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『カノジョ再生産/Life is brief. Fall in love, maidens.』

 『K』が『十二番目(ミゼリコル・トゥエ)の剣(・レーヌ)』を発動してから十三時間が経過しようとしていた。

 スズカの作った昼食を食べ終えた一行は、それぞれに分かれて己の成すべきことを成していた。

 ただ一人、夜代蓮(やしろれん)を除いて――。


 空は曇天――もう長いこと、青空を見ていないような気がする。

 蓮は甲板に出て、手すりに身を預けて海を眺めていた。船は既に『月夜野館(つきよのかん)』近くの入り江に停められており、前を向けば水平線が、後ろを向けば木々に囲まれた小さな住宅街が見える。

 

「――――」


 蓮の容姿は少し変化していた。変化といっても黒乃(くろの)のように片目が紫色になり、髪の一部が白く染まったわけではない。

 もう少しシンプルに――髪が、伸びたのだ。

 肩を隠すくらいに伸びた黒髪が、潮風に靡く。蓮は自分の体を触媒に、夜代織(やしろしき)という存在を降臨させた。要はその名残、置き土産のようなものだ。その髪を女々しく眺めながら、蓮はただ虚空を見ていた。


 束の間、風に混じって扉が開けられる音が耳に届く。近づいてくる足音に応えるように蓮は振り向いた。


「――――」


 黒乃だ。無言のまま、真剣な表情で蓮の隣に並ぶ。

 半分エルネストに染まった容姿に、赤いシャツ、黒いスラックス、大きな白衣を纏っている。


「……作戦決まったか?」


 少しの間をおいてから、黒乃は落ち着いた声音で言った。


「……」


 蓮は同じように少しの間をおいて、それに答える。


「いや、まだだ」


 事実をありのまま口にした。すると黒乃は蓮に一瞥くれることもなく、水平線を見ながら言う。


「らしくないな。いつものお前ならもうとっくに作戦決めて、ブリーフィングして、態勢立て直して、次の手を考えるんじゃないのか?」


 一方で蓮もまた黒乃を見ることもなく、その視線は低く海の底へ沈んでいく。


「買いかぶりだ。俺は弱い。俺にそんな力はないんだよ。セラは力を封じられ、フィーネは死に、(みお)は負傷し、ヴォイドはカードを奪われた」


「本当に、それがお前一人のせいだって言うのか? それはただ、お前が勝手に逃げるための理由にしてるだけじゃないのかよ」


 蓮は肯定も否定もしない。ただ無言のまま、下を向く。

 ただ――自分の内側のみを見ている。


「それに――僕から見たお前は充分強いと思う。世界を解放するためにここに立ってるんだから」


 蓮はスーツの内側に付けたホルスターから、拳銃を取り出した。


「これには一発だけ銃弾が入っている。これが――世界を解放するための一発になる。そしてこれは、引き金を引けるヤツなら誰でも撃てる。分かるだろう? これを撃てるなら俺じゃなくてもいいんだよ。ただ(はるか)さんの近くにいた。それだけなんだ、俺がここにいる理由は。……お前に任せるよ。お前には力がある」


「なんだよ――それ」


「スズカの魔力譲渡がなければ俺はただの一般人だ。もう織もいない。無力なんだ。だったら力のあるお前が皆を引っ張ってくれれば、それでいいと思うんだ。お前にはそう予感させる何かがある」


 蓮はもう、このままでいいと思った。スズカの記憶はもう何をしても戻らない。戦う理由が――消えた。久遠遥(くおんはるか)から託された世界の未来、それを今度は自分が黒乃に託す。

 それこそが今の自分にできること。役割だと思った。


 それは一種の燃え尽き症候群なのかもしれない。

 

