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『再会の約束は/Fulfilled tragically』

 三月十八日。アリサ・ヴィレ・エルネストは兄であるヴォイド・ヴィレ・エルネストと共に、故郷とも言うべき桐木町(きりぎちょう)への帰還を果たした。

 その理由は、死去した母親――フィーネ・ヴィレ・エルネストとの再会。


 遺体は、剣崎黒乃(けんざきくろの)の担当医である神丘訪汰(かみおかほうた)と共に、青森にあるアルフレド・アザスティアの研究所付近から、この桐木町に戻っていた。

 

 移動用ヘリで、夜の帳が下り寝静まる小さな町を騒がせた二人は、真っ先にその病院を訪れた。


 非常用の入り口から建物内に入る。中は既に消灯時間になっていて、広いエントランスは暗闇に包まれ、白塗りの通路も、僅かな暖色の明かりに照らされるだけだ。

 やけに響く足音をしばらく聞いていると、二人はまだ明かりが残っているその部屋の前に辿り着いた。


「――――」


 黒縁の眼鏡に白衣を纏う、どこか頼りないような柔らかい雰囲気の、中年の男が立っている。

 男の名は神丘(かみおか)訪汰(ほうた)。この病院に勤める医師だ。

 アリサも何度か話したことのある人物で、兄であるヴォイドや母であるフィーネの知り合い。


 神丘はアリサの姿を見て、裏のない笑顔を浮かべた。


「やあ、アリサちゃん。久しぶりだね。そしてヴォイドくん。話に聞いてはいたが――手当ては?」


 ヴォイドの羽織るスーツの左腕の部分を見て、神丘は医者として問う。


「死なない程度に、一通りの応急処置はしてあります」


「ならその先はぼくの仕事だ。来なさい。――アリサちゃん、一人で平気だね?」


「はい――兄さんのことをお願いします」


 アリサは軽く頭を下げてから、一人、無機質な扉を開けた。内心、アリサはヴォイドに付き添ってもらいたい気持ちもあったが、それは前もって本人に却下されていた。

 きっとヴォイドは再会するわけにはいかないのだろう。己の手で葬る事となった――恩人だから。


「――――」


 扉を開けるとまず目に入ってきたのは白装束だ。無機質な部屋、生命の存在しない部屋。

 ゆっくりと踏み入り、寝台に近づく。横たわる体、顔を隠す白布。


 布を指で摘んでその姿を灯りの下に晒し出す。

 そこにあったのは、フィーネ・ヴィレ・エルネストの――母親の綺麗な顔だった。

 とても死んでいるとは思えない、けれども生命の無いそれは、究極の美として完成された人形のようにも思える。


「――――」


 事の経緯はすべて聞いている。『K』――あの男にフィーネはカードを奪われ、そして『心無き者(ホロウサイド)』へと堕ちる寸前だった。

 それを防ぐためにヴォイドが止めを刺したのだ。――死もまた救いだと、そう自分に言い聞かせ。


 しかしだからといって、それがヴォイドにとって救いになるわけではない。ヴォイドは――密かにフィーネに恋情を抱いていた。もっとそれは恋、と呼ぶには少し違うものかもしれないが、愛情、好意と言って差し支えないものだ。


 ――大切な人の命をこの手で摘み取る。


 それがどれほど辛く、苦しく、慟哭を生むのか、簡単に推し量る事などできはしない。


(エリー、レイ、クロエ、そして母さん。『K』のしたことは絶対に許せない)


 ――でも。


(……でも、たとえ憎しみの果てに『K』からカードを奪っても、おそらく意味のないことだと、思うんだ)


 夜代(やしろ)(れん)たちという未来からの介入者によって、気が遠くなるほど長く、始まっては停滞し、再び始まっては停滞し、途方もない間『結果』が出ないまま続いていた『起源選定(きげんせんてい)』に――きちんとした終焉が訪れることが判明した。

 

 しかしタイムトラベラーの話によれば、ただ選定を終わらせるだけでは、その先に待っているのは『イノセント・エゴ』に見放されて迎える『世界の終末』だという。

 だというのに、『K』の目的は行動だけ見れば自分がただ一人の勝者となることだ。つまりこのままいけば、生き残るエルネストは一人だけ。


 そしてその一人の選択によって訪れる世界の終末――二〇二〇年(みらい)は確定している。となると今回の選定はなんとしてでも、従来のルールである『エルネスト同士による殺し合い』で終わらせてはいけない。

 故に、アリサは決意した。新たな可能性を掴み取るために。未来を切り開くために。

 そのためにできることをしようと――。


「母さん。私は必ず運命を――変えてみせる。だから、まだ見守っていて」


 胸に光が灯る。決意の強さを表すような大きな光。


「私のこの光が消えないように。この光が未来に灯るように」


 エリーは変われた。カードを失い、心を失い、『心無き者(ホロウサイド)』に堕ちて暴走をした。けれどアリサを攻撃しようとして、その手を止め、涙を流したのだ。

 だからこそアリサは信じている。戦う運命にあるエルネストもきっと変われるはずだと。


「……もう、行くね」


 黙祷を捧げ、アリサは部屋を出た。


 アリサがフィーネとの再会を果たした一方で、ヴォイドは神丘によって切断された左腕の治療を行っていた。とはいえ止血や消毒などの応急処置は済んでおり、神丘が行っているのは傷の縫合だ。


