『右手に銃を、左手に刀を/I'll never lose』
★
――整わない呼吸、四肢を動かすタイミングは徐々に思考と乖離し、世界はどこか歪んで視える。
アンドロイドであるジョイがチューンナップした特別製の黒機兵『ダーカー』。その性能は恐ろしく高い。
高濃度魔力を宿したコアを通常一つであるところ、複数搭載され、それによって実現されたあらゆる攻撃を弾く高出力防壁。魔力のバリアとも言えるそれに加えて、ジェイルズ・ブラッドの格闘術をインプットされ、レベッカ・エルシエラの思考を基に相手の行動パターンを予測する能力、そしてそれらをまとめ上げさらにパワーアップさせるジョイのスパコン並みの演算能力。
『ダーカー』は本来両腕に死神のような鎌を付けており、そのフォルムも機械的なのだが、しかし先ほどから相手をしているこの特別製は別だ。全長二メートル弱という部分は変わらないが、小型化した頭部に妖しく光る赤いモノアイ、人間らしい手足、それらは一般的な『ダーカー』と比べてかなり人間らしく、シルエットだけ見れば大柄の男と見間違うことだろう。
「――――」
紛れもない強敵。人間らしい四肢が起こす行動にこれまでの『ダーカー』との戦い方は通用しない。首を狙えば当然腕で防御するか姿勢を低くして躱され、すぐに足技で反撃される。
常時展開しているバリア。人間を相手にしているかのような戦術――だが勘違いしてはいけない。向こうは機械だ。それも人間よりも高性能な脳を保有していると言ってもいい。
つまり――思考力で負ける。
攻撃パターンやプログラムされただけの心理的テクニックなら慣れればいい。だが向こうの思考速度、反射速度に追い付けない以上、どう行動してもチェックメイトを宣言する何十手も前で手を潰される。
(……ジョイの演算能力――いや、さっきと比べて相手の動きは少しだけ緩い。あの巨人が関係しているんだろうが……それでも体が追い付かないのは変わらねぇ……)
そんな強敵を相手に死闘を繰り広げている隻眼の二刀一銃の剣士――夜代澪。
澪は少しでも体を軽くするためにボロボロになったスーツを脱ぐことを考えたが、すぐに否定した。これは一応鎧だ。どれだけボロボロになっても、大事な生命線であることに変わりはない。
それに――何よりも。
「――――」
スーツのジャケットを脱ぎ捨てる暇さえ、相手は与えてくれない。
「ッ――、ッ‼ ――チッ――……⁉」
『ダーカー』は予備動作なく向かってくる。獲物は魔力バリアを変形させ右手に集約した鋭い刃。ただの手刀だと思ったら最後、骨ごとすっぱり斬られて終わる。
澪はその手刀を、切っ先から柄までのすべてを白く塗り染められた日本刀『刹那』で受け止める。幸い『刹那』は絶対に刃こぼれせず、そして折れることもないという性質を持つ。
刃であり、盾でもあるその刀。
「――!」
そして左手で腰に下げたもう一振りの刀の――鍔を弾く。その瞬間、澪と周囲の時間が切り離される。
切っ先から柄まで、そのすべてが黒く塗り潰された日本刀『夜束』。鍔を弾いて抜刀した場合、再び鞘に収まるまでの間の時間は割断され、結果だけが反映される。
『時間の切断』――兄では使えなかった力。夜代織の力を受け継いだ澪だからこそ引き出せる能力。
とはいえそれも二秒から三秒までが限界だ。相手の攻撃をいなし、一度距離を取るだけで精一杯。
(……あの魔力のバリアがある限り、攻撃が通らねぇ……‼)
あのバリアは無敵ではない。攻撃は防いでもその衝撃は通す。そのおかげでアレをスズカやルドフレアたちから引き離すことには成功したが、おかげで左足のシューズが消し飛んで、これではバランスが悪いからと裸足で戦うハメになった。
