表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/85

『エルネスト/It's a clan bound by fate』

 三月十七日から十八日にかけて、『箱庭』を後にしたアリサとヴォイドは、一度桐木町(きりぎちょう)に戻ることにした。

 その提案は意外にもヴォイドからされたのだが、その理由をアリサが問うと、今まで秘密にされていた『箱庭』の場所が、そもそもとして長野のとある霊山にあるという話から始まった。


 そしてこれから二人はフィーネ・ヴィレ・エルネストの遺体を確認しに行くのだが、曰く神丘(かみおか)医師が青森の例の研究所から、遺体を桐木町に運んでいる手筈らしい。


 そういった理由で、期せずしてアリサは思い出の詰まった故郷とも言うべきあの町に帰ることになったのだ。

 『箱庭』から桐木町までの移動にはヘリを使用した。


 それはどうやらヴォイドが、魔術世界の警察と言える巨大な組織――『アセンブリー』に働きかけて用意させたもののようで、先ほども派遣されたブラックスーツを着用する複数の男女が『箱庭』の事後処理を行っていたのだが、向こうからは尊敬する先輩のように挨拶をされていた。


 ヘリのローター音が激しくもどこか子守歌にすら聞こえるような真夜中。

 暖色の小さな明かりに照らされたアリサは、左腕の二の腕から先を斬り落とされ、その応急処置をしているヴォイドに訊いた。


「腕、もう、そのまま……なの……?」


「ああ。嫌な切られ方をした。もう……無理だろうな。なに、お前が気にすることじゃない」


「……そんな、無理だよ」


 それ以降、ヴォイドは何も言わなかった。

 諦めて、アリサは別の話題を上げる。なんとなく無言でいることに耐えられなかったのだ。


「兄さんは、あの人たちと知り合い、なんだ」


「ああ、オレは元々『組織(アセンブリー)』に所属していた。まあ、昔取った杵柄というヤツだ』


 知らなかった――とアリサは、呟く。


「お前には知られないように、努力していた。『組織(アセンブリー)』での仕事は、人に話せるようなものではない。オレの手は――汚れきっているんだよ」


「そ、そんなこと!」


 兄さんは私の事をずっと守ってくれていた。だからその手が汚れているはずがない。

 そう、言おうとした。だが黙殺された。ヴォイドは思いつめるように俯き、己の右手を見つめる。


「守れなかった。フィーネさんは、オレが殺した」


「ッ――――。……『K』が……、あの人が、カードを奪ったの……?」


「ああ、そしてエリーやクロエたちと同じように、オレが『心無き者(ホロウサイド)』に堕ちる前に止めを刺した。……本当に、済まない。アリサ」


 アリサもまた、自らの両手を見つめる。ヴォイドがフィーネやクロエ、そして『心無き者(ホロウサイド)』となったレイを還したように、アリサも友達を――エリー・イヴ・エルネストをこの手で葬った。

 死もまた救いだと信じて。


「ううん。きっと母さんにとってもそれが救いだったんだと思う。私が……そう信じたいだけかもしれないけど」


「……そうだと、いいな」


 それからほどなくして、アリサは気になったのか、ヴォイドの過去について再び話題にあげた。

 これまで全くと言っていいほど教えてくれなかった兄の過去。それを知るには絶好の機会だと考えたのだ。


「ねえ……どうしてその『組織(アセンブリー)』……を辞めちゃったの? 結構、尊敬されるみたいだったけど」


「知りたいか?」


 ヴォイドは止血と応急処置を終えたところで、コートを羽織り直した。アリサも、防寒のためにと渡された毛布を掛け直す。


「……うん」


 ヴォイドは困ったように笑い、一拍置いてから、自らの過去を語り始めた。かつて組織に身を委ねていた青年が、『責任』を背負い、家族を得るまでの――話を。


「……オレは、どこで生まれたのかも、誰が母親なのかもわからない捨て子でな、『組織(アセンブリー)に拾われ育てられたんだ。だが、いくら『組織(アセンブリー)が世界の秩序を守らんとする秘密組織とはいえ、そんなこと善意ではしない。巨大な組織は善も悪もしなやかに使い分ける」


