『再会までの過程/Rewind a camera!』
☆
「アリサ――」
「――黒乃」
視線が交錯して一秒。黒乃はいつも通りの笑顔を彼女に向けた。きっとお互いに様々なことがあった。ありすぎたはずだ。だからこそ、この再会はいつも通りのお互い同士で――そう、考えたのだ。
「黒乃――!」
アリサが黒乃の胸に飛び込んでくる。黒乃もそれに合わせてそっとアリサの体を抱きしめた。小さな体に背負わされたエルネストの運命。その苦しみが少しでも和らいで欲しい――そう思って。
「体は⁉ 『ヘヴンズプログラム』は、どうなの! なんともない⁉」
「あら? か、感動の再会は?」
アリサはするりと黒乃の腕をすり抜け、代わりに全身のいたるところを触ってくる。途中、グレーなところを触ってくるものだから変な声が漏れかける。それをぐっとこらえる。
「そんなこといいから! 『ヘヴンズプログラム』は⁉」
「……な、何のこと? プログラムなら再起動中だけど……。ああ、そう、丁度その話をしていたところでさ」
窓際の机を指差す。するとアリサはアルフレドの存在に気が付いたようで、顔を赤くして黒乃から一歩離れた。先ほどまですごい剣幕だったが、本来の彼女は人見知り気味の大人しい女の子なのだ。
まあ親しくなるとその分賑やかになるが。
ふと、黒乃はアリサに視線を向けた。見比べる、というと失礼だが――やはり『彼女』とは違うな、と思ったのだ。
白い髪に紫色の眼。健康的な肌の色にスポーツ少女らしい肉付き。服装はいつものスポーティーな装いと違って、青がベースのブレザーとスカートという組み合わせに、軍服にも似たロングコートを羽織っている。
もしかすれば、黒乃が着ていたブラックスーツのように『特別製』なのかもしれない。とはいえ黒乃の『特別製』は見るも無残な姿だが。
「……あ、あなたは誰?」
と、落ち着いたところで、か細い声でアリサが問う。対するアルフレドは、黒乃の時と同じく、礼儀を重んじて答える――、
「まず君のほうから名乗るのが礼儀――」
答えるのだが。
「――ああ、この人はアルフレド・アザスティア。プログラムの開発に関わった人なんだ」
「……」
何となく、黒乃はいけないことをしてしまった気分に陥った。
拗ねたように窓の外を見つめるアルフレド。案外ナイーブなのかもしれない。
「あ……その、私、アリサです。アリサ・ヴィレ・エルネスト。よろしく、です」
「ああ、アルフレドだ。敬称は結構。よろしく。そしてあちらの男が」
アルフレドの視線が黒乃とアリサの間を縫って後ろを指す。振り向くとさっきカウンターの裏で姿を消したマスターがいた。音もなく現れ、音もなくコーヒーを淹れていた。
「ま、マスター……」
「あれ、俺ってもしかして有名人? ま、いいや。こいつは店からのサービスだ。今日は客が二人も来る珍しい日だしな。好きなだけ飲んで好きなだけゆっくりしていってくれや」
マスターは髭を弄りながら再びカウンターの裏、おそらくは床下の倉庫に消えていった。アリサはカウンターに出されたコーヒーを受け取る。それと同時に、黒乃と同じようにマスターの応対に違和感を抱いているようだ。
「アリサ、この場所はどうやらここは僕たちの知ってる桐木町じゃないみたいだ」
「……うん。だと思った」
「え⁉」
「やっと気づいたか、黒乃」
「えぇ⁉」
何やら訳知り顔のアリサとアルフレド。そして話に置いていかれる黒乃。
「ま、とにかく座りなさい」
そう促され、席に着く二人。そして黒乃は早速話を切り出す。
「……話の続きを聞かせてください。『ヘヴンズプログラム』のことを」
しかしアルフレドはストップという言葉と共に右手を軽く上げた。
「まあ待て黒乃、まずは彼女の話を聞こうじゃないか。どうやら彼女は今の君以上に『ヘヴンズプログラム』についての情報を握っていると思われる。そしてアリサ。ワタシの見立てで言えば、おそらく彼は直近の記憶が混濁している」
「……やっぱり? ねえ黒乃。この世界に来るまでで一番新しい記憶教えてくれる?」
「え、いや……まあ、そうだな……。直近だと、青森の研究所に行った後、秋田にある剣崎財団が保有してる施設に行って、そこで蓮っていう僕の仲間がレイヴンっていう人に会って、『月夜野館』に向かったんだ」
★
