『仮面の下の素顔/ALTA-EGO lurking in the card』
☆
「僕が覚えているのはここまで……かな」
その後、『月夜野館』の付近の入り江に待機させてあったミニ客船に乗り込んだ一行は、約二百キロ離れた無人島へ向かった。
黒乃としては、海上で船酔いしそのまま眠りについて、次に目を覚ましたらもう一つの世界の桐木町に居た、といった記憶の繋がりだ。
しかしアリサからすればそうではない。コーヒーを飲みながら、アリサはどこから説明するべきかと思案する。
「まあ、どうせ『ヘヴンズプログラム』の再起動が終わるまでは向こうの世界に戻ることはできない。多少時間をかけても構わないと思うがね」
そう助言するのは銀髪の前髪をゆっくりとかき上げる男――アルフレド・アザスティア。彼もまたコーヒーを飲みながら、曇天の空が大きく映る窓の側、ゆったりとした時間を過ごす。
とはいえこの店、『B&W』の中は既に明かりもなく、雰囲気はどこか退廃的なものを感じさせる。
まるで世界の終わりを待つだけの――神に見捨てられた場所のようだ。
「――というか、さ」
アルフレドの指と目線を使った指示により、カウンターでサンドイッチやマドレーヌなどを用意していた黒乃が切り出す。
「アリサはどうして、僕の状況を?」
アリサはこの場所、この世界が、普段自分たちの生きている『幽玄世界』ではなく、もう一つの言わば並行世界である『夢幻世界』だと初めから分かっていた。
そしてこの店に入ってきた時も、死線を潜り抜けてようやく会うことのできた大切な人のことより、その身に宿った『ヘヴンズプログラム』のことを心配していた。まるで、もう一度、再会を果たしていたかのように――。
「そりゃまあ、私もあの島に行ったから」
「え⁉」
「兄さんと一緒に。私のところにもあのレイヴンっていう人が来て、そして『K』からのメッセージを受け取った。そこで一度、私は黒乃と会ってるんだよ? 本当に覚えてないの?」
アリサの声は悲しみを帯びている。
「……ごめん」
「君は最低だな黒乃。土下座したまえ」
「えぇ⁉」
いや、実のところ、アリサの本心には少しばかり黒乃にちょっかいを出してみようという部分はある。ちょっと大げさに悲しんでみようという悪戯心が。
しかし一方で最愛との再会の忘却を悲しく思っているのも事実。無論黒乃も、アリサとは長い付き合いなだけあってそれを察している。
「……」
だからこそ、言葉に詰まる。
「そういえば、惣一朗もある意味では女泣かせだったな。剣崎の血筋にはそういう部分があるのかもしれない」
「……やっぱり貴方は父さんと知り合いなんですね」
「そうだな。研究仲間――いや、雇い主かな。いずれにしても仲間や友といった関係ではない。――だが」
そこで、アルフレドは人差し指を立てて、それをそっと口元に添えた。
「その話をするにはまだ、ピースが足りていない。アリサくん、語ってくれたまえ」
黒乃は用意したティータイムの御供を机に並べ、そしてアリサはアルフレドに促されるまま語り始めた。
三月二十二日の夜。あの無人島で何があったのかを。どうして『ヘヴンズプログラム』が完成したのか。何故、黒乃とアリサは世界の壁を超えたのか。
「――あの日、島に集められた私たちは、あの丘で『K』と対峙した」
★
その島は『月夜野館』と呼ばれる、夜代蓮らが活動拠点にしていた場所から二百キロほど離れた海上にあり、普段人が立ち入ることのない無人島とされている。
雄々しく生え並んだ森林によって外側を囲まれ、その中心は数年前の地震の際に地面が隆起し、巨大な丘が無数にできあがっている。
山らしい山もない比較的平坦な島。
しかしそれだけあって、余計なモノを巻き込まず戦うにはうってつけの場所というわけだ。
陸地から三時間かけてやってきたこの場所で、一行と『K』と二度目の対面を迎えていた。
一度目は九日前――『モノクローム』で。
あの時はフィーネの持つ『十二番目の剣』の能力によって戦いは次に持ち越された。
