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『禁忌の黒花/inherited vertex』

 その光景を、アリサ・ヴィレ・エルネスト――改め、ソフィは確かに目撃していた。

 負傷した夜代澪(やしろみお)。状況を打開するために何かの力を発動させた夜代蓮(やしろれん)

 そしてその存在は書き換えられ――いつのまにか、そこには一人の女剣士がいた。

 デタッチド・スリーブのブラックドレス、膝上で切られたスカート、黒いハイヒール、風に靡く濡れたような黒髪、雪のように白い肌。特殊な出で立ちだが下品だとは到底思えない。むしろ真逆の、清廉された高貴さすら感じる。


「――――」


 戦場で、その姿は鮮烈に焼き付いた。この世のものとは文字通り格が違う美しさを感じるその存在。

 夜代織(やしろしき)と名乗った彼女は余裕を持った柔らかい表情で、『夜束ノ刹那(よつかのせつな)』という黒白の混じり合った――やはりどこか神性さを感じる――日本刀を一度鞘に納め、その鍔を弾いた。


 その瞬間、彼女へと攻撃をしかけようとしていた殺人機兵『ダーカー』の首が落とされたのだ。

 ソフィは一度足りとて目を離さなかった。だというのに、『ダーカー』の首が斬り落とされる瞬間は分からなかった。言い換えれば認識が出来なかった。


 単純な速度の問題ではない。まるで――そう、『その瞬間』のコマがすっぽりと抜け落ちたように。

 時間は、瞬間の連続だ。つまりはフィルムと同じように、コマの連なりが時間の概念を形作っている。

 須臾(しゅゆ)――その単位で、彼女は何かを行った。


「……夜代蓮……なの……?」


 瞬間――織ははっきりと、遠くの木陰に隠れていたソフィを見た。突然として視線が重なった驚きで、ソフィは本能的にその場を離れようとする。

 しかし――、


「――あら、どこにいくの? えぇと――ソフィ、とお呼びすればいいのかしら?」


 ソフィが振り返った先に、彼女はいた。少なくとも五十メートル以上の間はあった。それにも関わらず――まるで瞬間移動でもするかのように背後を取られた。


「……何なの……あなた」


 背に気を失った澪を抱えた織は、余裕を持った得意げな笑みを見せて答える。


「わたしの名前は夜代織(やしろしき)。この一夜が終わってしまえば、もう貴女と逢うことはないでしょうけれど――それでもどうか、良ければわたしのことを覚えていてくれたら嬉しいわ」


「……、それで、私に何の用?」


「それはもちろん――――」


 刹那、ソフィの手に冷たい感触が奔る。


「……⁉」


 咄嗟にそれを振り払って距離を取り、その正体を認識する。それは織の手だった。まただ。一瞬にして織はソフィの隣へ移動し、まるでどこかへ導くように、その手を握った。


「……何のつもり?」


 すると織は僅かに困った表情を浮かべ、それから再びソフィを視た。そのすべてを見透かしたような、どんな闇さえ飲み込んでしまいそうな双眸で。


「この子の治療をするためにも、わたしはすぐにスズカやフレアのところへ行かなければならないの。今のわたしは、昔ほど万能じゃないから……。そして貴女も一緒に連れていきたい。それでは納得できないかしら?」


「……放っておいて」


「でも――このままでは貴女は確実に死ぬわ。だから一人でいるのはおよしなさい」


 遠く――『ダーカー』の走行音が聞こえる。それは着々と織、ソフィとの距離を詰めその姿は五秒後、目の前に現れる。しかしそれも一瞬。現れた『ダーカー』はまるでそういう機構が組み込まれているかのように、首が斬り落とされ機能を停止する。