(―――来るッ)
直感で澪は構える。その読み通り『ダーカー』はノーモーションで澪との距離を詰めてきては、先ほどと同じ手刀を振り下ろしてくる。そして澪は『刹那』でそれを受け止め、『夜束』の能力でまた引き離す。それの繰り返しだ。
有効打が見つからない以上はこうするしかない。とはいえ、いつまでもこんな手が通じるほど相手は甘くない。
『時間の切断』が終わった刹那――、澪の右側から何かが飛んでくる。
「――⁉」
澪は先日の戦いで右目を負傷している。そこを織り込んでのことか死角からの攻撃。当然、澪はそれを避ける。考えるより先に第六感――未来視、未来予知とも言うべき直感がそうさせた。
避けてから分かったのは、飛んできたのは極大の刃。そうだ。『ダーカー』が手刀にしていた高濃度の魔力を左手に移し、かつその何倍もの長さで澪がどこへ下がろうとも当たる攻撃を繰り出したのだ。
そして攻撃はまだ、終わらない。
「――――」
左手に集約されていた魔力は即座に右手に移り、下から上へ地面を抉りながら向かってくる。回避後の硬直。それを狙われた。
「ッ、クソ――‼」
即座に『夜束』の鍔を弾き、『時間の切断』、瞬間移動でもするように距離を取る。が、甘かった。『ダーカー』はそれさえも読んでいた。
移動した先の地面。刹那――そこから無数の刃が飛び出してくる。
「な、に――⁉」
『ダーカー』は一歩も動いていない――なら簡単だ。足だ。地面に接した足から魔力を糸のように伸ばし、罠を張り巡らせた。そして澪の移動先を認識した瞬間に地面から奇襲する。
なんて手を考えやがる、と思ったがしかし――澪はそれを判っていた。理屈じゃない。感覚でだ。
『時間の切断』で『ダーカー』との距離を取ろうとした瞬間、自分の体が動いたその先に何かがあることを予見していたのだ。
それでも澪は罠に引っかかり、とにかく前方に飛び込むようにして回避した。
理由は一つ。
(ダメだ、直感に体が追い付かねぇ――‼)
何かが来ることは察知できるのに、思考が、動き出した体が――電気信号そのものが追い付かない。
どうしようもないもどかしさを抱えながら、澪は下唇を噛む。無論、息を吐く暇もない。
前方へ着地するのと同時にそれを狙った『ダーカー』からの追い打ち。再び死角からくる巨大な斬撃。
「ぐ、ぅううううう――‼」
それを『刹那』で受け止めるが、しかしその巨大な威力は殺しきれない。衝撃によって右腕の骨にひびが入る。既に左腕の骨も異常をきたしていたため、僅かに柄を握る力が不安定になり――『ダーカー』が咄嗟に距離を詰めてくる。
ほんの些細な隙も絶対に逃がさない。感情のない冷酷無比な機械的行動。
『ダーカー』は機兵。無感情の行動は当然だ。だが同じようなアンドロイドであるジョイは人間の心を理解していた。そして目の前の『ダーカー』も見た目は人間とほぼ同じ――だからこそ、そのギャップに恐怖が生まれる。
「ッ、ウ――――」
『ダーカー』から繰り出される右の手刀――、澪の右手は今もなお攻撃を防いでいて塞がっている。手段は二つに一つ。
(どうする、鍔を弾くかそれともこのまま……ッ!)
考えた時点で澪の負けだ。鍔を弾く隙は無くなった。逆手で『夜束』を抜いた澪は向かい来る手刀を受け止める。
(――両腕塞がれた……‼)
直感した。『ダーカー』は間違いなく、再び魔力を操作して攻撃してくる。おそらくは頭部か胸、いずれにしても両腕が塞がった澪に防御されない箇所を突いてくるはず。
考えている暇などない。反撃の手を考えたその瞬間に刃は澪の全身を貫く。
さあ来る、もう来る、今――この瞬間に刃が!
