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『男と男の死闘/Stand up beyond the limits』

 三月二十六日。遠い夜明けを目指す戦いは未だ終わらず――しかし島の北側で行われている二人の男の死力を尽くした戦いには、状況の変化が訪れていた。

 黒髪をポニーテールにしたブラックスーツの男、夜代蓮(やしろれん)

 金髪碧眼の容姿を持つライトグレーのスーツの男、ジェイルズ・ブラッド。


 ジェイルズの『自らの血液を操る魔術』により苦戦を強いられた蓮だったが、彼の置き土産であるプラスチック爆弾を改造したものをほぼゼロ距離で使用した結果、爆風により戦いの舞台は森の中から断崖絶壁へと移ろいだ。

 耳を澄ませば高い波が岩を削るような音が聞こえる。崖下は近く、落ちれば間違いなく死ぬだろう。


「……ッ、中々なことをやってくれるじゃないか……蓮。まさか自爆覚悟の特攻とはね」


 舞台を彩る照明は月明かりのみ。ジェイルズは不鮮明な視界のまま荒れた大地を足場に立ち上がる。全身には跡が刻みつけられていた。爆風による傷跡、落下による傷跡、そして爆弾に仕込まれていた鋭い針による傷跡だ。

 自慢のスーツは焦げ破れ、針が突き刺さった腕や腹からは赤い血が滲んでいる。


「――」


 暗闇の中、ゆらりと立ち上がる姿があった。それはジェイルズとほぼ同等の傷を負った蓮だ。

 蓮は仕掛けた側として当然、あの爆弾に仕込まれた無数の鋭利な針のことも判っていた。そして身に纏った魔力のオーラを利用しそれを防ぐことも可能だった。だがあらかじめそのような動作を見せてしまえば、ジェイルズは確実にその仕掛けに感づいたことだろう。


 故に――。


「自爆……ではないさ……ッ、これは貴方に勝利するための、手段だ……!」


 相手は自分より格上の存在。絶対的な強者だ。死線を潜り抜けた数も、屠ってきた敵の数も、人間としての質も――そのすべてにおいて蓮は負けている。

 それでも勝つために、未来を取り戻すために、どのような手段でも使うと誓った。


「……効果は、あった」


 乱れた呼吸を徐々に整えつつ体に突き刺さった針を抜きながら、蓮はジェイルズとの距離を測る。およそ五から十メートル。詰めようと思えば互いに一瞬で詰められる距離だろう。


「血液を使う魔術師が自身に傷を負い血を流した場合、想定できるパターンは二つ。一つは単純に使える血液が増えることで強化されるパターン。もう一つは貧血を起こすなどで弱体化するパターンだ。――貴方はあらかじめ血液を採取し、それを銃弾に込めることで魔術を使っていた。だから……後者だと予測した」


 語りながら蓮は、自分の身体状況を確認する。落下の際に右側頭部を打ったようで出血している。また、爆風と落下の衝撃で右腕の骨と左足の骨にひびが入り、左腕に関しては脱臼しており使い物にならない。

 

「その観察力はやはりレベッカを見ているようだ。だがそんな風に決めつけては早計だと自分で思わないのか?」


 読み間違いではないかと、挑発するように言うジェイルズ。だが今の蓮はその言葉には惑わされない。ジェイルズの言葉は肯定と否定を孕んでいる。多くの場合、そういう曖昧な返事は図星を誤魔化す際に出てしまうのだ。


「――それはハッタリだ」


 蓮と同じように刺さった針を抜き、血液を多量に体外へ流してしまったジェイルズは、間違いなく弱体化している。たとえ本当に読み違いをしていても、敢えて断言することで相手が油断し真実を語ることもある。

 それに――どちらにしても勝つ以外の選択肢はない。

 

