『光はいつでも闇のそばに/Final mission start』
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三月二十五日――午後七時。アリサでもソフィでもない、何者でもない『彼女』はとある浜辺にいた。
実のところ『K』から食事の誘いを貰ったのだが、薬でも盛られていたらと思うと拒否する以外になかった。
今、世界は純白の剣の効果により、誰にでも平等で優しい時間が流れている。とはいえ、どこかには不本意とはいえ料理で仲間を殺しかける奴もいる。だから、安心はできない。
それでも――空腹は来るものだ。
「……」
船を出るときに食料を持ってくるべきだったと悔やむ彼女。そんな悲しい姿の背後で足音が聞こえた。
振り向く――そこには金髪金眼のゴスロリ少女、レベッカがいた。
「やあ」
レベッカの手には未開封の水とパンがいくつか抱えられている。
「お腹が空いているんじゃないかと思ってさ。心配しなくていい、薬の類は入れてないよ」
「……何故こんなことを?」
暗闇でもよく見えるオオカミのような金色の瞳は、少し柔らかみを帯びている。レベッカは一定の距離を置いたままその場に食料を置き、彼女の質問に答える。
「うーん。いきなりこんなこと言っても信じられないと思うけどさぁ、ボクらって結構いい友達になれると思うんだよね。出会い方が違えば、きっと親友になっていたとすら思うんだけど」
「……」
彼女は無言でそう思う理由を問う。
「――目、だよ。ボクと君は目が似てる。あ、とは言ってもボクがJBと出会う前、君があのイケメンくんに惚れる前のね。きっとボクらは似たような過去を持っている。だから、友達になれるかなと思うわけさぁ」
互いに言葉にすることはなかったが、確かに二人の過去には共通点があった。
彼女は過去に肉体関係を強要され、挙句流産まで経験している。
一方でレベッカもストリートチルドレンを経験し、少女売春の被害に遭ったという過去を持っている。
「ボクの名前、レベッカ。レベッカ・エルシエラって言うんだけどさぁ。自分からエルシエラの名前まで名乗ったのは君で三人目だよ。できるなら『コイントスを十回行えば自分の本心が分かる』なんて小話をするつもりだったけど、一つ忠告して帰ることにするね」
「……」
「『K』は剣の効果時間が切れたらすぐに君を殺しに来るよ。ボクも、機会があれば君を狙う。だからせいぜい彼が助けに来るまでは必死に逃げるんだねぇ」
そう言って、レベッカは踵を返した。彼女はその小さな背中にこう叫ぶ。
「私の名前はまだ無い! だからもし――この戦いを生き残ったら名乗ってあげるわ!」
その言葉にレベッカは背を向けたまま手を振った。
★
三月二十六日――午前一時四十分。『十二番目の剣』の効果が切れるまで、約三十分。
黒乃たちを載せた船は、最終決戦の舞台となる無人島から数キロ離れた位置にいた。
本土は遠い。島にいる『K』たちから近すぎず、遠すぎずの位置。ここから――彼らは最後の戦いへ向かう。
「――なあ、澪。一つ聞いてもいいか?」
甲板から島を眺める蓮は、隣で手すりに背を預けている澪に問う。
海風に揺れるポニーテールを、猫じゃらしに惹かれる猫のように眺めながら返事はされる。
「なんだよ」
「いや。今更ではあるが、一応、お前の戦う理由を聞きたい」
「ホント、今更だな」
やれやれと手を挙げる澪。しかしその表情はどこか柔らかかった。蓮もそうだ。張り詰めているような緊張感はどこにもない。距離感を図りかねていた兄と妹は、ようやく自然になってきた。
「答え、っつーと大げさだが、理由なら最初からあった。当たり前すぎて見えていなかったけど、あったんだよ。――『兄貴が戦うなら、一緒に戦う』。理由はそれで充分なんだ」
澪は固く締めていたネクタイを少し緩めて、ブラックスーツを翻して蓮に向き合う。
「ヴォイドもそうだった。ただ妹を守りたいという理由で最後まで戦い抜いた」
蓮も同じようにネクタイを少し緩め、スーツのボタンを外した。
もう――兄は迷わない。例え後悔と痛みを抱えようと、それを一生背負い、向き合い、受け入れるだけの強さを手に入れている。澪はそう思う。
蓮は右手に提げた細長いケースを差し出す。
「澪、これはお前にやる。今のお前ならこっちの方が良いはずだ」
ケースの中身は、二振りの日本刀。黒刀『夜束』と白刀『刹那』。それはかつて、とある少年が幻想から覚めるために、想いを繋げるために創り上げた刀を二本に分けたものだ。
『夜束』には時間の切断能力が、『刹那』には刃こぼれせず決して折れ無いという性質が、それぞれ備わっている。今の蓮ではその力を引き出すことはできなかったが――神に等しき力の継承者である澪ならば可能なはずだ。
