『相棒対相棒/Believe in each other』
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魔術による身体強化を得て丘を破壊し、ジェイルズ・ブラッドと共に十数メートル落下した夜代蓮は即座に体勢を立て直す。地面への着地は完璧だった。身体能力が上昇しているだけあって、特に骨が折れた様子もない。
一方で、ライトグレーのスーツにオックスフォードシューズを履いた金髪碧眼の男――ジェイルズも目に見えた傷を負った様子はなかった。むしろこれくらい日常茶飯事というくらいに冷静に、土で汚れたスーツを叩いていた。
「――驚いたよ。まさかユーが、あの船に残してきたお土産をスーツの内側に隠して持ってくるなんてね」
ジェイルズの言うお土産とはプラスチック爆弾のことだ。ジェイルズとレベッカは、黒乃を狙った刺客をおとりに船に潜入した。刺客は船をまるごと吹き飛ばせるほどの爆弾を用意したが、さらにそれをおとりにして設置されていた爆弾は威力は劣るが隠しやすく、人殺しに最適なものだった。
当然蓮はその存在に気づいてすべて回収した。そのうえでルドフレアに解体してもらい、『決して爆発しない咄嗟のブラフ』として持ち札に加えた。
「これでレベッカとは分断され、予め仕込んでいたトラップも無効化された。随分と成長したようだな。男子三日会わざれば刮目して見よ――という言葉があるようだが、実証されたな。ハハハ」
「――――」
ジェイルズの軽口に、蓮は答えない。その眼に迷いはない。真っすぐに研ぎ澄まされ、同時にジェイルズ・ブラッドという男を見透かそうとするほどに鋭く観察していた。
「本当、いい目をするようになった。危険だな。ユーのそれはレベッカの――つまり最高の殺人者となれる素質を持っている。相手の思考を完全にトレースし、相手を理解し、相手になりきる。それは自己否定の極致でもあり――一方で自己肯定の果てだ」
ヴァイオリンの音色は遠い――けれどしっかりと届いている。作戦が始まっておよそ五分。スズカの体力から考えて、長くても一時間以内に決着をつける。
「――どっちかは、貴方の目で確かめてみるんだ」
貴方――蓮は宿敵をそう呼ぶ。ジェイルズはこれまで二度スズカを見逃し、そしてその存在は自分自身を成長させてくれたと言える。答えを教えてくれたスズカ。答えを受け入れさせてくれた黒乃。そして超えるべき敵であるジェイルズ。どれが欠けても、今の蓮は存在しなかった。
だからこれは――敬意だ。敬意をもって、目の前の偉大なる殺人者と、格上の男と、闘う。
「一つだけ、聞いてもいいか」
その前にたった一つだけ。蓮は問わなければならないことがあった。
「貴方はレベッカという相棒を信じているか? あの小さな少女が、再びセラを打ち破ると」
ジェイルズはどんな質問がくるかと思えばそんなことか、と一笑し、懐に仕込んだ拳銃に手を掛ける。
「無論だ。セラ・スターダストは目に見えて迷いを捨てていた。ユーと同じようにな。だがそれでもレベッカは勝つよ。だからこそ私はこれまで、あの小さなレディに自分の背中を預けられることをとても誇らしく思ってきたんだ。ユーはどうかな?」
相棒への信頼――それこそが蓮の問いたかったこと。いや、違うな。自分から問うことで相手に問わせ、そして高らかに宣言したかったのだ。
蓮はネクタイを緩めて、そのまま引っ張って外す。スーツのボタンも外し、
「――当然、信じている。セラは俺に背中を預けてくれた最高の仲間だ! だからこそあいつが俺を信じるように、俺もあいつを信じる!」
最後の最後で熱血っぽくなってきたじゃないか――奇しくもお互いが心の中でそう思う。
「……――!」
そして次の瞬間、ジェイルズはノーモーションで拳銃の引き金を引いた。ベレッタ――銃弾の装填数は十五発。そのうちの五発を、蓮を頂点とした三角形でも描くように発砲する。
フルオートの射撃。横に払うような発砲だ。蓮を捉えた銃弾は五発のうちの二発。
「――!」
三発は近くの地面を抉るだけだと見逃し、正面からくる二発に集中する。今の蓮の身体能力は常人の数十倍。景色を意図的にスローモーションにし、弾丸を補足、速度を合わせ、キャッチボールでもするように掴むことができる。
向かってくる一発は身を逸らして躱し、残りの一発は右手で掴む――。弾丸に速度を合わせ、指で逆回転を加え、後は手を思いっきり弾きながら掴むだけ。
「なッ――⁉」
だが、結論から言えばそれは失敗だった。蓮の右手は血に塗れていた。けれどそれは決して、弾丸掴みに失敗したわけではない。速度を完璧に調整し、確実に無効化できた。
