『天を衝く愛の宣誓/Her Wings Without a Name』
★
「それで、爆弾の方はどうしたのよ」
「とりあえず凍結させてそのまんま。あとでフレアに解体してもらおうと思ってな」
セラの問いに澪が答えた。船に侵入した五人はすべてを拘束され、ラウンジに放置されている。戦闘訓練を受けた屈強な男どもではあったが、魔術師でない以上、澪の『シージングトリガー』に抵抗する手段はない。
とりあえず蓮と黒乃、ヴォイドとアリサの戦いの結末を見届けて、その後に対処しようというのが二人の考えだった。
しかし甲板に繋がる通路の先、扉を開けてソフィが船内に入ってくるのが見えた。
その頬に流れる涙。二人はそれですべてを察する。
「そう、終わったのね」
「……ええ」
答えるソフィの眼差しは揺るがない。迷いを断ち切ったその姿は、何かに怯えているようだったこれまでとは明らかに違う。強さ――それが、感じ取れる。
「……黒乃と蓮の方も終わった。少し、放っておいた方がいい」
蓮にはスズカがついている。ソフィの言葉からそれを察した二人は、小さく頷いて踵を返す。
一瞬、澪が足を止めて言った。
「――お前、気高く泣くんだな」
それだけ言って、二人はとりあえずラウンジに足を向けた。涙を流すソフィもまた一人になりたかった。その気持ちを汲んだのだろう。
そうして時刻は午前二時近く。『十二番目の剣』が使われぬまま、時は少しだけ針を動かす。
「『静かに眠りなさい』」
セラはそっと、解いた枷を結び直した。
遠静鈴華とヴォイド――二人への追悼も込めて、優しく。
★
「――へっくし!」
船内の通路。アリサと共にヴォイドの遺体を運び込んだ黒乃は、横にいるアリサが少し驚くほど大きなくしゃみをした。
「風邪でも引いた? ずっと海上に居たみたいだし」
アリサの声は意外にも明るい。その表情は目が赤く腫れ、顔色も良いとは言えないが、それでも涙を流し切り、すぐにでも立ち上がろうとしていることが窺えた。
覚悟はできていた。決意もしていた。だったら迷い戸惑う暇などあってはいけない。
だからこそアリサはいつもの調子で、声をかける。
「お風呂、一緒に入る?」
「はは、君が望むなら」
そんな軽口で返すと、返答はなかった。もしかして本当に一緒に入るのだろうかと内心黒乃が焦っていると、アリサが蘇った記憶について切り出す。
「思えば……意外と長い付き合いなんだよね。七年、私たちが初めて出会ったのは、中学一年生の夏休み――あの頃の黒乃、今と比べるとすっごい尖ってたよね」
「そういう君だって、随分と挙動不審だった」
追憶は遥か彼方――あの夏の日差しが眩しい、幼き日の思い出。
「ねえ黒乃」
アリサの声音は、明るいものでも、落ち込んでいるものでもなかった。
揺るぎない信念を秘めた、強い声音。
「私――決めたから。だから、私の選択とあの子の選択がどんなものであっても、優しく受け止めてあげて」
黒乃はすぐに返事をすることはできなかった。まだ何か、具体的な考えがあったわけではないけれど――とても悲しいことが起こるような予感があった。
どれだけ辛い選択だったとしてもそれが最善だと信じて、受け止めなければならない。
そんな状況が待っているのかもしれない。
けれど――黒乃は誓ったのだ。絶対にこれ以上、誰も死なせない。何も犠牲にさせない。
託された想いを未来へ繋ぐことを――全員連れてハッピーエンドに辿り着くことを。
「――――ッ、なんだ」
「どうかした?」
突然として脳に奔る痛み。まただ。ヴォイドの命が還った時も、黒乃は似たような感覚を覚えた。
未知の感覚。まるで澪のように第六感が目覚め始めているような……。
「何か……嫌な予感がする」
★
突然のことだった。目の前で飛び散る鮮血。
「――――⁉」
通路の壁に勢いよく背をぶつけるセラ。その肩は肉が抉れ、赤く染まり、そして即座に再生が始める。
――狙撃。それも船の窓ガラスどころか壁だろうと簡単に貫く貫通弾を使っての奇襲。致命傷を避けられたのは咄嗟に澪が足を掛けて、セラを転ばせたからだ。
でなければ、脳みそを床にぶちまけていた。
