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『運命の歯車は狂い始める/Fly me to the sky』

 黒乃(くろの)はその後も一つずつ動画を再生した。その内容はどれもが輝かしい青春の一ページを見事に表すような、剣崎黒乃(けんざきくろの)とアリサの、時にはその他の友人に囲まれた楽しそうな思い出だった。

 プール、夏祭り、学園祭、クリスマスパーティ、元旦、そして桜並木。そのすべてが笑顔に満ちていた。二度と手が届かない、これさえあればどんな苦しみの中でも立ち上がれるほどに、眩しい記憶。


 そして残った最後の動画。日付は一年前だった。黒乃は己の内側の空洞が埋まっていく感覚を覚えながら、最後の動画を――再生する。


「……っ、これは」


 映像は、両腕両足を縛られているアリサの姿からスタートした。場所はどこかの廃工場だろう。

 明らかにこれまでの動画とは雰囲気が違う。


『下手に抵抗するな。大人しくしていれば傷つけることはしない。が、せっかくの一眼レフを破壊してくれたんだ。この携帯は頂く』


 状況が読めない。最初は文化祭の演劇の可能性を考えたが、撮影者は明らかにガラの悪い中年男。仮に演技だとしたら名優だ。

 しかし、もしこれが実際の出来事だとすれば。これはアリサの誘拐事件の証拠映像ということになる。

 次第に早くなる鼓動を感じながら動画を進めると、薄暗い廃工場に光が射した。どうやら誰かが正面のシャッターを開けたようだ。


 同時に一人の男が、ヒロインのピンチに駆けつけたヒーローのように現れた。


『――彼女を返してもらおうか!』


『来たか、剣崎黒乃。まさか生きていたとはなぁ。四年ぶりか――久々だなぁ?』


『女の子を誘拐する奴のことなど知らないなッ! アリサ――今、助けるからな!』


 携帯が地面に置かれる。僅かに聞こえるアリサの荒れた呼吸の音と、遠くに映る黒乃と謎の男。

 男はスキンヘッドにサングラスをかけ、タンクトップに迷彩柄のズボンという装いだ。露出した腕の筋肉は鍛えられており、繰り出す格闘術は素人のそれではない訓練されたもの。

 しかしそれをものともしない黒乃が、そこにいた。


『おぉぉぉぉりゃあ――――ッ!』


 カウンターアッパーが見事一撃。男は少しの間宙を舞い、受け身も取らず落下。どうやら気を失ったようだ。


『アリサ、無事⁉』


 画面の外に出た黒乃。おそらくアリサの拘束を解いているのだろう。ほぼ同時に涙ぐんだ声が聞こえてくる。


『バカ! どうして来たの! 私……黒乃が死んじゃうんじゃないかって……!』


『言質、取られちゃったからね。責任を果たしたまでさ。それに君の隣が僕の居場所だ。それが無くなったら寂しいだろ。さ、立てるかい?』


『そんなこと、簡単に言わないでよね……もう! こうなったら無茶した責任取って『B(ブラック)W(ホワイト)』の新作スイーツ奢ってもらうんだから!』


『お、奢るの? 恥ずかしながら今月はお金がないんだけど……。バイト先なんだし、まかないとかで何とかなんないかな……?』


『なんない! 私が奢る! とにかく行こう、黒乃!』


『……まったく破天荒だね。でもアリサらしいよ』


 廃工場を出ていく二人の姿を携帯が映していた。そして数秒後。二人揃って、慌てて携帯を取りに走ってきたところで、動画は終わっていた。

 他にも何か気になるものがないかと色々弄ってみるが、『白百合の騎士マスカレードローズ』と書かれた写真ファイルがあっただけで、特には無かった。


「……終わった?」


 その声で現実に引き戻される。この携帯電話に入っていた過去の動画は最後の一つを除けば、どれもが眩しい思い出を切り取った大切なものだった。


 だがしかし――現在は、黒乃が記憶を失い、アリサはまるで別人のように変わり果ててしまった。

 正直なところを言えば今の黒乃の中に、変わり果てた彼女とどう接すればいいか、その答えない。けれど、沢山の思い出を目にした今ならはっきりと言える。


(自分が――彼女にしてあげられることは、きっとある)


