『終末の獣は高らかに叫ぶ/Break Your Fate』
★
剣崎黒乃の最後の闘いが始まる直前――まだ一つだけ、揃っていないピースがある。
『K』の『ヘヴンズプログラム』に触れ続けたことによって、暴走ウイルスに感染したアンドロイド、ジョイ。彼女を救うべくしてルドフレア・ネクストは交渉を試みたが失敗。
結果ジョイは自らの自我データを凍結。代わりに自我に振り当てられていたリソースを使い、首を斬り落とされ、命令系統を失い放置されていた機械兵『ダーカー』を操作。
自らを核として『ダーカー』を寄せ集め、巨人を創りあげた。
これまで何度も語られたが『ダーカー』の動力には高濃度魔力が使われており、処理を間違えば動力炉は爆発。そして巨人を形成する『ダーカー』の数は千近く。一つ爆発すればすべて誘爆するだろう。
数から考えて威力は核爆弾並みになる。――つまりあの巨人は一種の特攻兵器なのだ。
そのような恐ろしい兵器が何を狙っているのか。
それはルドフレアの持つ『ヘヴンズプログラム』制御AI『ケース』。以前に奪取された未完成品ではない。紛れもない完成品であり、『K』が黒乃に勝つために必要な鍵とも言えるだろう。
ジョイは暴走を防ぐために自我を凍結。なおかつ『制御AIを奪う』という単純な命令をプログラムとして残し、巨人を動かしている。
――そして、ジョイ自らがチューンナップした特別製『ダーカー』を撃破した澪、蓮が、スズカと合流した。
「――スズカ!」
蓮の呼びかけにスズカは目で返事をして、一足先に合流していたセラが片手を軽く上げた。その視線の先は、島の西側にいる巨人。ジェイルズ・ブラッドとレベッカ・エルシエラを撃破した以上、あとはジョイを救うだけだ。
早いところ何とかしなければならない。そんな意識があるのだろう。
一方で、未だヴァイオリンを弾き続けているスズカ。当然だ。今回の『共鳴歌』は使える魔力がいつもの比ではない。膨大な魔力は人間の自然治癒力を上昇させる。
瀕死の重傷だった蓮と澪が、多少動ける程度にまで回復しているのもそのおかげだ。だからこそ疲れた程度で中断するわけにはいかない。
「蓮」
とはいえ――、
「スズカの限界が近い。早いところ次の手を決めましょう」
セラが耳打ちし、蓮もそれに頷く。『共鳴歌』は音に魔力を込める。つまり絶対的な集中力と精密さが要求される魔術だ。長時間使用し続けられるような代物ではない。
今のスズカは大量の汗で髪が頬に張り付き、呼吸を荒くし、手足の力も徐々に入らなくなってきている。
精密さを欠けば待っているのは込めた魔力の暴発。自分で自分を傷つけてしまう結果になるだろう。
「――スズカ、すまない。もう少しだけ頑張ってくれ……!」
以前の蓮なら無理にでも止めようとしていた。だが、今なら判る。スズカはどんな言葉を掛けられたとしても魔術を使い続けるだろう。それが必要な時だから。無理でも無理じゃないと強がりを言って、そうして仲間と共に戦場に立ち続けるだろう。
これだけが、自分にできることなのだから――と。
だから蓮は、せめてスズカを支えるように言葉を掛けた。
「――――」
視線の先には巨人。正直なところを言えば蓮と澪は、多少回復したとはいえ折れた骨が元通りになったわけでも、これまで蓄積した疲労が完治したわけでもない。
