そこで主導権は黒乃から『K』へと渡った。


「は――あ、――ッッ‼」

 

 ――『K』が放つ攻撃。そのすべてが致命傷だ。

 急所を突く打撃が繰り出され、それを受ける度に、目蓋が閉じて意識が遠くなる度に、全身の力が抜けて膝から崩れそうになって。


「――――――ぁ」


 そして――彼女の姿が浮かぶ。


 人見知りをして、他人からの優しさに怯えて、それでも前へ進むために大切な人たちの死を背負って、未来のために剣を握る彼女の姿。


 瞬間――顔を殴られて奥歯が砕けた。


(…………ない)


 次に右足が折られた。


(………ね……、ない)


 その次は左腕の骨が。


(……死……ねな、い……!)


 それでも倒れない。倒れてなるものかと地面を強く踏みつけ、反撃の流れを作る。

 口の中は血の味しかしない。痛みはアドレナリンでもかき消せなくて。体の端から塵となって粉々になるイメージが脳裏にこびりついて離れない。

 それでも――倒れてなるものか。


(絶対に……死ねない……!)


 黒乃と『K』。どちらが勝ってもこの世界は神と(たもと)を分かち――解放される。未来は取り戻される。

 その先の未来が良くなるか悪くなるか、そんなものは不確定だ。

 黒乃は神を殺さない道を、『K』は神を殺す道を選んだ。けれど不確定な以上、その答えは即座には出ないだろう。

 ならばどちらが折れたって構わない。きっと、そう言う人だっているかもしれない。


 でも、それでも『K』が譲れないと立ち上がるのは、贖罪のためだ。


 そして黒乃もまた、託された想いのために、そして何よりも彼女のために――何度でも拳を握る。

 

(負けるな……折れるな……! ここで僕が死んだらアリサだって……‼)


 黒乃が負ければ、死んでしまえば、『下位世界に存在するエルネストが三人以下になる』という『イノセント・エゴ』がこの世界に顕現するための条件は達成される。

 そして『K』は目的通り、神殺しを実行するだろう。それはきっと成功して、失われた未来は取り戻されるはずだ。


 だがそうなった場合――残された彼女たちはどうなる?


 『K』はどうもしない。だからおそらくこれ以上、彼女たちを巻き込んだ戦いは起きない。

 訪れる平和。争いのない日常を享受し――そこで二人は()()()()()()()()()()()()()()()()()、生きていくに違いない。


 もしそれが自分だったらと考える。

 彼女を失い、それでも世界は持て余すほどに平和で、色のないモノクロの日常を過ごして、抉れた心を埋めようとする追憶に窒息して、やがて溺れて――果たして、生きていける自信があるだろうか。自ら命を絶ってしまうだろうか。自害するだけの気力が生まれるだろうか。

 

 そして、そんな想いをもしも彼女が、彼女たちがこの先抱くことになるとしたら――ダメだ。

 絶対にさせたくない。これ以上あの二人に悲しい思いをさせたくない。

 だから――だから――、


(だから絶対に……死ねない――ッ‼‼)


 歯を食いしばる力が消えていく。拳を握る力も突然に失われ。地面を踏みしめる力もない。

 それは『K』も同じだ。互いに体中の骨を折って、大量に血を流して、それでも絶対に倒れない。

 

「うおおぉぉぉぉ――――ッ‼」


「はああぁぁぁぁ――――ッ‼」

 

 何度目かも分からない衝突。再び互いの狙いはクロスカウンター。

 黒乃は先ほどと動きを変えて、より姿勢を低めて拳を放つ。対して『K』も今度はカウンターを成功させるためにより体を曲げ、腕を長く伸ばす。

 結果は相打ち。強引に拳はねじ込まれ、そして同じ分だけ後ろに下がる。

 

 開いた数メートルの距離。黒乃は直感した。これまでの激突はすべてこの瞬間を生み出すためのものだった。


「運命を……超える……! これ以上、誰も……死なせない……‼」


 己を奮い立たせるように黒乃が叫ぶ。


「どこまでも……(こぶし)を構えるか……! だが剣崎黒乃、お前は一つ見落としているぞ! お前は神と対話をすると言ったが、そのためにはあと一人エルネストがこの世界から消えなければならない!」


 その通りだ。まだ一つだけ、その一点だけ、黒乃は示していない。

 『イノセント・エゴ』を顕現させるためにはエルネストが三人以下にならなければならない。黒乃、『K』、アリサ、ソフィの誰かが――、


「あの女たちは殺せまい。ならば私とお前のどちらかが死ぬ――それが神の敷いた運命(レール)の終着点だ‼」


 そして運命は破壊される。『ヘヴンズプログラム』を纏う男のどちらかを礎に――それがこの戦い最後の犠牲だと、その先へ辿り着くために、決して避けられない過程だと『K』は叫ぶ。


「――――」


 不意に――声が聞こえた。


「『K』――ッ‼」


 声に引っ張られるように視線を向ける。すると『K』の背後。数十メートル先に彼女の姿があった。

 アンドロイド――ジョイ。

 黒乃もそうだが、『K』自身も、全身全霊を懸けた戦いにすべての意識を集中していたせいで、彼女が近づく足音すら感知できなかった。

 ジョイは不意を突くように言葉を紡ぐ。

 