「ッ――敵⁉ ソフィ、剣を!」
刹那――澪の耳もとで力強く指を鳴らす音が響く。気を失う澪。その後ろには同じく眠りについたゴスロリ姿の少女。
そして『十二番目の剣』を使おうとしたソフィのこめかみには――銃口が突きつけられた。
「レディ――大人しくしたまえ」
「……ジェイルズ……ブラッド……!」
その名を呼ぶ。あの島には現れなかった敵の名を。
「おや、ユーとちゃんとした挨拶をした記憶はなかったと思うが、光栄だな」
「ッ――ソフィ‼」
傷の再生が完了したセラが、ソフィを助けるために動こうとする。しかしセラの両手両足はいつの間にか拘束されていた。漆黒の鎖――、セラは動けない。
「――――」
ソフィはとにかく冷静に思考した。この状況でパニックになることは最も愚かな行為だ。
ジェイルズは引き金を引かない。それは、ソフィの中に『十四番目』のカードがあるからだ。
近くに『K』の気配はない。だとすれば、少なくとも今この場でソフィが殺されることはない。この銃口はただの脅し。
そしておそらくは『十二番目の剣』を使わせるための――。
「ナチュラルクレイジーの彼女と同じく、強いレディが多くて羨ましいよ。冷静に思考するその姿、惚れ惚れする。――さて私としてはさっさとその剣を使ってくれると助かるのだがね」
純白のヴェールに覆われた刀身、鍔には淡い桃色の薔薇をモチーフとした装飾。ウェディングドレスをイメージさせるような可憐で華麗なる剣。それは既にソフィの手元にある。
「……他に、何が目的?」
「正直に言えば、『K』からは君を連れてくるようにと言われている。どうかな? 今なら五ドルもするバニラシェイクを用意できるが」
ジェイルズは見抜いた。本来であればソフィはすぐにでも剣を使わなければならない状況だ。けれど、いつまで経っても使う様子はない。
ジェイルズとしては二本ある『十二番目の剣』のうちの一本を使わせることができればそれで充分だったが――もしかすればソフィは話に乗ってくれるかもしれない。
この千日手のような状況、案外簡単に都合の良い方向へ進ませることができる。
「――場所を移すとしよう」
★
時刻は午前二時を回ったところ。蓮、スズカ、フレア、アリサは急いでラウンジに集まった。
いや、集められたというべきか。
澪の端末を使ってそれぞれの端末に送られたエマージェンシーコール。緊急事態であることはすぐに把握できた。蓮がラウンジの扉を開けるとそこには、拘束されたセラと澪、そして五人の男たち。
さらにソフィに銃口を突きつけた金髪碧眼の男と、のんきに紅茶を飲む金髪金眼の少女の姿があった。
「――お久りぶりだな、夜代蓮。随分と可愛らしい姿になったものだ」
スーツのボタンを閉じながら、髪の伸びた蓮にコメントするジェイルズ。顔は正面に向けているが、しかしその意識は銃口の先から一瞬たりともズレていない。
どんなに気を引こうとしても、ヤツは時が来ればいつでもその引き金を引くことができる。
恐ろしい男だ。
「――――」
蓮は沈黙を貫く。その目つきは以前のモノとは違う。弱さを受け入れた強さが秘められている。
「いい目つきになったようだ。それでこそ、今回の私の好敵手にふさわしいよ」
蓮はとにかく観察を続ける。視覚から得られる情報量は全体のおよそ八割から九割。その目は、これまで自分に向けられていた。だが今は違う。他人のみに目を向け、他人の思考をトレースすることだって今の蓮にはできる。
「……セラと澪を狙ったのは、二人が感知能力に長けていたからだな。そしてそこの五人をおとりに船に侵入した。セラがお前らを感知できなかったのは、予めそういう仕掛けがされていたんじゃないか? 『モノクローム』でセラの能力を封じた時に、な」
レベッカの能力を使えば、『ジェイルズとレベッカの存在を感知できなくなる』という意識を刷り込むことは可能だ。そして澪の第六感とも言うべきそれはまだ未完成。男たちをフェイクにされては、見抜けなかった。『K』が持つ蓮たちの情報があれば、この状況を作り出すことは容易だった。
「いい洞察力だ」