そして六日前。アルフレドの研究所でフィーネはカードを奪われ、ヴォイドによって命を還された。
黒乃たちはその時対面しておらずフィーネの死の真相を知らないが、しかし直感はしていた。
そして――今回。この邂逅で『K』は大きく動く。状況は変わる。
ソフィを除き、全員が戦闘用のブラックスーツを纏った正装。その表情も一切油断が見られない強い警戒心を見せている。
そして『K』――『モノクローム』の時と同じように、上質なスーツを身に纏い、武骨な仮面を着けたエルネストは、対比するように真白のスーツを着込んだアンドロイドであるジョイと共に、どこか余裕綽々といった具合に隆起した丘の上から、蓮たちを見下ろしている。
「――手始めに、招待を受けてくれてありがとう、と言っておこうか。だが、少々役者が揃っていないようだ。ふふ、姿を見せてはどうかな?」
『K』の言葉によって、これ以上姿を隠す必要はないと判断した二人が、木陰から姿を現す。
剣崎黒乃、夜代蓮とその仲間、その他に招かれた客は――エルネストの女とその兄。
「……久しぶりだな、夜代蓮。そして黒乃君」
ヴォイド・ヴィレ・エルネスト、そして彼女――アリサ・ヴィレ・エルネストが姿を見せる。
ヴォイドはいつもの『正装』。そしてアリサはヴォイドが用意した戦闘用のロングコートを羽織っている。その性能は『組織』から支給されるブラックスーツと同等か、それ以上の鎧だ。
「ア……リサ……?」
黒乃が目を見張って驚く。その隣のソフィは、既に察知していたエルネストの気配から予想を付けていたが、しかし、彼女がその姿を見せた瞬間、黒乃がその名前を口にした瞬間、表情を歪ませる。
そして驚いたのは黒乃だけではない。
「二人目のアリサ――!」
「もう一つの世界、ヴォイドの目的、アリサ・ヴィレ・エルネストの入れ替わり……そういうことだったのか」
澪が声を上げ、蓮が揃っていたピースを元に、答えに辿り着く。
「……察しが早くて助かるよ。騙していて済まなかったな」
ヴォイドが小さく頭を下げ、アリサもそれに続く。
「本当にごめんなさい。黒乃……あなたにも、もっとちゃんと謝らないといけない。本当に、ごめん」
黒乃は気にしないでと言うように、首を横に振ってから優しく微笑んだ。
「……だからあの日、ヴォイドさんは姿を消したんですね。フィーネさんが亡くなったから、この世界のアリサちゃんを守るために」
「その通りだ、遠静鈴華」
「……少なくとも二人は、今のところ敵ではないという認識で構わないな? 俺たちと同じく、『K』の提示する情報を求めてここへ来たと」
「その通りです、夜代蓮さん。私と兄さんは、貴方がたと戦うつもりはありません」
アリサ・ヴィレ・エルネストは――黒乃の知る『彼女』は、しかし彼が知らないほど真っすぐで強い目をしていた。曲げられない信念。貫き通したい想い。それが伝わってくる。
「理解した。ところでヴォイド、その体で戦闘は可能なのか?」
ヴォイドのスーツ、その左腕部分には中身がない。片腕を失った状態での戦闘は、通常では有り得ないことだ。
「問題はない」
しかしヴォイドは強がりでも自信過剰というわけでもなく、そう返した。
『十一番目の剣』の能力を使えば、手数のカバーは難しくない。そう考えているのだ。
「……」
ふと、ソフィが黒乃の袖を引っ張った。
「ソフィ……?」
不安そうな目をしていた。まるで自分の居場所を奪われていくのが怖くてたまらないという表情だ。
おとりとしての役目を失い、アリサとしての役目を失い、そして今、『K』との戦闘になればカードを奪われてしまうのではないか――そう考えている。
少し前なら死など恐れていなかった。だというのに間違いなく、今のソフィは死を拒絶するようになっていた。
「――話は、終わったかな? ならば本題に入らせてもらおうか。待ちかねている者もいるはずだ。まずは宣言通り、私の『起源選定』に対する目的とその手段を――開示させてもらおうか」
開示は行われる。
当然だ。そうなる結果が視えていたからこそレイヴン・R・レクシリムは動いたのだ。
