『起源選定/A little old tale and explanation』
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――当時のことはほとんど覚えていないけど、四歳か五歳の頃、私は親元を離れて施設に預けられた。
そして、しばらくしてから、当時まだ十三歳だった兄さんに引き取られた。それが今の家族との出会い。
兄さんは母さんから私のことを頼まれたと言っていたけれど、詳しくは教えてくれなかったし、私も無理に訊こうとしなかった。
そうして十五年間私はあの町――桐木町で兄さんと一緒に家族として暮らしていた。『起源選定』のことなど知らず、兄さんが与えてくれた平和をただ生きていたのだ。
小学校に入って、卒業して。
中学校に入って、卒業して。
高校に入学して、そこで黒乃と出会った。そして輝かしい青春を送り、卒業した。
大学に入って、就職について考え始めて、早く兄さんに恩返しがしたいと思っていた。
つい、二日前までは――。
二日前、何者か――『起源選定』に関わる者によって『魔術』で襲われた。兄さんは他のエルネストだと言っていたけど、正直まだ、信じられない。
でも、それがきっかけで私は母さんと再会を果たし、兄さんからエルネストの宿命について、簡単に教えられた。
今のままでは黒乃を巻き込んでしまう。命を危険に晒してしまう。そう――教えられた。
だからこそ戸惑う暇もなく、私はあの町を、思い出の詰まった故郷を出ることにしたのだ。
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それがこれまでのざっくりとしたアリサの経緯だった。
「……あー、と、こんな感じ、です」
我ながらよくもまあ短く纏められたな、と思うのと同時に黒乃のことは話す必要はなかったなと、後になってアリサは気付いた。これじゃあまるで惚気話をしたみたいだ。
「そう――、やっぱりヴィレの血筋って普通の人が好きになるのね」
「え?」
エリーの妙な物言いに、アリサは眉をひそめた。
「あ、ううん。変な意味じゃないの。ただ――そういう道も、もしかしたらあったのかなって思っただけ。ごめんなさい、ホント余計なこと言って」
なんだかそれほどまでに後悔しているような言い方も、それはそれでとアリサは思った。
とはいえ、話自体は真剣に聞いてくれた。今度はアリサが――三人の話を聞く番だ。
――時刻は夜の十時過ぎ。
四人は、真昼の空から打って変わり夜空が投影された天井の下、紅茶を用意してテラスへ出た。
一陣の風が吹き抜ける。まるで五月の湿気を含んだ冷たい風。それがとても気持ちよく、アリサは思わず目を瞑る。カップを持ち上げ、仄かに香るミルクティーの匂いも悪くない。
「いい風ですわ。自然のものではないとしても、わたくしはこの風が好き。『幸せ』を感じるのだもの。――それじゃあ、レイ、エリー、アリサ、そろそろ話の続きをいたしましょうか」
全員が頷く。今回はアリサが聞き手。内容は『起源選定』にまつわる話だ。そもそも『エルネスト』とは何なのか。アリサ当事者として知らなければならない。
「そうだね」
次の瞬間、アリサ以外の三人が手を軽く前に突き出した。
「ぁ――――」
それはいつの間にか、フィルムのコマとコマの間に差し込まれたように――ただそこに在るのが当然みたいに出現していた。
淡く白い粒子に包まれたそれがベールを脱ぐ。彼、彼女らが掌に載せたのは、一枚のカード。
「覚醒したエルネストは一枚のカードを、その身に宿すことになるわ。――『Ⅰ』、『Ⅱ』、『Ⅲ』、『Ⅳ』、『Ⅴ』、『Ⅵ』、『Ⅶ』、『Ⅷ』、『Ⅸ』、『Ⅹ』、『Ⅺ』、『Ⅻ』、『ⅩⅢ』。そしていつからか生まれるようになったイレギュラー――『十四番目』」
「――――」
アリサが確認のために自分のカードを三人の前に出そうとするが、それに対してエリーが少し眉を寄せる。
「待って、アリサ」
「うん……?」
「いいかしら? エルネストはね、カードを巡り争う運命にあるのよ。カードにはそれぞれ特殊な力が込められ、場合によってすべてのエルネストからカードを狙われる可能性だってある」
カード――そしてカードの『別の側面』に宿る特殊な力。戦うための力。力によっては『起源選定』を有利に立ち回れるものだってある。
過去の戦いでは、特定のカードを持つエルネストが集中的に狙われることもあった。
「勿論、ここにそんなことをする人はいない。戦いを放棄したからこそレイもクロエもカードを見せたのよ。だからアリサ、何にだって構わないわ。改めて誓ってくれないかしら? 私は戦いを放棄しますって。そうしてからカードを見せるかどうか、決めたほうがいいと思うわ。その方がきっと――『後悔』しないで済むはずだから」
エリーは真剣な表情をしていた。
その目は真っすぐ、痛いくらいにアリサを見つめていて、事の重大さが『選択』として正面から突きつけられる。
エリーだけじゃない。レイもクロエも同じだ。ヴォイドやフィーネと同じように自らの命を天秤にかけている――そんな覚悟を感じられる。
「――うん、分かったよ」
アリサは三人を安心させるようにそっと笑みを見せ、右手を前に出す。
「約束する。『戦い』を放棄するって誓う。――だから、これが私のカード」
胸に――光が灯る。
――ああ、心臓の辺りがやけに熱い。心そのものを大気に晒しているような温度の差に火傷しそうだ。
刹那、そこには一枚のカードが存在していた。それがアリサの宿したカード。
「――『Ⅰ』。『勇気』のカード……。戦いを放棄するにはもったいない力だけれど、それがここに在ることは、せめてもの幸いね」
エリーがアリサの『心』を見て呟く。
「充分ですわ。アリサ、カードの光を反転させてくださる? わたくしたちにとってそれはいわば『もう一つの心臓』。それを奪われることがあればエルネストは死に至りますの」
クロエの言葉に、アリサはぞっと冷や汗が出た。
「そ、そういうことはもっと早く言ってくれると嬉しいかも……」
意識の集中を解き、一秒も経たずにカードは消える。いや、アリサの内に戻ったというべきなのだろう。
「あ、ありがとう……アリサ。その選択に、か、感謝……するよ……」
レイの言葉に優しい笑みを溢したアリサ。再び、心地の良い風が吹き抜ける。
「――さ、続きを話しましょうか。カードにはそれぞれ『心の起源』――つまりは『感情』が設定されているの。アリサには『勇気』、レイには『恐怖』、クロエには『幸福』、私には『後悔』。そして私たちは所持している起源によって感情を制限されるわ。とはいえ、私たちは全員『半覚醒状態』だから、それほど強く制限は受けていないけれど――」
こうしてアリサ・ヴィレ・エルネストはこの日知ることになった。世界の真実。エルネストの宿命――定められた運命を。その一端を。そう、全貌も掴めたというわけではなかったのだ。
それでもアリサは密かに決意した。いつか必ず平穏な日常に戻ることを。そして彼と過ごす『平和』がいつか再び訪れることを願った。
そうして『箱庭』で過ごす時は流れ――十三日が経過する。