 だから、と。黒乃は拾い集めた『自分』を胸に、アリサに向き直る。


「もう一つ、訊いても?」


 アリサを真正面から見つめる。


(さっきまでの迷いはもう感じていない。そうだ――自分は)


「……なに?」


「君が変わってしまった理由を教え――」


 その時だった。黒乃の言葉を遮るようにして背後で扉が開かれた。星空の下、二人のランデブーポイントとなっていた病院の屋上に、突如として現れた何者か。

 ――振り返り、その正体を確認する。見回りの看護師か、神丘かとも思ったが違うようだ。現れたのは独特の雰囲気を纏った二人の男。


(――あれ、あの人、さっき見た……ような……?)


 一人はオレンジ色の髪にエメラルド色の瞳を持つ長身の男。上から二つボタンを外した空色のシャツに、決して安くない黒色の背広とスラックス、それからグレーのチェスターコートを羽織っている。


 もう一人の男は、チェスターコートの男より少し低いが、それでも黒乃と同じくらいの身長で、一見細身だが歩いた時に体の軸がぶれていない。間違いなく、素人ではないだろう。

 容姿は黒髪で前髪をアップにした髪型に上物のブラックスーツにマットブラックのブローグシューズを履き、いかにもクールそうな雰囲気を出している。


 近づいてきた二人は黒乃を無視してアリサとの距離を詰める。


「ここに居たか、アリサ・ヴィレ・エルネスト。勝手な行動は慎め、戻るぞ」


 黒髪の男がアリサに声をかけた。


「……ごめんなさい」


 アリサは反論することも言い訳をすることもなく、二人と共に歩き始める。それ以上の会話はない。


「……ちょッ、待って!」


 黒乃はあまりにも突然の行為を止めるべく叫ぶが、それが当然の振舞いだと言わんばかりに、男たちは無視する。なら、と黒乃は走り出し、歩いていた黒髪の男の肩に触れる。

 このチャンスは絶対に逃がせない。強引にでも話を聞いて何かを聞き出すしかない。


「待てって言ってるだろ!」


 次の瞬間――男は驚くべき速さで肩に置かれた手を掴み、そのまま流れるように背後に回り込んだ。


「ッ――な、ッ……⁉」


 一瞬で相手を拘束する体勢を作り出したのだ。なんて素早い身のこなし。やはり素人ではない。明らかに近接戦の技術を持っている。しかしここでやられるわけにはいかない、と黒乃は反射的に体を動かした。


「ッ――!」


 少しでも動けば腕を折る、とでも言いたげな男の足を全力で踏みつけ、間髪入れず肘を相手の腹部に放つ。

 それで終わりではない。相手は素人ではない。これまでの攻撃をすべて防がれることを念頭に、とにかく行動を続ける。

 次は自由になった全身で回し蹴り――男はそれをクロスアームで防いだが、殺しきれない威力の分だけ黒乃との距離を作った。


「反応した、何者だ?」


「こっちが……訊きたいところだ」


 男は驚いた様子だが、既に次の攻撃の予備動作始めている。戦い慣れた所作だ。そしてそれは黒乃も同じ。

 黒乃は心の奥底から湧いてくる『やれる』という直感――頭に浮かぶイメージを元に、全力で右ストレートを放つ動作へ――、


「――二人ともやめるんだ!」


 その声に、二人は動きを止めた。すかさずチェスターコートの男が間に入り、黒乃に向けて軽く頭を下げる。


「突然済まなかったよ、黒乃君。君の記憶のことは聞いている。自己紹介が遅れたがオレはヴォイド・ヴィレ・エルネスト。アリサの兄だ。以前は君とも親しくさせてもらっていた」