ならばその血液はなんだ。もっと言えば――誰のものだ。
「ッ、これは貴方の!」
「――もう遅い」
ジェイルズは指を鳴らす。すると蓮の右手に付着した血液が一瞬で変化を遂げ、掌に穴を空ける鋭い槍と化す。
「ぐぅ――ッ、‼」
強烈な痛み――しかし問題はその後だ。これでもし槍がまた液状になれば、体内に侵入する。そうして血液が循環しきったところで再び槍を生成されれば、確実に死ぬ。
蓮は右手に魔力を集中させてジェイルズの血液が自身の体内に入ることを防ぎつつ、即座に左手で槍を引き抜き、それを投擲する体勢に入る。しかし相手がそれを読んでいないはずがない。
「ぐッ……、!」
振り上げた左手は拘束されていた。血液の槍が鎖に変化し、そして先ほど蓮を狙わず地面に着弾させた弾丸に仕込まれていた血液も同じ鎖に変化、地面に固定されて蓮を拘束する。
「発砲された弾丸を素手で掴むとは驚きだが――まあ可能性の一つにはあった。ユーはまだ未熟だ。いくら私を見透かそうと思っても、簡単にいくと思わない方がいい!」
ジェイルズは拳銃をフルオートから単発射撃に切り替え、得意げな笑みを浮かべながら発砲した。狙いは正確。着弾点は蓮の脳天。
蓮は即座に景色をスローモーションにして、唯一空いた右手を突き出し、弾丸と速度を合わせる。再び掴めば同じ結果になる。だからこそ蓮は、弾丸に逆回転を加え、さらに指でその軌道を逸らした。
神業と言っていいほどの精密な作業だが、蓮はそれをやってのけた。
死を運ぶ一発を避けた蓮は背後で固定されてる鎖を軸に、その場で大きくバク転をする。
強化された跳躍力は蓮を鎖の後ろへと運び、さらに地面に杭を打つそれを強引に引き抜く。
「はあああああ――――‼」
鎖を力技で振り回し、そしてジェイルズに叩きつける。
「甘いな」
無論、自分の血液を鎖の形に保っているのはジェイルズ・ブラッド本人だ。ならば鎖が主に牙を向くことなどありはしない。鎖はジェイルズに直撃する数センチ手前で液体化し、スーツを汚さないよう無数に分裂して地面を赤く染める。
それで、充分だった。蓮は一瞬だけでも鎖から逃れることができればそれで良かった。
纏った黒と紫のオーラが足に移動し、地面が抉れるほどの勢いで駆け出す。加速、さらに加速。音速で距離を詰め、そして放たれる全力を込めた右ストレート。
「――――ッ‼」
地面を彩る血液が瞬時にジェイルズの前に壁として立ちふさがる。拳と壁が衝突する。結果は壁の勝利。衝撃すら通すことなく、蓮の攻撃は無効化された。そして壁は即座に拳を貫く槍に変化するが、蓮も蓮でオーラの盾を生成する。
だがそれは血液の壁とは違い、攻撃を完全に防ぎきれるものではない。それでも一瞬さえあれば充分だ。
蓮はさらに加速しジェイルズの背後に移動。そのまま攻撃を繰り出す。防がれる。ならば再び位置を変えて攻撃を行う。
「今ッ――‼」
そうしてジェイルズの反射速度を上回った時――その拳は届く。
「……それが、どうした?」
蓮の拳を軽々と受け止めたジェイルズは――嗤う。血液の壁は超えた。しかしだからと言って、ジェイルズにダメージを与えられるとは限らなかった。
その一方で。
「――いいや、これで終わるとは思ってないさ」
蓮もまた、嗤っていた。
懐から取り出したプラスチック爆弾をほぼゼロ距離にいるジェイルズに放って、不敵な笑みを溢していたのだ。
(――やれやれ本当に見違えたよ、夜代蓮! これはブラフ、ではないのだろう――‼)
互いの視界に入った爆破までのカウントは一秒。――――ボカン。
★
気が付けば、周囲の景色は夜の無人島から昼間の日本家屋へと移り変わっていた。
ここは彼女――セラ・スターダストの実家だ。瀬良家の屋敷であり、これらは記憶を再現した実像のない幻想。
「……」
セラはブラックスーツ姿のまま縁側に座り込み、金色と銀色のオッドアイで広い庭と、そこにある池を眺めていた。池には鯉が泳いでいる。そう――昔は、十二歳になる前まではよく餌をあげて太らせていた。
なんていうか好きだったのだと思う。何かを育てるということが。命を育むということが。
「――いいわね、形はどうあれ季節も距離の関係なくこうして実家に帰省できるというのは」
セラはいつの間にか隣に座っていたレベッカにそう言った。ゴスロリ服の似合う金髪金眼の少女も、ゆっくり縁側に腰を下ろしては、足をぶらぶらさせていた。
「どうやら前みたいに、この景色を見ただけで動揺するようなことはないらしいねぇ」
