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『生命の変革/if you stop changing,people will die』

 『You(ユー) have(ハブ) Control(コントロール)』。


 『Awakening(アウェイクニング) Heavens(ヘヴンズ) Program(プログラム)』――『IGNITION(イグニッション)』。

 

 ポイントオブノーリターン――それはこの先、もう後戻りはできないという意味だ。

 変身――剣崎黒乃(けんざきくろの)が宣言したその言葉は、文字通りその存在を変革させる。

 

 拡散する光子と共にコンマ数秒で体を包み込む黒金のフレーム、蒼穹を思わせる綺麗な青色が浮かぶ鎧。

 『K』の纏う禍々しさなどはなく、顔面もロールシャッハテストのように見た者の精神を試したりはしない。凛々しく気高い騎士のようなその顔は、見る者、存在するすべてのものに希望を与える。


 精練された鎧はとても重い。単純な重量という意味ではない。


 剣崎惣一朗(けんざきそういちろう)が愛するアリシア・ヴィレ・エルネストを救うために開発された力。

 ヴォイド・ヴィレ・エルネストと神丘訪汰(かみおかほうた)が命を繋ぐために与えてくれた力。

 ルドフレア・ネクストが完成させてくれた力。

 アルフレド・アザスティアが託してくれた力。

 夜代蓮(やしろれん)が、夜代澪(やしろみお)が、遠静鈴華(えんじょうすずか)が、セラ・スターダストが時間を稼いでくれたことで帰還できた力。

 エルネストの悲しき運命を――超えるための力。


 そして何より――『剣崎黒乃』が『アリサ・ヴィレ・エルネスト』を守るための力。


 黒乃は一度、背後に目を向けた。剣に貫かれたヴォイドの体を治療するソフィの姿。酷く痛々しい、疲弊しきった仲間たちの姿。

 再び前を向き、正面にいる『K』と向かい合う。


 悲しいほどに――冷静だった。

 『K』に対する怒りや憎しみはあった。だが完成した『ヘヴンズプログラム』に搭載されたAI『ターズ』が、一定の感情が増長されて暴走されることを防いでいる。

 それゆえに生身でいる時よりもずっと思考が鮮明だった。手足に動けと命令を出している電気信号の感覚まで把握できているような、不思議な感覚。集中すれば時を引き延ばし、一秒を永遠に認識することも可能だろう。

 実際にこの瞬間も思考の整理を行うために、それは無意識下で行われている。


 『K』との距離はおよそ二十メートル。

 ――一歩、一歩だ。それで思いっきり、ゼロ距離で叩き込める。


「――すぐに、終わらせる」


 ソフィによるヴォイドの治療が完了したことを確認してから、黒乃は一歩踏み出した。

 それだけで『K』との間に空いた距離はゼロとなり、黒乃は強く、その拳を握り――放つ。


「うぉぉぉぉ――――おおおりゃああぁァァァ――ッ‼‼‼」


 防御させる暇など与えない。最初からこの一撃ですべてを終わらせるつもりで放つ。


「な――ッ⁉」


 『K』の纏う鎧の仮面が粉々に砕かれるのと同時に、その体は一直線に吹き飛ばされる。


「グ――がァ――ッ⁉ ハ⁉ ――、ッ――――ッ⁉」


 その威力はまるで加速したミサイルを当てられたようなものだった。

 『K』はただ、人の身を超えた速度と威力で殴られただけだと理解していた。だが脳が理解しても体が反応したのは数秒遅れてのこと。

 空中で受け身の態勢に入ることもできず、『K』の体は砲弾のように飛んでいく。


 そして――それに追撃を仕掛ける物体があった。無論『ヘヴンズプログラム』を纏った黒乃だ。


「ッ――ぐぅ――‼」


 黒乃の追撃が『K』の顔面を捉えるまで、あと三秒、二秒、一秒――。

 『K』はすんでのところで両足で大地を捕まえ、迷いなく一直線に飛んでくる黒乃に向けて剣を引き抜いた。

 蓮の持つ白刀『刹那(せつな)』と同じように切っ先から柄までを白く染められ、しかし鍔には淡い桃色の、薔薇をモチーフとした装飾。そして、その刀身は純白のヴェールによって覆われている。


 刹那――二人の鎧が強制的に解かれるのと同時に、上空から淡く発光する白い羽根が舞い降りる。

 この羽根には見覚えがある。

 そう、『モノクローム』でフィーネ・ヴィレ・エルネストが使用した『十二番目(ミゼリコル・トゥエ)の剣(・レーヌ)』の能力だ。


 黒乃の拳は『K』の顔の数ミリ手前で止められ、『K』の構えた剣は黒乃の首元の数ミリ手前で止まっている。

 

「――――」


 仮面を外した『K』の素顔がよく見える。その顔は黒乃と似ているようで、どこか違う。失われた左目と紫色の右目――髪は黒髪だが、根元が白くなっている。おそらくは染めているのだろう。