「『K』――私の手を! 貴方に勝利を――‼」


 真っすぐに手を伸ばす彼女の人間よりも人間らしい叫び声に、『K』は何より速く反応した。

 脇目もふらずに黒乃に背を向け――命を得たその存在へ手を伸ばす。


「ジョイ‼」

 

 それと同時に黒乃も――、


「ッ――『BEYOND(ビヨンド)』システム……起動‼」


 残された最後の力を解放する。


 既に『K』は、自身へと伸ばされたジョイの手を掴んでいた。ルドフレアによってジョイにインストールされた制御AI『ケース』が、『K』の纏う『ヘヴンズプログラム』に理性と秩序をもたらす。

 その瞬間、漆黒の『ヘヴンズプログラム』を金色の光が包んだ。訪れたのだ。未だ一歩及ばなかった『K』の鎧に、完成の時が――。


 光を切り裂いてその場に現れたのは、進化を遂げた漆黒の鎧。それに刻まれていたはずの不気味な赤いラインは、虹色に似た緑色に変化している。


「ジョイ、ありがとう――」


 『K』は一つの到達点に辿り着いた。

 だがそれに対して黒乃は、その到達点をさらに超えるため――自身の書き換えを始めていた。


「ッ――がッ、アア、ぁ、ア、あ、――ァア、グ、ガぁ――ああ、アア、ぁぁ、ァァ――」


 纏った鎧の内側。全身を包み込む未知の奔流。

 心臓が弾けた。それを合図に、血液は血管を破り、脳は融け、目玉は零れ、指はあらゆる方向に曲がり、太腿は切断され、足は砕け――刹那の間に書き換えられ、上書きされ、それらは生まれ変わる。

 

「『十三番目の剣(キング・オブ・キング)』――ッ‼」


 この戦いを終わらせるために、『K』は王の剣をその手に掲げた。

 『他の剣の同時使役』――その数はその手に構えた分も含めて十四。完成した『ヘヴンズプログラム』――そしてジョイの演算能力を借りることで、『十四本(フォーティーン)の剣(・ブレイド)』すべての同時展開を可能にしたのだ。

 『K』は迷わず、十三本の剣を黒乃へ向けて掃射した。

 

「グ、う、――ァ――――ぁぁぁぁぁあああああああ――ッ、アアアアァァァァ――ッッッ‼‼‼」

 

 ――――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――『Awakening(アウェイクニング)』――――、


 覚醒していく(つるぎ)は次々と黒乃の内側から殻を破るように現れ、向かい来る十三本の剣を迎撃していく。

 淡い月光をその刃に受け、中空を舞い踊る剣。

 だが――足りない。間に合わない。


「お前の死は最初から決まっていたんだよ! アリサ・ヴィレ・エルネストと出会ったあの日から! 『ヘヴンズプログラム』を手に入れた――あの時からなァ‼」


 最後の覚醒を目前にして、十四本目を構えて肉薄し、その刃を振りかざす『K』。

 その速度は黒乃の一歩先を往く。

 『K』の剣が届くまであと数秒。それでも黒乃は手を伸ばした。

 

「黒乃ぉぉぉぉ――――――‼」


 絶体絶命の状況で――()()の声が何よりもはっきりと届いたから。

 自らの存在を掴み取り、二度と手放さないと誓った『アリサ・ヴィレ・エルネスト』――。

 愛する人のそばにいることを決めた彼女の、その泣き叫ぶような、死なないでと懇願するような、絶対に勝てと支えてくれるような声と、その(こころ)

 確かに――受け取った。


「ッ――‼」


 力の限りを尽くして投擲され、眼前の地面に突き刺さった『十四番目(エフェメラル・ダブル)の剣(・ジョーカー)』を力強く引き抜き、そして『K』の斬撃を受け止める。


「違う――! 僕とアリサが出会ったのは今この瞬間!」


 『Awakening(アウェイクニング)』――――。

 そして、十四番目の覚醒が果たされた。


「運命を――超えるためだァァァァ――ッ‼‼」


 三週間前から、五年前から、七年前から、生まれる前から決まっていた――否、剣崎黒乃自身が決めたのだ。その使命、その役割。託され、背負い、守るために、繋げるために、自分の心に詰まったすべての輝きを解放する。


 刹那――極光が黒乃の体を貫いた。希望は一筋の光として現れ、瞬く間に一本の柱となる。


 『ヘヴンズプログラム』による未来予測によって何かを感知した『K』は咄嗟に黒乃から飛び退いた。

 いやそうじゃない。実際には回避は間に合わず、圧倒的な力に押し流されたといった方が正しい。

 それほどまでに極光は、圧倒的な()()を秘めていたのだ。


「――ッ、させるかッ‼」


 奔流に押し流されながらも『K』は勝つための手段を選び取る。

 中空を浮遊する『二番目(レヴォリューション)の剣(・デュース)』に意識を集中し能力を発動。

 そうすることで黒乃の未知の能力を相殺しようとする『K』。本能が警告していたのだ。この光は必ず己の殺意すら浄化してしまうと。

 だから何としても、絶対に阻止しなければならなかった。


「やらせない――ッ!」


 『K』が危険視したように――アリサもまた直感し、予感した。

 この虹色の輝きは絶対に繋げなければならない。この煌めきは必ず『イノセント・エゴ』にだって届く――心の光なのだ。


 刹那、黒乃が構えた『十四番目(エフェメラル・ダブル)の剣(・ジョーカー)』の姿が変化し、即座に能力が使われる。

 ――『K』の使った無効化能力はアリサのさらなる無効化によって防がれた。

 一瞬の攻防、それが明暗を分けた。

 

