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『最初の出会い/Last conversation』

 あれは七年前のことだった。当時、僕は剣崎(けんざき)の名前を使い、あらゆる場所で自分を鍛えていた。軍隊の訓練に参加したこともあるし、小さな民族の特殊な技術を学んだこともある。サバイバルをしたり、身一つで大陸を歩いたこともあった。


 理由は一つ――愛人の子供という理由で家族から迫害される自分を、認めてもらうためだった。

 そういえば、母さんについて触れたことはほとんどなかったと思う。

 ああ――そうさ。母さんはもう亡くなっている。

 僕が十二歳。小学校六年生くらいの時だ。もちろん僕はその時、海外で自分のことだけを考えて馬鹿なことをやっていた。


 母親の死を知った時、僕はただ静かに絶望した。

 子供と離れ離れになった苦しみ、恐怖。剣崎の家からの迫害。唯一頼れた剣崎総一郎(けんざきそういちろう)はとっくの昔に亡くなり、孤独だけが母さんに寄り添っていた。そして僕はその苦しみを理解してあげられなかった。


 母さんの死後、僕はより一層、自分という資本を大きくすることを考えた。

 剣崎の家にとって有用な存在であり、母さんや自分にこれまでしてきた仕打ちがどれほど間違っており、愚かなことだったのか、あの馬鹿な大人たちに気づかせたかった。


 だが不可能だった。

 理屈じゃないのだ。そう――僕がどんなに力をつけても()()()()()()()、兄が、剣崎惣助(けんざきそうすけ)が僕を認めるはずないのだ。


 兄は次期当主だった。そして養子だった。血の繋がった実の子供は僕だけだったのだ。そして僕はそれを知らなかった。兄はなんとしても剣崎財団を手に入れたかった。だからどれだけ僕が努力しても、否定した。


 彼は思考を放棄していた。それはある種、無敵だ。どんな駆け引きも通用しない。ただ考えることをやめて、一方的に否定する。それは幼き子供と同じだけど――しかし、我が儘を言う幼子を論理で説き伏せられる大人がどれほどいる?

 

 多くの大人が、暴力――は言い過ぎだけれど、大声を出して叱ったり、軽く頬を叩くとか、まあとにかく感情で理解させる。

 僕は別にそれを否定しない。だってそれは心が存在する証拠であり、心が通じ合っている証拠だから。

 でも、そういう意味で、僕と兄は決定的にすれ違ってしまった。


 十三歳の夏。僕は夏休みの季節に桐木町(きりぎちょう)を訪れた。

 僕はまともに学校に通わず、通信教育とか家庭教師とか、そういったもので勉強をしていたからきっと、普通に学校に通っている子供たちと会うのが怖かったんだと思う。

 だから日本に戻る時はいつも、夏休みとか冬休み、お正月とかそういう学校が休みになっている季節を見計らった。


 そしてあの夏の日――八月のいつだったかに、僕は山の中で彼女に出会った。きっと日課のランニングをしていた。そして彼女は確か、何かを探していた。


 山の中で女の子と――それもこれまで一度も見たことのなかった白髪紫眼の少女と出会うなんて、運命だと感じた。

 未来が見えた気がしたんだ。彼女はおそらく、僕の人生を大きく変えることになると直感した。

 いや、多分それは気のせいで、ただそういうドラマティックなことが起きたらいいなという願望だったかも。


「――なに、やってるんだ?」


 それでも僕は話かけた。


「えっと……さ、探し物をして……いまして、ですね……ああ! いや、別になんでもないんです……」


 彼女は明らかに挙動不審だった。それもそうだ。彼女は人見知りだ。

 そして僕も、人付き合いというものを知らなかった。

 

 彼女は何かを探していることを正直に言ったことで、相手を巻き込むと思ったのだろう。

 それが相手を気遣ってのことか、それともただ面倒だったのか、わからない。

 だが、惜しいと思った。ここで終わってしまうのは惜しい。

 もっと彼女のことを知りたい。そう――思った。


「何か落としたのか? 僕でよければ手伝うが」


 ぶっきらぼうな言い方に、彼女は慌てた。そして観念したように、小さく口を開いた。


「その……昔、兄がここに連れてきてくれたことがあるんです。それで、周りが木に囲まれていて大量の落ち葉で地面がクッションみたいになっている場所があって……そこ、どこだったかなって」


 やけに早口だった。


「兄……、だったらその兄に聞けばいいじゃないか」


「で、ですよね……。その、近くを通った時に唐突に思い出したことなんです。今度兄を連れてきます。そっちの方が早いですもんね。うん」


 一人で納得したような様子の彼女。

 元々この辺りを一通り探した後だったのだろう。この道は真っすぐ進めば下山ルートに入る。

 余計なことをしたな、と僕は思った。


 だがやはり、まだ、惜しいという気持ちは消えなかった。


「君は、兄と仲が良いのか?」


「え⁉ え、えぇ……えぇ」


 まるで『え』だけで何か別の言語を話しているようだ。

 