 皮肉らしくヴォイドが言い、アリサはふと、ヘリの操縦席に視線を向ける。一応、このヘリを操縦している人も『組織(アセンブリー)』に所属する魔術師だ。

 自分が所属している組織の悪態を吐かれて、気を悪くしているものかと思ったが、むしろその表情はヴォイドの言葉に理解を示しているように見えた。

 上司の愚痴に頷く部下、みたいな感じ。


「生かしてもらう対価として要求されたのは――掃除の仕事だ。組織にとって、世界にとって不必要な、汚れの掃除。オレは六歳で初めて仕事を覚えた。生きるために組織にとって邪魔な異分子を摘み取る。それがオレの生活だった」


 昔からヴォイドはアリサによく護身用として格闘術を教えていた。

 どこで習ったのかは一切教えず、けれどその格闘術が自分の身を守るためのものではなく、誰かを傷つけるものだということを、アリサは何となく理解していた。


 どんなに取り繕っても技を極めれば行きつく先は――殺人の技術。


 だからといって、どうというワケでもない。格闘術を教えてくれと頼んだのはアリサ自身だし、ヴォイドもアリサにとって不必要だと思ったことは教えなかった。


「ヴォイド――それがオレのコードネームだ。天涯孤独で、仕事に慣れたオレの心は文字通り何もない空洞だった。いや、元々何も持っていなかったのかもしれない。それから月日が流れて、今から十五年前。オレが十二のときだ。あるミッションをこなしている最中に二人のエルネストと出会ったんだよ。それがお前の両親。フィーネさんと、リュート・ヴィレ・エルネストさんだ」


「え――両親って、そのリュートって人……と、父さんっ?」


 父親――、母親がいるということは、父親の存在があるのは当然だ。しかしアリサは今まで父親の話を皆無と言っても過言ではないほどに聞かされてこなかった。


「……そうだ。オレのミッションは二人を狙う組織を潰すことだった。『組織(アセンブリー)は昔から、あまり『起源選定(きげんせんてい)』には干渉しない主義だったからな。だから、部外者によって戦いがかき乱されることは見過ごせなかったんだ。よってオレは二人の護衛として動くことになった」


「そう……だったんだ」


「ひと月ほど行動を共にした頃だ。オレはフィーネさんと接するうちに不思議と感情が芽生えていた。ソフィと同じだ。フィーネさんにはそういう優しさがあった。きっと『(クイーン)』のカードとは関係なくな。しかし生まれたばかりの感情――空洞を埋めるモノに振り回され、オレはミスを犯した。組織は潰せたが、そのミスのせいでオレとリュートさんは致命傷を負い――血液とカード、そしてお前を託された」


 二人死ぬところを、一人で済ませられる。リュート・ヴィレ・エルネストはそう言った。

 自分にとっての『起源』はそこだと、ヴォイドは語る。


「……父さんは、どんな人だった……?」


「リュートさんはそうだな……今の黒乃君に似て、優しく頼りがいのある人だった。白状すると、お前と過ごしてきたこの十五年、オレはずっと彼の真似をしていた。時に厳しく、時に優しく、命がけで大切なものを守らんとする――その、在り方のようなものを」


「そっか、優しい人だったんだね。父さんって……」


 それが知れただけで、アリサは良かったと思えた。死――その事実は、当然として悲しいことだ。

 しかしアリサは思うのだ。リュートがヴォイドを助けたという事実があるだけで、そのヴォイドがアリサをここまで育ててくれたという事実があるだけで、娘を思う父親の気持ちが繋がっているんだと思える。


 その選択――命のバトンはきちんと託されているのだ。


 しかし、だからこそ、ヴォイドは未だに認めきれずにいる。アリサが戦うことを。

 『起源選定(きげんせんてい)』に参加することを。


 例え、それが絶対に避けられないことだとしても。もはや自らの手ではアリサに降りかかる災厄を回避できないとしても。それでも認めるわけにはいかないのだ。

 託された者として。何に代えても守り抜くと決めた――その『責任(ちかい)』に懸けて。


「……アリサ。オレはまだお前が戦うことを認めたわけじゃない。本当に戦うつもりなのか? 何も知らないままで、朝が弱くて、片付けが苦手で、食欲旺盛で、人見知りで、オレの背中に隠れているような……そんな、お前のままでいてくれて、構わないんだぞ?」