そして、だからこそアリサはこの場所へやってきた。今を生きる者として、未来に手を伸ばそうと抗う過程に生きるものとして。浮かび上がった微かな光――小さな希望を胸に『K』の真意を推し量るために。
「――そうだな、まずは君らの誤解を解いておこう。私は何も、この『起源選定』でただ一人の勝利者として生き残るために行動しているわけではない。私の第一の目的は――『イノセント・エゴ』をこの世界に降臨させることにある」
「エルネストが三人以下になると、『イノセント・エゴ』は選定の行く末を見届けるため、この世界に現出する。それが目的で――お前は他のエルネストからカードを奪っていた、と?」
「私が送った情報を見てくれたようだね。勉強していてくれて助かるよ、蓮。そう、カードを失ったエルネストはエルネストから除外される」
「カードを失ったエルネストは『心無き者』となり暴走を始める、からな」
ヴォイドは『箱庭』での出来事を思い出させるように、『K』に言い放つ。
『K』は元々その事実を知らなかった。知らないまま、『心無き者』を生み出していたのだ。
その真実は『K』に少なからずの後悔を与えた。エリー・イヴ・エルネストのカードが――『K』を蝕んだ。
「ああ、私の過去の失態だ」
後悔の中で、平然と『K』は言い放つ。
「ッ……過去⁉ お前がもう一つの世界から来たというのであればその世界は『心無き者』が溢れ、生命は絶滅に向かっているはずだ! 世界を一つ滅ぼしておいて……それを過去だと⁉」
『箱庭』で、ヴォイドとアリサは『心無き者』を葬った。しかしそれは、奴らが目覚めたばかりだったからこそ可能だった手段だ。
未だかつて、完全に覚醒した『心無き者』が世界にのさばることはなかった。そうはならないためのセーフティが存在していた。
――悪夢という形で、エルネストは『心無き者』を生み出さないよう深層意識に刷り込まれていたのだ。
「彼らは必ず救う――私が目的を達成した後でな」
「だったら聞かせて頂戴。『K』――貴方の、真意を」
アリサの問いに、『K』は答える。
「――私の最終目標は降臨した『イノセント・エゴ』を殺害し、この世界を解放することにある」
「……つまり何か? お前の目的はアタシらと同じだと?」
澪が思考するのと同時に声を出した。『K』が言う世界を解放するという目的は、『イノセント・エゴ』に見放され、崩壊を迎える二〇二〇年の未来を変えるという蓮らの目的にも通じている。
そもそもとして、この場に世界の破滅を願っているものなどいない。『K』はこの場にいる誰もと違う道を歩むとはいえ、それは手段が違うだけで、『世界を解放し、救う』という目的は同じものだ。
ならば何が彼らを違う道へ進ませるのか。道が違うと言うことは過程が、そして手段が違うということだ。
「肝心の手段は? 『イノセント・エゴ』を殺す手段など存在するのか?」
「『ヘヴンズプログラム』――それは『人工のカード』であり、同時に『人工の心』を創り出す装置だ。心無きエルネストに心を与えるための代物。私の中に存在するそれを、応用する。かつて『オルター・エゴ』が人の心を得て、神の座に戻れなくなったように。人の心を持って『イノセント・エゴ』を殺せる存在へと引き摺り下ろす」
「――待ってよ」
白衣を揺らし、ルドフレアがストップをかける。
「『ヘヴンズプログラム』は――未完成だ。君は、その点をどうするつもりだい? 開発者である剣崎惣一朗は既に故人となり、開発に関わったアルフレド・アザスティアの一人も行方不明だよね」
「……やはり、あの研究所で資料を入手していたか。だが憂う必要はない。もっとも、フレア。聡明な君のことだ。あらゆる仮説を立て既に、答えに手をかけていると思うが――」
そこでルドフレアは、『K』の隣にいるジョイに目をやった。ジョイはアンドロイドだ。だが一見してその容姿は人間と見分けが付かない。透き通るような白い人工皮膚に、艶やかな黒髪、綺麗な青色の瞳、整えられた顔や体の造形。
それらは強いて言うならば不自然なほどに自然だ。