全力のその先の力を出して掴み取った勝利――その代償は大きい。
スズカの『共鳴歌』が途切れれば一瞬で動けなくなるほど不安定な状態。つまり二人にあの巨人の相手は不可能だろう。
「兄貴、あの中にはジョイがいる。アタシは助けたい」
ボロボロのブラックスーツ姿で、澪は言う。その眼は真っすぐで、譲れない意志を感じる。
そしてスズカを心配そうに見つめる、金と銀のオッドアイを持つ彼女もそうだ。
「どっちみち、あの巨人を一撃で排除できるのは私よ。上手く使いなさいよね、相棒」
あの巨人を構成する『ダーカー』を攻撃すれば、動力炉が爆発する可能性が高い。そうなればすべてがお終いだ。この島ごと、『起源選定』は救いのない結末を迎えるだろう。
つまり普通の攻撃では意味がない。
まず『ダーカー』の動力炉にある魔力を吸収し、起爆の要因を排除してからでなければ。
いや――下手な思考など時間の無駄。
彼女の言う通りだ。セラ・スターダストがその内側に宿した獣を解き放てば――獣を封じ込める最後の鎖を解けば、それですべてが解決する。
(巨人の始末はセラに任せ――俺と澪がそのための舞台を整える。だが一つ懸念点が……)
抜かることは許されない。未来を取り戻すため。世界を神の手から解放するため。どんな手段でも行う覚悟を蓮は手に入れた。己の弱さを受け入れて前に進む強さを。
「よし、作戦は決まった! まずは俺とセラが先行してフレアの救助に行く! 澪はバイクを使って、スズカと一緒に後から合流してくれ!」
「了解――『起点の鎖』――『その眼を開けなさい』」
可視化した鎖を引き千切り、セラの体に獣の耳と尻尾が具現化する。強化された身体能力で、疾風の如く駆け出した。
続く蓮。だがその前に一つだけ、スズカに伝えることがある。
「スズカ、お前はきっと無理でも断らないだろうからはっきり言うぞ。頼む。『共鳴歌』を――――」
要件を伝え、一歩遅れて蓮も身体能力を上昇させる魔術を発動させた。
「――『我、黒き刃なり』」
静かに唱えた己を書き換える呪文。それにより全身を黒と紫色のオーラが包み込み、セラと同じように力強く大地を踏みしめ、残像が生まれるほどの速度で駆け出した。
★
ゆっくりと、しかし着実に巨人はルドフレアを追いかけていた。しかも本体だけじゃない。ジョイが設定した『ルドフレアの持つデータを奪う』という命令を与えられ、四体の『ダーカー』が巨人から切り離されて追ってきている。
『ダーカー』の脚部には無論、走行機能が備わっている。各機能に命令を出す頭部はないものの、そこはジョイが代替わりすることで解決している。あとはソナーのようなセンサーで認識した相手をマッピングして、どこまでも追いかけるだけ――。
逃げるルドフレアの足はバイク。視界も悪く地面も不安定な島の中を全力で走り抜けていく。
「全く――ボクは追われるより追う方が好きなんだけどねッ!」
全開にしたライトが前方に迫る大木を照らし出す。
ルドフレアはハンドルを左に切ってそれを避けるが、それと同じタイミングで、背後で何かが弾け飛ぶ音が聞こえた。
後ろを振り向く余裕はないが、おそらくは先ほど避けた大木の一部だろう。
(そういや『ダーカー』には実弾も装填されてるんだ。魔術で攻撃すればボクをデータごと消しかねない……確かに合理的な判断だ!)