「……野暮なことを訊くようだけれど、切られた腕はどうしたのかな?」


「くっつくわけでもないので、燃やして処分しました」


「思い切りがいいのは君の長所だと思うけれどね……。確かに現代医療では、傷口を見る限り、再生は不可能だろう。移植という手もあるが、時間はかかる。とはいえ『魔術』の分野であれば、方法はあったんじゃないのかと医者として思わざるを得ないね」


 それを聞いて、ヴォイドは小さく鼻を鳴らした。


「流石は『ヘヴンズプログラム』の移植を成功させた名医だ」


「冗談はよしてくれよ。アレが成功したのはぼくの実力とは関係ない。そもそも便宜上移植と呼んでいるけど、アレの本質は少し違うよ。気味の悪い言い方をすれば寄生とか、そういう類のものだ」


 神丘は当時のことを今でも鮮明に覚えている。元々神丘は、ヴォイドやフィーネだけでなく、黒乃の父親である剣崎惣一朗(けんざきそういちろう)やその友人だったアルフレド・アザスティアとも交流があった。

 そうは言っても、神丘自身は魔術の世界に足を踏み入れることはなく、むしろ忌避するように生きてきたのだが……これまでの人生を振り返ってみても、それが成功したとは言えそうにない。


 あの日、致命傷を負って血塗れで運び込まれた黒乃を見て、神丘は瞬時に理解した。彼は助からない――と。アリサの覚醒に巻き込まれ、剣の一太刀を受けた。

 傷は深く、骨まですっぱりと切断され、出血は酷く、生きているのが不思議なくらいだった。


 そしてその奇跡は長続きしない。そう、冷静に判断した。


 だがそこに、ヴォイドから持ち込まれた『手段』があった。彼を救う為の手段。

 『ヘヴンズプログラム』という、剣崎惣一朗がとあるエルネストを救うために、アルフレド・アザスティアと共に作り上げた『人工のカード』。


 アリサの――エルネストの血液を輸血し、そして神丘は『ヘヴンズプログラム』を黒乃の体内に入れた。すると、カードはその姿を粒子に代え、足りない部分を補うように傷口を塞ぎ始めたのだ。

 神丘はその手伝いをしたに過ぎない。


「ところで、このことをアリサちゃんには話したのかい?」


「……ええ。五年前のことは、まだオレの封印が効いているので、覚醒はしていません」


 そこでヴォイドは、思いついたように口にする。


「もし黒乃君から貴方に連絡があれば、オレが口止めしていたことを話してしまって構いません」


「いいのかい?」


「ええ。彼ももう、子供じゃない。とはいえ、最初から話すべきだったのかもしれませんが……」


 珍しくヴォイドは後ろ向きなことを口にした。『起源選定』が避けられない運命である以上、アリサも、そして黒乃もいずれは戦いに巻き込まれていた。

 ならば、最初からすべてを教え、戦いに備えさせた方が良かったのではないかと、ふと考えてしまったのだ。


「馬鹿なことを言うんじゃないよ」


 だが神丘はそれを、真っ向から否定する。


「確かに、あの二人を思うあまり、君やフィーネさん、そしてぼくも隠し事を多く持ってしまった。だが、それがあったからこそ、二人に『平和』を教えることができたんじゃないか。あの二人は戻りたいと思える『日常』を手に入れることができたんじゃあないか。たとえそれが短く、儚いものだったとしても――『平和(それ)』を守り続けた君を、ぼくは尊敬しているよ」


「――――」


「……やっぱり、この後も戦いに出るんだよね?」


 言葉を失っているヴォイドに、神丘は問う。傷の縫合、処置は完了していた。鮮やか手際だ。

 ヴォイドはゆっくりと立ち上がってから、深く、神丘に頭を下げた。


「普通の人間なら、片腕を失くせば歩くことすらままならなくなる。突然片腕に重りを持たされて、それで普通に歩ける人はそういないだろう? その逆も然りというわけだよ。ヴォイドくん、本当に、それで戦うつもりかい?」

 

「リハビリをしている時間も、戦闘に耐えられる義手を用意する時間も、残ってないでしょう。それでも、アリサのために戦うことが――オレの命の使い方だ」


 そう言ってヴォイドは、グレーのチェスターコートを着た。


 アリサが母親との再会を終えて、ロビーのソファーに座り込んでいた。無音、暗闇――けれどどこか安心があった。『箱庭』の外でこうして落ち着ける時間があるとは思っていなかったから。