「――――」


 一方で『K』も黒乃の顔を無表情で見ていた。『ヘヴンズプログラム』を解かれ、露わになった黒乃の素顔。

 ――左目が紫色になり、髪の一部が白く染まっていた。


 『K』はその時、鏡を見るように――黒乃に己の過去を投影していた。『ヘヴンズプログラム』の暴走を重ねるうちにエルネストの側へ寄っていく自らの姿。『この』剣崎黒乃もまた、同じ道を今――辿っている。


 一度、黒乃の視線が『K』の構えた剣へ向く。『十二番目(ミゼリコル・トゥエ)の剣(・レーヌ)』――その能力は、使用してから二十四時間の間、一切の戦闘行為を禁ずる。

 『闘争の調停』――それこそ『慈愛(クイーン)』を宿す剣の姿。


「――――」


 ゆっくりと、構えた拳を下ろす。

 

 ――すべてが、黒乃の想定内だった。この剣の能力は所有者につき一回しか使えない制限がある。

 これを『K』に使わせることこそが、黒乃の狙いだったのだ。かつて『K』がフィーネに行なったように。


「――これで僕は、お前の『十二番目(ミゼリコル・トゥエ)の剣(・レーヌ)』を使わせた。次だ、次でお前と僕の戦いに決着をつける! 『K』――いや、並行世界の僕自身、剣崎黒乃ッ‼」


 変革の一歩を遂げた姿で、黒乃は高らかに宣言したのだった。


 三月二十四日。時刻は午前三時。『十二番目(ミゼリコル・トゥエ)の剣(・レーヌ)』の能力で一切の戦闘行為を禁じられてから二時間弱が経過した。


 残り二十二時間――この世界からありとあらゆる戦いが根絶される優しい時間が続く。

 黒乃(くろの)たちは『K』とジョイを島に残したまま、しかしその行動を把握するため、島から海上へ中継点を設置してドローンという監視手段を用意した。そして一度、(みお)やヴォイドの治療や他の皆の回復を行うため、船に乗って本土に戻ることにした。


 『K』が時間稼ぎの手段を使い切った以上、おそらくは次の戦いが最後の――決戦になるはずだ。

 万全の状態を整えて臨まなければならない。幸い、行きに乗ってきた船は無事に残っていた。


(――戦いの準備、か。きっとこの二十四時間は――武力を行使しない、交渉のための時間だってのに。なんだか皮肉だ)


 船の甲板で、黒乃は明かりの無い海を見ながらそんなことを考える。紫色に染まった左目、白色が混じるようになった黒髪。今の黒乃はエルネストと普通の人間のハーフのような見た目だ。


「――今晩は」


 その声は、不意に背後から聞こえた。


「ッ……?」


 足音も何もなかったため、黒乃は驚いて少し肩を浮かせた。


「あら、驚かせてごめんなさい」


 振り返ると、そこにはブラックドレスを着た女がいた。日本刀を携え、高いヒールを履いている。なんだか和洋折衷の剣士といった風体だ。その濡鴉と黒い瞳は、周囲に広がる明かりの無い海よりも深く、底の見えない何かを感じる。


「……君は? (れん)の姿が見当たらないのは、何か関係があるのかな」


 彼女はゆったりとした足取りで黒乃の隣に来る。思わず――見惚れそうになった。何と言うか、不思議な感覚だ。品のある所作、女性らしい仕草――それらが嫌味なく行われている。

 魅力的だ。だが、一度その存在に心を奪われてしまえば、自分が自分ではなくなってしまう予感があった。美しい――美しすぎて、感嘆を通り越して恐怖さえ抱く。

 その切れ長の眼は、いったいどれほどの生殺与奪の権を握っているのだろう。


「ふふ――怖がっているのね、可愛らしい。わたしの名前は夜代織(やしろしき)――蓮の体は今、わたしをこの世に留める触媒となっているわ」


「つまり、君が蓮ってこと?」


「まあ……間違いではないわね。それにしても――その髪と眼、随分とかっこいいじゃない」


「……そうかな、案外評判悪いんだけど。さっきだって――いや、いいけどさ」


 意識を取り戻した澪からは中途半端でダサいと言われ、スズカからは解釈違いだと言われ、アリサもソフィもどこか悲しげに見つめるだけでノーコメント。唯一カッコいいと言ってくれたのはセラとルドフレアだけだ。

 どこかアンニュイな表情で、黒乃は再び海を見つめる。


「――変わりゆく自分が怖い?」


「そりゃあね。怖くならない人はいないよ。……それに、ヴォイドさんのこともある」


「傷は彼女が治療したようだけれど?」


 確かに、傷はソフィが剣の能力を使用して治療した。だが一度失われたものは元には戻らない。例えば切断された左腕。例えば――剣の反動で失ったもの。


「『ヘヴンズプログラム』が暴走した時、頭の中に『十四本(フォーティーン)の剣(・ブレイド)』の全部が流れ込んできた。ヴォイドさんが持っていた『十一番目(オース・オブ)の剣(・ジャック)』の能力は、端的に言えば潜在能力の解放。限界以上に身体能力を引き上げることができる。でもその反動で――」