「ッ――‼ 『インペリアルトリガー』――」
澪は右手で握った『刹那』を離し、それにより抑えられなくなった攻撃を、身を屈めて潜るように回避。『夜束』を握る左手が巻き込まれないよう注意しながら、空いた右手に拳銃を出現。
銃は剣より――本来はそれこそが澪の信条だ。
生半可な攻撃では意味がない。それでは魔力のバリアに弾かれるだけで終わる。ならば使う指は中指――己の魔力のすべてと引き換えに放つ必殺の一撃。
そうして銃口を『ダーカー』に向けて、引き金に力を入れた。
「――『デストラクト』ォォ――ッッ‼」
――音が消えた。
爆発、それに伴って鼓膜が破れたのかもしれない。ぼんやりと感じる浮遊感。自分が爆風で飛ばされていると認識した時、全身に衝撃が訪れる。着地とは言えない。地面に放り投げられ叩きつけられたのだ。
「…………ッ――がはッ、がはッ、ぐぼッ!」
何度かせき込み、顔を横に向けて喉の奥からせり上がってきた何かを吐き出す。地面に弾けたそれは彼岸花――血の塊だ。
何とか体を起こそうとして、両手に何も握っていないことに気付く。『刹那』は直前に手放していた。爆風でどこかへ飛んでいったのだろう。
ならば――『夜束』は?
「――――」
答えは目の前にあった。不鮮明から鮮明へ、徐々に戻ってきた視界が捉えたのは、倒れた自分と目の前にあった『夜束』。
黒く塗り潰されたその刃は夜の帳が降りたこの時間では危うく雲隠れしそうだが、幸いにも月光が照らしてくれた。間違いなく、目の前にある。地面に対して直角に地面に刺さっている。
だが変だ。足元に、地面に刺さっているにしては、その距離が近すぎる。
まるで――、
(……ああ、そういうこと……)
――『夜束』が刺さっていたのは、澪の腹部。先ほどの吐血の原因は爆発の方ではなく、体を貫いたそれだろう。
ヴァイオリンの音は聞こえない。聞こえるのは残響する耳鳴りと、もう一つ。
「――澪ちゃん!」
バイクの音――スズカだ。スズカはルドフレアと共にジョイと相対していたはずだが、おそらくはあの巨人が関係しているのだろうと思った。
根拠はない。だが思考がまとまらないことで、考えるより先に答えが視える気がする。
体は動かない。バイクのエンジン音は止まり、スズカの足音が近づいてくる。
(駄目だ――ヤツはまだ――倒せちゃいない――)
スズカは脇にヴァイオリンを入れたケースを抱えている。ああ、きっと、スズカの『共鳴歌』が中断されて蓮は困っていることだろう。
やれやれ、だったらこんなところでいつまでも寝ているわけにはいかない。
「澪ちゃ――ッ、――――!」
スズカの足が止まる。理由は簡単。近くに転がっていた白刀『刹那』を投擲する体勢に入っていた『ダーカー』を視界に捉えたから。
狙いはスズカ。瞬間、日本刀は目にも留まらぬ速さ、正確さで投擲された。
「――――」
結果から言えば、『刹那』がスズカの頭や心臓や胴体を貫くことはなかった。耳元を掠めるだけで傷一つ付いていない。だがそれは『ダーカー』が攻撃の照準をミスしたとか、断じてそういうのではない。
(……避けることを前提とした攻撃、この『ダーカー』……やはり特別製のようですね)
スズカは刀が投擲されてもその場を全く動かず、避ける素振りすら見せなかった。理由は一つ。避ける理由がないからだ。スズカは今、長年髪にため込んできた魔力を身に纏っており魔術の発動有無に関わらず、バリアのようなものを形成している。そう、目の前の『ダーカー』と同じように。
だが避けることを予測し、先手を打つようなその攻撃は予想外だった。明らかに人の思考、心理を理解している。これは強敵だ。そう一瞬で理解できる。
何より現在すべての『ダーカー』はジョイによって制御され巨人を形成している。なのにあの特別製はその輪の中に組み込まれていない。
アレはもしかしたら、ジョイが次のシンギュラリティのために生み出した存在なのかもしれない。
(もし、人の心と同じものを宿すのだとすれば……破壊するのは心苦しい。ですが……)
スズカはケースからヴァイオリンを取り出した。
「――倒します」
「待てよ――」
弦に弓を構えるスズカを制止する声があった。
当然、澪だ。澪は青みがかった黒髪を揺らしながら、血を流しながら、腹に『夜束』が刺さったまま、何とか立ち上がる。
そして、『夜束』の柄と刃に手を添えた。
「ッ――ダメです澪ちゃん! そこでじっと――」
これから澪が何をするのか瞬時に察したスズカが声を荒げる。当たり前だ。澪のやろうとしていることは自殺行為に等しい。だが、それでも――澪には理由があるのだ。
(……スズカが傷ついたら兄貴が悲しむ。……それに、これはアタシが越えるべき線なんだ……)
今――澪の目の前には一線が引かれている。
何と何を隔てる線だろう。きっとそれは理性と本能を隔てるものだ。
一番しっくりくる例えは『速度』だ。自転車で長い坂道を下っている時、車やバイクで障害物のない平坦な道を走っている時――ブレーキを掛けなかったら? ハンドルから手を離したら? 後のことも考えずフルスロットルを出したら?