 アリサはこれまでの自分を顧みて、なんて子供だったのだろうと、苦笑が零れる。


「……ううん。人は変わるものだよ、兄さん。私は決めたの。運命をこの手で変えるって」


「だがどうするつもりだ。言葉だけでは世界は変わらない」


「そう――待ってるだけでは世界は変わらない。だから兄さん、教えて欲しいの。兄さんが知っている、エルネストのすべてを」


 アリサは強く、真っすぐな眼差しでヴォイドを見た。それはあの日、鳥籠の外へ、自由を求めて翼を広げた――剣崎黒乃(けんざきくろの)と同じ意思を宿していた。


「待ってるだけでは世界は変わらない、か。核心を突いた言葉だ。お前も、もう、子供じゃないんだな」


 追憶――過去を振り返るのは年寄りの特権だと思っていたヴォイドだが、しかし、こうしてこの十五年間を思い返すと、存外思い出というものは悪いものじゃないと苦笑が漏れた。

 

(空洞――虚無(ヴォイド)と言われたオレが、いつの間にか、これほどまでに満たされているなんてな。人生、何があるか分からないものだ)


 ヴォイドはふと、意趣返しというと少し違うが、彼と同じ言葉を放った妹に対して同じ言葉を返した。


「本当に――覚悟はあるか?」


「勿論。黒乃が隣に居る……そんな居場所(にちじょう)を、私は取り戻したい」


 エルネスト――神によって作られた白髪紫眼の一族について、ヴォイドが知り得ることのすべてを聞くことにしたアリサだったが、その内容はある意味、これまでの復習でもあった。

 アリサは一応、エリーたちによって一通りのことは教えられたが、それでもヴォイドがエルネストの血液を輸血され、普通の人間から後天的にエルネストに覚醒した事実などは知らなかった。


 一方でヴォイドも、アリサがどこまでの情報を有しているか、認識のすり合わせが必要だった。

 そのための手っ取り早い方法として、一度、エルネストについて始めから整理することしたのだ。


 ヴォイドとアリサは非常食を片手に、すべての発端、『イノセント・エゴ』についてから話し始める。


「すべての始まりは『イノセント・エゴ』と呼ばれる神だ。神はまだ幼い赤子で、成長するために心を求めた。だが幼き神が思いつく限り生み出した感情の中で、何が必要で、何が不必要なものなのか判断ができなかった」


「だから神様は、自らの居る上位世界の他に、二つの下位世界を創った。一つがこの世界『幽玄世界(リミテッドワールド)。もう一つがソフィの居た『夢幻世界(ヴィジョン・ワールド)』。何故世界が二つ作られたのか――それは、『イノセント・エゴ』が感情の起源を創造する裏で、『オルター・エゴ』というもう一つの存在が生まれていたから。二つの意思が働いた影響で、同じ景色を持ちながら枝の分かれた世界ができてしまった」


「『イノセント・エゴ』は感情の選定を行うため、下位世界にエルネストという名の、道具を想像した。原初のエルネスト、アダムとイヴ。だが世界にはそれ以外の生命も存在していた。『オルター・エゴ』によって生み出された、『イノセント・エゴ』の創造した感情を組み込まれた存在――つまりは人類だ」


「アダムとイヴは子供を――ヴィレを祝福して、そしてヴィレの血筋はやがて人と交わった。そしてエルネストの人口が一定数を超えると、『起源選定(きげんせんてい)』が始まった。それぞれの世界に合計十三枚のカード――感情の起源を宿したものが配られ、覚醒したエルネストはカードによって感情を制限され、戦いの運命に囚われた傀儡になる。そうして十三人、十三人と――少しずつエルネストは減って、最後に残った一人が『イノセント・エゴ』にとっての答え――進化への道筋になる」


「『慈愛』を強く抱くものが勝ち残れば、『イノセント・エゴ』の存在する『光子世界(ユニサ)』は愛に満ち溢れた優しき世界になるだろう。反対に、『憎悪』を強く抱くものが勝ち残れば、『光子世界(ユニサ)』は残酷で醜い、悲しみの世界になるだろう。――だが、二〇二〇年の未来からやってきた夜代蓮(やしろれん)らによれば、『起源選定』の結末は、いずれにしても下位世界の終末という結果に終わるらしい」


「言うならば、エルネストの最後の世代、なんだよね。私たちは」


「そうだ。このままいけば、生き残れるのはただ一人だけだ。フィーネさんはレイ、エリー、クロエの三人の記憶を封じ、『半覚醒状態』で保護し、一先ずの時間を稼ぐことにした。そしてもう一人のアリサ――ソフィと契約し、アリサ・ヴィレ・エルネストの入れ替わりを行った。すべては夜代蓮らと共に行動し、『起源選定』を本来とは別の形で終わらせる方法を見つけるため。そして黒乃君を守るため。――だが『K』を止められず、フィーネさんとあの三人は……」