 そこで一度、言葉が途切れた。黒乃は悔しそうに拳を強く握り、奥歯を噛み締める。


「反動で――――?」


 だが、織は――その先を求めた。

 攻め立てられるようにして黒乃はゆっくりと口を開く。


「ッ――――、寿命を……失う……」


 ヴォイドは既に剣を――カードを持っていない。だがそれでもやはり、失われたものが戻るわけではない。


「ヴォイドさんはまだ目を覚まさない。カードを奪われても『心無き者(ホロウサイド)』に堕ちていないのは、多分アリサが言うように人間の血液が関係しているからだと思う。――でも、命の燃料が、一番大事なものがもう……!」


 当然だ。『ヘヴンズプログラム』を纏った『K』を、片腕を失った状態で長時間相手していたのだ。どれほど身体能力を強化すれば、生身でそのようなことができるのか――計り知れるはずもない。

 すべては時間を稼ぐためだった。アリサと黒乃が帰還するための時間稼ぎ。


(――僕が暴走なんてしなければ……! もっと早くこっちに戻ってこられたら……ッ!)


 黒乃は声には出さないが、そう思い、後悔せざるを得なかった。


「……けれど、人はいつか死ぬわ」


 そんな黒乃の心に切り込むように、織が言う。


「な……ッ」


 声を荒げる黒乃の唇に、織は静かに――と人差し指を当てた。


「エルネストは人間よりもずっと丈夫で、長生きするわ。でも――いつかは必ずその命は無くなる。別に死に前向きになれとは言わないけれどね。でも死を嘆いて否定するよりも、涙を流しながらでも受け入れることが大切なんじゃないかって――わたしは思うわ」


「……」


 織から目を逸らす。その強さは、今の黒乃にとって直視できないものだ。彼女の語る考えが、今自分の抱えている想いよりもずっと前向きで、強くて、正しいものだったとしても――それでも、そう簡単に受け入れられるはずがない。


「――わたしね、もう死んでいるの」


「…………え」


 織はとても穏やかに微笑んでから、近くの手すりに背を預けた。そして腰に携えた日本刀を持って、どこか寂しげな声を出す。


「今こうしてここにいられるのは、この刀に込められた一度分の奇跡の力を使ったから。――『一夜(ひとよ)だけの幻想』。夜明けとともに、わたしは再び無へ還り、代わりに蓮が戻ってくる」


 それから織は緩慢な動作で甲板を歩き始めた。特に意味のないことだが、織はそれを楽しんでいるようにも見える。


「――でもね、怖くはないの。一度目の時は、それはもちろん怖くて怖くて堪らなかったけれど。でもわたしのことをずっと覚えていてくれる仲間がいるんだもの」


 ゆっくりと織は右手を夜空にかざした。


「わたしが死んでもその人が覚えていてくれる限り、わたしがここに居た痕跡が――この世界に生きていた証拠が残るのよ」


 伸ばした手をそのまま口元に当てて、人差し指で唇をなぞる。その動作はきっと、誰もが見惚れるほど艶やかなもので――何か、魂まで奪われそうな芸術を目撃しているようだった。

 

「――だから、なんか、良いの」


 その声からはどこか、命を尊ぶ高潔さを感じた。

 再び織は、優しく柔らかに微笑み、黒乃に向かい合う。


「わたしのことが怖い? それは未知への恐れ。――それも受け入れなさい。すべてを受け入れて新たに生まれる自分を、祝福するのよ」


 人は変わる。生きることは変化し続けるということだ。だが人は時として、急激な変化を恐れる。変革の先に在る自分を果たして自分と呼べるのか。自分が自分ではなくなってしまうのではないか。僅かな葛藤は進むべき道を惑わせ、そして変化を拒絶し立ち止まった時――命は(かんせい)する。


「新たな自分を、受け入れる……」


「そうよ。それに貴方には――変わる前の自分を覚えていてくれる人がいるじゃない」


 黒乃はゆっくりと両手を広げて、ただ眼差しを向けた。

 

「――それじゃあ、わたしはこれで失礼するわ。残り僅かな時間、話したいことはそれなりにあるもの」


 不意に――織の視線が黒乃から、船内へ入る扉へ向けられた。


「あ――ちょっと待って!」


 束の間、黒乃は咄嗟に織を呼び止める。織は微笑みを崩さないまま少しだけ首を傾げた。


「何かしら?」


「……ありがとう。君の言葉で、新しい何かが見えた気がする。だから――っていうのも変だけど、僕も君のこと忘れないよ、織」


 織はほんの一瞬だけ、黒乃の言葉に意外そうな表情を浮かべた。それからすぐにいつも通りの余裕のある笑みを浮かべると、たった一言、告げた。


「――ありがとう、黒乃。それじゃあね」


 それが、剣崎黒乃と夜代織の最後の会話だった。織は扉を開けて船内へ入って行く。

 

「――うひゃぁ⁉」


 スズカの声だ。


「ふふ――盗み聞きをするなんて、悪い子ね」


「ちょ、ちょっと――下ろしてください織! 織ぃぃ――!}


 何事かと黒乃が通路を覗くと、そこにはスズカをお姫様抱っこしながら歩く織の後ろ姿があった。


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