『剣は流星の如く/Awakening Heavens Program』
★
状況は膠着していた。無理に『共鳴歌』を続けようとして織に気絶させられたスズカ、戦闘不能となった澪の手当てをするルドフレア、『K』への対抗策を考えるセラ、そして自身の行く末を決めあぐねているソフィ。
「……」
いつになったら剣崎黒乃とアリサ・ヴィレ・エルネストが戻ってくるのか、見当もつかない。状況を打破するカギになるであろう夜代織が、宣言通り『ダーカー』をすべて破壊したとしても、まだ『K』がいる。
『K』に対する有効手段を、誰も持ってはいない。
唯一可能性があると思われるセラ・スターダストの全力も、今は封じられている。どういう理由か、ジェイルズ・ブラッドとレベッカが今回の戦闘に参加していないこともあって、封印を解く手段もない。
文字通りの八方塞がり。
「……」
――破滅。このままいけば、それが待っている。きっとおそらくは、いつかのソフィが望んだ破滅が。
遠雷の如く、何かが弾けたような轟音が聞こえる。『K』とヴォイドが戦っている音だ。
ソフィは両者が戦っているステージ――島の中心に視線を向けた。
大型の地震によって地盤がせり上がり巨大な丘となっているその頂上で、死に物狂いでヴォイドは剣を振るっている。
無論ここからではその姿は見えないが、ソフィの中には『あの男なら絶対にそうしている』という確信があった。
最愛の妹であるアリサ・ヴィレ・エルネスト。自分とは別の自分を守るためなら――彼は戦う。
彼は元々エルネストそのものを救おうだなんて思っていなかった。未来からの来訪者である蓮たちと接触し、『起源選定』をただ終わらせるだけでは世界の未来はないと知るまで、彼は他のエルネストすべてを自らの手で殺害し、最後に自決しアリサ・ヴィレ・エルネストを勝者にしようとしていた。
もっとも、フィーネ・ヴィレ・エルネストの存在がある以上、それは実現しない机上の空論だろうが。要はそれだけアリサを大切に思っているということだ。
だから、それが不可能だと分かっても、ヴォイドは精一杯アリサを戦いから遠ざけようとした。
アリサが大切にしている黒乃についても、同じように必死に守ろうとした。
「……」
ソフィは音もなく、爪が皮膚を破るまで、強く拳を握る。
――『あの女』のどこに、それだけの価値があるのだ。私だって――同じアリサ・ヴィレ・エルネストだったのに。
不意に、今までで一番大きな衝撃があの丘を中心に拡散する。同時に何かの物体が空中に打ち上げられた。それがヴォイドの体だと気づけたのは、鎧を纏った『K』が追い打ちをかけたからだ。
「――何か、何か方法はないの……!」
セラが声を荒げる。その表情を見ても、明らかに焦っている。
再び衝撃が奔る。ヴォイドが地面に叩きつけられた衝撃なのだと想像するのは容易かった。
その瞬間、ソフィの胸の奥に何かが奔った。まるで針を刺されたような小さな、けれど決して無視できない痛み。その痛みを以前にも感じたことを覚えている。
それはフィーネが死んだ時のことだった。この世界のアリサの母親である彼女が死んだ時、ソフィは本当に悲しみを覚えた。フィーネとは数えるほどしか会話をしなかったが、彼女はまるで本当の母親のように優しくしてくれた。
白状するとソフィも、彼女のことが嫌いでは……なかった。
黒乃は一歩踏み込んでソフィを変えようとした。
フィーネはただ優しくソフィを受け入れてくれた。よく頑張ったねと、頭を撫でてくれた。
だけどヴォイドは……ソフィとアリサをはっきりと区別していた。アリサに見せた表情をソフィに見せることはなかった。
(……でも、なんで。なんでこんなにも……胸が痛いの)
冗談じゃない――と、ソフィは一歩踏み出す。
「どこへ行くつもり? ヴォイドを助けに行くのかしら? 無策で行っても死ぬだけよ」
ソフィは足を止めた。そこでようやく自分が、考えるより先に体が動いていたことを自覚する。
(……ッ、何をやっているの、私は。別にあの男を助けに行く義理なんて……)
だがこの胸の痛みを消すためには、行くしかない。そう――自分の体のどこかが、訴えている。
ならばどうする――、ソフィは思考を巡らせる。セラの言う通り無策で『K』と相対すれば待っているのは死だ。目を瞑る。指先を擦る。とにかく集中し、集中しきり、考え、考え抜く。
「……ルドフレア、答えて。『K』の『ヘヴンズプログラム』は完成したの?」
背を向けたまま、ソフィはテント内にいるルドフレアに問う。緊張状態の中で加速した思考の果てに見出した一つの可能性。そのためのピースを埋める質問――ルドフレアは、一瞬でそれを見抜いた。
天才らしく、ソフィが今一番望んでいる言葉を与えてやるのだ。
「――いいや、『K』が奪ったAIはまだ未完成だった。今は制御できているかもしれないけど、あれじゃあまだ不安定すぎて完成とは言えないよ」
(……これで少しだけ、希望が見えてきた。光が……!)