「――さあ、一緒に行きましょう? 手遅れになる前に」


 その迷いのない眼差しに、ソフィは直視できなかった。まるで『破滅願望』に揺れる自分さえ見透かされている気分になって――。


「……分かった。行くわ」


 しぶしぶではあるが、きちんと了承してくれたソフィを見て、織は再び嬉しそうに微笑みを零した。


「それじゃあ、この子を背負ってくれないかしら」


「……何でよ」


「そっちの方が早く道を開けるからよ。わたしに迷っている時間はない。ならば最善を選ぶのは、当然でしょう?」


「……いいわよ、おぶればいいんでしょ」


 そういって負傷した澪を織から託されたソフィ。なんだかいいように使われた気がしなくもないが、しかし最善の選択であることに間違いはない。底知れぬ女だ、とソフィは思った。


 そうして二人は走り出す。正直なところを言えば、ソフィは人を背負ったまま走り続けるほどの体力が自分に残っているか心配だったが、緊張状態のアドレナリンに加えて、織が宣言通り『ダーカー』を次々と破壊してくれているのでどこか余裕まで感じていた。

 とはいえソフィの眼から見れば、一定の範囲内に入った『ダーカー』のその首が、勝手に斬り落とされているようにしか見えないのだが……。


「……あなたは何の力を使っているの? ただの魔術じゃ……ないわよね」


「簡単に言えば『時間の切断』――というやつよ。鍔を弾いて刃を抜いた瞬間から、再び鞘に納まるまでの時間は切り取られる。テレビなんかのカット編集と同じことよ」


「……ずる」


 あまりのとんでも能力にただ一言、そう呟いた。もちろん織の耳にその小さな声は届き、同時に小さく笑った。


「でもね、さっきも言ったけど今のわたしは本当に不安定で、全盛期ってものの十分の一くらいしか力を使えないの。だから一度に行える『時間の切断』は三秒から五秒が限界。それ以上は刀が勝手に実体化を解いて、鞘に戻ってしまうの」


 そうは言っても、これまでの戦いぶりを見る限り、鞘に戻った刀をもう一度弾き抜けばその能力は使える。ならそれはデメリットに含まれるのか、と疑問に思うソフィだった。


「ちなみに普通に刀を引き抜けば、通常通りに仕えるわよ」


「……どうでもいい……」


 そして五分も経たず、周囲に設置された篝火を目印に、樹林の中に設置された迷彩柄のテントが見えてきた。

 そこではやはりセラが先頭に立って戦っており、スズカは『共鳴歌(ヴィブレイド)』のためにヴァイオリンを奏で、ルドフレアは端末を操作し『ダーカー』の遠隔操作に割り込んでいるようだ。


 周囲には魔術的な結界が張られており、まだ幾分余裕がある防衛線といえる。

 ――が、しかし。織がその魔術結界に足を踏み入れた瞬間のことだ。


 ――ガラスが割れるような甲高い音が響く。


「あ、斬っちゃった」


 間の抜けた声を出した織。そして結界が破れたことによって一気になだれ込む『ダーカー』。

 セラはすぐさまそれに気が付き、動揺、焦りと共に叫ぶ。


「チッ、どうして結界が! 『起点の鎖(フェーズ1)』――『その眼を(Open )開けなさい( Your Eyes)』……ッ!」


 辛うじて使える力を解放し、身体能力を強化――獣の耳と尻尾を実体化させ、構えたダガーで『ダーカー』を倒していく。その動きは見事なものだが、しかし個で群を圧倒できる力は有していない。

 

「――先に行くわね」


 それを見た織が、『夜束ノ刹那(よつかのせつな)』の鍔を弾く。次の瞬間、テントを囲んでいた『ダーカー』は一掃され、セラとルドフレアは何が起きたのかと周囲を見回す。


「何? 動きが見えなかった――?」


「同じく。っ……でもセラ……、はは、答えはキミの後ろにあるみたいだよ!」


 いち早くその姿を見つけたルドフレアが、徐々に明るい声音を取り戻す。そして、セラの真後ろに移動していた織が両手を伸ばした。雪のように白い肌、細く華奢な手はゆっくりとセラの両目を覆う。