そして蓮はさらに、セラと澪を拘束している鎖に目を向けた。漆黒の鎖。あれは魔の代物だ。普通の鎖程度ならば二人はとっくに破壊して抜け出している。
「ずっと気になっていた。『モノクローム』のVIPルームで、どうやってあれだけの人数を簡単に殺せたのか。現場に残っていたのは血液だけだった。そして俺はその血液が、被害者だけのものだと思い込んでいた。ヒントは提示されていたんだな。『血の鎖』――ふざけた名前だ」
おそらくはそれもコードネームなのだろう。冷静に考えて、簡単に本名を名乗る殺し屋がどこにいる。
『ジェイルズ・ブラッド』とはコードネームでありながら答えだった。
「――お前は自分の血を操り、相手を拘束する魔術を使う」
蓮の考察を聞いていて、セラは内心思った。――ああ、だから『モノクローム』で対峙した時、私と気が合いそうだなんて言ったのか。
同じ鎖を扱うものとして、男は余裕綽々と口にしたのだ。そして今セラを拘束している鎖は、おそらく一発目の弾丸に仕込まれていたジェイルズの血液が作り出したものだろう
「目的はなんだ? 交渉は要求がなければ成り立たないぞ」
そうは言いつつも、蓮はジェイルズの目的を絶えず考え続けていた。
ジェイルズとレベッカ、二人の姿はあの島にはなかった。二人は本来『起源選定』には全く関係のない存在だ。だから不必要になり切り捨てた可能性もあった。
しかし今、こうして行動を起こしている以上はまだ『K』の仲間という認識でいいのだろう。
つまり『K』は予め予測していたのだ。黒乃の内側にある『ヘヴンズプログラム』が完成し、自らが窮地に立たされるかもしれないことを。
『十二番目の剣』は使えるのならば絶対に持っておきたい最高の保険だ。
そのカードを先に切ってしまった以上、この戦いはやや『K』が不利になる。
――だとすれば、傾いた天秤をせめて互角に持ち込みたいというのが狙いだろう。
(いいぞ、考えろ。今のユーなら答えに辿り着けるはずだ。――フフッ、これはいけない。血が滾って仕方ないな。今のユーは宿敵にふさわしいよ……!)
「……フレア、『K』は島から動いてないな?」
「うん。マーカーは動いてない。とはいえ、向こうにはジョイがいる。ハッキングされてる可能性だってあるよ」
慎重なルドフレアの言葉に、蓮はアリサにも確認をとる。
「アリサ、周辺に『K』の気配はあるか?」
「『K』は『半覚醒状態』だから探知はしづらいけど、近くに居れば分かる。少なくともこの船の近くにはいないよ」
そして蓮はある違和感に気づいた。それはソフィが全くと言っていいほど『十二番目の剣』を使う様子がないことだ。
あれを使えば、向けられた銃口に怯える必要もなくなる。それでも使用しないのは何故だ。
『十二番目の剣』の優位性――もし、ソフィがそれを手放したくないのであれば。
そもそもとしてカードを持っている以上、ソフィはこの場では殺されないだろう。
つまり、ソフィは何らかの目的をもってジェイルズの目的に便乗しようとしているのか。
(――やられたな。もしソフィが『十二番目の剣』を使わざるを得ない状況になった時、相手に剣を発動したのがソフィだと勘違いさせられるように、変身した黒乃を待機させているが――これでは意味がない)
「――さて、考えがまとまったんならさ、そっちのグラマーちゃんが長い髪の中に隠している通信機からあのイケメンくんに連絡してよ」
レベッカの鋭い指摘に、しかしスズカは動じない。けれど蓮が、右手を挙げた。
「黒乃の剣を使う。スズカ、そう伝えてくれ」
「いいのかね?」
ジェイルズが不敵な笑みを向けてくる。手段の一つとして、無理にソフィの剣を使わせることは可能だ。だが、それではソフィは自分の身を守る手がなくなる。
どのルートを進むとしても、ソフィが『十二番目の剣』を使える状態にある――それが最善だと、蓮は判断した。
「ああ。この選択は未来へ繋がる。繋げてみせる」
刹那――白い羽が舞う。同時にジェイルズは腕時計を確認した。
「午前二時十二分――」
――世界は再び、優しい時の中に包まれる。
★
「――ソフィ!」