ソフィは再び、『K』とヴォイドの戦う丘へと向かおうとする。
その眼前にセラが立つ。
「――何か、策があるのね。説明して、私も手伝うわ」
その声音はいつも通りの愛想のないものだった。しかしその鋭い眼にはソフィに向けられた信頼があった。
そう、セラはソフィを信じている。自らの存在を偽っていたことなど気にもせず、むしろ受け入れた上で背中を預けようとしている。
ソフィはそんな『信頼』という優しく強い感情に耐えられず、思わず目を逸らす。
「……ついてきて」
それだけ告げて、二人は丘を目指す。ソフィの作戦は樹林を抜ける際に説明された。
「……私の『一番目の剣』には世界を超える能力がある。前に瞬間移動とか言ったけどあれは嘘。だからこれを使えば『K』を向こうの世界へ送ることができる」
道中に接敵することはなかった。機械兵である『ダーカー』は宣言通り、織がすべて引き受けてくれたようで、地面には首が切断されて行動を停止した無数のそれらが転がっている。
「そんなことが、できるの?」
「……多分」
ソフィは無論、黒乃とアリサが姿を消した理由が『世界を移動した』ことであることに気付いている。
おそらくは黒乃の『ヘヴンズプログラム』が完成し、ブランクだったカードがもう一つのジョーカーとなったのだ。エルネストが心を手にするということは、そういうことだから。
そしてこちらの世界のアリサ・ヴィレ・エルネストが宿した『十四番目』のカードがそれに共鳴し、結果的にアリサも世界を超えた。
――ソフィは漠然と、そんな風に考えていた。
「……『K』の『ヘヴンズプログラム』はまだ完成していない。そしてアイツがまだ『一番目の剣』を持ってない以上、一度世界を超えさせてしまえば……時間稼ぎくらいにはなるはず」
きっといつかは、『K』の『ヘヴンズプログラム』は完成するだろう。宿ったブランクカードは『十四番目』となりすべての剣を使えるようになるだろう。だけどほんの少しだけ、彼が帰ってくるまでの時間稼ぎになればそれで――、ソフィはそう考える。
「正直、剣とか『ヘヴンズプログラム』とかは測りかねているわ。でも、私は私のできることをしたい。だからアリサ、いえソフィ……、ま、どっちでもいい。とにかく私は、アンタを信じる」
揺れる薄緑色の前髪から覗く金と銀の眼が、少しだけ柔らかくなった。
「……あなたのこと、もう少し冷たい人だと思ってた」
愛想のない仏頂面に、鋭いナイフのような雰囲気。どこか情に薄い人間なのだろうと、そんな印象を持っていた。しかし先ほどの悔しそうな表情にソフィを信じるという言葉。
思いのほか優しい人なんだなと、率直に思った。
ソフィの言葉にセラは鼻を鳴らす。
「私もアンタと同じ。一度全部失ったから、もう何も失いたくないから。だから仲間を信じるのは当然よ」
「……仲間? なら、私が『K』の誘いに乗っていたら、どうしたの」
「少なくとも黒乃はブチギレたみたいだけど――アンタがそれを正しいと思ったのなら、その道を行けばいい。でも、もしアタシたちがそれを間違っていると思ったら、どう間違っているのかをアンタに教えてあげるわ」
妙な気持ちだった。黒乃の時とはまた別の感覚で、破滅願望が薄れていく。
上手く言葉にできないが不思議と心地の良い――温かい何か。ソフィはそっと、胸に手を当てた。
「ところで、アンタはどうして? ヴォイドはアンタの本当のお兄さんというわけではないのでしょう?」
ソフィは頷いて、それを肯定する。だが――世界が違えど、自分を肯定してくれた人がいたのだ。
「……フィーネは私を本当の子供のように思ってくれた。だから……なんとなく、分からないけど……私も、あの男を本当の兄のように思うべきだと、思うから」
自信なさげに言葉を綴るソフィを見て、セラはここでようやく、ソフィの人間性を理解した。
(ああ――この子は、私なんだ。復讐を望んで過去に縛られていた私と――)