「そうか……」


 僕のところは大違いだな、と思った。

 するとその反応が興味を引いたのか、彼女はその小さな顔を少し傾けて聞いてくる。


「あ、あなたもお兄さんとか、いらっしゃるのでございますか……?」


「変な言葉遣いはしなくていい。ああ、いる。だが僕は嫌われているよ。兄だけじゃない。家族や親戚、その友人までな」


 自虐気味に言う。しかし嘘ではない。国内でも国外でも、僕はあまり深く人と関わろうとはしなかった。だから、孤独だった。


「……私も」


「あ?」


「わ、私もその……兄、以外からは……、学校とかでいじめられることとか多い、です。両親もいませんし、兄も……血は繋がっていません」


 正直なところを言えば、同情した。少女の容姿は特異だ。おそらく、日本だけではない。どこに居ようと、白髪紫眼の纏う異物感――この世ならざるものの気配は拭えない。


 少女は弱い。だからこそ少女への興味はいずれ、嗜虐心を満たす悪意となる。

 心無い言葉、暴力……特に、道徳心の基盤ができていない小学生や思春期を迎える中学生などはただ欲望のままに行動するだろう。


 最悪の場合は大人さえも、利己的に賢く彼女に闇を与えるだろう。


「――――」


 言葉を失った。だが彼女は言葉を続けた。

 

「でも……ひ、一人いるだけで違います。兄さんがいてくれるだけで私は強く在れる。どんなに折れても、挫けても、また立ち上がれるんです。だ、だから……あなたも一人……たった一人でも、そういう人、作ったらい、……いんじゃないかとー……」


 言っているうちに自分がとんでもなくお節介なことを言っていることに気づいたのか、彼女の声は次第に小さくなっていった。それでも僕は、しっかりと聞き届けた。


「なら、君がなってくれ」


「ええ⁉ 無理です無理無理無理! 私はほんと料理もできなければ、お洒落とかもわからない女子力低めの薄幸な感じのいじめられてる系なので! 人ひとり背負うなんてできないです!」


 その返答に、僕は苦笑する。


「そんなに卑屈になるな。それを言ったら僕は、家族に見捨てられ、友達もろくに作れない孤独系のイケメンだ」


「さらっと嘘吐かないでください」


「嘘じゃねーよ! これでも女の事務官から食事とかよく誘われるんだ!」


 もっともそれは、僕の顔が良いからなんて理由ではなく、ただ僕が剣崎財団に関わりのある人間だからだ。それに顔に関してもカッコいいより可愛いと言われることの方が多い。

 嘘ではないだけでとても捻くれた回答だ。


「わ……私が言ったのは、友達も、の部分です。私がこんなに兄さん以外の他人と話せることは珍しいんです。なので、あなたは友達作りとか超余裕だと思います……」


「……そんなわけないだろ」


 お前のことが気になっているから、人生で初めて頑張ってるんじゃないか。

 言葉には出さなかった。

 油断すれば何を言うか分かったものじゃないから、できるだけ一語一句丁寧に、気を付けて紡いだ。


「と、とにかく、僕を背負おうとか重く考えなくていい。ただ友達になってくれ」


「…………?」


「小首を傾げるな! 友達だ。僕と君はどこか似ている。だから、初めての、対等の、友達になってくれ。なってください」


 いつの間にか、挙動不審になっていたのは僕の方だった。

 暑い夏の日。強い日差しにどこかがおかしくなったのかもしれない。

 不思議とセミの鳴き声は聞こえない。冷たくて気持ちいい風も吹き抜ける。


 まるで――別世界だった。今まで触れてこなかった未知の、けれどとても心地の良い世界。


 気づけば、彼女は笑っていた。

 今にも泣きそうな顔で。どこか危うい顔で。触れれば消えてしまいそうな儚さを纏って。


「……はい、いいですよ。私はアリサです。あなたのお名前は?」


「僕は――黒乃(くろの)だ」


 僕は剣崎の名前を告げなかった。

 家名など関係ない。ただの黒乃として、彼女と――アリサと接したかった。

 きっとあの時、アリサがエルネストの名を告げなかったのも、同じ理由だ。


 そうして、僕とアリサは何回かその山で会うことになった。

 山の中は傾斜や野生生物などの危険が潜んでいるが、幸い僕はサバイバル訓練も受けていたし、何より人目を気にせずアリサと二人でいられる時間を心から楽しんでいた。

 アリサもそうだった。


 二人だけの世界――楽園。


 そうしてアリサの思い出の場所を探した。アリサの兄を頼るという手段もあったが、それはしなかった。

 結局、八月の最後の日まで僕とアリサの秘密の探検は続き――その場所を見つけることができた。


 神秘的だった。

 昼間だというのに、空を覆う大きな木々が無数に重なり、冬のような涼しさすら感じた。

 仄かに暗く、微かに明るい空間。

 