「――誰でしょう」


「うひゃあ――――⁉」


 珍しく甲高い声で驚いたセラは、即座にダガーを振りまわし、バックステップを踏む。

 そして金色と銀色のオッドアイは、ブラックドレスを着こなした彼女の姿を認識した。


「ぁ――――」


 一瞬、零れ出た吐息と共に涙が溢れそうになったセラは、すぐに顔を逸らした。


「……そう、使ったのね、蓮」


「久しぶり、セラ。でもごめんなさい。そうゆっくりしている暇はないの。フレア――早速で悪いけれど、澪の治療をしてあげて。かなりの重傷よ」


「……! オーケー!」


 一歩遅れてやってきたソフィに背負われている澪を見て、ルドフレアはすぐに医療処置の準備を始める。判断が早いのはルドフレアの長所だ。澪の治療も、的確に行ってくれるだろう。


「ソフィ、運んできてくれてありがとう! ついでにもう少しだけ手伝ってくれないかな?」


「……分かったわよ」


 そう言って、二人は澪を連れてテントに入って行く。『ダーカー』の気配も今は落ち着いている。おそらくは向こうも休憩時間なのだろう。ならば、今のうちにやるべきことは済ませておくべきだ。


「……澪は、助かるの?」


 セラの不安げな問いに、織は落ち着いた声音で答える。


「当然よ。あの子はわたしの力を受け継いでいるもの。そう簡単に死なない。死なせない」


「……そう、ね。近づくだけで結界を斬ってしまうような刀を持ってることだし」


「それについては言い訳の余地もないわ。でも安心して――『ダーカー』はすべて、わたしが請け負う」


 織は強がりでも何でもなく、実行可能なことを口にする。


「相変わらず言ってくれるわね。了解、そっちは任せた」


 その言葉をセラが疑わず信じられるのは、二人がかつて苦楽を共にし、背中を預けてきた仲間だからだろう。


「問題はヴォイド・ヴィレ・エルネストの方よ。見ていて痛々しいほどに命を削っている。『K』への対抗手段は?」


「残念ながら今のところは。でも必ず何かを見つけてみせる」


 それを聞いて安心した織は、鍔を弾いた。次の瞬間、彼女の腕の中にはスズカの姿があった。


「スズカ⁉」


 セラがすぐに駆け寄る。スズカは気を失っていた。それどころか左手は血塗れになり、その表情は異様なほど青白い。


「……『共鳴歌(ヴィブレイド)』の使わせすぎよ。魔力の譲渡はスズカの体内で生成されたものが使われる。いつか尽きるのは当たり前だし、音に魔力を込めるという行為は、集中を欠けば自傷に繋がる」


 ゆっくりと、その華奢な体をセラに預ける。スズカが無茶をすることは分かっていた。それほどまでに彼女は自分を犠牲にできる覚悟ができていたし、だからこそセラとは違い、レベッカの魔術に打ち勝つこともできた。強すぎる意思が、余計にスズカ自身を傷つけていたのだ。

 ――気を失うほどに、彼女は無茶をした。


「大丈夫。優しく眠らせたわ。ゆっくり休ませてあげなさい」


「って、アンタがやったのね……!」


「そりゃまあこの子、変なところで頑固なんだもの。――それじゃあ後はよろしくね、セラ」


 それだけ告げて、織は力強く鍔を弾いた。


 ――夜代織(やしろしき)は鯉口を切った。構えは正眼。己の信念を込め、獲物だけを見据える。


 そうして『ダーカー』の殲滅が始まった。蜃気楼のようにゆったりと揺らめいた足取りで、まずは少数で向かってくる『ダーカー』の首を落としていく。

 どの角度がより良く斬れるか、どの構えがより素早く刃を届かせることができるか。

 常に思考は怠らず。そうして斬撃の精度は増し、それに比例して鋭く研ぎ澄まされていく己自身。


 その姿はさながら効率的に命を奪うことに対し、試行錯誤を続ける殺人鬼のようだ。


 だが実際のところ、殺人鬼はむしろ向こう側であり、それを遠慮なく斬れるという部分で――織はとても楽しんでいた。

 命の駆け引き――一度この世を去り、そして一夜だけの幻想、奇跡によってこの世に結びつけられた彼女だからこそ、それが狂おしいほどに心地よくて仕方がない。

 