復讐と破滅。過去に結びつけられた鎖によって結ばれたそれら。
セラは一度それを断ち切ったと思っていた。復讐は果たした。だがセラ・スターダストではなく瀬良明星としての起源に、決着はまだ着いていなかったのだ。
そういう意味では、セラは自らのトラウマを引きずり出してくれたレベッカに感謝していた。
まあ、この島でその姿を見ないことに関しては業腹だが。
それはともかくとして、今、セラが再び過去を超えようとしているのと同じように、ソフィも自らを変革しつつあるのだ。セラはソフィの過去を知らない。だがその眼を見れば、何かとても残酷なことがあったことくらい最初から察していた。
けれど――今のソフィの眼には、ほんの僅かな、一筋の光が射していた。
「ふ、いいわ。私がおとりになる。どうせ、簡単には死ねない体だし。その間に『K』をもう一つの世界に飛ばして――それでお兄さんを助けてあげなさい」
「……ええ」
★
「ッ――馬鹿か! 何故ここへ来た!」
風――一陣の突風。この場を吹き抜けていくそれはソフィの髪を大きく揺らし、垂れた前髪に隠れ気味だったその眼が――はっきりと映し出される。
迷いなきその瞳。
「……兄を、助けにきた」
ソフィは小さな声で、力強く言った。
「――『起点の鎖』――『その眼を開けなさい』」
ソフィの前に立つセラ・スターダストは、可視化した鎖を引き千切り、その力を解放する。
これから『K』の気を引きつけるにしてはあまりにも弱々しい力。しかしそれでもやるしかない。
ヴォイドの状態はもう限界を超えている。
今にも死んでしまいそうな生命力の薄いあの表情。あれでまだ剣を握れているのが不思議なくらいだ。
「邪魔にもならないなセラ・スターダスト。今の君は、全力の十分の一にも満たないだろう? ここまできては説得力もないだろうが、私はエルネスト以外を殺すつもりなどないのだよ。――下がれ」
「あら、一度私を殺したというのなら、本当に説得力もないわね。……ねえ、いいもの見せてあげるわ」
セラがブラックスーツの内ポケットから取り出したのは、連絡用に使っている端末だ。二〇二〇年の未来で市販されているものをルドフレアが改造した一品。
「――これには、さっきフレアが完成させたAI『ケース』が入っている。アンタが奪った未完成品じゃない、完成品。……アンタが今、喉から手が出るほど欲しいもの、でしょう?」
『K』は既に、ヴォイドの首を落とせる位置に――カードを奪える位置にいる。だとすればまず、何としてでも二人を引き離さなければならない。今この瞬間にヴォイドが生きていられるのは、生殺与奪の権利を握った『K』の気まぐれでしかない。
「交渉でもするつもりか?」
「ええ、そうよ」
『K』の視線はセラに向けられているが、『十三番目の剣』の刃は依然としてヴォイドの首元に構えられている。
「……これが交渉、か。ふ、その端末に入っているものが本物だと証明できるか?」
「いいえ。でもこれは本物よ。アンタの知るフレアなら、こういう時の交渉用として用意しておくとは思わない?」
まだだ。今のままでは、何か行動を起こしてもすぐに剣は振り下ろされる。だからこそ、もっとこの端末の重要性を『K』に刷り込まなければならない。
「それにアンタはすぐにでも『ヘヴンズプログラム』を完成させなければならない。だって黒乃が戻ってきたら、アンタは負ける。違う? だったらこれを何としてでも最優先して手に入れなければならない。他のカードを手に入れるよりも、エルネストの数を減らすよりも――何よりも」
そこまで言い切って――セラはノーモーションで端末を『K』のすぐ側に投げた。
すべてが掛かったこのタイミング、端末が地面に落ちるまでの滞空時間がまるでスローモーションのように長く感じる。
(一瞬――ほんの一瞬でいい。視線を向けなくても、ただ少し、剣を握り直す程度の『隙』で構わない……!)