「フフフ、ハッハッハッ! だとしても、ユーは一つ大きなことを見落としているよ。ほら、耳を澄ませば理解できるだろう? ユーを補助していた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 ――ジェイルズの言う通りだ。先ほどからスズカの演奏するヴァイオリンの音色が聞こえない。場所のせいなどではない。おそらくスズカの方に何か演奏を中断しなければならない理由ができたのだろう。

 ということはつまり――今の蓮は身体能力を強化する魔術が使えない。


「その状態で、ユーに勝ち目はあるのかな?」


 得意げに歯を見せて笑うジェイルズ。その表情は決して弱体化した蓮を見下すようなものではない。むしろそのような状態でどうやって自分を倒そうとするのか、どのような策を弄するのか、それが楽しみで仕方ないと言った表情だ。

 蓮はボロボロになったスーツの上着を脱ぎ、その下に隠していた拳銃も放り投げ――真っ向から叫ぶ。


「ああ――勝つぜ、ジェイルズ・ブラッド‼」


「よく言った! ならば全力で相手をしてやるまでだ――!」


 刹那――二人はほぼ同時に地面を蹴りつけ、勢いよく駆け出す。両者は固く握りしめた拳をそのまま思いきり放った。


「――ふッ!」


「グッ――⁉」


 負けたのは蓮だ。体格の差もある。蓮の攻撃はあと一歩のところでジェイルズに見切られ、顔面に一発食らう。だがその程度で倒れるわけにはいかない。奥歯が欠けるような不愉快な音を確かに聞きながら、それでも蓮は力の限り噛み締め、その場に踏みとどまりカウンターの体勢に入る。


「――、‼」


 殴られた衝撃を利用し、そのまま回し蹴り。当然ジェイルズは一歩下がりそれを回避、すかさず蓮の顎を狙って蹴りを放つ。


「――――‼」


 蓮はその場でバク転し、何とか右手一本を支えに着地。一方でジェイルズは勢いを落とさず、逆の端で再び蹴りを放つ。

 左から薙ぎ払うような一撃、蓮はそれを敢えて左肩で受けた。そう――脱臼した箇所を元に戻すために。


「ッ――がッ、あああ‼」


 以前にも感じたことだが、ジェイルズの繰り出す攻撃は一撃一撃が尋常じゃないほどに重い。鍛え上げられた肉体が繰り出される攻撃の威力は、当たり所によっては一撃で相手を気絶、もしくは殺害することも可能なほどの鉄槌。

 しかしそれを利用し、外れた肩を元に戻すことに成功した。最もその威力故、骨に異常をきたす可能性はあるが、それでも片腕が使い物にならない状況よりはマシというものだ。


「ッ――‼」


 ジェイルズの鉄槌が降り注ぐ。常に不敵な笑みが浮かべているが、いつもの無駄なおしゃべりは一切ない。本気で蓮と相対し、その存在を賭けた戦いを行っているのだ。


「くッ――‼」


 剛腕を両腕で何とか受け止め、けれどもがら空きになった腹部にすかさず入れられる肘鉄、それで数秒動きを止められた隙に顔に一発、足を折るように一発、みぞおちに一発受ける。受けるたびに何度も意識が混濁し、それでも気絶しないよう必死に意識を手繰り寄せる。

 直後、金属バットで殴られたような衝撃が、これでもかというほどに蓮を潰しにかかる。


「ぐ……ごほッ――⁉」


 せりあがってくる血液を吐き出し、揺らぐ視界で敵を見る。とにかく観察して、体の動き、攻撃のパターンを分析。

 眼前に存在する圧倒的な強者から勝ちを奪い取るために、蓮は折れないよう気力を振り絞りながら、その一方で心は冷静に。明鏡止水――一瞬たりとも集中を切らさず、相手の思考や行動のすべてをトレースする。