そう、あの日、三月二十二日の夜。黒乃たちは『月夜野館』を訪れていた。この館と空間を繋げていたキャラバンは破壊されてしまったので、魔術を使わず交通機関を使ってここまで来たのだが、秋田からここまで中々時間が掛かったのでよく覚えている。
黒乃はこれまでこの『月夜野館』の正確な位置というものを知らなかったのだが、レイヴンのよこしたメモに書かれた座標から割り出した結果、館は高知の端の方にあることが分かった。
「桐木町から東京、青森、秋田、そして高知か……何だかかなり旅してる感じがするね」
「そうだなぁ。ま、アタシは寒いのが苦手だからこっちに来れたのは気楽でいいや」
黒乃の呟きに澪が反応する。海岸線近く。一行は明かりの少ない砂浜を踏みしめる。
「しかし予想はしてたけどさ……ここまで倒壊してるとはな。爆撃受けたみたいじゃん」
澪の言う通りだ。なんとか何かの建築物だったのだろうなと判別できる程度に残された壁。芸術品のように精練されていたそれらは焼かれて灰となっている。雨風を凌ぐことすらできないほどの倒壊、それを発見した全員は何とも言えない気持ちを覚えた。
特に蓮たちは黒乃やソフィが来る前からここを拠点として使っていたのだから、よほど辛いだろう。
「今までお世話になりましたし、なんだか物悲しいですね」
「そうだねー。この分だとボクの研究所も木っ端微塵だよ。はぁ……」
無論、ルドフレアの研究室だけでなく全員の私服や備蓄されていた食料、蔵書、その他にも多くのモノが失われた。今は『起源選定』という非常事態の中なので仕方のないことと無理に割り切っているが、普通だったら発狂してもおかしくない。
「リーダー。なんか言ってやりなさい」
「っ⁉ とんでもない無茶ぶりだな……あー、そう、だな……」
なんとか暗い雰囲気にならないようセラが仕掛ける。しかし蓮は真面目だ。こんな時に言う冗談など持ち合わせていない。
「……スズカも言ったがこの館には随分と世話になった。俺たちの第二の家と言っても過言ではない。俺たちを何時如何なるときも支えてくれたこの館に――黙祷を捧げよう」
結局湿っぽい雰囲気になってしまったが、しかし悪い提案というわけではない。館に、そしてここを所有する久遠遥に対し感謝を示すのは大事なことだ。
全員横一列に並び、『月夜野館』に黙祷を捧げた。
「……さて、とりあえず座れるところくらいは作るか。各自まだ使えそうなものを探しながら掃除だ。いいな? それと『彼』を見つけたら大声で知らせるんだ」
「んじゃ、やりますかね。アタシはあっち担当するから」
「なら私もそっちに行きますね。澪ちゃんの勘は当てになるので」
「それなら私も同行するわ」
「ならボクも!」
「兄貴は一人でそっちの灰塗れのほうなー。よろしく頼んだぜ、リーダー」
ぞろぞろと比較的綺麗に建物が残っているところへ向かっていく澪、セラ、スズカ、フレアを尻目に、黒乃は蓮に声をかける。
「なんか意外と切り替え早いな……。僕も手伝うよ、あっちの灰塗れのほうだろ?」
「それだけ別れの覚悟ができていたということだ。……灰が多いところはいい。俺たちもそれなりに無事だった場所を探すぞ」
「オッケー。行こうアリサ……って、あれ?」
後ろにいたはずのソフィは澪たちに付いていって綺麗そうな場所を散策していた。やはり澪の勘というのはそれだけ当てになるということだろうか。まるで何かのレーダーのようだが……。
「いつの間に……」
「黒乃、早くこっちに来い」
黒乃は一張羅のブラックスーツが汚れないよう気を付けて蓮の背後につく。
「で、話のレイヴン・R・レクシリムさんって、どんな人なのさ」
足場の悪い場所に立ち、ライトを周囲に向けながら使えそうな物がないかと目を凝らす。ライトがあるとはいえ夜に行う作業としては中々きついものがある。
「おっ、椅子発見!」
「流石、鼻が利くわね、澪」
「そういう意味ならセラも活躍してくれないと困るんですけど……」
聞こえてくる声から推察するに、向こうのチームは澪の勘のおかげで色々見つけているようだが、こっちは未だ成果ゼロ。ただ月明りに照らされてロマンティックなムードのある海辺を、男二人で眺めているだけだ。
「レイヴン・R・レクシリム――彼は『世界の記録』に対し、閲覧と記述の権限を持ったただ一人の存在――世界の観測者だ。『世界の記録』とはこの世界の外側にあると言われるもので、過去、現在、未来のうべてが記録されている……らしい」