「――ジョイ。彼女が『ヘヴンズプログラム』を完成させる役目を負っている」
ルドフレアが彼女を始めて見た時、こう思った。彼女の造り手は――きっと本物の人間を創ろうとしたのだろう、と。そして『ヘヴンズプログラム』の資料を読んだ時、何故、『K』がジョイを連れているのかを理解した。
「彼女は言わば第三の『ヘヴンズプログラム』さ。あのシステムの欠点を修正し、正しい方向へと導くために――彼女には人間の始まりと終わり。そして感情のすべてを理解してもらう。そうして入手したデータによって『ヘヴンズプログラム』は完成する。――あとは、『イノセント・エゴ』に『ヘヴンズプログラム』をくれてやり、唯一神の座から下ろすだけだ。神という概念は存在となり、死を内包する。これこそが――『起源選定』を破壊する方法なんだよ」
風が吹く。とても冷たい無機質な――死を呼び込むような潮風。『K』は両手を広げ、天を仰ぐ。
「人は――神の手から離れる。この未来、この世界に生きるすべての生命は自分の意思で、自分の選択で――進む道を選ぶことができる。『ヘヴンズプログラム』はそのための翼だ」
運命を破壊する――『神様』という免罪符を否定する。そう、『K』は語る。
不思議と、黒乃はその姿が酷く悲しく見えた。
まるで、そうすることしかできないと言うように運命からの解放を訴える彼こそが、その運命に縛られているように――見えたから。
「そんな話……聞きたくなかったよ。ねえ、ジョイ! キミは本当にそれでいいのか! 人の始まりから終わり――つまりキミは『ヘヴンズプログラム』を完成させるために……データを完成させるために死ななくちゃいけないんだよ!」
必死にルドフレアは叫ぶ。訴えかける。同じ造られたものとして。命を、心を得たものとして。
「――ノット。アンドロイドが死ぬ……それこそ、生命の証明ではありませんか」
だが――ジョイの心は、既に決まっている。
「さて、別の考えがあるのであれば提示してもらおうか?」
なければ――おそらく『K』は何かを仕掛けてくる。そう、黒乃や蓮は思った。
だがその前に、漆黒の仮面を被る男の前に、白髪紫眼の少女が立ちふさがるのだ。
「アリサ」
一歩踏み出した彼女の名を、黒乃が呟く。
「『K』――残念だけど、貴方の考えを肯定することはできない。でもそのすべてが間違っているとは言わないわ」
「――ほう?」
「……正気か、アリサ」
静かにヴォイドが言う。それをアリサは大丈夫、と目で伝える。
「私も『イノセント・エゴ』に心を与えることを考えていたの。いずれにしても『イノセント・エゴ』とは袂を分かつ道しかないと思うから。そうじゃないと私たちに未来はない。――でも、未来を選ぶなら。人の未来に可能性を求めるのなら。人の出した『答え』が、命を奪うことではいけないの!」
「――ならば、どうするつもりだ?」
「人間とエルネストの血が交わり、『十四番目』という新たなカードが生まれた。そしてエリーは――『心無き者』は兄さんの血を浴びて自我を取り戻した。私はそこに、これ以上誰も犠牲にしない手段があると考えてる」
アリサは本気だ。憶測が多く、根拠も少ない綺麗事だがそれでも本気だった。
そして『K』は、鼻で笑った。
「ふっ――具体的な手段は? どれほどの時間が掛かる? その『心無き者』はその後どうなった? 可能性などという曖昧なものに命を預けて、君はそれを背負いきれるのか?」
「……でも、エルネストがカード無しで生きることができるようになれば――」
「そもそも――すべてのエルネストが、未来を望んでいる訳ではないだろう」
そこで『K』はアリサを視界から外した。
妖しく、悲壮的な笑みを見せる『K』の眼差し――それは、ソフィに向けられていた。
「『そちらの』アリサ・ヴィレ・エルネストは、未来など望んではいない。私なら理解できる。君は破滅を望んでいる。違うかな?」
ソフィは僅かに表情を変えた。自らの内に存在する『破滅願望』。それを言い当てられ、動揺したのだ。