 アリサの兄――それで黒乃は思い出す。先ほど見た動画、そこに彼は度々映っていた。髪の色や目の色が違うのでアリサとはただの知り合いだと思っていたが、まさか兄だとは。


 ヴォイドという男の落ち着いた声音の中には優しさを感じる。本気で黒乃を案じている様子だ。

 嘘は言っていない、と判断した黒乃は、彼に軽く頭を下げた。続いて、その後ろのブラックスーツの男にも目線を送る。


「すまないことをした。俺は――夜代(やしろ)(れん)


「いや、こちらこそ。剣崎(けんざき)黒乃(くろの)だ」


 形式だけの自己紹介を終える。黒髪の男――蓮の表情は不愛想そのもので、どうにも読めない。


「黒乃君、悪いが説明する時間が惜しい。オレたちにはこれから行かなければならない場所がある。これはオレたちの事情だ。君が首を突っ込むことではない。だから早く病室へ戻りなさい」


 気遣う素振りは見せたがヴォイドもまた、黒乃がこれ以上踏み込むのを良しとしていない。

 しかし、やはり――ここで再びアリサと別れてしまっては、二度と会えない。そんな予感がする。


「彼女は……アリサは、前と随分様子が違う。何か危険なことに巻き込まれているんですか?」


 とにかく少しでも情報が得られればと訊く。そして反応を見せたのはヴォイド――ではなくその隣の男、蓮だった。


「お前が関わることではないな、剣崎黒乃。死にたくなければ大人しくしていろ」


 曲がったネクタイを直しながら、蓮は黒乃に冷たく言い放つ。


「な――ッ」


 『死にたくなければ大人しくしていろ』。その言葉は残響し、いつまでも耳にまとわりついて離れなかった。


「死ぬ……だって?」


 それほど危険なことに彼女(アリサ)が巻き込まれていると、蓮は言う。予測は可能だった。蓮は間違いなく戦闘の心得がある。そしてヴォイドも、おそらくはそうだろう。そんな二人に守られるようにして、それでいてアリサは単独行動すら許されていない。

 それは確かに脅しなどではなく、本当に命に関わるほど危険なことに巻き込まれている、と考えていい。


 ――業腹だ。


 黒乃は酷い憤りを覚えた。それは事情を説明してくれない二人に対してではない。彼女が別人のようになるまで疲弊しているというのに不甲斐なく記憶を失って、あまつさえ関わるなと言われる『自分』が情けなくて腹立たしいのだ。


「行くぞ、夜代蓮」


「ああ」


 黒乃に背を向けて三人は屋上を去ろうとする。その背に手を伸ばして――黒乃は思う。


(思い出の一ページは確かに刻まれていた。アリサを守ると言った『自分』が。それを認め言質を取ったと笑みを見せた彼女が。そして実際に自分は彼女を守っていたじゃないか)


 どうするべきかは既にイメージできている。あとは覚悟を決めるだけだ。

 あの動画の中で、アリサは疑問に思っていた。

 ――すべての時間を輝かしい思い出だと感じるべきなのか、と。

 答えは簡単だ。


 あの小さな携帯電話で覗いた思い出(せかい)は間違いなく、どれも輝かしい青春の一ページだった。今の黒乃にとって、あの過去はどれも眩しく見えたのだ。


 あの頃の剣崎黒乃もアリサ・ヴィレ・エルネストも、常に今のこの一瞬が輝くために努力をしていた。

 だからこそ――失墜している現在を、このままで終わらせたくはない。

 

(なら――止まっている暇なんてあるわけないだろ。一度守ると決めたのなら、男らしく最後まで貫き通してみせろ! そうだろう『自分』――そうだろう『剣崎黒乃(けんざきくろの)』!)


 なら――『剣崎黒乃(じぶん)』は。


 ああ、そうさ。


 『剣崎黒乃(ぼく)』はこの鳥籠の外へ――――翼を広げる。


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