 (れん)は決してそのような意図をもって自らの存在を触媒にしたわけではないが、それでも織は感謝を抱いていた。

 たった数時間の蘇生――それに最高の舞台を用意してくれたものだと。

 よくもまあ自分に『生命の喜び』を与えてくれたものだと。


 一歩踏み込み、剣閃とその体は速度を増す。


「――――‼」


 切断される時と時の間を、織は斬り結んでいく――――。

 一歩で五メートル。一秒で四体。五秒で二十体。残りのおよそ八百体前後の『ダーカー』をすべて斬り捨てるまで、衰えることなく剣閃は放たれた。

 かつて保持していた特殊な能力は『時間の切断』以外一切存在しない。己の肉体と一振りの日本刀だけを武器とした剣舞。


 織は不敵な笑みを浮かべていた。命を噛み締めている表情だ。心の内側から溢れ出す衝動をぶつける相手がいる快感だ。


「あぁ――――…………」


 開けた場所に出た織は、文字通りの無双を開始する。


「ッ――――‼」


 下段からの切り上げ、そのまま崩れ落ちる『ダーカー』を足場にして、別の『ダーカー』の首を落とす。一体の首が落ちるまでにもう一体、もう一体と。そのまま一閃。上段から振り下ろし、円を描くように舞い斬る。斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って――それでも斬る。


「ッ――‼」


 一度鞘に刀を納め、剣舞は居合切りから始まる。腕が伸びなければ足で転ばせ、首を差し出させる。斬り落とす勢いが足りなければ全身を捻って威力を上げる。

 五秒経過。刃は鞘に納まり、再び剣舞の幕が上がる。


 狙いはすべて敵の首に合わせ――居合切りからの上段の振り下ろし、刺突、右薙ぎ、体を捻って袈裟斬り、刀を投擲し『ダーカー』を足場に再び柄に手を伸ばし、掴むのと同時にその場で一回転、切り上げからの逆袈裟と左切上――月の青白い光を宿すその剣閃は、美しき残像を残し、世界を斬り結ぶ。

 一連の流れをおよそ二百――繰り返した。


 戦場に舞い、咲き誇る黒花――それこそが夜代織の生き様。


「――――」

 

 そして。傷一つない自らの手をアンニュイに見つめながら、最後の一体の頭部を斬る。

 有言実行。すべての『ダーカー』を織は斬り伏せた。汗一つ掻いていない額に手を当て、そのまま垂れた前髪をかき上げる。


「――久々の大仕事、果たさせてもらったわ。でも……」


 足元を見る。視線は少しずつ周囲を見渡すように移動し、地面に転がる夥しい数のスクラップの数を数える。当然、途中でやめた。


「これ……どうやって片付けたらいいのかしらね……。コアはまだ生きてるから、全部不発弾みたいなものでしょうし」


 幸いコアはまだ『ダーカー』の内部にある。露出しているわけではないから、銃弾一発で爆発するということもないだろう。とはいえ、どうにも処理に困る結果だ。澪はコアそのものを氷漬けにしていたが、あれも厳密にはコアを無力化していたわけではない。


 コアの処理をするには、内部に溜まった魔力を何かに吸収させなければならない。

 一応魔力の吸収という点で、織は一つ心当たりがあるのだが、しかしこの状況でそれは難しいだろう。

 何故なら彼女は今――過去に結びつけられた鎖によってその力を封印されている。


「……うーん、どうしたものかしらね。――――――おや」


 『夜束ノ刹那(よつかのせつな)』を抜くまでもなく、鞘に納めた状態で横に払う。刀身の部分には強い衝撃が奔り、織は弾いた後でそれが銃弾だったことに気付いた。


「――悪い子」


 再び鍔を弾いた織は時と時の合間を縫って、移動を開始した。

 狙撃地点――すなわちジョイの居る場所へ。


 一方でジョイは狙撃の失敗、『ダーカー』の喪失、そして織の『時間の切断』についてある程度の予想を立てており、これ以上できることはないとその場で黒花の登場を待ちわびていた。