 再び迫るジェイルズの重い右ストレート。狙いは蓮の顔面。


「――――」


 呼吸するだけで全身が軋むが、血の流れを安定させるために静かに息を吐き――、攻撃を紙一重で躱し、ありったけ酸素を取り込む。

 蓮のスタイルはカウンター。そう――ここから、反撃開始だ。


「ッ――‼」


 右ストレートが躱された場合、次にジェイルズは体を回転させながら左肘で腹部を狙ってくる。

 蓮はそれを読み、同じタイミングで右足を軸に反時計回りに体を捻り、左足の踵がジェイルズの顔面を捉えるように回し蹴りを放つ。

 肘鉄と回し蹴り。リーチのある蓮の攻撃がヒットし、僅かにジェイルズが怯む。


「はあああ――‼」


 すかさず蓮が右の拳でジェイルズの腹部に一撃入れ、さらにそのまま顔面を殴りつける。カウンターのストレート。蓮は無論それを予測しており、左手で逸らすように攻撃を回避し、空いた右手でジェイルズの腕、首の順に手刀を放つ。

 どちらも入った――が、流石と言うべきかその程度の威力では眼前の男は倒れない。


「ふッ――‼」


 ただの打撃の打ち合いだけでは物足りないと、ジェイルズは蓮の腹部を狙った膝蹴りを放つ。蓮はそれを受け流しステップを踏むが、ジェイルズの狙いはそれだった。

 蓮の動きを先読みし、腕を掴みそのまま背後に回り、関節を外す動きに移行する。掴んだ腕は当然のように左腕。蓮が先ほどから左腕を防御にしか使っていないことをしっかりと見極めてのことだ。


「があああああッ――⁉」


 関節が外れる痛みに悶えながら、蓮はその場で大きく跳躍し、着地の勢いで背後にいるジェイルズを背負い投げの要領で前方に投げつける。

 

「――!」


 受け身を取ったジェイルズは即座に蓮に向かって走り、飛び蹴りを繰り出す。左腕の痛みに反応が一瞬遅れてしまった蓮は、それを何の防御姿勢もなしに食らってしまう。


「ッ――ガ、ァ――⁉」


 肋骨が折れる感触を嫌にスローモーションに感じながら、蓮の体は勢いよく崖下へと放り出される。

 

「ッ――‼」


 蓮はベルトの金具を引っ張り、とにかくどこかに引っかかるようにと願いながら投げる。金具に繋がれた仕込みワイヤーが限界まで伸び――そして蓮の体は崖下に落下した直後、ワイヤーに引っ張られて岩壁に激突する。

 おそらくどこかの岩の角にでも引っかかったのだろう。とにかくワイヤーに捕まったままでは切断されるか金具を外すかされるだけで今度こそ荒波によって削られた岩場に落下してしまう。


「ッ……ぐ……‼」


 左腕は痛むが、それでも力は入る。何とか起伏の激しい壁面に張り付き、ベルトを外す。


 上を向くと――空に浮かぶ月に被さるようにジェイルズの姿が見えた。その手には拳銃が握られており、見せつけるように、マガジンを交換している。

 おそらくは殺傷力の低い血液弾から――実弾へ。薬室に装填された一発も交換し、リロード。あとは引き金を引くだけで実弾が蓮の命を貫いて砕く。


「――正直なところを言えば、私はこれまで加減をしていた。何故だか分かるか?」


 ジェイルズの呼吸は僅かながら荒い。確かに彼の実力はまだ底が見えないが、それでも出血が多く、酸素を普段よりも取り込めていないのだろう。

 とはいえそれは蓮も同じ。むしろ全力を振り絞ってこのざまだ。本心を吐露すれば、この状況でまだ本気を出していないというジェイルズの言葉に圧倒され、恐怖までも覚えた。


「ユーが最初にプロファイルしたように、私は不必要な殺しは行わない主義だ。『モノクローム』での殺しもそう。『K』の語った『モノクローム会合』を回避するために私は彼らを殺した。けれど――ユーに関しては殺す必要はない。『K』からは足止めをしろと言われているだけで、殺せとは頼まれていない」