自我データが凍結されている以上、その判断は凍結の直前にプログラムされたものだろう。
何手も先を見据えていたジョイ。その賢さ、ルドフレアは純粋に関心する。
シンギュラリティを起こした彼女――やはり何としても、助け出さなければならない。命を得た彼女を死なせてなるものか。
刹那、ミラーに白と黄色が混じったような光が明滅する。『ダーカー』に内蔵されたマシンガンが発砲されたのだ。
「――――!」
『ダーカー』の狙いは正確。だからこそ逆に読み易い。問題はこの速度で暗闇の中、障害を避ける方だ。盾にする木々が必要な以上、見晴らしのいい場所を走るわけにはいかない。
ハンドルを再び左に切り、森の中へ入る。とにかく時間を稼ぎながら、何とか追手を引き離すチャンスを待つしかない。
瞬間、倒れた大木が目の前に現れた。左右には避けられない。だが――僅かに下に隙間がある。
ならばと、ルドフレアは即座に角度計算を済ませて車体を横に、スライディングをするように地面と倒木の間をすり抜け――、
「うわッ――⁉」
直後、何かの段差に引っかかり、跳ねた衝撃で車体にしがみついた足が外れる。
倒した車体を元の位置に戻すことはできたが、しかしルドフレアの体はバランスを崩し、宙に浮いてしまう。
体勢は左に崩れ、このままでは転倒、『ダーカー』に追い付かれ弾丸の雨を浴びることになる。
「ッ――‼」
瞬間、ルドフレアは近くに聳えた木を足場にして蹴ることで無理やり軌道修正。そのままシートに着地し、落ちないよう車体を足でホールド。
今ので足首を捻ったが、とりあえずはどうにかなった。
「あ――あっぶなー……‼」
冷や汗を拭い、夜風の中に払う。後ろからはまだ四体の『ダーカー』が追ってきている。油断できる隙は無い。直線で走行すればすぐにハチの巣だ。だからこそわざわざ木に突っ込むようにして、直前で回避。そうして射線を逸らす。
だが――自我がないとはいえ、ルドフレアの行動にいつまでも対応できないジョイじゃない。すぐに行動パターンを演算、対応してくるはずだ。
束の間、後方からのライトが二つ――左右に分かれる。
「左右同時攻撃ね……! これはかなりヤバめ……‼」
左右に一体ずつと後ろに二体。振り切れない以上、包囲網を崩さなければ終わりだ。
頬を流れる汗。それでもルドフレアはにかっと不敵な笑みを浮かべながら、五メートルほどの距離を保ったまま並列で走行する『ダーカー』に視線をやり――一気に減速。
唸りを上げていたエンジン音が一瞬にして消え失せ――刹那、左右の『ダーカー』が同時に発砲。
弾丸はルドフレアの目の前を通過していく。少しでも減速のタイミングが遅かったら今頃ハチの巣だった。
しかし行動はそれで終わりではない。減速と同時に急カーブ。来た道を引き返すようにターンして、再び加速。背後に残ったもう二体の『ダーカー』と正面から向き合う。
このままいけば、やはり待っているのは体中を穴だらけにされるという結末。
「――――ッ‼」
だからルドフレアは相手の照準を狂わせるためにポケットに入れた端末を投げた。
どうせジョイが出す妨害電波で通信はできない。なら適当にあらゆる周波数を最大にして投げつけ、どれかが『ダーカー』のセンサーを狂わせることを願いながら、接近。
そしてその賭けは成功した。端末が宙を舞い、地面に落ちるまでの一瞬――銃口がそちらを向いた。
絶対にその隙は逃がせない。最大加速で複数の内の一体に近づいたところで、急ブレーキをかけ、浮いた後輪で円を描くように移動させて――攻撃に利用する。
「おりゃあ――ッッ‼」
衝撃が伝播する。だが怯んではいけない。立ち止まってはいけない。一撃当てたところで行動不能にしたわけではない。ただこの包囲網を突破するための隙を、絶対に逃がしてはならない生命線を作っただけなのだ。