「残るエルネストは私、剣崎黒乃、ヴォイド・ヴィレ・エルネスト、あちらのアリサ・ヴィレ・エルネスト、そして君だ。残り二人。君が私に手を貸してくれるのなら、世界には未来を、君には最高の終焉を与えると約束しよう」
次の瞬間、反応を見せたのはソフィ自身ではなく、意外にも黒乃だった。
「……なんだよ、それ」
ドクンと――鼓動が高鳴っていくのを感じる。あの日、病院の屋上でソフィと出会った時と同じだ。
蓮、そしてヴォイドから彼女と関わるなと言われて、情けない自分にひどく憤りを感じた。
――業腹。
ただし、今回の怒りの先は――眼前で黒乃を見下す仮面の男。その仮面の内側に秘められた表情を真正面から射殺さんばかりに見つめる黒乃。
――漆黒。
彼の眼には、黒い炎が宿ろうとしていた。憎悪、慟哭、残響、陰影――どうしようもないほどの怒りが増幅されていく。
「最高の終焉を与える……? お前にそんなことを言える資格あるわけないだろう。――どうして守ってやらなかった! どうして側に居てやれなかった! 答えられるものなら答えてみろよ『K』‼」
その声は、いつもの爽やかで優しい声音ではなかった。
怨嗟が混じり、憎悪を放つ、己の持つ『他人を傷つける』感情のすべてをつぎ込んだ言霊。
「く、黒乃……?」
アリサが困惑するように呟く。それもそうだ。こんなにも攻撃的な黒乃を、アリサはこれまで見たことがない。以前、誘拐されたアリサを助けに来た黒乃も激昂していたが、その比ではないのだ。
今の黒乃のソレは、単純な怒りというよりは『殺意』と表現した方が的確なのかもしれない。
「――何故お前が『モノクローム』に居たのか。何故未来からやってきた蓮たちの情報を把握していたのか。何故月夜野館の場所を把握し、僕らを尾行できたのか。何よりも――どうしてお前が僕と同じ『ヘヴンズプログラム』を持っていたのか。答えは、簡単だった。決して認めたくないものだったけど。お前は――」
その先の言葉を待ちわびていたかのように、『K』は悲壮的に、色気を持って、不敵に笑う。
そして、その無骨な仮面を外すのだ。己の正体を白日の下に曝け出すのだ。
左目には大きな傷跡が残っており、右目は水晶のように淡く輝く紫色――、その正体は。
「――『K』は剣崎黒乃だ。『夢幻世界』の僕であり、未来の僕……そうなんだろ⁉」
ダメだ、答えるな『K』。お願いだ答えないでくれ。これ以上は――抑えられない。
しかし『K』は嗤う。漆黒の中に忍ばせた真実を。
「ふっ……ああ、そうだ。その通りだ。私はお前であり、お前は私なんだよ――剣崎黒乃」
その瞬間――何かが切り替わった。何かは分からない。でも確実に、黒乃の中の何か大切な、絶対に押してはいけないスイッチが入ったのだ。
暗転しそうになる視界。脳内に投影される光景は十四本の剣。
体の内側から外側へ向けて、雛が卵の殻を破るように解き放たれる刃。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け……ッ! なンだ、ナんダコれハ! 僕ノ中のナにかガッ――――ァああああアアアぁぁぁぁァァァああアアアアア――――――‼‼‼)
刹那――剣崎黒乃という存在を圧倒的奔流の中で圧し潰そうと、消し潰そうとする情報の渦に飲まれる。
『一番目の剣』――籠められた起源は『勇気』。その能力は『世界の移動』。
『二番目の剣』――籠められた起源は『後悔』。その能力は『異能の相殺』。
『三番目の剣』――籠められた起源は『快楽』。その能力は『心象風景の具現』。
『四番目の剣』――籠められた起源は『絶望』。その能力は――。
『五番目の剣』――籠められた起源は『嫉妬』。その能力は『相対位置の逆転』。
『六番目の剣』――籠められた起源は『憎悪』。その能力は――。
『七番目の剣』――籠められた起源は『希望』。その能力は――。
『八番目の剣』――籠められた起源は『幸福』。その能力は『痛みの拒絶』。
『九番目の剣』――籠められた起源は『悲哀』。その能力は――。
『十番目の剣』――籠められた起源は『恐怖』。その能力は――。