 いや、待つほどの時間すらなかった。


「――人を殺すことばかり覚えてはいけないわ。人の心が生まれつつあるのなら、命を大事にしなくちゃ」


 その声が聞こえると、ジョイは土で汚れた白いスーツを払い、振り返った。

 

「ノット――私は既に生命についての倫理観を得ています。しかし『K』の目的を遂行するためには仕方がない。そのために死を賜る覚悟も完了済みです」


 織は蓮の記憶を通して、一通りの知識は得ている。その上で改めて、ジョイの声の『抑揚』の変化を感じた。『モノクローム』、『アルフレドの研究所』、そしてこの『無人島』。一方の視点からみた変化だが、それでもジョイが人間に近づいていることは間違いない。


「でも覚悟があれば何をしても、されてもいいという訳ではないのよ。ところで、なのだけど。……『K』はフレアから奪取したAI『ケース』で『ヘヴンズプログラム』の完成を目論んでいるわよね。すぐ傍に居た貴女を殺せば、それで済む話なのに」


「何が言いたのですか」


「『K』は貴女を殺したくなかったんじゃないかしら? 一緒にいるうちに芽生えた愛着、愛情――そして奪取した『慈愛(クイーン)』のカード、とかが影響していたりして」


「……な、何が、何が目的なのですか! 貴女は!」


 戸惑いを見せるジョイ。それが何を理由に、何を思考し、何を視たからこそのものなのか、織はただ――微笑むのみ。 


「一つ、学んだでしょ? 人間の感情は簡単に揺れる。覚悟を決めたつもりでも、時間が経つほどに変化する。それが――生きるということ。それを教えてあげたかったの。貴女は澪を傷つけた。それはとても許せない。でも痛みを受け入れ、未来に目を向けることができるのも人の心が持つ強さだから」


「ノット――理解に苦しむ。貴女の存在は不鮮明で不愉快です」


「ならそれで良いわよ。人間だってまだ、他人と完璧な意思疎通ができるわけじゃない。だからもし、貴女がその気持ちを理解できる時が来るとすれば、それは新たな可能性が示されるということなのだからね」


 織はゆっくりと刀を抜いた。そしてジョイが狙撃に使用していたスナイパーライフルを切断し、静かに納刀。険しい地面ですら倒れる素振りを見せない織は、ハイヒールの音をわざとらしく鳴らしながら、その場を後にした。


 行く先は丘陵――ヴォイドと『K』が戦っている場所だ。


 ――早鐘を打つ鼓動。整わない呼吸。視界は時折不鮮明になり、倒れそうになる体を必死で保つ。

 汗で額に張り付くオレンジ色の髪を、右手で拭った。


「――どうした? 限界か、ヴォイド・ヴィレ・エルネスト」


 声の主は『K』――十年後の未来から過去へ飛び、そして世界を超えた『夢幻世界(ヴィジョンワールド)』の剣崎黒乃(けんざきくろの)

 ヴォイドは荒れた呼吸を何とか整えて、頭の中で鳴り響く『カウント』を無視しながら声を出す。


「いやなに、『K』――その名前は『ⅩⅢ(キング)』と剣崎黒乃のダブルミーニングだったのか――そう、考えていただけさ」


 誰の目から見ても明らかな時間稼ぎ。しかしそれが、今のヴォイドの役目だ。この世界の黒乃とアリサが戻ってくるまで、とにかく時間を稼ぐ。ヴォイドは、そのためになら命を捧げることも厭わない。