「ッ……――邪魔を、するなァ‼」


 剥き出しの憎悪を『K』はアリサに向けた。黒乃から十数メートルは離れた場所――彼女のもとへ、光の速度で『十四本(フォーティーン)の剣(・ブレイド)』のすべてが降り注ぐ。


「ぁ――――――、」


 アリサはただ両腕を顔の前に構えて目を瞑った。

 逃げる隙は無い。待っているのは確実なる死。その華奢な体は鋭い刃に貫かれ、切り裂かれ、鮮血が花火のように散り往く定め。


 ――そんな運命は、ごめんだ。


「――――ッ‼‼」


 『K』の操る剣がアリサに向けて加速した瞬間、対峙していた黒乃の剣は消えた。エルネストは剣の出現、消失が瞬時に可能だ。だからこそ消えた十三本は在るべき場所に――宿主のもとへと帰還した。


 反転――モノクロの世界――時間が引き延ばされる。

 長い。一秒が永遠、一瞬が程遠い。手を伸ばしても届かないほど『次』がやってこない。時が止まっているのか。それとも止まっていると錯覚するほどに思考や風景が加速しているのか。

 答えは簡単だ。手を伸ばすだけでは足りないのだ。手を伸ばすだけで届くなら、理想や夢なんてどこまでも美しく残酷な言葉は生まれない。待っているだけでは世界は変わらない。


 だからこそ、次の一瞬が悠か彼方だというのなら、そこへ届くまで一歩踏み出し続けるのだ。


「――――――」


 さあ――飛翔の時はやってきた。


 これまでと同じだ。いつだって、なんだって、最初の一歩を踏み出せたのはアリサへの想いがあったから。

 予感があった。なんでもできるという予感。彼女を、彼女が生きる未来を守れるという確信にも似た何かが心の奥底から湧き上がる。


 その一方で、予兆はなかった。圧倒的な速度の先に残されたのは()()

 周囲を丸ごと包み込んでいた極光は雲でも割くように十四分割され、その中から飛び出したソレは何よりも速く一直線に加速、その圧倒的なスピードで『K』の操る剣などあっけなく追い越した。


 見惚れるほどに一片の穢れもない純白の煌めき――その閃光はしかと握るべき手を握り、上昇。

 それと同時に光の軌道が無数に分かれた。切り離された光は一瞬の間もなく『K』が放った追撃と対峙する。光と闇。白と黒の衝突。その衝撃は砂埃を巻き起こし、夜空に浮かぶ月を雲隠れさせ――そして。


 無秩序にも見える幾何学的な軌道を描いて、分かれた()()()()は一点に集約した。


「――――」


 淡く優しい月光を背に受ける白鎧が――(くう)にあった。


 何にも染まることのない絶対的な真白のフレームと、それに浮かぶ紫色のライン。抱きかかえられた白髪紫眼の彼女と同じ色を持つ鎧を身に纏い――その背には左右に七本ずつ。計十四本を集約した『剣の翼』が展開している。


「『十四本(フォーティーン)の剣(・ブレイド)』を束ねた……翼……⁉」


 姿形の違う十四本の羽根が形成する一対の翼。『K』は思いもよらずその姿に心を奪われた。

 そして同時に――その神々しさが憎悪の焔を掻き立てる。


「……(そら)から見下すとは神でも気取るつもりか……! ならばその翼、砕いて溶かし地上へ堕とすまでッ!」


「――もう言葉はいらない。運命の終わりと、生命(いのち)の始まり。再生の時だ――『K』‼」


 人間が自らの意志で道を選ぶために。そうすることのできる存在に再び生まれ直すために。そして掴み取る未来に希望を託すために――。

 剣崎黒乃は広げた翼を翻し、それと同時にすべての剣が分離、『K』へと向かっていく。

 

「剣を同時に操る程度――私たちにも可能だ!」


 『十三番目の剣(キング・オブ・キング)』の能力によって召喚した剣――『(エース)』から『(クイーン)』までの十二本がジョイの演算支援を受けて、それぞれが独自の軌道を描いて宙を舞い、そして王と切り札の剣は『K』が両手に構えている。


 光と同等か、それ以上の速度で向かってくるそれら。だが黒乃に焦りはない。

 『BEYOND(ビヨンド)』システムは、生まれたばかりの感情が肥大化し暴走することを抑えるための抑制機能(リミッター)――それを外す機能だ。

 制御AIによって『ヘヴンズプログラム』は理性を学習した。子供が学び舎で知識と道徳を身に付け、そして成長するように。そして準備を終えた種は、凛々しく美しき花を咲かせる。


 そうだ。『BEYOND(ビヨンド)』システムとは言わば、子供から大人になるためのモノ。

 だからこそシステムを発動した『ヘヴンズプログラム』に接続している剣は自律機能が持つようになり、それは外部から演算する必要のある『十三番目の剣(キング・オブ・キング)』よりも、ずっと速く空を翔けることができる。


 故に――『K』の相手をする剣が()()()()()()()()()()()、問題はない。


「この軌道、この速度――」

 