別の『ダーカー』がすぐさま射撃を開始する。
「――‼」
死んでなるものかとルドフレアは再びアクセルをベタ踏みし、走り出すまでの硬直を、咄嗟に脱いだ防弾スーツの上着を盾のように使いながらカバー。そして一気に駆け出す。
だが――そこで不測の事態が発生した。
走り出したルドフレア。銃弾を斉射しながら追いかける『ダーカー』。数は三体。攻撃を食らわせ損ねた一体と、先ほど並列に並んでいた二体。
それらの銃弾がルドフレアを追いながら、攻撃を受けて僅かに動きの遅れた最後の一体に直撃したのだ。
三方向からの銃撃。それを受ける『ダーカー』は耐え切れず破壊され――そして銃弾は動力炉を貫いた。
「それはまず――――」
声を遮るように轟音が鼓膜を突き抜けた。
そして爆発は、連鎖する。
残りの『ダーカー』の動力炉を巻き込み、より大規模なものへ。当然、加速し始めたばかりのバイクで逃れられるはずもなく、爆風と炎に包まれる。
「――ッッッ⁉」
咄嗟に防火性も備えているスーツを頭から被ったが、あらゆる感覚は麻痺した。
目を開けば網膜が焼ける。だから目は開けない。鼓膜に関しては間違いなく破れた。もしかしたらどっちか片方は無事かもしれない程度。
だが何よりも気にするべきは今も乗っているであろうバイクだ。まだ距離があった『ダーカー』ならまだしも、このバイクのガソリンに引火して爆発したら、まず間違いなく四肢のない死体ができあがる。
幸いにもまだ二つのタイヤが地面を走っている振動は感じる。おそらくは爆風に後押しされる形で進んでいる。
飛び降りるか――否か。
二つの選択肢が即座に提示されるが答えなど分かり切っている。
もしバイクの爆発から逃れるために飛び降りれば、後ろから迫ってくる爆炎の第二波に飲まれて焼け死ぬだろう。いくら着ているブラックスーツが防火性を持っていようとカバーできない部分はあるし、火傷からのショック死というパターンもある。
だが飛び降りなければ――、そもそも現在地は森の中。
このまま走っていればいずれ無数にある木の一つに衝突してしまうだろうし、その前に引火して爆発ということもある。
二つの選択肢――その先にあるのはどちらも死の結末。
それでも未来は不確定だ。最初から答えが見えていても、選んだ先に別の答えが出てくるかもしれない。
だからこそルドフレアは選んだ。
今はまだ、飛び降りないという選択を。
(感覚だけど、もう随分と島の端に向けて走ったはずだ。なら――このまま行けば!)
引き延ばされていた時間が元に戻る。爆風に包まれてから五秒後――ルドフレアは突如として浮遊感を覚えた。同じタイミングで地面を走る感覚が消えた。だとするならこれは。
被ったスーツを思いきり払いのけ、存分に目を見開く。
すると眼下には――月光を淡く反射させる水面がどこまでも広がっていた。
そうだ。ルドフレアはずっと島の西に向かって走っていた。だからこそ炎から逃れられる海が近いと考えた。
そしてこの島には数年前の地震の影響でいたるところに大なり小なり隆起した地面がある。
つまり爆風により加速したバイクはそのまま自然のジャンプ台を利用し、空へ飛んだのだ。
流石にここまでのことは予想外だったが、とにかく道は開けたのでどうだっていいと、ルドフレアは再び不敵に笑う。
「と――――ッ‼」
とはいえ未だ危機的状況は続いている。空へ逃げても炎はまだ追ってくる。そしていよいよバイクを覆い、五度目の爆発が起こるだろう。
即座にルドフレアはバイクから飛び降り――全力で蹴り飛ばす。バイクを遠くへ。そして自分を少しでも海へ近づけるため。
さらに風を切る音すら届かない状態で、ルドフレアは落下の速度、海との距離から自らの落下地点を計算する。
(ッ――このままじゃ飛距離が――いや、足りる!)