事故を起こす? 大勢が崩れて地面に叩きつけられる? マシンが耐えられずに自壊する?
そんなのは杞憂だ。すべてが理性からくる枷でしかない。
なら――そんなすべての恐怖を、常識を、枷を忘れ去ることができたなら人は。
「――わりぃ、アレはアタシの獲物だ」
頭の中で危険信号が鳴り響いてやまない。それでも澪は歯を見せてにやりと不敵に笑った。
それは本能のままに相手を貪り尽くす獣のようにも見えて、スズカが一瞬だけ表情を強張らせる。
瞬間――澪は自らの体に突き刺さった『夜束』を引き抜いた。
「ッ、ぁぁぁぁああああああああああ――ッッッ‼‼‼」
穴の開いた水風船のように抜けていく血液。そんなことはもう知らない。これからやるべきことは三つ。
「スズカ――奏でろ‼」
一つはスズカへの指示。それがなければすべては始まらず、そして終わらせることもできない。
二つ目、近くに転がっていた『夜束』の鞘を拾い、それを腰に付け直す。そして納刀、いつでも抜刀できるよう左手を構え、右手には拳銃。構えた逆手。引き金にかかった指は――小指。
それと並行してスズカの『共鳴歌』が発動。魔力を使い切った澪の体に虹色の音色が充填されていく。
「待たせたな、『ダーカー』――」
三つ目、銃口を自分へ向ける。
右目が負傷して、織の力を強く感じるようになって、それからずっともどかしさを覚えていた。
直感する出来事に対処する思考が、動く体が、すべてがスローモーションに感じられた。思った通りに手足は動いてくれなくて、歯車がズレているようだった。だからそれを正しくしてやらなければならない。
思考が邪魔になるのなら――捨て去ってしまえばいい。
どうせ『ダーカー』の思考速度には追い付けない。ならその速度を超えるためにはどうするべきなのか。
――考えなければいい。それが澪の結論だった。
もちろん恐怖はある。圧倒的な速度の中、自我が風の中に溶けていく感覚、怖くて当然だ。
だが――きっと――その中でしか視れない光景があるはずだ。
「『シージングトリガー』――『クワイエット』」
それは撃たれた対象の精神を掌握し操る、一種の催眠術のような魔術。とはいえ澪の性分と合わずこれまで使った数は片手で数えられるくらい。
だが、理性の枷から本能を解き放つという点で言えばこれ以上ないほど打ってつけの力だ。
(――ここから先、もうどうなるか自分でも分からないぞ!)