 中空の戦い――黒乃を斬るために大地を蹴り、たった一回の跳躍で刃を届かせようとする二刀流の『K』。そしてその周囲を取り巻く十二本の剣。

 それらは『五番目(ナイト・メア)の剣(・ファイヴ)』を除いた計十三本の剣によってその動きを止められる。

 持ち手のない剣同士の剣戟。否――それは剣戟と言えるほど技術のあるものではない。もっと稚拙で単純な力と力のぶつかり合いだ。

 

 そして一度止められてしまえば、飛行能力を持たない『K』は一度地上に戻るしかない。


「馬鹿な、追い付けない……だとッ⁉」


 その間、黒乃は『五番目(ナイト・メア)の剣(・ファイヴ)』の能力を使い、地上へ放った剣と入れ替わる形で瞬間移動。黒乃は、優しく抱きしめていたアリサの足を優しく地面に下ろす。

 ――すぐに戻らないといけない。言葉もなく背を向けた黒乃。だがそれを止める声があった。


「待って……!」


 振り返ると、アリサが不安そうな表情を浮かべていた。

 黒乃には分かる。スズカが蓮と同じ戦場に立ち続けようとしたように、ジョイが『K』を勝利に導こうとするように、彼女も愛する人の隣で共に戦いたいのだ。


 ――だけどそれはできない。共に行けば死ぬ。彼の弱みになる。だからそれはできない。

 アリサという存在を譲ってくれた彼女のためにも、絶対に死ねないのだ。

 そう、答えは既に出ている。


「必ず生きて戻ってきて! 私、信じて待ってるから‼」


 アリサは涙を流しながら、黒乃の背中を押した。

 

「ああ――ッ‼」


 力強く応えた黒乃は、呼び戻した剣の翼を広げて空へ。そして上空から『K』の姿を視認し、流星の如く夜空を翔ける。途中で再び剣が分離し、十三本の剣が『K』の周囲を踊る刃を振り払う。

 そうして残った一本――白銀の刃にすべてを癒す深緑の光を宿した『八番目(グリュック・フィーレ)の剣(・アハト)』を構える。

 剣に宿った起源は『幸福』――黒乃は大きく振りかぶり、圧倒的な加速の中で刃を振り下ろす。


「――――ッッ‼」


 それを『K』は受け止めた。黒乃の速度に、『K』は必死に食らいついている。どれほど綺麗な光を見せつけられようとも、彼の中の神への殺意は一片たりとも揺らいではいない。

 そして防御のために咄嗟に召喚した剣は――『八番目(グリュック・フィーレ)の剣(・アハト)』。まるで見えない力に引っ張られるようにして同じ剣を掴んだ。

 

 同じ外観。同じ能力。ならば両者には何の差が出るというのか。

 ――それは心の強さ。剣に宿った起源をより強く抱いた方が、この剣戟でも何でもない純粋なる心の耐久勝負に勝利することができる。

 心と心の戦い。それは皮肉にもこの『起源選定(きげんせんてい)』の最後に相応しいものだ。


「うぉおおおおおおおおお――ッッ‼‼」


 『幸福』――黒乃は知っている。アリサと出会い、そしてヴォイドが与えてくれたどこまでも平和で、掛け替えのない日常。

 そして『K』は忘れてしまった。平和とは程遠い日々の中で、最も大切なことをどこかに置いてきてしまった。

 だからこそ――黒乃の剣が、『K』を剣を打ち砕く。


「ッ――⁉」


 束の間――すぐに両者は手を伸ばす。

 次なる剣は『希望』。機械仕掛けの全形に、現れた刀身は荒々しい灼熱を思わせるオレンジ色の光――『七番目(アドヴァンス・ロード)の剣(・セブン)』。

 勝敗は既に決まっている。未来を求める希望。過去の清算を求める贖罪。

 故に――黒乃の剣が、『K』の剣を打ち砕く。


「――――ッ‼」


「ッ――――‼」


 新たなる剣は『絶望』。およそ剣とは言い難い歪んだ造形をした、濃紺と深紅が混じり合った色を持つ『四番目(フィアー・ブロー)の剣(クンハート)』。

 黒乃は知っている。どれだけ望んでも自分の存在を受け入れてくれない人がいることを。そして自分で選んだ結果、訪れるかもしれない最悪の光景を何度も何度も何度も、脳の中に描いた。


 それでも――『K』の絶望には程遠かった。

 大切な仲間を殺し、味方と呼べる人を失い、世界を滅ぼしながらものうのうと生きている己への絶望は計り知れるものではない。

 退いたわけではない。ただ純粋に、黒乃の絶望に、『K』の絶望が打ち勝った。

 よって――『K』の剣が、黒乃の剣を打ち砕く。


「ッッ――――‼」


 続く剣は『快楽』。深碧と桃色の混じり合う刀身に王冠の形をした鍔を持つ『三番目(ディレット・クラウン)の剣(・トゥロワ)』。

 快楽とは生きる喜び。命を謳歌する黒乃、死を望む『K』。ならば彼が勝てる道理はない。

 当然のように――黒乃の剣が、『K』の剣を打ち砕く。


「フッ――、はああああ‼」


 手繰り寄せた剣は『憎悪』。漆黒の柄にくすみ滲んだ紫色の刀身、その刃は欠け、折れ曲がり、相手を一太刀で致命傷に追いやる悪魔の牙――『六番目の剣(エヌマーレ・スィス)』。