「ふーん。そんなすごい人が、なんで『K』の連絡係みたいなことを引き受けたんだ?」
「さあな。だが彼は『世界の記録』に触れられる以上、個人として動くことを世界から許されていない。彼が動くときは世界から許されているとき――つまり今回のような滅びの未来が確定した場合だ。とはいえ観測者としての制約がある以上、ただで動いてはくれない。大きな力には対価が必要だ。彼は世界の調停者。すべてにおいて公平でなければいけない」
レイヴンを通した『K』の要求は要約するとこうだ。
『――『起源選定』に関する重大な情報を開示する。だから指定する場所に来い』。
一見すれば明らかな罠――だが。
「もし罠だとしても、情報の開示が行われるならそれは僕らのメリットとなる。で、こっちも罠を罠だと思って準備できるから、一応公平と言えば公平……なのか。で、その人はいつ現れるんだよ。時間までは指定しなかったんだろ?」
『K』と戦えるだけの準備をしてこの場所に来たものの、しかしこのままでは埒が明かない。
「彼は遍在している。観測者とはそういうものだ。だからその時が来たら彼は現れるさ」
「随分曖昧だなぁ」
そう返事をした直後のことだ。一行は遍在しているという彼の尻尾を掴むこととなった。
最初に決めたルール。彼を見つけたら大声を出す。それに従って館の跡地に大声が響いた。
「ファントムトリガー――! アブソリュート――――ッ‼」
冷気が駆け抜ける。黒乃と蓮は目を見張った。『月夜野館』から正面の海岸線に向けて巨大な氷柱が一瞬にして出現していたのだ。
「……あれは澪の……行くぞ、黒乃!」
「おう!」
倒壊した館のエントランス部分に集まっている六人の人影が見えた。
その中に一人――知らない人物がいる。黒いハットにロングコート、それに葉巻を加えた一目でただ者ではないと思える初老の男。
「おいジジィ! アタシの尻を触るとはどういう了見だコラァ‼ 中指も使ったろか⁉」
(……な、なんか澪がすげえキレてる)
澪の表情は般若面のそれで、右手には拳銃が握られている。引き金にかけられた指が人差し指から中指に変わる。澪はアレで魔術の切り替えを行うのだが、中指はインペリアルトリガー――自らの魔力をすべて注ぎ込み放つ必殺技のようなものだ。
「落ち着きなさい、澪。どうせこちらの攻撃が当たらないわ」
「そそ、ま、許せよ嬢ちゃん。どうせ減るもんでもねぇんだからよ」
「減るわ! 気持ちの問題なんだよ――このジジィ! インペリアルトリガー――――」
澪は本気だ。魔力のオーラみたいなものがはっきりと見て取れる。きっとアレを放てば例えセラの言う通りあの男に攻撃が当たらないとしても、銃口の先、つまりはこの倒壊した館の奇跡的に残った面影さえ跡形もなく消えるだろう。
「――よせ、澪」
銃口の先に蓮が立つ。澪は咄嗟に魔力の放出を抑えて魔術の発動をキャンセルした。兄に銃口を向けて少し冷静になったようだ。海岸線まで伸びていた氷柱も次第に砕けていく。
「……チッ」
「災難でしたね、澪ちゃん」
「今日の一番風呂はキミに譲るよ!」
「いや、それホテルの個別部屋だったら意味なくねえか……?」
スズカとフレアが澪をなだめている間に黒乃も合流する。その後、灰や煤塗れとはいえ何とか人数分の椅子を確保し、一行は円を組むように並べて腰を落ち着けた。
「悪いな、自己紹介が遅れた。そうは言っても、『この時点で』オレのことを知らないのはそこの二人だけだが。オレはレイヴン・R・レクシリムだ。よろしくな剣崎黒乃、アリサ・ヴィレ・エルネストちゃん」
「はあ……どうも」
「……」
正直、第一印象としてはセクハラおじさんという以外に何もない。本当に世界の観測者と言われるほどすごい人なのか、と黒乃が訝しげに見ているとレイヴンは葉巻を夜空に向けて蒸かした。
「本題の前にちょいと聞かせてくれ。蓮、お前は次の一手をどうするつもりだった? オレはここまでのお前たちの結果を知ってる。『モノクローム』では『プロトダーカー』を破壊したがセラが力を使えなくなり、一度しか使えなかった『十二番目』の剣の能力を使わされた。アルフレドの研究所ではフィーネが死に、同時に『月夜野館』を失った。そんな後手に回った状態を、どうひっくり返そうとした?」