そうして魔力の銃弾が澪を貫き――覚醒の時は来た。
「――――」
『ダーカー』が何かを察知したのか動き出す。今度は左右から巨大な魔力の刃が襲い掛かってくる。
受け止めてはいけない。『ダーカー』は先ほどと同じく脚部から魔力を地面に流し、攻撃を受け止めて動きを封じた後に下から串刺しにするつもりだ。
澪はそれを――後方に飛ぶことで躱した。もちろん『夜束』の鍔を弾いて『時間の切断』も行っている。
その動きは明らかにこれまでと違った。
リラックスしきったように幽鬼めいたその体、宿る闘志の色は透明、呼吸は浅い、そして眠そうに開かれたその左目には――蒼い光が灯っていた。
「――――」
澪は無言のまま右手に握った拳銃を握り直し、人差し指で引き金を引いた。
射線はスズカの眼前を横切るように向けられている。放たれたのは『ファントムトリガー』、性質は氷。氷の壁が剣士と黒機兵の戦場を麗しき奏者から切り離す。
澪はすぐに拳銃を消失させ、足元に転がっていた『刹那』を足で蹴るようにして持ち上げ、それを右手で掴んで『ダーカー』に向けて投擲。直後、『夜束』の鍔を弾き、切り離された時の中を素早く移動する。
体の状態は最悪だ。骨にはひびが入り折れる一歩手前、臓器は傷つき、腹に空いた孔からは絶え間なく血が溢れ出す。
スズカの強力な『共鳴歌』が多少限界を先延ばしにしてくれているが、いずれにしても長いこと戦えないだろう。
しかし、そんなことは考えない。澪はただ、直感に従って目の前の黒機兵を斬り伏せるだけだ。
「――――」
『ダーカー』の背後に回り込んだ澪は静かなる斬撃を放つ。投擲された『刹那』を弾き、黒機兵には隙ができる。それを突くような一閃。逆手に握った『夜束』による薙ぎ払い。当然、それは魔力のバリアに弾かれ、『ダーカー』の反撃が来る。
まずは手刀。そんなものは眼中に入れずに少し体を逸らすだけで避ける。
続く地面からの奇襲。これも少し位置を変えれば避けられる。ここまで距離を詰めたのだ。下手な攻撃は自分を巻き込みかねない。
とはいえそんな理屈はあくまでも後付けに過ぎない。澪はただ、こうするべきだと思ったことをするだけ。
「――――」
再び『時間の切断』。三秒後、『夜束』を納刀し、代わりに『刹那』を構えた澪が斬撃を放つ。当然それは魔力のバリアに弾かれる――が瞬間、すぐに背後に回り込み再び斬撃を放つ。
すると僅かに『ダーカー』の装甲に刃が触れた。傷つけるまではいかなかったが、今、『ダーカー』は澪が斬撃を放った前方に魔力を集中させた。だから後方のバリアが薄くなり攻撃が通りかけたのだろう――と、氷の壁越しにスズカは思う。
「――――」
そしてその事実が、澪に新たな道を示す。左目に灯った光を通して、この先やるべきこと、出題される選択肢、正解だけを選び取る未来を瞳に納める。
そうだ。今の夜代澪には自分にとって一番都合のいい正解が視えている。
攻撃など視認するまでもなく躱せる。攻撃は正確無比。無駄な行動など一つもない。先ほどまでは『ダーカー』が場を掌握し、何手先も澪の行動を予測していたが、絶えず変化する澪の中の正解を分析し、思考している時点で遅すぎるのだ。
斬撃の速度は変わらない。けれど『ダーカー』は避けられない。
回避の速度は変わらない。けれど『ダーカー』の刃は当たらない。
そして徐々に、徐々に、澪は削っていく。黒機兵のバッテリーともいうべきコアに宿る高濃度の魔力を。
当然だ。コアは魔力を宿すが生み出すわけではない。
通常よりもコアの数が多いから特別製の『ダーカー』はあらゆる攻撃を弾く防壁を張ることができたが、動力が無限でない以上、防壁は永遠のものではない。
「――――」