 交差する刃。しかし迸る衝撃などありはしない。何故ならば黒乃に憎悪といった感情はほとんど存在しないから、ほんの一瞬も耐えられなかったのだ。

 あっけなく――『K』の剣が、黒乃の剣を打ち砕く。


「はぁ……はぁ……――ッ‼」


 もがくように掴んだ剣は『後悔』。切っ先から柄まで、どこまでも澄み切った空色に染まり、刃を持たない『二番目(レヴォリューション)の剣(・デュース)』。

 斬撃というよりは打撃。鈍い金属音が響き渡り、続く二合目で勝敗が決まる。

 未来を目指す黒乃。過去に縛られし『K』。

 どうしようもないほどに――『K』の剣が、黒乃の剣を砕く。


「――、――、――、――――ッッ‼‼」


 更なる剣は『悲哀』。受ける月光が頬を流れる涙のように反射する曲がった刀身に、立体化した古代語を敷き詰めたような装飾をされた『九番目(トリーステス・ノノ)の剣(・ノーヴェ)』。

 涙は決して枯れることはない。哀しみもひとつの過程だ。しかし『K』はそれを捨てた。哀しみを捨て、大切だったものを捨て、そうしてやっとこの場に立っている。

 皮肉なことに――黒乃の剣が、『K』の剣を打ち砕く。


「ぐゥがあああ――‼」


 獲得した剣は『恐怖』。剣というにはあまりにも崩れ溶けたその形、光を通せば不気味な仮面のような影が現れる『十番目(テロル・オルル)の剣(・ディエチ)』。

 黒乃は何よりも幸せなあの世界を見て、自らの内に流れていた恐怖を消してしまった。一方で『K』の心に巣くっていた恐怖も、この十年の間にどこかに置き去りにし忘れてしまった。

 仕方なく――互いの剣が、互いの剣を打ち砕く。


「ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ――‼‼」


 捕まえた剣は『嫉妬』。紫色の粒子をその刃に纏い、刀身の中心部が稲妻型になっている『五番目(ナイト・メア)の剣(・ファイヴ)』。

 黒乃は嫉妬を宿しているがそれは微々たるものだった。誰かを恨み妬む感情が自分と相性の悪いことを自覚しているから意図的に抱かないようにしていた。そして『K』も神への恨みは憎悪へと変換され、何かを妬ましいと思うことなどなかった――今、この瞬間までは。

 そう、剣の翼を広げた黒乃を見て『K』は経った今、嫉妬を覚えた。自らでは辿り着けなかった境地、その先へ行こうとする過去の自分。何故、その役目を負ったのが自分でないのか。

 誰よりも幸せな世界を望んでいた男の中に湧き上がったそれは果てしなく。

 番狂わせのように――『K』の剣が、黒乃の剣を打ち砕いた。


「――――ッッッ‼‼」


 重く引き抜かれた剣は『責任』。造形はシンプルながらも宿った白銀は清廉潔白、どこまでも気高い騎士の現身『十一番目(オース・オブ)の剣(・ジャック)』。

 黒乃には責任があった。託された想い、背負った想い――何としてもこれ以上何も犠牲にしないハッピーエンドに辿り着かなければならない責任。

 『K』には責任があった。奪い取った想い、失われた想い――二度と『起源選定』などという悲劇を繰り返させないために諸悪の根源である神を殺す責任。

 互いに譲らないまま刃と刃は何度も交錯し、このまま千日手のように決着がつかないのかと思われた直後。

 空洞を満たす温かい光に背中を押され――黒乃の剣が、『K』の剣を打ち砕く。


「ッ、うぉおおおお、ぉぉぉおおおおお――‼」


 舞い降りた剣は『慈愛』。白に染められた全体に鍔には淡い桃色の薔薇をモチーフとした装飾、刀身を包み込むのは純白のヴェール『十二番目(ミゼリコル・トゥエ)の剣(・レーヌ)』。

 誰かを愛すること。『K』はフィーネ・ヴィレ・エルネストから奪ったカードによって、それを思い出した。自らに付き従い、命を得て、そして誰よりも勝利を願ってくれているジョイ。彼女を大切にしたい。絶対に失いたくない。そう想う心は紛れもなく愛だ。

 だが――それはまだ生まれたばかりの心。優劣など付けるべきではないのだろうが今この瞬間に置いては、何年も恋焦がれたアリサへの想いが、『K』が忘れてしまった最初の想いが差となって。

 優しく――黒乃の剣が、『K』の剣を打ち砕いた。


「――――ッ、ぁぁぁぁぁああああああ――ッッ‼‼‼」


「ふざけるな……ふざけるなよ……剣崎黒乃ォ‼‼」


 鷲掴んだ剣は『欲望』。金色の装飾が神々しい細い西洋剣、見るものすべてに圧倒的な威圧感を与える『十三番目の剣(キング・オブ・キング)』。

 欲望。それは何かを欲する気持ち。あらゆる感情に派生する最も大きな起源。

 黒乃と『K』は未来を。しかし神に求めるものは生と死。混ざり合うことはない相克する定めにある欲望。

 その想いの強さは互角だった。そうだ。どちらも決して間違いではない。だからこそ同じだけの強さがその剣には宿る。


 奮い立たせた剣は『勇気』。純白の刀身に柄を通して五指から手首へと巻き付く鮮やかな赤い布。戦場に咲く一輪の花――象徴であり神聖視される軍旗のような『一番目の剣(ヴィクトリア・エース)』。

 二つの剣を構え、勝利を誓って刃を振るう。


 負けられない。死は誰にだって、何にだって訪れるものだ。だが――最初から生きていないものが死ぬことはない。だからこそ黒乃は『イノセント・エゴ』に命を知って欲しいのだ。命を知って、生きて欲しい。

 ならば『生きる』とはどういうことだ?