かつて『モノクローム』で見届けたコインの結末のように、セラは感覚を研ぎ澄まし、意識が潜り込める穴を探す。弧線を描く端末は光を放ち夜闇を切り裂き、そして――一秒が永遠に思えたその時、『K』は隙を見せた。
おそらくは考えたのだ。ほんの一瞬、投げられた端末について。
『K』は端末を、セラの言葉を偽物だと見抜いていた。しかし、だからこそだ。偽物を偽物と見抜いたうえで、『その行為にどのような意図があるのか』を思考してしまったのだ。
無論、それは咄嗟の、反射的なものだ。抗いようのない無意識に行ってしまう癖のようなもの。
そして『K』は僅かに、ヴォイドの首と垂直になるよう構えられた刃を――傾けた。
それはまるで、ガンマンの早打ちの合図といってもいい。
「――――」
最初に動いたのはヴォイドだった。そうだ。この場において『K』が見せる隙に対して最も貪欲に、その時を待っていたのは彼だ。ヴォイドは剣を消失させ、手の角度を変えてまた出現させる。
自身に突きつけられた刃の根元に入り込むように――、そして刃同士を滑らせ、そのまま押し返す。
「ッ――――!」
即座に『K』に蹴りを放ち、その勢いを利用して後方へ。さらに剣を消失させ、開いた右手、強化した身体能力を存分に発揮し、バク転をしながら『K』との距離を生み出す。
通常であれば、『K』は即座にそれに対応していた。ヴォイドが剣を出現させた時点でカードを奪っていた。
だが――セラの放ったダガーがそうはさせなかった。
ダガーはヴォイドの手足の間を縫うようにして『K』に接近する。迎撃するにしても、そのような攻撃など効かないと放置するにしても、やはりその思考が隙となる。
セラの攻撃など構うことなく、ヴォイドへ接近。だが『K』がその行動を始めた瞬間――既に薄緑色の狼は走り出していた。
入れ替わるように、ヴォイドが後方へ、セラが前線へ出る。
「――ッ、君程度でどうにかなるものか‼」
漆黒の鎧から繰り出される拳。『モノクローム』では軽々と建物を破壊したその強大な一撃。セラはそれを――敢えて真正面から受けた。躱せばすぐにヴォイドやソフィに追い付かれる。
ならば攻撃を受けてそれをチャンスに変えるまで。
「ぐッ――――⁉」
電撃が奔る。骨の砕ける音が鳴る。内臓が水風船のように弾ける。破けた皮膚から血液が溢れ出る。
衝撃波は体を突き抜け、セラは必死の思いで何とかその場に踏み止まった。
まだだ。まだ倒れてなるものか。盾として使われてやる以上、全力で役目は全うする。
「がはッ――……‼」
大量の吐血――だが、この程度で死ねるほどセラ・スターダストは弱くない。
「――――邪魔だよ、セラ」
『K』は一撃を受けてもなおその場に踏み止まったセラを、真横に薙ぎ払った。その瞬間、金と銀のオッドアイが獲物を見定めるように鋭くなる。吹き飛ばされる瞬間――セラは叫ぶ。