再びルドフレアはスーツを頭から被った。連鎖的に始まった爆発――それはもう一度起こる。
もう何度目かもわからない衝撃。流石に『ダーカー』の魔力炉と比べれば規模は落ちるが、飛距離を稼ぐには充分だ。
そうしてルドフレアは最後にバイクの爆発による後押しを受けて、無事海へ着水した。
まあ、高さと速度からしてコンクリートの地面に体を打ちつけるほどの衝撃はあったのだが、ひとまず一命は取り留めた。
最初の爆発から着水まで僅か三十秒未満。あまりにも濃い一瞬だった。
頭から被ったスーツのせいで危うく窒息しかけながらも、波に揺られながらゆっくりと砂浜まで移動し、波に濡れた固い砂に倒れこむ。
遠くにはスクラップになったバイクが見えた。
「……シートベルトが無くてよかった。……今回は」
適当な軽口で気持ちを落ち着かせる。状況は何も好転しちゃいない。
油断すれば気を失ってしまいそうだったが、それは許されないと怒鳴られた。否――怒鳴られた気がした。攻め立てるような『ダーカー』の走行音に。
おそらく新たにあの巨人から切り離された個体だろう。
(音が聞こえるってことは、どっちかの鼓膜は無事だったわけか……。でもこれは、やっばいなぁ……)
逃走手段は己の足のみ。しかしまともに歩けるようになるためには多少の時間を要する。
絶体絶命――新たに現れた十体の『ダーカー』の姿を目視した。
早く立ち上がれと寄せては返す波に急かされるが、手足はエンストしたようにピクリとも動いてくれない。エンジンをかけ直すだけの時間が果たしてあるのだろうか。
並ぶ十体の機械兵。向けられた銃口。発砲は一秒後。
汗か涙かもわからない雫が目に入りそうになって、思わず目蓋を閉じた刹那――、銃声が聞こえた。
遥か彼方から。
「――お待たせ」
思い出したように追い付く浮遊感。どうやら発砲した『ダーカー』が移動したのではなく、ルドフレアの方の位置が動いたらしい。
咄嗟に目蓋を開くと、そこには凛々しく笑う金と銀のオッドアイ――セラ・スターダストの姿があった。
「セラ‼」
嬉しさのあまりルドフレアは叫ぶようにその名前を呼んだ。対して呼ばれた側のセラは驚いたように肩を浮かせた。
「ッ……いや、声のボリュームおかしいわよ」
「……?」
「何故そこで首をかしげる⁉」
「……あーごめん、ボク今右耳の鼓膜破れてて! よく聞こえないや!」
またも大声で返事をされたので、とりあえずセラは無視することにした。今のセラは身体能力と同時にあらゆる感覚が研ぎ澄まされている状態だ。当然、聴覚も。なのでこれ以上の会話は頭が痛くなるだけだと判断した。
そうして『ダーカー』から離れた位置に着地したセラは、お姫様抱っこしていたルドフレアを近くの木に背中を預けるようにして座らせてから状況の確認をする。
「早速だけどフレア、あの巨人を始末するわよ。ジョイの位置は分かる?」
セラが既に、あの巨人の中にジョイがいること。そしてジョイを助け出すことを視野に入れていることを察したルドフレアは、段階をすっ飛ばして返事をする。
「当然。ジョイはあの巨人の胸の中心にいるよ。でもあれを形作っているのはジョイだ。彼女を取り上げたら巨人は崩壊する。一気に始末ってのは難しくなると思う」
「蓮の予想の通りね。やっぱり私の鎖で縛って、てのが一番か。ねえフレア、もう一つ訊いておくわ。あの巨人を楽に始末する作戦――あったりする?」
「当然、ない!」
得意げに答えたルドフレア。そしてその答えで満足だと、セラも不敵に笑ってみせる。
「ならやっぱり余計な策なんて必要ない。シンプルに――力尽くでいきましょうか」
★
冷たい夜風が熱く沸騰した血液を宥めるように吹き抜ける。
合流した蓮、澪、セラ、スズカ、ルドフレアによる作戦会議は数十秒で終わった。それほどにシンプルで、かつ強引で大胆な作戦。
激しくも哀しい音色を奏でるヴァイオリン――風に靡くブラックスーツ。
蓮はネクタイを捨て、シャツのボタンも上から二つ外し、己を書き換える呪文を唱える。