神秘的な青白い月光――その中に妖しく揺らめく『ダーカー』の赤いモノアイ。それよりも不気味に、儚く、そして力強く燃える澪の左目。
一度だけ、それまで無表情だった澪の口元が緩んだ。
もし相手が人間だったら間違いなく恐怖しただろう。目の前の底知れぬ女にどう足掻いても殺されると直感しただろう。
残念ながら――『ダーカー』は違った。だからこそ、この先で黒機兵は活動を停止する。
「――――」
力を入れる。しかし呼吸が荒くなることはない。必要以上に歯を食いしばることもない。刃を振り下ろす時も、普段は平常で、刃が当たる直前に力を込める。すべてが必要なだけ、無駄なく――。
そう――最初からすべて視えていた。だからこそ、澪は連撃を放ちながら、剣戟を行いながら、月の光を斬り結びながら――『ダーカー』をその場所に誘導した。
そこは森の中。先ほどの開けた場所と比べると視界は悪い。だからこそ、最初の一手で罠を張ることができた。
――澪は最初、スズカを守るように氷の壁を作り出した。
そうだ。それが罠だ。アレはスズカを守る壁であるのと同時に、目の前の黒機兵を倒すための罠――否、発射台だった。
澪と『ダーカー』の現在地点は先ほどの場所から北西の方向に移動している。澪が攻撃で徐々に徐々に『ダーカー』を誘導した形だ。そしてそこには――氷の壁があった。
スズカの前を横切るようにして生成された壁が、森の中へ入り視認できなくなったところで進路を九十度変更、そして目的地点の壁はまるでアイスディッシャーで削り取られたようにカーブを描いていた。
「――――」
そう――アレは発射台。必要な推進剤と、発射に耐えられる体さえあれば空へと羽ばたける。
発射台、『ダーカー』、そして自分自身、必要な要素が一直線に並んだその瞬間、澪は行動を起こした。
『夜束』の鍔を弾き『時間の切断』を開始、だが移動する必要はない。ここだ。今ここに居る地点が既に正解なんだ。
澪は前方に絶対に折れない刀を配置し、右手に握った拳銃を自分の背後に向けた。
そして二度、引き金は引かれる。使われた指は人差し指――属性は氷。そして次に炎。
『モノクローム』で使った手段だ。だが今度のは水蒸気による目暗ましなんて優しいものじゃない。
切り離された時が結ばれ、結果が残る。そう、大量の氷に出力の高い炎をぶつけることで発生する強大な――水蒸気爆発。
「――――ッ‼‼」
それが、二つの存在を空へ上げる推進剤となる。
そこで初めて、澪は必要以上に力を込めた。正解が変わったのだ。だからこそ次の正解に体が合わせていく。
「――ッッッ‼」
背中で爆風を受け、そのあと押しで『刹那』の切っ先を『ダーカー』のフレームに押し付ける。当然魔力のバリアが刃を届かせないが、しかし足止めには充分。
『刹那』は今にも弾かれる寸前だ。まるでかみ合わない磁石のように『ダーカー』から離れていこうとする。それを必死に押さえつけ、圧倒的な衝撃が澪の背中を押し、そのまま発射台へと向かっていく。
すべてが一瞬のことだった。『ダーカー』は全面にバリアを集中している。だから背面に当たる発射台は弾かれることなく、そのまま澪の思惑通り上空へ飛んでいく。
爆風に背中を押される感覚が消え、すぐに浮遊感に切り替わる。地上まで十数メートル。
体重が軽い分だけ、澪が『ダーカー』よりも上空に打ち上げられる。
「――――」
澪は闇の中に蒼い炎を煌めかせながら、その身を翻し、右手の拳銃を消失しすぐさま『刹那』を握った。瞬間、澪は『夜束』の鍔を弾き、すぐに『刹那』を左手に投げ渡し、拳銃を再出現。ノーモーションで地上へ向けて引き金を引き、『時間の切断』が終わるのと同時にまた消失。
結果として鞘に収まったままの『夜束』――だがいい。それで正解だと直感が囁いている。