 どこからともなく脳内に響き渡る自問。答えならもう出ている。


 待ってるだけでは世界は変わらない。だから踏み出す必要がある。例えそれが不確かな可能性(もの)でも、自分が向いている方向に踏み出して進むことが世界を変えるのだ。


 そうだ。生きるってことは勇気を出して一歩踏み出し続けるということなんだ――‼


「――――――ッッ‼‼‼」


 華々しく――黒乃の剣が、『K』の剣を打ち砕いた。


「ッ、まだだ! まだ終わってたまるものかァ――‼‼」


 そして――二人は最後に残った剣を、最後に生み出された剣を掴み取った。

 人に宿った剣は『心』。深い闇に包まれながらも、それでも生きている証拠である赤い血を宿した『十四番目(エフェメラル・ダブル)の剣(・ジョーカー)』。

 己の心、覚悟と信念を貫くために男たちは戦う。未来の自分と、過去の自分と――闘う。


 それはきっと子供じみた剣技に見えたかもしれない。技とも呼べない、ただ思うままに剣を振るうだけの戦い。限界は近い。終わりは近い――だからこそ、今、示してみせよう。

 永遠にも思えた長い旅の果て、残酷なる運命を終わらせる選択、そのための手段。

 

「――――――」

 

 声にならない咆哮。それと同時に黒乃が構えた剣がどこまでも巨大化していく。

 あれは剣の、心の集合体。想いに果てはない。

 『ヘヴンズプログラム』の力に合わせ『十三番目の剣(キング・オブ・キング)』と『十四番目(エフェメラル・ダブル)の剣(・ジョーカー)』の能力をループさせ、無限に剣を召喚――それを一つに束ね、未来を切り開くための剣に。


「――――――――――――――あぁ」


 それを認識した時、『K』は覚えてしまったのだ。この光さえあるなら、きっと世界は上手くいく。そんな予感を覚え、僅かに剣を握る力を緩めてしまった。


「これが――僕の答えだ―――ッッ‼‼」


 剣が振り下ろされる。そうして――黒乃の剣が、『K』の剣を優しく溶かし。


 ――――――――――(刃が『K』の命を斬り)―――――――――(裂き、神を顕現させる)――――――――――(ための準備はすべて整)――(う。)


 ――などという運命を剣崎黒乃は超えていく。

 振り下ろされた刃は『K』の心臓を捉え、道を作り出す。溢れ出る眩い光。黒乃はそこへ手を伸ばし、そして掴み取った。

 どこか武骨で、機械的な一枚のカード――そう、それは『ヘヴンズプログラム』だ。さらにその一枚にはこれまで『K』が手に入れてきたカードが重なっている。

 

「――――」


 運命を超えた一瞬が通り過ぎ、どこか物悲しさを感じるほどの静寂が訪れる。

 吹き抜ける一陣の風。戦いの終わりを告げるようなその冷たさを『K』は、生身で感じ取った、

 『K』が纏っていた鎧はいつの間にか消えていた。当然だ。だって、その鎧を形作っていた『ヘヴンズプログラム』は今、黒乃の手にあるのだから。


「――――」


 駆け寄ってくるジョイ。それを見て『K』は安堵を覚え、そして安堵を覚えた自分に疑問を覚えた。

 胸に手を当てる。動いている心臓。流れている血液。――何故か、懐かしきこの感情。

 感情――それは心。

 

「……何を……、私に何をしたんだ……お前は……」


 変身を解いた黒乃は、彼方――ぼんやりと明るくなっている水平線を眺めながら落ち着いた声で告げた。


「父さんは『ヘヴンズプログラム』を使って愛するエルネストを救おうとした。でもいくらこれを使って起源に縛られない『十四番目(ジョーカー)』を宿したところで、『起源選定』から逃れられるわけじゃない。だから父さんはその先を見ていた。エルネストを――本当の意味で人間にしようとしていたんだ。エルネストが生きていけるよう心を生み出し、そしてカードを代わりに背負う……」


「なら……今の私は……」


「お前は今、普通の人間に戻ってるよ」


 黒乃は爽やかに笑ってそう言って、踵を返した。緩慢な足取りは迷うことなく彼女のもとへと向かう。

 