「――見損なったぜ、蓮」


 刹那――黒乃は蓮に向けて拳を放った。

 無論今は剣の効果時間内だ。すべての戦闘行為は禁じられる――故に、見えない壁に阻まれるようにして、拳は蓮の数センチ手前で止まる。

 それでも黒乃の眼は本気だ。


「何の真似だ」


「皆が今何やってるか知ってるか?」


 蓮はようやく、黒乃を見た。重なる視線は次第に熱を帯びていく。


「アリサはずっとヴォイドさんのところにいる。ヴォイドさんはもう長くない。だから噛み締めるように一緒に時間を過ごしている。ソフィも時々顔を出しているよ」


「――――」


「スズカは皆のためにご飯作って、今はヴァイオリンの弦をチェックしてる。前の戦いですごい無茶したのに、それでもまた頑張ろうとしている」


「――――」


「フレアは『ヘヴンズプログラム』の調整とパワーアップのために頑張ってる。ヴォイドさんが間に入って、『組織(アセンブリ―)』の手も借りてな」


「――――」


「澪は片目で戦えるようトレーニングしてる。不思議と、前よりも調子がいいみたいだ。織の力が関係しているのかもな」


「――――」


「セラは武器の手入れしてる。澪が負傷して、スズカの記憶のこともあって、落ち込んでいるのはセラもだ。そしてお前のことも心配してた」


「それで、お前は?」


 挑発するように、蓮は問う。


「お前が泥沼にはまりそうだったら、僕がぶん殴って目を覚まさせてやる。そう――言ったよな。いい加減覚悟決めろよ、リーダー!」


「ッ――お前に何が分かる!」


 力の限り蓮は叫び、それに黒乃も応える。


「なら教えてくれよ、夜代蓮!」


 ――冷たい風が吹き抜ける。

 今、二人の間には明確な壁が出来上がった。蓮が越えるための壁。黒乃がそこに杭を撃ち、登る手助けをするための準備。あとは、その時が来るまで待つだけだ。


「残り十一時間で、剣の効果は無くなる。そこでお前のすべてを僕にぶつけてみろ」


「――――」


 蓮は言葉を返すこともなく、逃げるように踵を返した。

 空は曇天――太陽は見えない。

 黒乃は、もう長いこと青空を見ていないような気持ちになった。


 時刻は午後二時。昼間のうちに当面の食材を買い込んでおこうと思ったスズカは、セラと共に最寄りのスーパーまで買い出しに行こうとしていた。

 最寄りとはいえ往復で一時間弱はかかる。なので元々『月夜野館(つきよのかん)』の跡地を訪れるために使用したレンタカーを使おうと考えていた。


「あの……私も一緒に行ってもいいですか?」


 すると、あまり聞き覚えのない声が聞こえた。スズカとセラが振り返ると、そこにはアリサが立っていた。これまで接してきた『夢幻世界(ヴィジョンワールド)』のアリサ――つまりソフィではなく、元々この世界に生きていたアリサ・ヴィレ・エルネストだ。


「ええ、いいですよ。行きましょうか」


 スズカはそれに了承した。何故ならもっとアリサのことを知りたいと思っていたからだ。

 船を降りてレンタカーに乗り込んだ三人は、ナビに道案内を任せてゆっくりと進む。

 運転はセラ。助手席にはスズカ。後部座席にアリサという配置。


「……思えば、私たちがこれまで接してきたアリサちゃん――ソフィちゃんと、貴女は別人なんですよね」


 走り出してすぐ、スズカが話を切り出す。そう、スズカとしてはこの話をするためにアリサの同行を許可したのだ。島で初めて二人目のアリサの存在を知り、そこから成り行きで行動を共にしているが、実際のところまだ彼女について知らないことが多い。


「その……はい。ごめんなさい、騙していて」


 アリサは頭を下げ、その様子をセラがバックミラー越しに確認する。


「別に怒ってなんかいないわよ。アリサ・ヴィレ・エルネストの入れ替わり――相手が『K』でなければ、中々いい作戦だと思う。ヴォイドも、アンタも、ソフィも、フィーネも、最善の行動をしただけよ」


 フォローを入れるようなセラの言葉に、思わずスズカは笑みを溢す。黒乃にも、ソフィにも、そうやって温かい言葉をかけてきたのだ。いつもの仏頂面に愛想のない声音だが――やはりセラは、静かに燃える情熱的なタイプだと思う。