「ええ。だってここは、何があろうとも私の家だったのだもの。それに現実の方では、この家はもう燃えて無くなってしまった。だからこの景色がまた見れることは別に、悪いことじゃあないのよ」
セラは平然としている。声音も発している雰囲気も、先ほどとは打って変わって、どこか柔らかさを帯びている。リラックスしている、といった方がいいだろうか。いずれにしてもレベッカの目には、今のセラは前回とは別人のように見えていた。
「……でもボクはキミの本心が分かる。本当は怖いんでしょ? 自分を捨てた家。自分を捨てた家族。もう二度と戻ることのできない居場所――内心は怯えている。だからこそ、キミはまだここに居る」
「……そう、かもしれないわね。いいえ、そうなんでしょう。記憶を読み取れるアンタがそう言うなら間違いない」
以前、セラは心の弱さを突かれた。戦うべきか、戦わざるべきか、その迷いを利用され能力を封印された。能力を開放してはいけないという暗示、催眠術のようなものを深層心理に刻み込まれた。
そして今――終末の獣を封じられたセラはここにいる。
レベッカは指を鳴らした。
「――――」
背後から絡みつく腕。白く細い腕。着物の袖がスーツに絡みつく。背中に当たる温もりのない何か。
それは――セラの母親だった。
『ああ――こんなものを持ってどうするというの? 戦ってはダメよ――明星――』
母はセラが隠し持っていたダガーを奪い、手の届かないところへ放る。まるで子供からおもちゃを没収するかのようだ。
明星――それは捨てた過去の名前。
「――――」
レベッカが再び指を鳴らす。今度は二度。晴れ渡っていた空はすぐに暗くなり、嵐の前触れのような強い風も吹き始めてきた。――レベッカが操っているわけではない。これはセラの心情だ。
自らを捨てた母親に抱かれ、セラの心は大きく揺れていた。
そして追い打ちをかけるように、縁側の下に引きずり込もうと両足を掴む父が、いつの間にか膝の上に頭を置いて横になっていた妹が――空虚な視線を向ける。
まるでゾンビに睨まれているような気分だった。
『――あなたは戦うべきではない――今ならまだ引き返せる――この時代なら――平和に暮らせる――』
『――わたしたちが悪かった――だから帰ってきてくれ――一緒に暮らして――やり直そう――』
『――これ以上――人殺し――しないで――戦っちゃ駄目――おねえちゃん――』
母も、父も、セラを見捨ててお金を得た。妹は力におぼれてセラを見下していた。それでも耳元で囁かれ、残響するそれらの言葉は長い間一番欲しかった言葉だ。魅力的で、甘美な提案だ。
「はぁ……はぁ……はぁ…………っ」
呼吸が荒くなっていく。家族が自分に優しくしてくれる――それはいつか夢見て、そして復讐の彼方に忘れ果ててしまった子供の頃の願望。
心が震える。あまりの魅力に手を伸ばしかける。
そして結局やめる。何故なら、真実は、現実は、そう簡単ではないから。
『――戦わないで――普通の娘として――平和に生きるのよ――』
やがて母がセラの体を居間に引きずり、父と妹がその傍に立つ。
頭の上に母が、左右に父と妹が――そして足元には嫌な笑みを浮かべたレベッカがいる。
「さぁ――どうする。セラ・スターダストさん?」
セラは不意に、これまでのことを想起した。
あの日――十二歳の誕生日から始まった崩壊の序曲。家族に捨てられ、アルフレド・アザスティアによってフェンリルの因子を移植され、自分は人間ではなくなってしまった。
復讐を誓い『組織』に入り、相棒と出会い、そして長い戦いの果てに復讐を完遂。
その結果、残ったのはどうしようもない喪失感と、何かが決定的に燃え尽きてしまった感覚。
自分を捨てた家族を恨んだこともあったが、家族は結局力に溺れてほとんど自滅という形で勝手に終わった。
だから――もし、自分に何かが足りなかったのだとすれば、それだったのかもしれない。
セラはゆっくりと目を瞑った。見えるのは当然、闇。
「レベッカ、アンタなら分かるでしょう? アンタに敗れた後、私は蓮の指示で『平和な日常』というものを経験した」
「……ああ。それで?」
「そこでね、私は様々な日雇いの仕事をしたのよ。コンビニバイトとか、交通整理、工事現場の手伝い、ビラ配り、ああ、アンケートモニターなんかもやったわね。こんな姿じゃ目立つから、ウィッグとカラコンを着けて、とにかく想像できる限りの普通の生活を送った」
「……キミ、見た目に似合わずギャグキャラだよね」