「『施錠』‼」
瞬間、セラの両手が掴んだ『K』の全身を拘束する鎖が可視化する。
「む――⁉」
流石に予想外だったのか『K』は驚きの声を上げた。『K』の動きは封じられ、その状態で視界に入ったのは、『一番目の剣』を構えて向かってくるソフィの姿。
「なるほど……ッ……世界の移動か!」
『K』はセラ、そしてソフィの目的が、剣の能力を使い『K』を並行世界である『夢幻世界』へ移動させることだと直感した。
「ッ――この程度の鎖で! 私を! 縛れると思うなァ――‼」
鎖は強引に引き千切られる。ソフィの剣が『K』に届くまであと十数メートル。しかし『K』ならば一瞬でこの距離を詰められる。カウンターではなく、先手に回ることのできる距離だ。
だからこそ、そこで間髪入れずに――態勢を整えたヴォイドが『K』の足止めに入る。
『十一番目の剣』を逆手に構え、限界を超えて引き上げられた身体能力で肉薄する。
「――‼」
「邪魔だァ!」
ソフィが剣を振り下ろせる距離まで、あと十メートル。しかし狙いをソフィに絞り込んだ『K』はヴォイドを強引に薙ぎ倒し、とにかく進むことをやめない。
『K』は確実にこの状況でソフィのカードを奪い命を摘むつもりだ。放たれる殺意をソフィは正面から受ける。
そして一度――足を止めることが頭に浮かんだ。
「…………――」
それも一瞬。すぐにセラとヴォイド、傷を負うそれぞれの姿がフラッシュバックし――ソフィはより意思を強く固めた。
大地を強く踏みしめ、剣の柄を痛いほど握り締め、狙いを真正面に定める。
――だが刹那、『K』は既に後手から先手へと移っていた。圧倒的速度で距離を詰め、ソフィが刃を振り下ろすタイミングをずらされたのだ。
そうしてソフィの眼前に一切の容赦もなく迫りくる『十三番目の剣』。
「ぁ――――――――」
――死んだ。そう、思った。明確なる死のイメージ。刃が交錯する前に心臓に切っ先を突き立てられ、生命もカードも、己が持つものすべてを奪い取られる。過去に大切なモノを根こそぎ奪い去られ、そして今再び、もう一度芽生えたものが――蹂躙されようとしている。
――これが、私の望んだ『破滅』……?
最期に思い浮かぶことがこんな疑問だなんて――そう、自嘲しかけた。
――しかし刃が届くことはなかった。
何故なら王の剣は何かに弾かれるようにして、その軌道を変えたのだ。力強く弾かれた剣は『K』の手を離れ、地面に突き刺さる。
『K』とソフィの間に空いた僅かな空間。
「まだ――終わってないわ!」
そこに煌びやかに咲いた黒花――そう、夜代織が攻撃を防いだのだ。
愛刀『夜束ノ刹那』を使った『時間の切断』による――不可視の斬撃。
それが再び、千載一遇のチャンスを作り出した――!