「『我、黒き刃なり』――」
スズカにはもう少し、あと少しだけ『共鳴歌』を続けてもらい、ルドフレアは待機。巨人を倒した後、救出したジョイのことを託した。
蓮、澪、セラの三人はどこまでも真っすぐに、地響きを起こしながらゆっくりとこちらに向かってくる巨人を睨みつける。全長二五〇メートルを超えた超高層ホテル『モノクローム』よりも巨大なそれを今から倒そうというのだ。しかと目に焼き付けておかなければならない。
すべてが終わったあと、良い語り草になるように。
澪は拳銃を構えた。引き金にかけた指は小指。
セラは鎖を構えた。封印は『流転の鎖』まで開放している。あとは今手にしている『終結の鎖』を解けば、本当の意味での獣が解き放たれる。
そしてその鎖は蓮が握る。
「私の鎖――アンタに預けたわよ」
「――ああ」
かつて『K』やレベッカを拘束したのと同じ要領だ。自らを縛る鎖、その性質を転用する。
「んじゃ……やりますか! 『シージングトリガー』――『クワイエット』」
澪が銃口を自分の頭に向けてトリガーを引いた。『シージングトリガー』は対象を操る魔術。それにより澪は己の思考を封印し、正解だけを直感で選び取る状態に変貌する。
左目に宿る蒼く淡い炎。
「いくぞ――ッ‼」
「――ええッ‼」
それを合図にして蓮とセラが別方向に駆け出した。
澪はすぐさま、拳銃を鮮やかな手つきで持ち替え、引き金にかけた指を人差し指に。
使う魔術は『ファントムトリガー』。属性はお得意の氷。そうしてトリガーは一瞬の迷いもなく引かれた。
一方で、全速力で森の中を駆け抜ける蓮。その身体能力は常人の数十倍にまで跳ね上がり、黒紫色のオーラが残像を見せる。
その手にはセラから預かった鎖。使い道は一つ。
「――見つけたッ!」
ルドフレアを追うために巨人から切り離された『ダーカー』の群れ。蓮は神速で肉薄し、鎖を巻き付けて拘束――再び森の中を駆け巡る。そうして散らばった『ダーカー』のすべてを捕獲し、巨人のもとへ向かう。
そして先ほど澪の放った『ファントムトリガー』が巨人を囲むように氷の螺旋型格子を作り出し――蓮は一気にそれを駆け上がっていく。全力を超えた加速。踏み込む氷は表面から削れていくが、澪が込めた魔力のおかげで足場が崩れるほどではない。
「うぉおおおおおおおおお――――ッッッ‼‼‼」
限界を超えて、さらに加速する。氷上を華麗に舞うスケート選手のように螺旋を駆け抜け、そうして瞬く間に頂上へ。だがそこで終わりではない。むしろ本番はここから。
途切れた螺旋の先に鎖を引っ掛け、そのまま飛び降りる。
『モノクローム』の時と同じ技だ。宙へ投げ出される体は引っ掛けた鎖によって引き戻され――そのまま巨人の中心、ジョイのもとへと突っ込む。
「――――」
時を同じくして再び澪が二度、トリガーを引いた。『ファントムトリガー』、使う属性は水と氷。巨人に大量の雨が降り注ぎ――それらは端から凍結していく。
そのタイミングに合わせるように巨人の中から出てくる蓮。片手にはジョイの体が抱えられており、一切の減速なく地上への落下を開始する。
「――――ッ‼」
凍結していく巨人。これですべての『ダーカー』が一か所に集約し、セラが鎖を解いてもその身動きは封じられたままだ。
――蓮は着地点を計算して鎖を手放す。
僅かなミスもない完璧な連携。それは地上に居る相棒を空に打ち上げることで完成する。
弧線を描いて地上へ落下する蓮。それを受け止めるため、薄緑色の獣が走り出す。
地面との衝突まで三秒――、相棒同士は手を伸ばす。
「あとは任せた‼」
「あとは任された‼」
蓮が強引に地面への着地をした瞬間、互いに手を掴み百八十度回転。落下の勢いを利用し、そのままセラを上空へと打ち上げる。
人力の発射台。あまりにも強引な手段だが、今の蓮ならそれが可能だった。
あとは巨人より高く上空へ飛翔したセラが力を解放して――、それですべてが終わると思われた次の瞬間。