没落した元お嬢様で大食いキャラとか持ってるし、とあきれるようにレベッカが呟く。セラとしては全然真面目にやっているので、それでギャグと言われる方が心外なのだが、とりあえずは置いておく。
「ともかくとして……私はそこで多くの人と触れ合った。そう、私は結局普通には染まりきれなかったけど、普通の人と話すことはできた。コンビニの先輩はシングルマザーで、まだ小学生の子供を育てるためにいくつもバイトを掛け持ちしていた。交通整理で一緒になったおじさんは、大手企業に勤めていたけれど突然リストラされてね。でも家族がいるからお金を稼いでいた。工事現場では筋骨隆々のお兄さんが、病気の母親を治療するためにお金を。アンケートモニターでは夢をかなえるために上京した若者さんの話を聞いた」
「で、オチは?」
「質問に質問を返すようだけれど、レベッカ。アンタは今聞いた話の中で、普通だと思える人はどれくらいいた?」
「……」
レベッカは僅かに思案する。セラの話した人たちはみな、理由を持っている。生きるための理由。お金を稼ぎ、努力をし、今を生きられるだけの心を持っている。
普通――そんなものは概念に過ぎない。正義と同じで普通なんてものは人の物差しによって変わる。だからこれは、考えるだけ無駄だ。
「ボクは全員普通だと思う。例えば、キミと比較すれば、彼らは命を賭けて戦っているわけでも、人を殺すほどの極極限的状況に陥っているわけでもないからねぇ。生温いったらない」
「ええ。私もきっと、心のどこかでそう思っていた。けれど、違うのよ。彼らはただ平和に生きているわけじゃない。誰もが、自分や他の大切な人のために――この世界での居場所を守るために、平和を勝ち取るために、戦っていたの。それは他人と殺し合いをするような派手なものじゃないけれど、それでも立派な戦いだった。そんな彼らを誰が――ただ生温く普通に、平和に生きていると言えるの? それはきっと、もっと尊ぶべきことなのよ」
戦いとは何も人間同士の争いだけではない。単純な殺し合いだけではない。
上司のプレッシャーに耐えるサラリーマン、夢と現実のギャップに押しつぶされそうな若者、病気を患い苦しみながらも闘病する老婆――様々な人と会い、話をした。
そのうちにセラは光が見えた気がした。
「生きることは戦いなのよ。私は二度と、自分の戦う場所を間違えない。相棒の隣が私の戦場なのだから――二度と、この牙を折ることは考えない!」
刹那――セラは凛と構えて唱えた。封印されし終末の獣を解き放つための、呪文を。
「『起点の鎖』――『その眼を開けなさい』‼」
不可視の鎖が姿を現し、それが引き千切られる。セラはゆっくりと立ち上がり家族の幻影を払った。
そんな薄緑色の獣をレベッカは不機嫌そうに見つめる。
「いやぁ、意外とあやふやな回答でがっかりだよ」
「でも意外とこういうものよ。世界は思ったより簡単で、だからこそ自分や誰かが難しくしてしまう」
口に出してみれば確かに、こんな答えでいいのかと思う。もっと論理的で、相手の意識を覆すような、誰もがそうかと思えるようなものであるべきじゃないかとも思う。
それでもセラは、これ以上自分で自分の問題を複雑化してしまうことはごめんだと強く思った。
――だから分かりやすくこう言ってやればいい。
そうして獣の耳と尻尾を見せつけるように、セラは言ってやる。
「ま、結局、私みたいな社会不適合者には普通の仕事なんて肌に合わないってことよ」
「――チッ。話が通じないヤツは嫌いなんだけどな」
レベッカが指を鳴らす。セラを囲むように幽鬼と化した家族の幻影が襲い掛かってくる。
「――――」
腹にダガーが突き刺さる。奔る電流――どうやらこの世界でも痛覚はそのままらしい。娘の体に刃を突き刺した母親の頭を掴み、セラは力任せに庭へ放る。次に左腕を負った父親を蹴飛ばし、花瓶を頭に振り下ろした妹を、首根っこを掴んで放る。
傷ならすぐに再生する。セラはそのまま、庭に放り出された家族の幻影に向かって両手を合わせた。
「……これ、どういう意味か知ってる?」
横目にレベッカに問う。ゴスロリ少女は今にも唾でも吐きそうなほど不機嫌な表情で投げやりに答えた。
「成仏できますように、んでもう一つだろぉ……チッ」
結局のところ、復讐を果たしたセラを未だ過去に縛り付ける鎖の出所は家族への想いだった。とはいえ、それは亡くなった家族への弔いがまだだったとか、そんな綺麗な理由ではない。
ただ単純に――自分を捨てた家族への復讐、それがなあなあで済まされていたことへの後悔だったのだ。
「――いただきます」
その時、レベッカは確かに聞いた。獣が獲物を目の前にして喉を鳴らしたのを。