 アリサは落ち葉がクッションになっていると言っていたが、その量は尋常ではなかった。

 具体的には僕の膝くらい。小さな子供ならこの中に息を潜めるだけでその気配を消せそうだった。

 結局、僕とアリサはすぐにそこを去った。


 確かに神秘的な光景だが思ったよりも怖かったのだ。

 落ち葉の中には何が潜んでいるか分からないし、無邪気な子供なら喜べたかもしれないが、理性を覚えた僕らには、そこがひょっとしたら奈落に続く落とし穴なのではないかとも思えた。


 そうして別れの時は来て、再開の約束をした。

 冬休み、次の夏休み、次の冬休み、次の夏休み、そして次の冬休み。


 一緒の日々を過ごせば過ごすほど、僕の中に根付いていた剣崎の家の恨むような、馬鹿にするような感情は消えていた。

 剣崎の家に認められることを、簡単に諦めることができた。

 アリサも学校でいじめられることはなくなり、友達はまだいないが空気に溶け込むくらいはできていると言っていた。

 それ以上進展させるには、僕がなんとかしなければいけないかな、と思った。


 そうして訪れた粉雪がしんしんと舞い落ちてきたあの日――僕は剣崎惣助の手先によって命を狙われ、共に居たアリサは巻き込まれ、覚醒した。


 その後、僕は『ヘヴンズプログラム』で命を繋ぎ、アリサと共に、記憶の封印を受けた。


 僕は記憶の混乱を起こしながらも、何か大切なものを求めるように桐木町(きりぎちょう)の高校に入学し、再びアリサと出会い、再び恋をした。

 思う存分に青春を謳歌した。あの輝かしい思い出があれば、一生分の苦しみを背負っていけるとさえ思えた。


 そして僕は再び記憶を失い――再び『彼女』に恋をした。


 三月二十四日、午後十一時。黒乃(くろの)は再びヴォイドの部屋の扉をノックした。理由は呼ばれたからだ。きっと話したいことがあるのだろう。黒乃としても、もう一度ヴォイドと話しておきたいと思っていた。


 きっとこれが最後の会話になるのだろうから。


「――――」


 第一声を、なんと言うべきか悩んだ。すると、ヴォイドが先に口を開いた。


「黒乃君。この先、君には分岐点が待っている」


「分岐、点?」


 ヴォイドは深く頷いた。


「オレは君に、妹を託す。そのうえで――君がどのような選択をしても、後悔する必要はない。それが伝えたかった」


 黒乃はまだ知らなかった。ヴォイドがソフィを焚きつけ、やがて一つの戦いが起こることに。

 無論、ヴォイドはそれを察していた。だが敢えて多くを語らなかった。


 ヴォイドの視線は、目の前に開かれた自らの右手に向けられる。多くのものを守り、多くのものを奪ってきた大きな手だ。


「正直なところを言えば、もっとアリサの未来、明日を見てやりたい。だがそれはできない。……これは、報いなのかもしれないな」


 一人でいる時間、一つずつ丁寧に、ヴォイドは過去の思い出を紐解いた。


 初めて人を殺した時のこと。初めて生を実感した時のこと。初めて『好き』という感情を覚えた時のこと。初めて願いを託された時のこと。初めて妹ができた時のこと。初めて妹と喧嘩をした時のこと。初めて妹が料理を作ってくれた時のこと。初めて人を殺すことが嫌になった時のこと。初めて映画で泣いた時のこと。初めて授業参観に出た時のこと。初めて運動会で二人三脚をした時のこと。初めていじめの卑劣さを諭した時のこと。初めて夢を見ながら眠った時のこと。初めて自分の罪を理解した時のこと。初めて未来について考えるようになった時のこと。初めて――想い人を殺した時のこと。


 考えたら、思い出したら、キリなんてなかった。ただ最後に残るのはあの雷鳴轟く夜のこと。

 突如として現れた『K』によってカードのみを奪われたフィーネ・ヴィレ・エルネストの言葉。


『私は……ずっと……寂しい思い、させ……ちゃった……から……。あ、貴方が……アリサたちの隣で……』

 

 ヴォイドの泣き叫ぶ声など雷鳴にかき消された。初めて好きになった女だった。フィーネの慈愛は何よりもヴォイドを優しく包み込み、一点の穢れもない純白の光をくれた。

 この好意が、愛が、実るはずもないことを知っていた。

 ただそれでも守りたかった。

 けれど、弱い自分ではただ一人しか守れないのだと悟った。それでもただ一人だけは守り切ってみせようと誓った。


 しかしそれすらも、叶いそうもない。


 でも、それでも――、


「――フィーネさんとリュートさんがヴォイドさんに託したように、僕が貴方の想いを背負います」


 希望は繋げられた。ヴォイドはゆっくりと黒乃に頭を下げた。


「頼む。『アリサ』を幸せにしてあげてくれ」


「約束します。――僕の心に、魂に誓います」


 そうしてヴォイドは、心の底から安堵した表情を浮かべた。


 それが二人の最後の会話となった。

 

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