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『故郷は思い出の中に/Memories of 15 years』

 二週間ぶりに訪れた桐木町(きりぎちょう)の町並みは、アリサ・ヴィレ・エルネストにとってもう何年も離れていた故郷のような懐かしさを覚えさせる。

 兄であるヴォイドから、一度家に帰ろうと、そして町並みを見ていこうと提案された時は、僅かに戸惑ったアリサだったが、無論断るはずもない。

 

 ここしばらく見ていなかった、どこか懐かしさを覚える日常の面影。零れ落ちた心のピースが埋められていくような、そんな心地良さを覚えた。時刻は夜中。深夜というわけではないが、やはり田舎町だけあって人通りはない。

 

 それが少し寂しく思えたが、しかし兄と二人だけの世界というのも悪くないと、アリサは密かに思った。


 三月とはいえ、まだ夜はかなり冷える。

 寒空の下、コートの裾を直しながらアリサはヴォイドと並んで、懐かしき町を眺めながら歩いていた。

 最初に向かった場所は、病院から一番近かった河川敷だ。


 土手沿いの道から眺める河川敷には、サッカーゴールやミニゴルフに使う旗などが設置されている。


「日曜日になると、朝早い時間からおじいちゃんおばあちゃんがゴルフしてるよね。知ってる? 二つ隣の部屋のおばあちゃん、町内で一番上手なんだって」


「そうなのか。元気なご老人だ。対して、いつも練習してるサッカーチームは、あまり戦績が芳しくないようだな。いいコーチに巡り合えればいいんだが。……覚えているか? 昔、あっちの芝生でキャッチボールしたよな」


「勿論覚えてるよ。兄さんが大暴投してそこの川にボール落としちゃったから、飛び込んでまで探しに行ったんだよね。今なら笑えるけど、あの時すごく心配したんだからね」


「……悪かったよ。だがあのボールはお前がオレとキャッチボールするために買ってくれたんじゃないか。兄として失くしたくないだろう」


 今にして思えば、昔からアリサが野球ボールなどの男の子っぽいものを欲しがったのは、兄とのスキンシップのためだったのかもしれない。


「恥ずかしいこと言わないで、もう! んー、そう、あっちのほうでバーベキューしてたよね。大学に入ってからはやらなくなっちゃったけど、夏になると毎年、お約束みたいにやってた」


「ああ、お前が高校生になった頃には黒乃(くろの)君が来るようになったな。彼が来て随分と賑やかになったよ。……正直に言えば、お前ももう彼氏を作る年頃なのかと感慨深くなった」


「えー、やめてよそんなお父さんみたいな視点。まだ若いんだから、彼女さん作ればいいのに。兄さんカッコいいんだから、押せば倒れるよ」


「……そういう言い方は良くないな。どこで覚えたんだ。それに、オレにはお前がいる。だからもう充分だ」


「……そういう言い方は良くないよ。もー……照れるじゃん」


 次に向かった場所は、更に次の目的地の途中にある歩道橋。車がほとんど通らないせいか随分と静かな夜だ。声を出すのも憚られる美術館のような夜の町。


「ここは? どんな思い出があるんだ?」


「この場所は、私のなんていうか……考える場所、かな。学校で何かあった時はね、そこの自販機で飲み物買って飲み終わるまでずっと、この景色を見てたの。夕日が町に沈むところとか、車のライトが綺麗な夜景とか、とにかく一人になりたい時はここに来てた」


 そういえば一度黒乃に見つかって、一緒の時間を過ごしたこともあったなとアリサは思い出す。


「何かあった時ってなんだよ。オレに相談してくれればいいじゃないか」


「そーいうワケにはいかないものもあったの! 気持ちは嬉しいけどさ、兄さんって過保護なところがあるから。私知ってるんだよ。昔、いじわるしてきた子が次の日には泣いて謝ってきたの。あれって兄さんの仕業でしょ。手は出さないけど口は出す。……それこそ泣くほどに」


「……もう時効だ。というか別に悪いことじゃないだろう。子供が間違ったことをしたら大人が正しいことを教えてやる。感情も理屈も、例えそのとき理解できなくてもいつかは分かってくれる日が来ると信じて、な」


「兄さん、教職のほうが向いてるんじゃない?」


「無理な話だ」


 ヴォイドはきっとアリサに聞こえないように口にした。

 けれどこの静かな夜。アリサは聞いてしまったのだ。


「――オレは人を殺しすぎた」


「……」


 返事はせず、ただアリサは歩道橋の階段を下っていく。


「ねえ、兄さん。もし『起源選定(きげんせんてい)』が別の形で終わって、私たちが全員生き残れたらどうする?」


「どう……と言われてもな」


「新しい生き方だって、できるはずだよ」


「だがどうするつもりだ、アリサ。もし『K』が開示する方法に頼るつもりならやめておくんだ。『K』――あいつは歪んでいる。その方法とやらもおそらくお前の望むものではないだろう」