 とりあえずそこまでが、ヴォイドとアリサが共有している情報だった。そしてここからは、アリサが知らないことを、ヴォイドが語る。

 そう――戦いから遠ざけたはずの彼が、既に巻き込まれてしまっていることを。


「アリサ――黒乃君には、『ブランクカード』が宿っている。エルネストと人の血が生み出した『十四番目(ジョーカー)』とも違う、十五番目のカードだ」


「……え?」


 当然、アリサは言葉を失った。

 これまでずっと、記憶を失った黒乃は、桐木町(きりぎちょう)のあの病院で保護されているものだと思っていたからだ。


 それに、ヴォイドが『(ジャック)』のカードを宿していたという前例を既に知っているアリサではあったが、元来まったくとして魔術の世界にもエルネストにも関係のない黒乃がカードを宿していたという事実は、到底信じられるものではなかった。


「ど、どうして……? どうして黒乃に……っ、それに『ブランクカード』ってな、何なの……?」


「――『ヘヴンズプログラム』だ」


 アリサは首を傾げた。聞いたことのない、全く心当たりのない単語だったからだ。


「それを話すには、アリサ――お前が未だに『半覚醒状態』である理由を、説明しなければならない。いやその前に、どうして、お前やあの三人が『半覚醒状態』にされていたか、理解しているか?」


「えっ……う、うん。エルネストの覚醒条件は自分の起源を知ること。そして覚醒したエルネストは、他のエルネストの存在を感知することができる。けど、『半覚醒状態』だとその効果が薄いから、つまりは敵に見つかりにくくなる――って話だよね。だから母さんが記憶を封印して――」


 もう少し具体的に言えば、エルネストの覚醒には条件が二つある。

 一つは、アリサが言った通り、自らの起源を知ること。

 そしてもう一つは『カード』を宿すこと。


 とはいえ前者の条件をクリアすれば、後者の条件である『カード』は必然的に自身の内側に生まれ、宿るので、重要視するのは前者だ。


 自らの起源を知る。

 それが一体どういうことかと言えば、例を挙げると、『(クイーン)』には起源――『慈愛』が宿っている。

 覚醒するエルネストが『(クイーン)』のカードを手に入れるためには、本人が強く『慈愛』という感情を持つ必要があるのだ。


 それがフィーネの場合であれば、アリサという自らの愛娘を授かった時に感じた愛情――それが『慈愛』のトリガーとなった。


 そうして覚醒状態となったエルネストは保持しているカードによって感情を制限され、剣の能力を引き出すことができるようになる。

 そしてさらに、他のエルネストの存在を――対象との距離応じて大まかになるものの――感知することが可能になるのだ。


 対して、半分しか覚醒していない状態では、感情の制限は甘く、同時に剣の固有能力を使えない状態。

 さらにはエルネストの存在の感知ができず、また他者からの感知にも引っかかりにくくなる。


 ヴォイドとフィーネはこの性質を利用し、あくまで時間稼ぎにしかならないことを理解しつつも、三人が覚醒した瞬間の記憶を封印し、保護していた。


 ――そこまで考えて、アリサは気が付いた。いや、むしろ何故、今まで気づかなかったのだろう。

 自分は覚醒状態のヴォイドの気配を全く感知できていない。それは紛れもなく自分が『半覚醒状態』ということだ。


「っ……ずっと……どうしてだろうと思ってた……。私もなんだ。私も、覚醒した時の記憶を封じられてるのね!」


 『箱庭』で一度、エルネストに関する情報を共有した際、エリーらはアリサが『半覚醒状態』であることを看破していた。しかし彼女らにとってはそれは『前提』だ。

 何故なら『箱庭』で保護されるエルネストは脅威から身を守るために、『半覚醒状態』でないといけないから――だから、アリサのそれに対して他の三人が言及することはなかった。