「……あ、ありがとう。そのセラさんのこと、もっと冷たい人なのかと思ってた」


「その反応飽きてるから。っていうか、私に敬称は必要ないわ。私だけじゃなく、他の皆にもね」


 スズカが横で強く頷く。


「アリサちゃんはもう仲間ですからね。私のこともスズカで構いません」


 アリサは少しあっけにとられたような表情をしてから、静かにその名前を呟いた。


「その……うん、わかった。よろしく、セラ、スズカ」


 車は走る。海が見える国道を進み、普段見ない景色をアリサは興味深く眺めてた。


「それで、どうしてアリサちゃんは一緒に買い物に?」


「兄さんに、晩御飯作ってあげたくて。前にオムライス作ったことがあったんだけど、その時は少し失敗しちゃったから」


 アリサの表情は浮かない。ヴォイドの寿命の件――そしてアリサとの模擬戦の件は既に全員が把握している。だからスズカもセラも、なんとなく察しがついた。

 言い切ってしまえば――ヴォイドが今夜食べるものが文字通り最後の晩餐になる。

 おそらくヴォイド本人の希望もあるのだろう。故にアリサは、その食材を用意しようとついてきたのだ。


「そうですか。……でも、もう一つ、ありますよね。理由」


「え」


 思わぬスズカの言葉に、アリサは少し驚いた様子を見せる。


「ソフィのことね。大方自分が外に出れば、彼女がヴォイドに会いやすいと考えてのこと、でしょ?」


「ええ⁉ な、どうして……?」


 どうして自分の考えていることが分かったのか、率直に聞いてしまうアリサ。


「どうしてって言われてもね。大体の事情は知ったし、それになんだかんだ、少しの時間とはいえソフィとは一緒に過ごしていたのよ」


「……まあ、大体分かりますよね」


 そこはかとなく経験を積んでいる感を出す二人だった。『組織(アセンブリ―)』に所属していた時は、そういった読み合いは日常茶飯事だったのだ。そういう意味ではやはり、アリサよりも二人の方が上手と言える。


「それで受けるんですか? ヴォイドさんとの模擬戦」


「っ……」


 アリサは分かっていた。ヴォイドの言う模擬戦が、以前言っていた免許皆伝を果たすための最終試験であり、兄からの最後の贈り物なのだと。受けないわけにはいかない。

 運命を変えるためには、想いも力も、どちらが欠けてもいけないのだ。

 だからこそ示さなければならない。兄を安心させるために――自分のすべてを。


「受ける。兄さんも覚悟を決めた。だったら、私が悩んでいていい理由なんかないから」


「そのセリフ、どっかの馬鹿兄にも聞かせてやりたいわね」


 澪を代弁してセラは言ってやった。馬鹿兄――スズカはもちろん蓮のことを思い浮かべた。

 蓮は今、迷い、悩み、沈んでいる。こうならないために、スズカは自分から記憶を諦めようと告白したのだが結果はこれだ。

 いや、むしろあの花火大会での出来事があったからこそ、まだこの程度で済んでいるのかもしれない。


 ――それでも、希望はある。蓮のことは黒乃が引き受けるといっていた。

 ならばスズカのやることは決まった。


「剣の効果が切れるのは、午前一時前後ですよね」


「うん。黒乃がそう言ってた」


 それぞれの舞台は既に決まっている。アリサとヴォイドは『月夜野館』の跡地で。黒乃と蓮は、澪の作った足場をもとに海上で。

 今夜午前一時。船をまたいで二組の戦いが行われるのだ。そしてスズカは、ただ見守るつもりはなかった。


「実は、新しいヴァイオリンを取り寄せたんです。『モノクローム』で壊されてしまった魔術用のヴァイオリンと同じものを。今夜一時までに調律を済ませておきます」


「って――まさか弾くつもりなの?」


「ええ。蓮くんもヴォイドさんも、『共鳴歌(ヴィブレイド)』による魔力譲渡があった方が楽でしょうから」


 その言葉に驚いたのはセラだけではない。アリサもだ。蓮という建前がありながらも、ヴォイドにまで魔力譲渡を行ってくれるのは素直に考えればありがたいことではある。だがアリサは、昨日スズカが無理をしていたことも知っている。