「……だったら、俺を早く殺して仲間の救援に行けばいい。そっちの方が合理的だ」


「――その必要がないと思うほど、私は仲間を信頼している。いや、していた。蓮、先ほどから地響きのようなものが起きているのが判るか? 私はその原因に心当たりがあってね。すぐにでもユーとの決着をつけていかなければならない。同時にこれはここまで私と戦ったユーへの敬意でもある。今から私は本気で、確実に、ユーを殺す」


 不意に、何かドロッとしたものが落ちてくる。頭から浴びたそれは、ジェイルズの血液だ。もし銃弾を躱されてもそれで止めを刺すつもりなのだろう。

 絶体絶命――使える武器は無く、全身はボロボロ、体の自由はほとんど効かず、いつ掴んだ岩が砕けて崖下に落下するかもわからない。向けられた銃口。

 駄目押しで浴びることになったジェイルズの血液――。


「……はぁ……はぁ……ッ、――――」


 それでも思考は止めない。最後の最後まで、逆転の一手を探す。

 血液を浴びせたということはジェイルズは今でも血液操作が可能だということだ。ならば今までそれを使わなかった理由はなんだ?

 周囲にはジェイルズの血液が大量にまき散らされている。ならばそれをトラップとして使用することも可能なはず。

 それができなかった理由――――。


「シーユー、レイターアリゲーター」


 思考を遮るように、ジェイルズの別れ言葉が耳に届き。ついに引き金が引かれる。


 死を迎えるその直前――――()()()()()()()()()()()()()()


「ッ――『我、黒き(シュバルツ・)刃なり(ゼクフィート)』ォォォォ――ッ‼」


 即座に黒紫色のオーラが蓮の体を包み込み、とにかくフルスロットルで全身の能力を書き換えていく。そうしてコンマ数秒、蓮は真横にぶら下がるベルトを手に掴むのと同時に、真上に大きく跳躍する。

 その時点で、ジェイルズの放つ銃弾は届かない。


「――チッ!」


 ならばとジェイルズは蓮に浴びせた血液を操作しその命を絶とうとするが――一方で蓮は掴んだベルトを全力で引っ張り、繋がれたワイヤーと岩の角に引っかかった金具を手繰り寄せ、それをジェイルズの足に引っ掛けた。


 すべてが賭けだった。蓮はなおもワイヤーを引き続け、そのままジェイルズを崖下へと引き寄せ落下させる。


「やむを得んッ――!」


 ジェイルズは蓮に張り付いたものも含めた周囲の血液を集め、硬化、壁面に足場を作る。その隙に蓮は引き寄せた金具を再び付近の岩の角に引っ掛け、何とか崖上に戻った。

 一足遅れてジェイルズも――これで状況は好転した。

 スズカへの感謝を抱きながら蓮は、軋み、崩壊していく体を無視して神速で距離を詰める。


「――――‼」


 それに対しジェイルズは大量の血液を操作し防壁を作りながら、肉眼では追い付かないはずの速度に合わせて発砲した。それも蓮が辿るルートを先読みしてのことだ。

 どこまでも底の知れない男だと、蓮は無我夢中に飛んでくる弾丸を掴みながら、距離を詰めていく。

 行動を先読みしてからの発砲ならともかく、普通の銃弾の速度では既に蓮を捉えることはできない。


 二人の距離は三メートルを切った。ここまで距離を詰めれば、あとは――、


(近接の距離だ――‼)


 反動のことなど何も考えず、蓮は全力を込めた右ストレートを放つ。

 拳が届くまで一秒もかからない。しかしその僅かな間にジェイルズは血の壁を作り、防御。

 直後――蓮はさらに体を加速させる。


 全身の筋線維が一瞬ごとに破壊され、沸騰するように血が溢れ出る。それでも蓮は止まらない。何としても目の前の男に勝たなければならない。細かい理由などもはやどうだっていい。とにかくジェイルズ・ブラッドという強者に勝ちたい。そんな子供じみた純粋な願望が蓮の体と心を突き動かす。