「…………」


 不思議だ。彼女の考えていることが、想いが、なんとなく聞こえる。

 ――泣いている。沢山の不安があって、怖いことがあって、でもようやく無限の孤独に寄り添ってくれる人が現れて、本当に嬉しいんだ。


「……、黒乃ぉ……」


 ――泣かないで。そう呟いたが、声には出なかった。

 あと少しで届く。さあ、足を前に。少しでも早く歩いて、彼女を抱きしめて、その涙を拭ってやれ。

 不意に、視界が揺れた。全身の力が抜けて膝から崩れ落ちたのだと気付いたのは、一秒後。

 その一秒で、黒乃の体は抱き留められた。


「こんなに……無茶して……!」


 温かい。柔らかい。彼女の声がこんなにも近くで聞こえるのは、なんだか少し恥ずかしい。

 そして恥ずかしついでに、彼女を抱きしめ返すほどの力すら残っていないことに気付き、苦笑する。


「……君のこと、なんて呼べばいい?」


 葉と葉の間から優しく零れる陽のように、ゆっくりと世界を明るく照らす太陽が昇り始める。

 長かった。遠かった。悠か彼方に思えた――夜明け。

 朝焼けの空はどこまでも綺麗で、まるで天地創造の光景を見ているようだ。

 情熱的な灯りに包まれる白い雲。徐々に蒼く染まっていく穹。

 ――笑ってしまうほどに、綺麗だった。


「私はアリサ……。今後、一生……アリサ・ヴィレ・エルネスト……」


 零れる涙が宝石のように輝く。それは祝福すべきことだ。優しく抱き留めてあげるべきものだ。

 黒乃はゆっくりと手を動かした。

 抱き返す力はない。でも、アリサの頭を撫でることくらいはできる。


「……そっか。僕は黒乃だ。ただの黒乃。これからよろしく、アリサ……」


 絹のように滑らかな白い髪の毛。その感触を忘れないように心に刻んで呟いた。


「さあ行こう――みんなのところへ」


 島の上空には、昇りつつある太陽に似た光が現れていた。それは赤子の姿をした神――『イノセント・エゴ』。

 そのほぼ真下となる丘の上で、黒乃は仲間たちと合流を果たした。どうやらソフィ、セラ、ルドフレア、が、戦いの影響で気を失っていた蓮やスズカ、ジェイルズたちをこの場まで運んでくれたらしい。

 そして夜明けの光を浴びて、彼らも目を覚ます。


「――勝ったんだな」


 ボロボロの体をなんとか支えて立ち上がり、蓮が黒乃に言う。


「ああ。そっちも」


「当然だ」


 束の間、蓮は何かに反応するように目を閉じた。それはなんてことない、太陽の光。


「――夜明けか」


 海を見て、それから空を見上げる。『イノセント・エゴ』が現れてから少し。残された時間は、あまり多くないだろう。

 黒乃はアリサ・ヴィレ・エルネストを、ただのソフィを、夜代蓮(やしろれん)を、夜代澪(やしろみお)を、遠静鈴華(えんじょうすずか)を、セラ・スターダストを、ルドフレア・ネクストを真っすぐに見つめた。

 全員が酷くボロボロで立っているのもやっとで――セラに関しては外傷はないが、どうも酷い胃もたれを起こしているらしい――すべてを使い切った満足げな顔。自然と笑みが漏れ出た。


「みんな――僕はこれから『光子世界(ユニサ)』へ行くよ」


 黒乃は示したのだ。命を奪わずに戦いを終わらせる方法を。そのための力を。

 力には責任が伴って、だからこそやらなくちゃいけないことがあって。そしてそれは黒乃が望むことでもある。


「『起源選定』の答えは僕自身だ。だからそれを『イノセント・エゴ』に、光の世界に示さなければならない。二度と『起源選定』のようなことが起こらないように。上位世界が悲しい運命に包まれないように」


 旅立ちの夜明け。水平線が最高に煌めいて、心が躍る。あの日と同じだ。

 あの日、病院という籠から飛び立った。そして今度はもっと――もっと上へ。そのための翼はある。


「人も、エルネストも変われる。惣一朗さんがアリシアさんを助けたいと思い努力したように、私たちも諦めなければ争いは終わる。終わらせられる。そうだよね、黒乃」


 月下美人の髪飾りを付けた、ソフィの言葉。黒乃はそれに頷く。

 そして蓮たちも、黙って黒乃の覚悟を受け入れた。だが――ただ一人、たった一人。アリサだけは、黒乃を送り出す準備がまだ終わっていない。心の整理が付いていない。


「そんな……戻って……こられるの?」


「必ず」


「どれくらい掛かるの……?」


「ごめん、それは分からない。でも約束する。必ず生きて、君のところへ帰ってくるって」


 黒乃はポケットから財布を取り出して、それをアリサに渡す。


「……これは?」


「好きに使って。きっと必要になる」


 財布には生憎現金は入っていないものの桐木町にある東木荘の一室の鍵と、キャッシュカードが入っている。剣崎惣助を脅して手に入れた金、ということは秘密にしておくが、その甲斐あって父の遺産の半分が既に入金されている。

 我ながらセンスのない贈り物だと黒乃は思うが、それでも生きていくためには必要だ。


 そして――、


「ジェイルズ・ブラッドさん、そしてレベッカ・エルシエラちゃん。もしこの先の予定が何も決まっていないなら、僕がいない間、アリサを守って欲しい。お金が必要だと言うなら、絶対に用意する。だから――お願いします」


 敵だった二人に頭を下げる。黒乃は光の世界へ。そして蓮たちは役目を果たせば未来に戻り、アリサは一人になってしまう。

 一度は戦った関係だ。命を奪い合った仲だ。でも、それでもこの二人は信用できる。


「依頼だというのなら引き受けよう。もう戦う理由もありはしない」


「ま、暇な時はそういうのもいいかもねぇ。あとちゃん付けはするな」


 黒乃はもう一度頭を下げて、ありがとうと感謝の言葉を送った。

 そして――入れ替わるようにソフィが立ち上がる。


「……アリサ、みんな。今度は私の番。私、これから『夢幻世界(ヴィジョンワールド)』に行く。あっちにはまだ救われていないエルネストがいるから。だから私の戦いはもう少し続く――」