「――ったく、銃は剣よりってのがアタシの信条なんだがな。ま、ありがたく使わせてもらう」
澪はそれを受け取り、ポケットから取り出した三日月形の髪留めを右のこめかみの辺りにつける。
「そんなの付けて大丈夫なのか?」
あの髪留めは蓮がプレゼントしたものだ。戦闘中でも必ずと言っていいほど付けており、前回の島での戦闘で爆風をもろに受け少し形が歪んでしまっている。
「はっ、知らねーのか。これを付けるとき、アタシは無傷で勝てるんだ」
――無傷で勝たなくちゃいけないんだよ。
「……ああ、そうだな」
一方で、蓮たちの反対側では黒乃とアリサが会話をしていた。
「髪……随分白くなっちゃったね」
『ヘヴンズプログラム』の使用により黒乃の容姿はエルネストに近づいていた。髪はもうほとんど白く、目を凝らせば黒い線が微かに見える程度。瞳は完全に紫色に染まってしまった。
「僕的には悪くないんだけどね。君だって、この瞳は結構気に入ってるでしょ?」
「……なんで分かるかなー。まあそうなんだけどさ」
黒乃はアリサの髪に触れ、そのままあの島へ目を向ける。海風に揺れる白い髪はどこか黒乃の表情をアンニュイに見せて、その姿はどこか儚げで、どこか遠くへ行ってしまうような不安感を覚える。
だが――アリサもそうだった。微笑むように、悲しむように、何かに別れを告げるようにあの島を見ている。
「黒乃……『彼女』を守ってあげて。そしたら『彼女』との決着は私が……つける」
「ああ、僕は約束したんだ。守るって。それに、アリサの隣が僕の居場所だとも言った」
黒乃はからかうよう言い、アリサも笑みを溢して答えた。
「言質、取ったからね」
それから一瞬、アリサは俯いて――すぐに上を向く。
「あのね、黒乃。私、黒乃と過ごしたこの五年、それと時々会ってたあの二年――本当に、本当に楽しかった。兄さんとの思い出もそう。全部が大事な思い出。きっとそれさえあればこの先どんな苦しいことも乗り越えられる気がする。だから――未来を取り戻して、これからも一緒に居ようね」
「もちろん。剣崎の家からは本当に追い出されちゃったし、近いうちに僕の名前を『クロノ・ヴィレ・エルネスト』にしたいところだよ」
「……意外と違和感ないかもね」
風が吹き抜け、靡く髪がアリサの顔を隠す。
「あの、僕のプロポーズをそんなにあっさり流さないで欲しいんだけど……」
「じゃあ、後でもう一度言ってね」
そしてアリサは踵を返した。
時刻は午前二時五分。開戦まで残り七分。甲板に全員が揃う。ブラックスーツを着た剣崎黒乃、夜代蓮、遠静鈴華、夜代澪、セラ・スターダスト、ルドフレア・ネクスト。そして、白いロングコートを纏ったアリサ・ヴィレ・エルネスト。後方にスタッドレスタイヤを着けた二機のバイクが控えている。
「――全員、準備はいいな?」
リーダーらしく最終チェックを行う蓮。それに全員が頷く。
「これまで俺たちは常に先手を取られ続け、後手に回ってきた。だが今回は違う。この最終決戦は俺たちが先手を仕掛ける! そして未来を取り戻し、二〇二〇年まで続いた人類の歴史を確定させる! これ以降、過去への介入はできなくなる――だからこそ、必ずこれ以上誰の犠牲も出さずに勝利する! 全員、覚悟はいいな!」
「はい!」
「ああ!」
「了解!」
「もちろん!」
「ええ!」
「――おう!」
全員が力強く返事をする。作戦開始まで残り三分。
手すりの付いていない方向に船を向け、澪とスズカを載せたバイクを先頭に、続いてルドフレアとアリサを載せたバイク。その横には蓮とセラ、一番後方に黒乃がいる。
作戦開始まで残り一分。
「これが、俺たちがこの時代で行う最後の戦闘だ!」
スズカがヴァイオリンと弓を構え、澪が島に向けて左手を構える。
そして『K』もまた、構えていた。ジョイにハッキングさせて監視ドローンの一機を奪い、海上の船を常に監視していたのだ。一方でジェイルズとレベッカは海が見える丘に立ち、同じように望遠鏡で船を見ていた。置き土産である爆弾を積んだあの船を。
「コイン、やる?」
レベッカの問いにジェイルズは首を振った。その指は爆弾の起爆スイッチに置かれている。
「――いいや、必要ない。これで全員死ぬかもしれないし、生き残ったとしても既に相手は宿命づけられている」
そして時刻は午前二時十二分――今この瞬間、『十二番目の剣』の効果は切れ、世界では再び、未来を賭け、神を賭け、命を、存在を賭けた運命の戦いが――始まる。
躊躇なくジェイルズ・ブラッドは起爆ボタンを押した。
そうして蓮は高らかに叫ぶ。
「ファイナルミッション――スタート‼」
――『You have Control』。
空から降り注ぐような声が聞こえ、同時にスズカが『共鳴歌』を使い、澪が左手に拳銃を出現させる。
「『ファントムトリガー』――『アブソリュート・ゼロ』‼」