「うぉおおおおおおおおおおおお‼」


「そうかッ! これがユーの、限界を超えた――ッ‼」


 勝つ、勝つ、勝つ――殴れ、蹴れ、腕が使えなければ足で、足が使えなければ頭で、それさえ使えないなら気力で、瞳で射殺すように――かつて斬り結んだ剣戟ではなく、本能のままに打ち込む拳戟。

 そしてジェイルズが血液を操作するだけの反射速度を超えた刹那――折れた右腕に魔力をありったけ込めて、まるでそうすることがDNAに刻まれたシステムだと言わんばかりに全力の一撃を放つ。


「おおおおおおォォォォォォ――ッッッ‼‼‼」


 固く握られた拳は執念でジェイルズの腹部に――叩き込まれた。


「ッ――グッ、が――ッッッ⁉」


 限界を超えた先にある全力。それが骨を砕く感触があった。

 ジェイルズは勢いよく吹き飛ばされ、その体は岩壁に叩きつけられる。


(……勝っ……た……‼)

 

 蓮はようやく訪れた戦いの終わりを噛み締め、その場に倒れようとしていた。

 集中が途切れ魔術が解除された。それでも七色に響き渡るスズカの『共鳴歌(ヴィブレイド)』が優しく蓮の体を包み込む。


(ッ……五分だけ、休憩を……)


 そうして全身の力を抜いて地面に膝をつけようとした。

 ――その瞬間、静かに鎮火しようとしていた蓮の闘志に再び熱が灯った。


「まだ、だ――――レェェェンッッッ‼‼‼」


 ジェイルズ・ブラッドが、血に塗れながら立っていた。

 その眼はこれまでのどのジェイルズとも違う、正真正銘人殺しの眼だ。いつもは紳士を気取ったような振舞いをする彼だが、ボロボロのスーツとネクタイを捨て、垂れた前髪を両手で掻き上げ、どのような絶望の中でも、泥の中でも、その泥さえ啜って生存を獲得するようなある種、生物の極限すら感じさせる。


「ジェイルズ・ブラッドォ……‼」


 ジェイルズはおそらく、もう血液操作を行えない。これは蓮が岩壁に張り付いていた時に立てた仮説だが、彼の血液操作はおそらくスズカの『音に魔力を込める魔術』と同じように、とても細かな、それこそ針穴に糸を通すような集中力が要求されるほどの行為だ。

 だとすれば少量ならまだしも、大量の血液を操るともなれば操作に必要な集中力や魔力が桁違いになっていくはず。今、髪に貯めていた大量の魔力を必死に魔術に昇華しているスズカと同じように。


 つまりジェイルズは血を流せば流すほど、集中力と魔力を大きく消耗する。だから血液操作にリソースを割かれれば通常の近接戦闘は不可能になるし、その逆もあり得る。

 だからこそ先ほどジェイルズは蓮への攻撃か、落下を防ぐための足場作りか、どちらかしか行えずに蓮を殺しそこなった。


 結論を言えば――血液操作は行われない。先ほどの防御でヤツは魔力を使いすぎた。使っていた拳銃は蓮の攻撃の余波で使い物にならなくなって地面を転がっている。残っている武器は己の体のみだろう。


 そして消耗しすぎたのはジェイルズだけではない。

 

(魔力は今も譲渡され続けているが、魔術を発動させるだけの気力はすべて使いきり、たとえ使えたとしても体の方が耐え切れない。となると俺も、使える武器は俺自身――ッ!)


 蓮は倒れかけた体を必死に持ち直した。

 何がここまで自分の体を動かしてくれるのか、わからなくなる。意識は油断すれば遠のき、視界は明滅を繰り返している。全身は軋み、骨もいくつか折れている。肋骨はこれ以上無理をすれば肺を圧迫するか突き破って呼吸困難を引き起こすかもしれない。


(……それでも、負けられない。勝つ――そうだ。俺の体を動かしてくれるのはスズカの想い。だったらもう二度と、彼女の気持ちを裏切るわけにはいかない……ッ!)