「ところで、もう一つの世界のオレも殺したのかな、君は」


「……いいや、私の世界に貴方の存在は無かった」


「――――」


 ヴォイドは『K』からの返答を意外に思った。あからさまな時間稼ぎに乗ってきた。強者故の余裕にも思えるがしかし、今のヴォイドはむしろ、『K』にも時間を稼がなければならない理由があると思った。


 いや、かといって稼ぎ過ぎてはいけないはずだ。何故ならそのうちに黒乃は帰還を果たす。完成した『ヘヴンズプログラム』を携えて。

 引き延ばしは慎重に――。


「……なら夜代蓮(やしろれん)たちはどうしてだ。何故、殺した?」


 『K』がこの土壇場で時間を稼ぐ理由――そこで思い当たったのは同じく『ヘヴンズプログラム』だ。『K』はまだ試作段階だった制御AIを奪取した。休戦の契約を強引に果たしてまで。


 『K』からすれば、『ヘヴンズプログラム』の完成は最優先事項。だとすれば、未完成、プロトタイプであるそれを強引に奪うメリットはない。だが逆に、デメリットは?

 完成を待った場合、その分だけの時間は失われる。


「『ヘヴンズプログラム』を狙われた。『モノクローム会合』だよ。あれで剣崎惣助(けんざきそうすけ)が『組織(アセンブリー)』へのテロを企てる組織と接触し、その後行方をくらませ、怒りの矛先は一応の肉親である私に向けられた。いわば世界が私の敵となり、味方はいなくなった」


 つまりだ――『K』には時間が無かった。『ヘヴンズプログラム』の暴走因子は、もはや手の付けようがないほどに肥大化しているのかもしれない。

 だからこそ『K』は一刻も早くAIを入手する必要があった。そう考えた場合、何故ジョイを破壊しなかったのかという点で多少の疑問がヴォイドの中に残るが、いずれにしてもこの瞬間、『K』はプログラムの鎮静化を図っているのかもしれない。


 オーバーヒート寸前の機械を冷却するように――。


「『ヘヴンズプログラム』の資料は全世界に公開され、世界の未来は私以外の誰かに託す、というのが『組織(アセンブリー)』の考えだった。誰もが英雄になりたがり、誰もが自らの正義を私に振り翳した。そうしてとある施設に収容され、気が付けば十年の時が経っていた」


「外の世界は『心無き者(ホロウサイド)』によって蹂躙されていただろうに。そして手に入れた過去へ渡る力――まるで運命のようにできすぎた話だ」


「ええ――だからこそ、私は神を、『イノセント・エゴ』を殺さなくてはならない」


 ――『K』が剣を出現させる。細いレイピアのような剣――けれど見るものすべてに畏敬の念を抱かせる『十三番目の剣(キング・オブ・キング)


 同時にヴォイドも再び剣を出現させる。白銀の剣――『十一番目(オース・オブ)の剣(・ジャック)』。脳内でカウントが再開がされる電子音声が響く。


 『『開錠』――スタンバイ。カウントスタート――一七五二〇〇』


(ここまでの減少速度を考えればオレが使える時間は――残り少ない。……これでは焦るなという方が無理な話だ……。アリサ……黒乃君……!)


「では――お互いに、時間稼ぎはここまでにするとしよう。ヴォイド・ヴィレ・エルネスト――貴方の『(カード)』回収させていただく!」


 先に動いたのは『K』だ。構えた剣を圧倒的な速度でヴォイドに向けて投擲――射出された剣の切っ先はヴォイドの脳天を捉えたが、しかし無論それを防御。自らの剣を横薙ぎに払い――向かい来る刃を叩き起こす。