「大丈夫。分かってるよ、兄さん」


 エリー・イヴ・エルネストは『心無き者(ホロウサイド)』――つまりはエルネストにとっての心臓部であるカードを失っても、自我を取り戻した。


 アリサは一度、そのことについて落ち着いてよく考えた。

 エリーが自分で自我を取り戻したとはいえ、それでもきっかけ――その要因になったことがあったはずだ。


(あの日――エリーは兄さんの血を浴びていた)


 そう、思いついた要因は一つ、ヴォイドの血だ。

 決定的な理由はおそらく、ヴォイドの血を浴びたか、体内に入ったかのどちらかだと思う。

 ヴォイドの血液は特殊だ。何故なら、人間の血とエルネストの血が適合し、混じり合っている。


 もしそれが人間にとってもエルネストにとっても新たな可能性になるとしたら……カードが無くても生きることができれば……方法はある。

 『心無き者(ホロウサイド)』に心を与える。

 そしてやがては――すべての始まりである『イノセント・エゴ』に心を与え、理解させられるかもしれない。

 それが、現在アリサが考えている方法だ。


「……巣立ちの時、か」


「ふふ、急になに?」


「いいや、次の目的地が見えてきたぞ」


 次の目的地は、喫茶レストラン『B(ブラック)W(ホワイト)』。そこは以前アリサが世話になっていたバイト先だ。最近まで働いていたが、今回の出来事がきっかけでやめてしまったお店。

 今日は定休日なので明かりはついていない。


「お前がバイトをすると言い出したときは随分と驚いたよ。接客も料理もできると思ってなかった」


「失礼だね、兄さん! ま、確かに人見知りで手先が不器用なのは認めます。でも接客も料理もちゃんとできてました! 兄さんだって私の作ったオムライス食べたでしょー」


「美味しかったと言った記憶はないが?」


「……むむむ。私のことが心配で暇さえあれば入り浸ってたくせに……」


 まあ、黒乃もここでバイトするようになってからはあんまり来なくなっちゃったけど――とアリサは過去を振り返る。


「――また食わせてくれよ、お前のオムライス。次はちゃんと感想言ってやるぞ」


「いいよ! 絶対に美味しかったって言わせてやるんだから! なんならこの後作ってあげるからね!」


「ああ、それは楽しみだ」


 会話を終えて次の目的地へと向かう。次は十分ほど山を登れば辿り着くことのできるこの町の天文台だ。この場所も毎年一回は訪れているとても大切な思い出の場所。


「昔、ここで喧嘩したことがあったな」


「うん。曇りだったのにどうしても星空が見たいって、我が儘言った……」


「冬の風が冷たくて耳まで赤くして鼻水まで垂らしてたのに、帰らないって泣いてたな」


 思わず咽そうになり、アリサは体を強張らせる。恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になり、元々の肌が白いこともあって余計に目立っている。アリサは話を誤魔化すように思い出を必死に手繰った。


「あ……あー、えっと、そしたら雪が降ってきたんだよね」


「ああ。今度は雪合戦したくなって、雪が積もるまで帰らないってそこのベンチから離れようとしないんだ。ほんと、参ったよ」


「……私って兄さんにかなり我が儘言ってたよね。ありがとね、兄さん」


 そこでごめん、ではなくありがとうという妹に、ヴォイドは笑みを溢す。


「ふっ、こんなわがままな妹に付き合えるのはオレだけだ。もっと感謝していいんだぞ」


「そこまで言われると逆に感謝しづらい……!」


 だが、我が儘聞いてくれて、大切にしてくれて、自分よりも私を優先してくれた。そんな兄のことが――アリサは心の底から好きだった。

 恥ずかしくて言葉にはできなかったが、常に、方法があるならもっと感謝したいと、そう思っていた。


 ふとアリサはコートの大きなポケットに入れていた小さな木箱を取り出す。それは黒乃がプレゼントしてくれた宝物――オルゴールだ。

 近くのベンチに座り、オルゴールのネジを巻いた。


「――この曲、『ソフィ』か」


 ヴォイドが隣に座る。切なく流れるオルゴールの音を大事に聴きながら空を見上げると、あの時は見られなかった満天の星空が空を覆いつくそうと煌めいていた。


「いい音色だ」


「雪でも降ってくれたら、もっとセンチメンタルだったかもね」


 ――一陣の風が吹き抜ける。とても冷たい、冬の日の木枯らし。それに揺れるアリサの長い髪を見て、ヴォイドはつい呟いてしまった。


「たまに――風に靡くお前の髪を見ると、雪に見える時がある」


「……それって、褒めてるってコトでいいの?」


「もちろんだ」


 そこから先、曲が終わるまでの二分と少し。ヴォイドは目を瞑って、噛みしめるようにこの時間を過ごした。兄が何に思いを馳せていたのか、アリサは何となく、母の――フィーネのことをイメージした。

 時折冷たい風が吹き、体を芯から冷やす。しかし、それさえどこか心地よく感じる時間だった。


「兄さん、今度さ。また格闘術教えてよ。私まだ、免許皆伝……してない」


「……ああ。そうだな。約束だ」


 そっと兄の手を握った。彼も優しく妹の手を握り返した。


「――行こう、アリサ」


「うん。宣言通り、オムライス――作ってあげるからね!」


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