あとのやるべきことはこのまま落下しながら『ダーカー』を下にして、決して折れない刃を突き立て続けるだけでいいのだ。
「――ハハ」
声が漏れた。瞬間、落下の速度が増した。『刹那』を――そのすべてを白く塗り染められた日本刀を両手で構え、貫いてみせるという必死の勢いで押し付けるだけ。
「ううぅぅぅぅぅぅ――――うぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ‼‼‼‼‼」
『刹那』と魔力防壁の衝突が虹色の閃光を生み出し大気を奔る。だがそんなのどうだっていい。
爆風で背中を火傷、打ち上げられた衝撃で右足を捻って左足が折れた。きっとそのうち腕の骨も折れる。だがそんなのどうだっていい。
今にも弾かれそうな刃に力が抜けそうになる。だがそんなのどうだっていい。
『シージングトリガー』の効果が切れて思考が戻ってきた。だがそんなのどうだっていい。
落下に身を任せて、風に身を任せて、そうして地面へ向かっていくこの速度がどうしようもなく全身を突き抜けて、震えさせて――。
――ただ、この瞬間が終わってしまうことが勿体無いと、そう……思った。
「――――」
着地、なんてものではなかった。
これは落下。そして激突だ。『ダーカー』を下にしたので致命傷を負うことはなかったが、握っていた『刹那』は手元からすっぽりと抜けてどこかへ飛んでいった。
(ああ……死ぬほどいてぇ……月並みだけど)
夜空のもとに仰向けになる澪。相変わらず出血は酷い。が、いつの間にか傷口は凍結されていた。おそらくは思考を捨てていた間のどこかでやったのだろう。自分のことながら自分に宿る力が恐ろしくなる。
「……」
何とか上体を起こし、数メートル先に転がった『ダーカー』を見る。向こうも仰向けに倒れている。そしてその胴体には巨大な氷柱が突き刺さっていた。
――そうだ。澪が上空から落下の勢いで魔力防壁を突き破ろうとしていたのはブラフ。本当の狙いは全面に魔力を集中させ、手薄になった背後から一撃食らわせること。
流石にコアを狙えば澪自身も死ぬことになる。だからそこは避けて、胴体を氷柱に固定し身動きを封じる。
それが――澪が視た正解。とはいえ、途中で『シージングトリガー』による簡易的な催眠状態は溶けてしまった。今の澪は、左目に炎も灯っていない普通の状態。
とりあえずはこのままスズカの魔力供給で少しばかり休憩しながら――、
「――――」
と、思ったところで夜闇に妖しい光が灯る。間違いなく、赤いモノアイ――『ダーカー』。
体に突き刺さった氷柱をゆっくりと魔力で溶かして体勢を整えている。一方で澪は瀕死。もう微塵も体を動かせそうにない。右手に拳銃を出現させても、引き金を引く力さえ残っていない。
「…………」
『ダーカー』が構えるのが見えた。一秒もせず、澪の命を奪うために向かってくるだろう。右手に作られた手刀。それを纏う鋭利な魔力の姿は不鮮明だ。おそらくコアの魔力が尽きかけている。が、長距離攻撃が不可能になっただけでゼロ距離にまでこられたら喉を斬られて終わりだ。
「…………ッ」
それは嫌だ。絶対に死なない。死にたくない。きっとこの力の元の持ち主もそう思ったはずだ。だから――澪は必死に上体を動かし、銃を構える。
もう絶対に動かせないと思っていた体だが、やってみれば案外何とかなるものだ。
(魔力はある……向かってきたところを『アブソリュート』で足止めして、向こうの魔力が切れたらトドメを刺す――)
刹那――『ダーカー』が動き出した。その動きは陸上選手も顔負けなほど綺麗なフォームで、速度も人間よりずっと早い。数メートルなど一瞬で詰められる。チャンスは一瞬、一度。
(――今しかない!)