「そうだ。三人の記憶はフィーネさんが封印していたが、お前の記憶はオレが封印している。――五年前から、な」


「五年前……そんなに前から……? で、でもそれが黒乃と何の関係が……?」


 そこで一度、ヴォイドの言葉が途切れた。ここまで来て、話さないという選択肢はない。

 けれど、だとしても――、


「――――」


 揺れる想いを、ヴォイドはカードに込められた起源でねじ伏せる。覚悟などとうに決まっていたはずだ――そう、自分に言い聞かせながら。


「五年前、黒乃君はアリサの覚醒に巻き込まれたんだ。いや――順を追えば、先にアリサが黒乃君の事情に巻き込まれた、というべきだろうか。黒乃君の家の事情は知っているな? そして兄である剣崎惣助(けんざきそうすけ)が、黒乃君の命を狙って、人を雇ったことがあるという事実も」


 脳裏にはすぐ、一年前の出来事が浮かんだ。アリサが誘拐され、黒乃は廃工場に誘い出された。

 結果から言えば黒乃はアリサを救い出し、事なきを得たが。


「それと同じことが五年前にもあった。そして追い詰められたアリサは――起源を覚醒させた。最後まで生きること諦めず、『勇気』を抱いて抵抗したんだ。その時、お前の意識は不安定だった。だから襲撃者諸共、黒乃君に傷を負わせた」


「…………」


「すぐに病院に搬送された彼は、神丘(かみおか)医師によって手術を受けた。だが、助かる見込みはなかった。そこでオレは彼を生かすために、フィーネさんから預かっていた『ヘヴンズプログラム』と呼ばれるものを移植するよう頼んだ。『ヘヴンズプログラム』の由縁はオレも詳しくはないが――あれは、黒乃君の父親が開発した言わば、『人工のカード』だ。輸血にはお前の血液も使い、あの日、黒乃君は人でもエルネストでもない『未知の存在』になったんだ」


 人ともエルネストとも違う――新たな存在。そうなることでしか、剣崎黒乃が生きる術はなかった。


「――――」


 アリサは当然のように思う。自分のせいだ、と。

 しかし、それではだめだ。

 すべてを知る覚悟を決めた以上、自分はそれを受け止めなければならない。胸が痛むのなら、この痛みを一生背負って行かねばならない。ただ、自分勝手に開き直ることも、許しを請うことも、後悔することもしてはいけない。

 

 この痛みを永遠に受け止め続ける。

 それだけが、きっと、アリサ・ヴィレ・エルネストに赦されたことなのだから。


「――黒乃は、これからどうなるの……?」


「分からない、というのが正直なところだ。だが、今の黒乃君はお前と同じ『半覚醒状態』だ」


 黒乃の起源はアリサと同じ五年前。その記憶はヴォイドが封じている。


「……記憶の封印を解く方法は?」


 事態は切迫している。ここまでくれば『半覚醒状態』というのはデメリットでしかない。ならばいっそ記憶の封印を解いてもらい、少しでも戦える力を手に入れた方が良いだろう。

 無論ヴォイドもそれが最善であることは理解している。だが。


「オレが死ぬ以外に方法は――ない。フィーネさんはある程度その方面の魔術に精通していたが、あくまでもオレは専門外。催眠や暗示で本人にその記憶を認識させないというのとはわけが違うんだ。だからこそ、たった一度きりの、命を懸けた魔術だった。解くには術者が――オレが死ぬしかない」


 ヴォイドは淡々と語り、そして頭を下げた。


「……本当なら、オレがお前と黒乃君を守ってやるつもりだったんだがな。情けない兄貴で済まない」


「そ、そんなことないよ!」


 ヴォイドの謝罪を、アリサは必死に否定する。


「兄さんはずっと、私と黒乃を守ってきてくれたんだから――謝る事なんて何一つないよ」


 それを聞いて、ヴォイドは悲しそうに笑みを浮かべた。

 

「ふっ、兄貴冥利に尽きる……というやつだな。心配するな、オレの命はまだ残っている。お前や黒乃君が、エルネストや、この世界に新たな未来をもたらしてくれると言うなら――オレは喜んでその礎になるよ」


 その気持ちに嘘偽りや一切の迷いがないことを、アリサは感じ取っていた。

 ヴォイドの真っすぐな眼が、乱れない呼吸が、穏やかな声音が――すべての覚悟をとっくの昔に完了しているのだと、訴えている。


 だからこそ、アリサはそれ以上、何も言えなかった。否定はヴォイドの気持ちを拒絶し、肯定は己に残った数少ない気持ちを――バラバラにするような、そんな予感がしたからだ。


 アリサは覚悟を決めた。

 だがそれは――ヴォイドのそれに遠く及ばない、未だちっぽけなものだった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