――ヴァイオリンの音色が途切れた。
「はッ――スズカ!」
強化されたセラの視力が、今まさに倒れゆく血塗れのスズカを視認した。
何者かに襲撃されたわけではない。ただ単純に限界だったのだ。『共鳴歌』によってすり減る集中力は精神を侵食し、それでもなおスズカはひたすらに音に魔力を込め続けた。
だからこそ――ヴァイオリンの方が持たなかったのだ。
落ちていく。四本の弦がすべてはち切れ、弾けたそれは奏者の手を切り裂き、そして地面へ落ちていく。
『共鳴歌』が中断されたことで、蓮と澪はこれまでのダメージがフィードバックし、その力は霧散する。
当然、巨人の行動を封じていた氷の檻も砕けていく。
「ッ、こんな――ところでぇ――‼」
それでもまだ終わっていないと、スズカは大きく口を開いた。
『共鳴歌』を行うつもりなのだ。楽器はない。だがそもそもとして『共鳴歌』とは楽器など使わない、自分の歌に魔力を込める魔術なのだ。
だが扱う魔力が大きければ大きいほど、当然一人では制御が難しい。だからこそ、その負担を軽減するためにスズカはヴァイオリンを使っていた。
つまり――今、スズカ自身が音を奏でれば、『共鳴歌』は継続する。
当然、これまで無茶を重ねていたスズカにさらなる反動が押し寄せてその命はおそらく――。
――だからこそ、その口を塞ぐ者がいた。
小さな手で背後からスズカの口に蓋をして、心に入り込むような声でこう囁く。
「キミのそういうところが嫌いなんだよねぇ。黙って見てな」
それと同時に、大きく指を鳴らす音が響き渡り――巨人の足元に広がる森の中から漆黒の鎖が次々に現れる。
その時、咄嗟に振り向こうとしてスズカは見た。視界の端に映ったゴスロリ衣装の袖と、少し離れた場所の木にもたれかかりながら、巨人の行く末を見届ける金髪碧眼の男――ジェイルズ・ブラッドの姿を。
「役目は果たしたよ――蓮」
蓮は万が一にもこうなることを予測していた。だからこそ『共鳴歌』の対象にジェイルズを加えてもらい、できる限り魔力を回復してもらった。
ジョイを助けたいという目的は共通している。だからこそ、いざという時は協力してくれると信じたのだ。
元々ジェイルズは自らの血液を収納したカプセルを地面に埋めて、それを罠としていた。そして罠の大半は未使用のまま残っている。それらを使えば、巨人を拘束することは容易い。
ジョイという司令塔を失い崩壊しかけていた巨人。それらがありったけの『血の鎖』に包まれ、再び一点に収束する。
今しかない。上昇から落下に切り替わる瞬間、セラは全身に力を込めて叫ぶ。
「一撃で喰らい尽くす――‼‼‼」
可視化した最後の鎖。
「『終結の鎖』――――」
この世界の内側において最上位とされる力を秘めた終末の獣――あらゆる魔力、生命を捕食し、相対するものすべてを跪かせる孤高の凛々しさ。生きとし生けるものの頂点に君臨する存在。
『起源選定』という残酷な運命を打ち破る一端を担うため、その力を解き放とう。
――『その眼を開けなさい』。
――『さあ、爪を振り上げて』。
――『魂に誓おう』。
「『運命さえ噛み砕くと』――ッ‼」
ラグナロクの獣――フェンリルが解き放たれた。
セラの姿は雷鳴の如く、巨大な狼に変貌を遂げた。その大きさは一瞬で巨人を丸ごと飲み込めるほどで、薄緑色の体毛は僅かに淡い光を放ち、恐怖よりも先に神でも崇めているような神々しさを覚える。
そして彼女は自らの存在を世界に刻み込むために、咆哮を放つ。
「ガアアアアアアァァァァァァァァァアアアアアアア――――ッッッ‼‼‼」
その場にいる誰もが心を奪われた。たかが咆哮ひとつで存在そのものが喰われることを予見させる終末の鎮魂歌。
ただ単に圧倒され、そして澪の心にぽつりと純粋な疑問が浮かんだ。
『K』――平行世界の剣崎黒乃。彼は一体どのようにして、この獣を討伐したのだろうかと。
ジェイルズとレベッカは完全に気を失い、スズカと澪は腰を抜かし、蓮は何とか自意識を保っていたが、それでも震える手足は抑えられなかった。