「来るか、剣崎黒乃――フッ、さてお前が到着するまで『彼女』は生きていられるかな?」
『K』は仮面を捨て去り、不敵な笑みを浮かべた。詠唱などない。ただ傲慢に、怨嗟を込めて呟くだけで――それで漆黒と赤の鎧は出現する。ただ一言、そう言えば。
「――チェンジ」
「変身――ッ‼」
『Awakening Heavens Program』――『IGNITION』。
『共鳴歌』によって強化された澪の魔術が、船と島を繋ぐ氷の道を作り出す。並行して黒乃が『ヘヴンズプログラム』を身に纏う。黒金のフレームに浮かぶ蒼穹を思わせるライン。
即座に黒乃は一本の剣を、全力で投擲する。
「おおおおおおおおッ――りゃあああああああああ‼‼‼‼‼‼‼」
さらに並行して蓮とセラが力を解き放つ。
「――『我、黒き刃なり』‼」
「――『起点の鎖』――『その眼を開けなさい』‼」
蓮の体に黒と紫のまがまがしいオーラが宿り、その身体能力は極限まで上昇。セラの体には薄緑色の耳と尻尾が生え、やはりその身体能力は常人の倍以上に引き上げられる。
二人の影が先行する。バイクよりも早い速度で氷の道を駆け抜けて島へ向かうのだ。そして澪とスズカ、ルドフレアとアリサのバイク勢が後を追い――黒乃は既に島に上陸していた。
感覚で理解できた。『ヘヴンズプログラム』を纏った『K』が、迷うことなく自分に向かってきている。
風を切る音が一瞬聞こえた。その刹那――目の前に異形がいた。
「――――」
黒より禍く、絶望、怨嗟、慟哭、この世の悪をすべて包み込む業火の焔を宿した異物が『十三番目の剣』をその手に、既に振り下ろす態勢に入っていた。
「――――ッ‼」
彼女は考えるより先に、予め設置していた『十二番目の剣』を『五番目の剣』へと変化させ、すぐにその能力を使う。
『五番目の剣』の能力は使用者と剣の位置の入れ替え。
それにより彼女は白い髪を揺らしながら、なんとか島の反対側へ移動。すぐに剣を消失、再出現させる。
(……どうせ向こうは構えている。なら今はまだ『十二番目の剣』を使いべきではない……!)
次は『八番目の剣』――その能力は魔力と引き換えにした超治癒能力。
彼女はすぐに空を見上げた。上空、夜空はあらゆるものを闇に包み込むが、光を放つ物体が見えた。
ルドフレアの残した監視ドローンをジョイがハッキングし、彼女の現在位置を『K』に教えているのだろう、とすぐに理解する。
「ッ――‼」
幸いここは樹林の中。上空からの監視は少しなら誤魔化せる。とりあえず木々がもっと密集している場所に姿を隠すべきだ。そう考えた彼女は移動を始めた。だが異形が――いた。
「なッ――⁉」
木々をなぎ倒しながら、正面から突っ込んでくる。まずい、とすぐに方向転換して走るが、しかし通常の脚力では『ヘヴンズプログラム』を纏う『K』を振り払うことはできない。
悲しいほど冷静に理解できた。それでも――諦めたくなかった。だから必死に走る。命を振り絞って。
「フィニッシュだッ――‼」
『K』の声。もう手を伸ばせば届く距離だろう。そう考えると手足が震え、口の中が急に乾き、心臓の鼓動が恐ろしいほどに速くなった。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ――死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない!
体中を流れる血が熱い。生きたいと訴えるようにこれでもかと心臓を動かす。がたがたと音を鳴らす奥歯を噛み締めて、とにかく地面を強く蹴りつける。
狂いそうになる精神、爆発する恐怖――そして視える深淵。
(黒乃――……‼)
――――剣が視界に入った。
それは『K』が振り下ろしたものではない。飛んできたのだ。まるで彼女に引き寄せられるように、上空から。
剣は彼女の数メートル手前の地面に突き刺さり――その能力が発動する。
使用者と剣の位置を入れ替えるという能力が。
「――――」
そこから先の景色は、とてもスローモーションに見えた。
剣と入れ替わる形で目の前に『ヘヴンズプログラム』を纏った黒乃が出現し、彼女を追う『K』に向かい、彼女とすれ違い――そして『K』を引き離して、強い衝撃波と共に、二人の男は決戦の舞台へ上った。
この島で最も高い丘の上へと。
そうしてひとまず命の危険は去った。
「……ほんと」
転ぶように地面に倒れた彼女は、涙を流しながら呟いた。
「守ってほしい時に守ってくれるから……だから好きになるんじゃない……」
その声は闇の中に消え――彼女は砂浜へ向かう。
黒乃は『K』と、蓮はジェイルズと、セラはレベッカと、ルドフレアはジョイと、そして彼女はアリサ・ヴィレ・エルネストと――決着を付けなければならないから。