 今は手袋で隠れているが、スズカの左手にはその時に付いた傷がある。スズカの無茶に耐え切れず、込められた魔力のコントロールがブレて切れてしまった弦が要因となった傷。


「……本当に、いいの?」


 アリサは問う。そしてセラはこう思った。


 ――いいの、なんて聞き方じゃあ、スズカはノーとは言わない。


 スズカは一度決めたら頑として想いを貫こうとする。以前ジェイルズ・ブラッドからクレイジー扱いされた芯の強さだが、やはり頼もしくもあればどこか不安にもなる。

 それでもアリサは、純粋にその厚意に甘えることにした。それがきっとスズカが一番望んでいることだと理解したうえで。


「――ありがとう、スズカ」


「いえ、私はただやるべきだと思ったことをやるだけです」


 その言葉は奇しくも、ヴォイドが黒乃に言った言葉と同じものだった。


「ところで話は変わるんですけど、セラ。東京でコンビニバイトしてたって本当ですか?」


「ぶ――⁉ 何故それを!」


「え? 何の話? できれば聞いてみたいんだけど」


 アリサが話に食いつく。そこでセラは察した。

 ――ああ、話のだしにされたな、と。


 船内の一室。空は曇天だが、窓から海がよく見えるその景色を、ヴォイドは密かに気に入っていた。

 ふと、部屋の扉がノックされる。

 

「誰だ?」


 ゆっくりと、おどろおどろしく扉を開けたのは白髪紫眼の女――ソフィだった。

 ヴォイドはふと、その姿が以前よりも生気に満ちているように見えた。以前のソフィは顔色も悪く、髪も傷み、体調もよく崩していた。薬は常用しているし、黒乃と出会ったきっかけも、あの日倒れて偶然あの病院に救急搬送されたからだ。


 一言でいえば、今にも死にそうな希薄な存在だった。


「……あの女がいないうちに、少し、話しておこうと思って」


 今はどうだろうか。別に劇的な変化があったわけではない。外見も特に変わらず、顔色も少し良くなったくらいか。とはいえ、明確に何かが変わっていた。おそらくは――意思、だろうか。


 『破滅願望(はめつがんぼう)』――常に死ぬことを考えていた以前と比べて、今のソフィは未来に前向きになっている。死ではなく生へ。闇ではなく光へ向かっているのだ。

 だがその足取りは危うく、一歩間違えば、また足を踏み外してしまいそうだ。


 だからヴォイドもまた、話をしておこうと思った。できるかぎり――もう一人の妹に、自分の意志を。


「そうか。それで?」


「……覚えてる? 初めて私と会った日のこと」


 それはまだ、ヴォイドが夜代蓮(やしろれん)と接触する前のことだ。

 ヴォイド、フィーネ、アリサはその日、ソフィと邂逅を果たした。ソフィはその時、心の底からこの世界のアリサ・ヴィレ・エルネストの在り方に驚いていた。

 この世界のアリサには母がいて、兄がいて、大切だと言える人までいた。

 一方でソフィは天涯孤独のまま頼れる人など誰もおらず、潔白の身を汚される日々を過ごした。その果てに祝福された命さえ失い、絶望し『破滅願望』を宿し――戦いの果てに死ぬことを夢見てこの世界へ来たのだ。


 何故、世界はこんなにも自分にだけ残酷なのだろう。衝動に身を任せてすべてをぶつけた。

 ヴォイドは哀れみながらもアリサとは別人として扱い、フィーネはすべてを受け入れソフィを包み込み、そしてアリサはまだ何も知らぬ哀れな子羊だった。


「ああ、覚えている。すべてが急で、『起源選定(きげんせんてい)』は嵐のように始まった」


 正確な時系列としてはアリサが別のエルネストに襲撃され、その後町を離れるまでの間に、ソフィがこの世界に来たことになる。ヴォイドが蓮と接触したのは、黒乃(くろの)が病院の屋上でソフィに出会うまでの一週間の間だ。

 そして『モノクローム』で戦いの幕は上がった。


「……あの時の私は何もかも失くしていた。でもフィーネが、黒乃が、そして……あなたが、私にくれたの」


 ソフィはそっと心臓の鼓動を感じるように、胸に手を置いた。


「……ここが温かくなる、目には見えない何かを」


 昔は持っていたのかもしれない。もしかしたら初めて手にしたものかもしれない。それでも、うまく言葉にできない温かい気持ちを――ソフィは確信したのだ。


「フィーネさんや黒乃君は分かるよ。だが、オレは何もしていない。何もしてやることはできなかった」


 否定するようにソフィはかぶりを振る。


「……それは私がそう望んでいたから。私がもっと早く、あなたを兄だと認めていれば、何かが変わっていたかもしれない」


 この世界のアリサとして振舞っていた頃の、ヴォイドとの一定の距離がある関係は意外と嫌いではなかった。単純な利害関係だけで構築された関係――それは憔悴しきったソフィにとって、ちょうどいいものだった。