 それがたとえ束の間のものでも、貴重に思う。


 しばらく経ってからヴォイドと神丘(かみおか)が姿を見せた。


「先生、兄さんの腕は……?」


 ヴォイドの顔色は決していいとは言えないが、それでも『箱庭』で腕を失った時に比べれば、幾分楽になったように見える。


「的確な応急処置のおかげで、処置はスムーズにできたよ」


 神丘の指摘に、ヴォイドは右手で、袖を通していないスーツの左腕を掴む。


「心配するな、アリサ」


「……うん」


 それは無理な話だろうと神丘は内心思ったが、アリサが無理にでも納得したのを見て、余計な口出しはやめることにした。

 しかしその代わりに、足音が響く。神丘でも、ヴォイドでも、アリサでも、ましてやこの病院の関係者でも入院患者でもない。

 まるで、今この瞬間この場にテレポートでもしてきたかのような、突然として聞こえた足音。


 そして鼻孔をくすぐる――味わい深い香り。


「――邪魔、するぜ」


 いつからか、男が居た。葉巻を銜えた初老の男だ。マフィアのボスを連想させる、ただものではない雰囲気の存在に、しかしアリサは勇敢に問う。


「どちらさまですか」


 男は余裕を持って、ニカッと歯を見せながら、銜えていた葉巻を右手で取り上げた。


「通りすがりのおっさんさ。なに、ちょっとした契約でね――『K』と呼ばれる男からの伝言を届けに来た」


 『K』――その名前に、三人は表情を強張らせる。ヴォイドとアリサはすぐにでも剣を引き抜く準備をする。


「おいおい、そう構えるな。オレは誰の味方でもない。言わば――『観測者』だ。別に戦いに来たわけじゃない」


「『観測者』――? まさか貴方は、レコードの名を持つものか?」


 魔術の世界に精通しているだけあって、ヴォイドはその単語から連想した可能性を口にする。

 この世界で唯一、世界の外側に存在している『世界の記録(アカシックレコード)』にアクセスし、書き込む権限を持った存在。

 過去、現在、未来の時間の中に偏在する存在のことを。


「……そうだ。やれやれ順序を間違えたか。オレは、結果を既に識っているが、その代わりその結果に至るまでの過程が視えねぇ。だがこれでお前さんたちに、オレがただの言伝をしにきたってことが理解できただろう?」


 アリサはヴォイドを見る。判断を仰ぐためだ。そしてヴォイドはアリサに、敵ではない、と頷いてから、構えを解いた。


「では――本題に入ろうか。『K』からは二人をとある場所に向かわせるように頼まれた。これは向こうのメリットだ。で、ここから先がお嬢さんらのメリット。『K』はこの『起源選定(きげんせんてい)』における自分の目的と、従来の方法以外で『選定』を終わらせる方法を開示すると言っている」


「ッ――」


 男の言葉にアリサが反応する。当然だ。『起源選定』をこのまま進めれば、待っているのは世界の崩壊。けれど『K』はそれを知ってか知らずかカードを集め続けていた。いや、従来の方法以外で、という発想がある時点で『K』も知っているのだ。この先の未来に何が待っているのかを。

 ならば――『K』の目的は見定めなければならない。


「……十中八九、罠、だな」


 アリサがそう考える一方でヴォイドは冷静に分析する。


「客観的に見れば、そうだな。だが、念のため言っておくが、オレはあくまで中立の立場だ。一応、どっちのメリットにもなるようにはなってるぜ」


「だがどうして、貴方ほどの人が? そもそもとして、あらゆる時間に偏在している貴方とこうして話すことができる時点で、普通ではない」


「ああ、本来オレは観測者であってこうして干渉できる性質じゃないんだが……今回ばっかりは世界の命運ってヤツが懸かってるモンでね。下位もそうだが上位の世界の運命もだ。だからこうして出張ってるワケだ」


 観測者は内ポケットからメモを取り出すと、それをアリサに差し出した。

 

「三月二十二日、その場所へ向かえ。剣崎黒乃もそこへ来る」


「――――!」


 アリサはメモを受け取った。書かれているのは数字。緯度と経度だ。この場所へ向かえということだろう。


「では役目は果たした――これで失礼する」


 瞬きをすると男はいなくなっていた。

 ただ病院には似つかわしくない、葉巻の匂いと、『月夜野館』の座標が書かれたメモを残して。


「行くつもりかい?」


 神丘が二人に問う。答えは既に出ていた。


「ええ――『K』が『起源選定』を本来のものとは別の形で終わらせるというなら、私はその方法を知っておかなければならないので」


 ――エルネストの運命は、必ず変える。胸に光を灯し、アリサは静かに目蓋を閉じた。

 一方でヴォイドは、ブラインドが下ろされた窓を通して、外を見ていた。

 実際に見ていたわけではないが、その眼差しはヴォイドとアリサが生活をしていた家がある方に向けられていた。もうしばらく帰っていない、自分たちの居場所へ。


「――アリサ、期限まで猶予がある。一度、家に帰らないか?」


「え? ……ああ、うん。それは別に、いいけど」


 意外な提案にアリサは歯切れが悪くなる。ふと顔を見ると、今のヴォイドの表情は、戦闘時の躊躇いも迷いも捨てきったものではなく、アリサと十五年間一緒に生きてきた兄としての優しい顔をしていた。


「それに……なんとなく、見ておきたいんだ。思い出を」


「……うん。分かった」


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