「ッ――邪魔だァ‼」
再び『時空の切断』を繰り出す隙も無く、織の体は真横に吹き飛ばされる。
――だが、これで舞台は整った。ソフィは既に、『K』へ向けて剣を振り上げている。
「――『K』‼」
泣き叫ぶような声が響き渡る。それはこの場に走って駆けつけたアンドロイド――ジョイの声だった。
「――――ァァァァァァアアアアアアア――ッ‼」
それをかき消すように、ソフィは咆哮する。憎しみや破滅願望などではない。ただ生きるために、守るために、剣を握る。
魂の奥底から放つ叫び声と共に――今、過去に結びつけられた鎖を断ち切るため――死への絶望ではなく生命への渇望を込めて、黒刃を振り下ろす。
「――――フッ」
その瞬間、『K』が――嗤った。それと同時に『K』の纏う『ヘヴンズプログラム』が妖しく煌めきを放つ。ソフィは一度、それと同じ光景を見ていた。黒乃が姿を消す瞬間。世界を超える瞬間。即ちそれは――『ヘヴンズプログラム』が完成し、その真の力を発揮する時の光だ。
ジョイの存在が。『決して譲れない――神への殺人衝動が。この土壇場で『K』の『ヘヴンズプログラム』を完成状態に押し上げたのだ。
ソフィの死角となる位置。地面に突き刺さった『十三番目の剣』の姿が変わる。紫色の粒子を纏い、刀身の中心部が稲妻型になっている剣。
それは『五番目の剣』――。
ソフィはまだ、『ヘヴンズプログラム』が完成したことで、『K』がすべての剣を使えるようになったことに――剣が入れ替わったことに、気づいていない。
だがその光景を俯瞰していた彼は――そのエメラルド色の瞳で見つめていたヴォイド・ヴィレ・エルネストは、即座に地面を強く蹴り、雷鳴の如く駆け出した。
「――――チェック、メイトだ」
ソフィの剣が『K』に届く直前、『K』と『五番目の剣』の位置が入れ替わった。
「……なッ――――⁉」
ソフィの一刀は空振りに終わり、対して『K』はすぐさま剣を消失、再出現。エルネストの心――もう一つの心臓とも言うべき感情の起源を込められたカード。『K』はそれに手を伸ばす。
確実にここで一人――減らす。
かつて抱いた慈悲、温もり、情のすべてを斬り捨て――『K』はソフィに破滅をもたらす。
「グッ――、ァ――⁉」
はずだった。
「…………ぇ」
――赤が、滴る。赤、紅、朱、あか、アカ――鮮血。
雨の雫のように切っ先から流れてくるそれが、瞬く間に広がった。
「ッ――がッ――は、ッ⁉」
紫色の瞳に映ったのは、自らを庇って剣を突き立てられた、ヴォイドの姿だった。
『五番目の剣』の能力によって剣と『K』の位置は入れ替わった。
位置が、勝敗が、逆転した。そうしてソフィの死角に回り込み、『K』は剣を突き立てたのだ。
だがその間にはヴォイドが入り込み、剣はソフィではなく彼の体を――貫いた。
光――ヴォイドの胸に宿った温かく強い光が、剣を伝って『K』に流れていく。
「――『Ⅺ』、回収」
『K』がゆっくりと剣を引き抜き、そして切っ先はソフィに向けられる。一方でソフィは出血が止まらないヴォイドの体を抱きかかえ、息を荒くし、軽いパニック状態に陥っていた。
「……なんで……どうして……ッ!」
このままではソフィもすぐにカードを奪われる。それを何としてでも防ぐため、織が再び『K』の前に立ち塞がり、二人から引き離そうとする。セラもそれに続く。
「黒乃――ッ、アンタは……‼」
「私はもう剣崎黒乃ではない――‼」
『K』を何としてでも足止めしようとする織とセラ。二人の表情は、とても、やるせない感情を浮かべていた。悔しさで下唇を噛み、自責の念で圧し潰されそうになっていた。だが、後悔などしている暇はない。ここで迷って止まることは、絶対に許されない。
最後まで抗うことをやめない。それこそが最善だと信じて。
「もはや君たちでは足止めなどッ!」
『K』が両腕を勢いよく広げる。それだけの動作だが、起きた衝撃波が織とセラを近づかせない。
「……ジョイ、『ダーカー』のコアの起爆準備に入りなさい。そこのエルネストのカードを奪い、島を離れる。これでようやく――神へのチェックメイトをかけられる」
「了解」
機械兵『ダーカー』の首はすべて織が斬り落とし、行動不能状態にある。だがジョイが遠隔で一つでも起爆させられるのだとすれば……たった一つの爆発、それだけで誘爆が始まり、島は跡形もなく消える。