瞬間、喉の奥から何かがせり上がってきて、それを反射的に吐き出す。
「ッ、ごほッ――ッ、が――⁉」
吐血。だがそれよりも問題なのは、今ので一瞬のタイミングがズレてしまった。
引き金は引かれた。だが狙いは少し外れて『ダーカー』の片足だけを凍結させて終わった。
二人の距離は残り三メートル。駄目だ。その程度の凍結では足止めできない。『ダーカー』は強引に地面との凍結面を引き剥がし、そのまま向かってくる。
もう――打つ手はなかった。今度こそ本当に体は動かなくて、『ダーカー』を、自分を冥府へ送る死神の姿さえ視界に入れられなくなった。
目を瞑る。浮かぶ感情は諦めと謝罪。戦うことへの諦めと、自分を支えてくれた仲間への謝罪。
一秒後、『ダーカー』の手刀は澪の心臓向けて振り下ろされ――――、
「――あとは任せろ」
止められた。自分の命を奪うはずだった刃はいつまで経っても来ない。それどころか今の声は――。
澪は何とか顔をあげてその姿を見た。
「あに……き……?」
『ダーカー』の攻撃を片腕で受け止めている兄――夜代蓮の姿を。
――刹那、『ダーカー』に真横から回し蹴りを放つ別の影があった。
それにより黒機兵は勢いよく吹き飛ばされ、今度こそすべての魔力を使いきり機能を停止したようだ。
黒紫のオーラを纏ったやけにボロボロのポニーテール男。間違いなく兄である蓮だ。幻覚でも幻聴でもなく、確かに目の前に存在して、妹の危機を間一髪のところで守ってくれた。
そしてその後ろに控えるのは、セラ。既に三段階目まで力を解放している。それならアレを一撃で沈めたのも納得だ。
「随分酷い傷ね。スズカの魔力で治癒が間に合うか……早いところフレアを探さないと」
「スズカの気配は近くにあるか?」
「ええ。先に合流する?」
「ああ、頼む」
ぽんぽんと流れるように別れる蓮とセラ。それを見て一安心した澪は再び目蓋を閉じた。
全部を出し尽くした気分だ。実際、血も汗も大量に流した。傷の方は時間経過と共にスズカの魔力が治癒力を高めて多少マシになるだろうが、失った血は戻らない。失血死の方が怖いくらいだ。
「……さて」
魔術を解いた蓮。一瞬、その反動でよろめいたがすぐに持ち直す。
その姿を見た感じ、今の澪と同じくらい怪我を負っているように見えるのだが、どうやら妹の前でぶっ倒れるつもりはないらしい。
「重症だな。あちこち骨は折れているし、腹も裂けてる。傷口は凍結してあって、とりあえずこれ以上出血することはない……か」
「……あんまりじろじろ見るな。やらしい」
「ふ、馬鹿言え。怪我の把握は大事だ。俺もさっきまではお前と同じような状態だった。だがスズカの『共鳴歌』のおかげで動けるようにはなった。お前もしばらくは楽にしてろ」
澪は返事をする気力も無くなって、とりあえず無言のまま何度か頷いた。
ふと、蓮が思い出したようにポケットの中から何かを取り出す。
「そういえば近くでこれを拾った」
「……それ」
蓮が近くに寄せてきたのは、三日月型の髪留め。おそらく一度目の爆発の時に外れて、地面に落ちたのだろう。おかげでそのフォルムは歪み、失敗したクロワッサンのようになっている。
せっかくの兄からの贈り物。それがこんなことになってしまって澪は反射的に謝ろうとした。だがそれより先に、蓮が以前より少しだけ柔らかい表情で言うのだ。
「これを付けると、無傷で勝てるんじゃないのか?」
「――――」
期待した自分が馬鹿だった。普通こういう時はもっと優しく、慰めるような、そんな言葉をかけるべきところだろうが。
成長したと思ったが、相変わらず人の心が――、
「ま、これだけ傷ついたらご利益もないだろうしな。今度また、新しいのを買ってやる」
「ぁ――――」
「……どうかしたか?」
完全なる不意打ち。やられた。澪はすぐに目蓋を閉じて、これ以上兄の姿を見ないようにする。
もしかしたら顔が赤くなっているかもしれない。もしくは耳とか。
とにかく気取られてはいけない。
不意の兄の優しさに照れてしまったなんて――絶対に。
「――頑張ったな、澪」
追い打ちをかけるように、蓮は妹の頭をそっと撫でた。
「……う、うん」
思わず出てしまったその声はきっと、一度はバラバラになり、そして今再構築された魂に刻まれた――かつての。