甲板に出た黒乃が、ジェイルズとレベッカの二人の背中を追うソフィに声を掛ける。その姿はすっかりとエルネストの風貌に染まり切っていた。白い髪に紫色の瞳――わずかに黒い部分が残っているが、それは本当に微々たるものだ。
一方で夜風に揺れるソフィの髪は雪のようで、黒乃の声に応えて振り返らなければ、おそらくその姿は儚く消えてしまっていた。
「――――」
無言のままソフィは黒乃を見つめる。その目は、病院の屋上で出会った頃のものとは違った。
生気に満ちていた。あの頃の触れれば消えてしまうような儚さは薄れている。
代わりに浮かび上がった生命への渇望――それが瞳に光を灯していた。
「本当にあいつらと一緒に行くつもりなのか!」
「――――」
ソフィは答えない。
「どうするレン? 発信機を取り付けることもできるけど」
「いや、必要ないだろう。行き先はあの島だ」
この場の誰もが、ソフィの真意を理解できずにいた。ただ一人、アリサ・ヴィレ・エルネストを除いて。ソフィは無言のまま雪のような髪を翻す。
咄嗟のことに、黒乃は手を伸ばした。初めて出会った時と同じように。
「待ってくれ――!」
腕を掴む。少しでも力を籠めれば簡単に折れてしまいそうなほど脆く細い腕。だが、それに驚いて手を離すことはない。
「まだ……まだ、君の気持ちを聞いていない。教えてくれ、ソフィ」
黒乃から見て、ソフィのやっていることは自殺行為に思えた。いくら剣の効果時間内とはいえ、敵の二人に連れられて『K』の待つ島へ向かおうというのだ。
危険だ。剣の効果時間が終われば、『K』は何のためらいもなくソフィのカードを奪い、その命を奪うだろう。
だというのにどうして――一人で。
黒乃に腕を掴まれても、ソフィは振り返らなかった。
涙が零れそうだったから、憎しみに歪んでいたから――理由などいくらでも浮かんだ。とにかく自分の顔を見せたくもないし、黒乃の顔を見たくもなかった。
その複雑な表情を何気なく見ていたジェイルズは、レベッカから膝蹴りを貰っていた。
「ソフィ――、ソフィ……!」
一秒が長い。黒乃が腕を掴んでどれだけの時間が経ったのか、もうわからない。
温かい。掴まれた部分から柔らかな熱が流れ込んでくる。
光が見える――そして今の自分は光に手を伸ばす闇だ。光を目の前にして、それを明るいと思うのはそういうことだ。
声が聞こえる。なんどもソフィと叫ぶ愛しき彼の声が。
――ソフィ、それは『アリサ・ヴィレ・エルネスト』であることを捨てた自分の新たな名前。
だが今となってはそれも、必要ない。
「ソフィ!」
それでもその名を呼び続ける黒乃に、我慢できず体が動いた。
「……ッ――!」
刹那――女は振り向くのと同時に男の腕を引き、その唇にキスをした。
温もりをくれるというのなら、奪ってやる。これまで奪われ続けてきたのだから、今度は奪う側になってやる。どんなに憎まれても、恨まれても、もう自分に嘘はつかない。
キスをして高鳴るこの鼓動を偽りはしない。だから――!
「ッ――いい?」
今度こそ黒乃の腕を振り払い、高らかに叫ぶ。眼前の愛する人へ向けて、すべてを奪った天へ向けて、そして自分が自分であるために邪魔な存在――もう一人のアリサ・ヴィレ・エルネストへ向けて!
「私はもはやソフィでもない。誰でもない。だから! 何者でもない私は掴み取ってみせる!」
そうして何者でもない『彼女』の胸に光が灯る。引き抜いた剣は、もう一人の母親が与えてくれた『慈愛』を宿した剣。この優しき時間の中で唯一姿を見せることのできる刃が――アリサ・ヴィレ・エルネストへと向けられる。
「私の運命は私が変えるッ! だからアリサ、島で待っているから……そこで決着をつけるのよ。お前と私の存在に……‼」
最後にもう一度、『彼女』は黒乃の腕を掴んで耳元でこう囁いた。
あとで聞こえなかったと言われないように、大事なところで噛まないように、気を付けて、丁寧に言葉を紡ぐのだ。
「――私は黒乃が好きだから。諦めないから」
そうして今度こそ、『彼女』は踵を返して姿を消した。
夜闇に紛れる雪のように――静かに。