 そのはずだった。


 刃と刃が交錯する瞬間――『十三番目の剣(キング・オブ・キング)』はその姿を消した。

 まるでフィルムに投影された映像のように。


「ッ――――!」


 『K』が投擲した剣をすんでのところで消失させたのだとヴォイドが理解した時、既に『K』は肉薄してしていた。

 その手には王の剣――『K』は鎧の内側、その不気味な仮面の奥で笑みを浮かべる。


「……ぐッ!」


 向かい来る『K』の斬撃。ヴォイドはそれを、咄嗟に剣を逆手に持ち変えることで反応する。

 斬撃を受け止め、そして力任せに押し返す。しかし次の瞬間『K』の剣は再び消失した。

 相手がいなくなったことで力を受け止める壁が消え、当然ヴォイドは前面に倒れるようにバランスを崩す。

 その僅かな浮遊、ガード不可能な背に向けて、『K』は再び出現させた剣を振り下ろした。


「ッ――まだだ!」


 ヴォイドも剣を消失させ、右手を地面に付き、それを軸に蹴りを放つ。だがそれで終わりではない。体を捻りもう片方での脚でも蹴りを放ち、その勢いで着地。体勢を立て直し再び剣を構えたヴォイドは白銀を突き立てるべく懐に飛び込む。


「フッ――! 甘い!」


 ヴォイドの斬撃の一撃目を軽くいなし、二人は剣戟に移る――。

 だがそれは単純な剣と剣の戦いなどではない。剣の消失と再出現。それが一つの戦法として存在する高度な読み合いを要求される闘い。


「チッ――‼」


「ッ――ハハハッ!」


 『K』とヴォイドは同じタイミングで剣を消失させ、肉弾戦へ。とはいえ接近戦自体がヴォイドにとっては不利だ。左腕を失い、どうしても追いつかない手数。そして『K』の纏う鎧――『ヘヴンズプログラム』。

 それらがある以上、勝てる見込みはない。鎧は何があっても砕けず、最強の攻撃力と防御力を有している。


 『K』の右ストレート。まともに受ければ並の人間なら内側から破裂する威力。

 それを右腕で一瞬だけ受け止め、すぐに受け流すように重心を移動させ、『K』の首元に肘鉄。

 しかし効果はなく、余裕綽々と言った具合に、『K』は空いている左手でヴォイドの首を掴もうとする。


 即座に離れるべきだと判断したヴォイドは、右膝を上げて、『ヘヴンズプログラム』の鎧を足場に強引に跳躍。バックステップに派生し、『K』との距離を作る。

 ――勿論、『K』はそれを追いかける。圧倒的な速度で。暴力による蹂躙を行うために。


「――――」


 再び逆手に剣を構えたヴォイドは、同じく剣を構えた『K』と――交錯した。

 

「そろそろ限界だろう。剣の能力をそこまで使っては、貴方の命は――」


「――言われるまでも、ないッ‼」


 再び強引に押し返そうとするヴォイド。刹那――『K』は剣を、一瞬だけ消失させてからヴォイドの足元を崩し、すぐに首元にその刃を当てた。一方で、体勢を崩されたヴォイドもほぼ同じタイミングで剣を消失、再出現させ、『K』の首元に切っ先を向ける。


 片膝をつくヴォイドと、鎧に覆われた『K』――互いの首元には互いの刃が構えられている。


「――試してみるか? どちらの刃が、先に首を落とせるか。フフ、これでフィニッシュだよ、ヴォイド」


 絶体絶命。これ以上、ヴォイドの中に『K』を足止めできる力も、策もありはしない。

 だがその時――確かに聞いたのだ。剣の能力によって強化された身体能力――研ぎ澄まされた聴力が、その足音を。


 その場に現れたのは、金色と銀色のオッドアイ――セラ・スターダスト。

 ――そして、白髪紫眼のエルネスト。


「アリサ……、いや……」


 あれはソフィだ。ヴォイドも『K』もそう認識する。


「これは都合が良い」


「ッ――馬鹿か! 何故ここへ来た!」


 風――一陣の突風。この場を吹き抜けていくそれはソフィの髪を大きく揺らし、垂れた前髪に隠れ気味だったその眼が――はっきりと映し出される。

 迷いなきその瞳。


「……兄を、助けにきた」


 ソフィは小さな声で、力強く言った。


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