 蓮とジェイルズは今にも転びそうな足取りで距離を詰め、そして――特殊な力も技術も使わない、男の意地をぶつけるだけの闘いが始まった。


(ここから先は意地の張り合い――‼ 先に折れた方が負ける‼)


「――――」


 最初に一撃を入れたのはジェイルズだった。

 蓮はそのカウンターにアッパーを決め、ジェイルズは体勢を崩すがそれでも倒れない。意地でも倒れてなるものかと、言葉を紡がずとも伝わってくる。

 しかしそれは蓮も同じ。再びジェイルズの攻撃を食らった蓮は必死に、とにかく必死に気を失わないことを考え、殴り返す。


「――――」


 殴り、殴られ、カウンターし、カウンターされ、互いに一撃ずつ食らい、そして時間が経つ事に全身の痛みや拳の痛みが増していった。足場は悪い。場所によっては踏み込むことも困難で、攻撃の度に何回も転びそうになる。息がうまく吸えない。心臓が動いているのかすら定かではない。

 それでも体は動く。それだけをプログラムされ使命とするロボットのように、足を動かし、腕を動かし、拳を握り、力を入れて前に放つ。


「――――」


 汗に塗れ、泥に塗れ、血に塗れ、傍から見ればきっと泥臭い殴り合いだろう。

 それでもどちらか片方が折れることはない。

 実力も経験も、蓮は圧倒的に劣っている。それでもジェイルズを前にして倒れずにいるのは想いの分だけ勝っているから。

 背中を押すスズカの想いが、前へ進もうとする蓮の想いが――己のうちに眠る可能性を開花させ、ジェイルズの完成された力と互角の勝負を可能にしているのだ。


 そうだ。この一瞬――蓮に宿る数多の可能性が、ジェイルズと並び、そして今、超えようとしている。

 たった一瞬だって構わない。今回限りの特別でいい。あと少し、ほんの少し――負けられない、負けたくない。だから。


(だから――俺に勝たせろ――ッッッ‼‼‼)


 ――そして、決着の時は訪れた。


「――――」


「――――」


 互いに、言葉は無かった。弱々しい呼吸。力が入らず震える手足。

 それでも黒い瞳から、碧の瞳から闘志が消えることはなく、突き出した互いの拳が重なり二人は同時に膝から崩れ落ちる。

 その瞬間、赤く染まった口元から歯を見せて笑みを浮かべた。


「……『我、黒き(シュバルツ・)刃なり(ゼクフィート)』……」


 己を書き換える呪文を唱え、蓮はほんの一瞬、ジェイルズの体が地面に倒れるより一瞬だけ身体能力を強化し、倒れる寸前で留まった。


「……ユーの……勝ちだ……」


 先に倒れたジェイルズは小さな声でそう言って、そのまま気を失った。

 そして蓮も、魔術は一瞬で解除され、その反動で地面に倒れこんだ。完膚なきまでに動かない体。

 だが――不思議と気分は良かった。


 自分だけの力で、とはいかなかったがそれでもすべてを出し切って勝利を掴んだ。

 

「…………」


 意識が遠のいていく。思えばジェイルズとの勝負には勝ったが『起源選定』自体はまだ終わってはいない。そもそもこの戦い自体が『起源選定』とは無関係なものなのだが、そこはそれとして――。


 状況を把握し、必要ならそれに応じた作戦を考えなければならない。

 だが、限界を超えた代償は大きい。スズカの魔力譲渡により傷の自然治癒能力は多少上がるだろうが、それでも人間が持てるありとあらゆる力を使い切ったのだ。


 体はどうやっても動かない。


(……せめて、体が動くようになるまでは……)


 ――ぷつんと、電源を切るように、蓮の意識はそこで途切れた。


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