「……。考えていた手は二つ。一つは剣崎惣一朗についての情報を掴むために無理やり剣崎家に乗り込む手です。『ヘヴンズプログラム』の開発に関わった彼の情報は、当然だが研究所で入手した資料にも記載されていない。彼について知ることは、黒乃がプログラムを使いこなす鍵になると根拠はないが考えていました。……そしてもう一つは、対価を払って貴方から情報を引き出すこと」
「ほう、一応はお前なりに考えてたってワケだ」
話し込む二人を余所に、黒乃はこっそりと、隣に座ったスズカに耳打ちする。
「ねえスズカ、君たちとあの人ってどんな関係なの?」
「彼は元々遥さんと仲が良かったんですよ。そして私たちは特別、遥さんから目をかけてもらっていました。その関係で私たちも少し名前を憶えられている、といった感じです。言ってみれば知り合いの知り合いですね」
「なるほど……」
「――ま、だがな。結局、お前らはまた後手に回ったことになる」
その単語に、この場にいる全員が表情を硬くした。
「オレが動くからには公平でなければならない。だから行けば『K』は必ず情報を開示する。これが反故になることはない。だが勘づいている通り『その後』については契約外だからな。まあまず間違いなく戦闘になるだろう。『K』の目的はそれだ。つまりヤツは――本気でお前らの首を取りに来たわけだ」
「けど、行くしかない。他に方法もないし、それに僕は――『K』と会う必要がある」
黒乃の体に宿った『ヘヴンズプログラム』――『人工のカード』。その開発資料を読んでから、黒乃にはとある考えが浮かんでいた。それはまだ不鮮明で、しっかりとした形になるかは分からない――だが、もしそれが『K』の開示しようとする方法に通ずるなら。
『K』――彼もまた、黒乃と同質の力を宿していた。だとすれば尚更、剣崎黒乃は『K』に会わなくてはならない。
それに蓮も同意する。
「同感だ。……全員、戦闘準備は整えてある」
その言葉を聞いて、レイヴンは悪戯でもするような笑みを浮かべて問う。
「しかし蓮、お前、コートに結付けた魔力使っちまっただろ? つまり魔力を供給する手段は、お嬢ちゃんのヴァイオリンしかないな。そんなので戦えるのか?」
レイヴンはこの先の結末さえ、見通している。しかし彼は蓮を試している。結果が分かれど、その過程は知らない観測者だからこそ――蓮がどのような考えでその選択をするのか。
それが知りたいのだろう。
「――奥の手なら、ある」
蓮は、顔を背けて、呟いた。レイヴンはゆっくりと煙を吐いた。その表情は落胆とまではいかないものの、未だ成長途中の雛でも見るようなもどかしさがあった。
「まあ、世界を解放するためだからな。非常時には非常手段――か。さて、向こうの入り江に船を止めてある。少し値の張るものだから、大事に使えよ。さて、全員の覚悟は決まってるようだし、年寄りの冷や水はこの辺におくかね」
一足先に立ち上がり、再び葉巻を蒸かしながら海を見つめるレイヴン。それに続き、蓮が、スズカが、セラが、澪が、ルドフレアが、ソフィが、そして――黒乃が立ち上がる。
「行くぞ!」
その声に従い、各々が入り江の船へと向かう。が蓮の前には――レイヴンが立つ。
「――待て。蓮」
再び煙を蒸かせるレイヴン。
「何か?」
「お前が知りたいことなんてこれくらいしか思いつかないんだがな……澪の魂の状態を教えてやる。いいか、継ぎ接ぎだった部分が溶け合ってしっかりと一つの魂になってきている。あいつは次の『到達存在』、つまりは『光子世界』に触れられるモノになるぞ。消えちまったもう一人のお前さんと同じように、な」
「……そう、ですか。ですが世界が解放されれば、それは関係のない話だ。それで……対価に何を?」
「ははは! 察しが良くて助かるよ。オレにはすべての結果が視えてる。だが、過程までは視えない。つまりな――アゲハ、いや遥はどんな風に死んでいった?」
「――笑っていました。いつものタバコを吸いながら、満足そうに……」
「そうか。――充分だ。後は頼んだぜ。オレらの未来をな」
「――ええ」
蓮は懐に忍ばせた拳銃と、それに一発だけ装填された銃弾を意識して、静かに微笑んだ。
レイヴンもまた、その眼で過去に、現在に、そして未来に思いを馳せて再び葉巻をじっくりと味わうのだった。