理性ではなく本能が告げるのだ。あの存在が顕現しているということは、相対的に自分は死んでいるのと同義だ、と。
セラは巨人を頭から丸呑みする。フェンリルの力を解き放った彼女はあらゆる魔力を吸収し己の糧にすることができる。それを利用し、爆発の要因となる『ダーカー』の動力炉内の魔力を吸収。
あとは鉄くずを苦い顔して咀嚼するだけ。
圧倒的だ。セラはこれほどまでに世界を自由にできる力を持っている。
だが自由には責任が伴う。二〇二〇年の未来でセラは『組織』の監視対象となり、少しでもおかしな素振りを見せたら力を解放する前に殺されるという環境に置かれていた。
世界を変えるほどの自由と引き換えに――自由を失ったのだ。
「――流石だよ、セラ」
ただ一人、いつも通りに動くルドフレアは、囁くようにそっと呟いた。
そして辿り着いた丘の上。そこには魔術の反動で気を失いかけてる蓮と、その隣にはジョイがいた。
絹のような黒髪に青い瞳。せっかくの白いスーツは汚れてしまっているが、自我を凍結し身動き一つ取れない彼女は、やはり最高に完成された人形のようだ。
――だからこそ、ちゃんと生きていけるようにしてあげなくちゃならない。
「……フレア、悪い……少し、眠る……」
ルドフレアは優しく頷いて、蓮が眠りにつくところを見届けた。
あとはこっちの仕事だ。ポケットから小型の端末を取り出す。動作確認は先ほど済ませた。あの爆発の巻き込まれても、海に落ちても、奇跡的に無事だった。
いや、運じゃない。これは予めそういう対策をしていた努力の勝利さ、とルドフレアは笑った。
「――さあジョイ。目を覚まして」
★
――自由だ。
『ヘヴンズプログラム』制御用AI『ケース』をインストールされたジョイが、自我を取り戻して最初に浮かべた言葉が、それだった。
自由――それは何にも縛られないということであり。責任を伴うことであり。
何より、すべてを自分で選べるということだ。
とはいえ目に見えて何かが変わったということはない。ズレた歯車が元に戻ったような、バラバラに詰められた本棚を整理したような、そんな感覚はあるもののそれらに対しての喜怒哀楽はない。
言うならば凪の状態だろうか。
目蓋を開けば夜空が見えて。ほとんど無意識に星の数を計算して。あとどれくらいで夜明けが来るのか、導き出してしまう。
「気分は?」
声紋はルドフレア・ネクストのもの。
状況の整理は一瞬で終わった。自我データを凍結後『ダーカー』を集約させ巨人を構築。
しかし結局は敗れ、けれどルドフレアの言葉の通り、知らぬ間に自らを蝕んでいた暴走ウイルスを駆逐するべく、制御AI『ケース』をインストールされた。
「――貴方の言葉は本心だった。最初から両手を挙げていればよかったのですね。もっと、上手いやり方があったように思えます」
「それが感情に振り回されるってことだよ、ジョイ。人間らしくていいじゃないか」
「そう……ですね……」
ジョイは夜空に手を翳し――そして緩慢な動作で懐に仕込んだままの拳銃を取り出した。
銃口をルドフレアに向けて躊躇なく引き金を引く。
「ッ――⁉」
避けられるはずもない。放たれた弾丸は幸いにも防弾性のスーツに着弾したが、それでも金属バットで殴られるくらいの衝撃が奔り、半ば満身創痍だったルドフレアは地面に倒れた。
「そのまま動かなければ命までは取りません。私はただ、私を生んでくれたあの人を助けたいだけ。誰に命じられたわけでもなく、私は私の意志で、『K』を助けに向かいます」
無言のまま、走り去っていくジョイを見届ける。彼女を止めるものは誰もいない。
すべてのピースは揃った。残された戦いはあと一つ。
島の南側で戦う二つの未来。そこへ向かう二つの存在。すべてはやはり剣崎黒乃へと託された。
やがて『三番目の剣』によって現出した心象風景の結界が桜吹雪に包まれて消える。
この物語を終わらせる戦いが、可能性のその先に至るための闘いが――始まるのだ。