「チッ――――」
「――――」
セラは『K』を、織はジョイに狙いを定めるが、しかしすべての剣を使える状態となった『K』に果たして攻撃が通用するのか。嫌な予感が脳裏をよぎる。果ての無い壁。越えられない壁。絶対に勝てない――そう、本能が警告している。
「……どうして、どうして私を守ったの……!」
ソフィは何としてでも『答え』を知るために、ヴォイドに問い掛けていた。
「……なんで、なんで私なんか、助けたのよ……!」
ヴォイドは苦笑いを浮かべ、掠れた声で何とか答えた。
「……お前が、妹に似ていた。それ……だけ、だ……」
「ぁ――――」
その時。不意に、何の予備動作もなく、涙が頬を伝った。絶望でも、憎悪でも、破滅でも、慟哭でもない。
ただ――悲しかった。
死なせたくない。こんなところで終わらせて欲しくない。心の中でその想いが膨れ上がる。
――そしてようやくソフィは理解した。
長い長い回り道の末。同時にずっと目を背け続けていた事実。
――ずっと、そうだった。ソフィはカードによる感情の制限などされてなかった。降り注ぐ絶望も、破滅も、僅かに芽生えた希望も、喜びも、ずっと目を背けていただけで、いつからか忘れていただけで――最初からすべてを持っていた。ただ自分で自分の心を殺していただけだった。
ソフィの胸に光が共に、その手に青白い粒子を纏った一枚のカードが舞い降りる。
カードに描かれた文字は『Ⅰ』――そして今、その姿が塗り替えられていく。
――最初からすべてを持っていたエルネスト。そのカードは。
「……ああ、私が、『十四番目』だったんだ――」
ソフィは剣を引き抜いた。『一番目の剣』ではない。『十四番目の剣』――すべての剣を秘めた、『ヘヴンズプログラム』の原型とも言うべき、人とエルネストが交差し生まれた可能性。
漆黒の剣は、純白の刀身に緑色のラインが入った別の剣に変貌する。その名は『八番目の剣』――かつてクロエ・イヴ・エルネストが保持していた『幸福』。
痛みを拒絶する能力を持った、ヴォイドの傷を治療するための力。
「……絶対に死なせない……ッ!」
――その時、光が瞬いた。
「ッ、来た――」
何よりも早く気付いたのは、織だった。
「あれは、流星……?」
続いてセラが、雲が切り裂かれた夜空を見上げて呟く。
「――来たのか、剣崎ィ……ッ‼」
『K』がその存在に確信を持ち、恐ろしいほど重い声音を放つ。
「……黒乃」
それはソフィが、初めて彼の名を口にした瞬間だった。
夜空に瞬く流星の如く、直線に駆け抜ける光が、二つに分かれる。一つは、『ダーカー』のコアが密集している開けた場所に。それは――一本の剣。
剣が突き刺さった場所から光が奔る。神秘的な虹色の光。
「――ッ、シット、『K』! コアへの起爆指示が妨害されました!」
「まさか――『ヘヴンズプログラム』を通してのハッキング……!」
『ヘヴンズプログラム』は人工の心をデータとして作り出す。つまりあれは高度な演算処理さえ可能なら、思考で制御できるスーパーコンピューターのようなものだ。『ダーカー』の命令系統に介入することは不可能ではない。
ならばと『K』がジョイのバックアップを受けて同じ手段を取ろうとするが、しかし流星は――もう一つの光は、既に地上に墜ちていた。
凄まじい速度でこの場に接近してくる物体。ブレーキの役目は彼と共にいる彼女の――アリサ・ヴィレ・エルネストの剣が果たす。大地を抉りながら徐々に減速した『二人』は織とセラ、『K』とジョイの間に割り込んだのだ。
「――――――」
アリサ・ヴィレ・エルネストと共に。完成した『ヘヴンズプログラム』を胸に。
――剣崎黒乃は帰還を遂げた。
ボロボロのスーツの上に纏った白衣が風に靡く。
――『You have Control』。
まるで天から降り注ぐように声が聞こえた。それに応えるように黒乃は静かに告げる。
「――変身」
刹那――風が、無に消えた。そして再び声は降り注ぐ。
『Awakening Heavens Program』――『IGNITION』。
ポイントオブノーリターン。
それは――剣崎黒乃の存在が書き換えられた瞬間だった。