『十一番目の剣』――籠められた起源は『責任』。その能力は『潜在能力の解放』。
『十二番目の剣』――籠められた起源は『慈愛』。その能力は『闘争の調停』。
『十三番目の剣』――籠められた起源は『欲望』。その能力は『他の剣の同時使役』。
『十四番目の剣』――籠められた願いは『ヒトの心』。その能力は起源を宿した剣――『十四本の剣』のすべてを振るうことのできる力。
『イノセント・エゴ』によって創り出された『下位世界』で育まれたモノの、すべてが込められた剣――。
「ッ――――……………………」
嫌な汗が流れ、血流が速度を増す。平衡感覚は消失し、視界は赤く塗りつぶされていく。
心臓は破裂し、血管は引きちぎれ、全細胞が何か別のモノに上書きされる。
圧倒的な速度で『存在』が書き換えられていく。
――憎いだろう。到底許せないだろう。ならば力を解放しろ。目に映るすべてを破壊しろ。誰もが内側に秘めた『もう一つの側面』を受け入れろ。
反転――対極へただただ落ちていくだけの、存在と無の狭間にあるもの。圧倒的な速度で堕ちていく自分に、もう黒乃は追いつけない。もはや、言葉など話せる状態ではない。だというのに呼吸は行われ、脳は機能し言葉は紡がれる。
――剣崎黒乃と呼べない何者かによって。
「………………ナら、ドウしテアリサをまモれナかッたンダ。どウシテみらイのオまエガこのジダイ二そんざイしテいル」
――世界の再生は破壊から行われる。創造の前の破壊。気に入らないものは殺せ。認められないものなど消してしまえ。そうして自らに都合のいい世界を作り上げろ。
――ひビいてイル――あタマのなカで――ノいズガ――ズttttttttttttttt。
呼吸をしている筈なのに息苦しい。無意識のうちに胸を掻きむしる。まるで、その奥に閉じ込められた『ヘヴンズプログラム』を抉りだすように。もはや視界は機能しない。正常に心臓が動いているかも分からない。けれど――そんな異常の中でも――その声は嫌なほど鮮明に、脳に刻まれた。
「私の道はアリサ・ヴィレ・エルネストと重なることはなかった。蓮やスズカたちなら――全員殺したよ。蓮も、スズカも、澪も、セラも、フレアも。誰も彼もを残らずこの手で、殺害した。そして過去へ戻れる力――『バタフライ』を奪い取った。それがお前の、もう一つの可能性なのだよ」
それを聞いた瞬間。
脳が理解した刹那。
深淵が見えた須臾。
「ァ――――――」
まるで小石でも蹴り飛ばすようにあっけなく、『剣崎黒乃』の自我は堕ちた。
「ッ……――――ぁぁぁぁぁああああああアアアアアアアアアア―――ァァァァァァッ‼‼‼‼』
天上まで轟かんばかりの咆哮が解放される。同時に黒乃の体を漆黒の炎に包まれた鎧が纏い――その姿を異形へと再構築していく。存在の上書き。その余波は超新星の爆発に等しく、周囲に居たアリサや蓮は構える間もなく吹き飛ばされる。
「黒乃――ッ!」
「グガガアアアァァァァァァ‼‼‼ ――ァァァァァァァァアアアアアアアッッッッ――――――‼‼‼‼」
アリサの声は届かず、黒乃は変貌を遂げた姿のまま、ゆっくりと『K』へ向かって行く。とても重い一歩。大地を踏むごとに波紋が流れ、その存在を世界を塗り替えていく。闇夜に妖しく光る深紅の瞳。幽鬼めいたその足取り。
「暴走したか。ジョイ、離れなさい。――チェンジ……」
『K』も漆黒の鎧――『ヘヴンズプログラム』を身に纏う。その瞬間だった。
黒乃はそれまでの緩慢としていた動きから一転、誰の目にも留まらない速さで『K』へと肉薄する。
「ッ――!」
『K』は反応した。同じ『ヘヴンズプログラム』を纏う者として。
「……あれは、なんなの……」
ソフィが、余波によって飛ばされてきた端末を拾い上げる。
ひどく不愉快で不快感のあるエラーコールが鳴り響くその端末には、こう表示されていた。
――『ヘヴンズプログラム――起動』。
「……あれが本当に……未来を……?」
紫色の双眸が見定める漆黒の鎧を纏ったその姿は。
――まさしく『彼女』が望んだはずの、『破滅』の化身そのものだった。