 だがフィーネが死に、黒乃が光を見せ、そしてアリサ・ヴィレ・エルネストへの憧れを抱くうちに――ヴォイドを自然と兄のように思うようになったのだ。

 それがもう少し早ければ、ソフィは自らのうちに秘められた『十四番目(ジョーカー)』に気づき、状況は大きく好転したかもしれない。


「確かに変わったかもしれないな。だが過去は悔やんだって変わらない。例外は今回だけだ」


 ヴォイドはおそらく初めて、ソフィへ向けて笑って言葉をかける。


「だがお前が悔やむことはない。それでも思うところがあるなら、それを背負ったまま未来に進んでくれ。ソフィ――もしお前がオレにできることがあるとすれば、それはオレの分まで生きることだ」


 そしてソフィを未来へ歩ませること――それがヴォイドにできることだ。


「……でも、私はもう……」


 病院に救急搬送されたあの日――神丘(かみおか)医師によって申告されてしまった。

 余命はあと一年。戦いの傷と薬物の後遺症、そして精神的な問題でそう長くは生きられないだろうと。


「だが――希望はある。……頼む、生きてくれ」


 枯れたはずの涙が溢れてくる。ヴォイドと話していると、どうしてもソフィは思ってしまうのだ。


「わ! ……私は!」


 また自分の前から、大切な人が消えてしまうのか。また光を奪われるのか。また闇の中へ沈むしかないのだろうか。


「私は――黒乃が好きになってしまった……! 一度捨てたはずのアリサ・ヴィレ・エルネストを取り戻したくなってしまったの‼ ねえ……教えて……ッ、私は……どうしたら……いいのよぉ……」


 泣き崩れるソフィにヴォイドは最後の置き土産を残すように告げた。おそらくヴォイドにはこの先のことが分かっていて、その言葉を伝えたのだろう。そのエメラルド色の双眸は、自らがいなくなった後の景色を見ていた。


「――なら、奪ってしまえばいい」


「………え?」


 何かの聞き間違いかと思い、ソフィはもう一度聞き返した。


「アリサという存在を奪い、黒乃君を奪ってしまえばいい」


「……な――何を……⁉」


 いくらなんでもそんなことを言われるなど、想像もしていなかったのだろう。

 ソフィは戸惑い、言葉を失う。


「どういう意味かは解釈に任せるさ。――だが一つ忠告しておく。オレが十五年間共に生きてきた妹は強いぞ」


 それは――ソフィの前に新たな道が見えた瞬間だった。


「道は道の先にある。それが直線か分かれ道かはわからない。もしかしたら枝のように分かれた道の先で、違う結末を迎えることもあるだろう」


「…………」


「だがとにかく言えることは、進まなければ道は現れないということだ。過去に縛られることも、迷い立ち止まることも、否定はしない。それは、未来へ進むために絶対に必要なことだ。だからすべてを受け入れて、そのうえで生きろ。命を使え」


 ソフィは頬に張り付いていた涙を強引に拭い、迷いのない眼差しでヴォイドを見つめた。

 また一つ――彼女の中に光が灯る。


「……今の言葉、天国で後悔しないこと祈っておきなさい」


 強気にはなったその言葉を、ヴォイドは笑って返す。


「ふっ、オレが天国に行けることを祈っていてくれるなら、そうなるかもな」


 それはかつて、手を汚した経験のあるヴォイドだからこそ言えることだった。一方でソフィは余計なことを言った、とでもいうように顔を背け、部屋を出るために踵を返す。

 ソフィはなんとなく、これが自分とヴォイドの最後の会話なのだろうと直感していた。

 だからこそ――最後に言葉を残す。


「……あなたとあの女の戦い、見てるわ。だから私のことも見守っていて……兄さん」


「――仕方ない妹だな」


 ソフィは再び、堪えきれなくなった涙を一筋――その頬に流した。


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