 そこで足音が聞こえた。ボロボロの体を支え合い、足を引きずりながら、それでもゆっくりと向かってくる二つの人影。

 それは『K』とジョイ。方法の違いはあれど、信念を持って未来を取り戻そうとした男と、男を支える新たな生命。


「――待ってくれ!」


 何か、憑き物が落ちたようにどこか黒乃の面影を感じさせる声が響く。

 ジェイルズとレベッカがその姿を確認し、安堵の表情を浮かべた。


「『K』――! 無事だったか」


 『K』は二人に目配せをして、小さく頷いた。

 仲間との再会。その喜びはあれど、それより先に伝えなければならないことが彼にはある。


「こんなことを言えるような立場でないことは分かっている。だが……頼む。『ヘヴンズプログラム』を再び私の手に戻してくれ……!」


 体を支えるジョイからすり抜けて、『K』は地面に膝を着き、土下座をするように懇願する。

 

「『心無き者(ホロウサイド)』を生み出してしまったのは私だ。私には、あちらの世界を救う――いや、元に戻す責任があるのだ。どうか――頼む、君に同行させてくれ」


 『K』は深く頭を下げる。恥も外聞もない。ただ残っているのは贖わなければならない罪。神を殺すことは叶わなかった。だが、かつてアリサが言った人とエルネストの血の先にある可能性――それを守り繋げることはできるかもしれない。

 未来を信じたい心――今の『K』には、それがあった。


「――――」


 ソフィは黒乃に視線を向けた。

 だからこう返す。――君が望むままに、と。


「あ、……その、……うん。――『K』、二つ聞かせて。あなたの『ヘヴンズプログラム』が再び暴走してしまう可能性は?」


 返答は『K』ではなくジョイが。


「ノット。『K』は二度と暴走しません。彼には私がいます」


「それはボクが保証するよ。ジョイといれば『K』は暴走しない、絶対にね」


 ルドフレアの説明にソフィが頷く。ならばあと、受け入れるのは自分自身だけ。


「分かった。――じゃあもう一つ。私はきっと、あなたを一生赦さない。それでもいい?」


「罪を背負う覚悟ならできている。それでも、だからこそ私は行かなければならないのだ。うまく言葉にできないが……私は私自身を変えるために踏み出さなければならないのだ」


 『K』は自身の胸を掴むようにして言った。


「それは……そうだ。――待ってるだけでは世界は変わらないから」


 その言葉はきっと過去に置き去りにしてしまったモノ。『K』という存在の本質がなんであるのかを示す、言葉だった。

 

「それが聞けてよかった」


「――感謝する、剣崎黒乃」


 黒乃は『ヘヴンズプログラム』を差し出し、『K』が受け取る。

 それから『K』とジョイはジェイルズとレベッカに別れを告げた。二人はあまり素直じゃない返答をしていたが、それでも最後は笑って送り出した。


 その一方で黒乃も、これまで共に戦ってきた愛すべき仲間たちに一時の別れの挨拶をしていた。


「蓮、僕は上で頑張るよ。戻ってきたらまた会おうな」


「ああ、十年後で待っているよ」


「十年後か……ってことは蓮も三十路だな」


「何言ってんだよ黒乃。アタシらはタイムトラベラーだぜ? 感覚的に言えば黒乃にとっての十年後がアタシらの明日ってなものさ」


「つまり、逆に黒乃くんが三十歳ということですね」


「え⁉ 三十路……そうなったら食欲とか髪の毛とか落ちていくのかな……」


「そうなったらボクが直してあげるから安心しなよ!」


「大食いの秘訣ならいつでも教えてあげるわ。まず他の臓器を多少圧迫してでも胃袋を大きくしてそれで――」


「いや怖いから! でも二〇二〇年ともなれば一口で満腹になる食品とかあったり……」


 そんな他愛のない話を少しして、『イノセント・エゴ』の光がさらに地上に近づいたのを確認した。

 名残惜しい気持ちがないといえば嘘になるが、時間だ。


「また会おう、親友!」


「ああ!」


 そして黒乃は丘の先へ向かって歩き始めた。並ぶみんなと軽くハイタッチを交わしていく。

 本当はもっと一人ずつ言いたいことがあると思う。でも意外とこういう時は言葉が浮かばないもので、だから重なる手に精一杯の感謝を込めて――それが伝わるように願った。


 不意に――袖をちょんと引っ張られた。振り返ってみると、散々泣いたせいで目が赤く腫れているアリサが真っすぐに目を合わせてくれた。


「黒乃……私、生きる。精一杯、生きてみる。だから……その……、あなたの心に誰がいるのかは知っている……でも絶対に私を好きにさせてみせるから! だ、だからさっさと帰ってきなさい……!」


 アリサは笑っていた。まだ不慣れな、ちょっとばかり不器用な笑顔だったけど。

 それでも幸せそうに微笑んだ。ならその笑顔に、ご褒美をあげないと。

 絶対に、と大きく出たんだ。

 だったらこれは前払いだけど、決して嘘じゃない。


「――君が好きだ」


 蒼穹に爽やかな風が吹き抜けて――雫が零れた。


「――――――」


 ――さよならは言わない。神に定められた運命はなくなる。だから一歩踏み出し続けた果てに、生き続けた果てに、きっとまた必ず会えるだろう。


 多くの人々の想いをその身に背負って、届けるために――。


 剣崎黒乃は未来へ羽撃く翼を、大きく広げた。


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