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『恋は盲目、愛は酩酊か黎明か/Man's mourning』

 時刻はそろそろ日付が変わりそうな頃合い。花火大会はもうとっくに終わっている。

 『自身の記憶についてはもう諦めるべきだ』――そんなスズカの言葉を反芻しながら(れん)は当てもなくふらついていた。


 そうするうちに辿り着いたのは、リゾート施設の地下にある、照明を抑えた洒落たバー。蓮はここに数時間、ろくに注文をしない迷惑な客として居座っていた。


 自室には妹の(みお)が居座っている。今は誰とも会いたくない気分だ。だからもうしばらくはここにいたい。

 もし追い出されても夜風に当たって――と、自暴自棄な気持ちを抱いていると、後ろから軽快に声をかけられた。


「よう」


 振り返ると、黒乃がいた。相変わらず白いシャツに黒いスラックスといった服装だ。一方で蓮も普段通りの堅苦しいブラックスーツ。そして整えた髪はすっかり崩れていた。


「……黒乃」


「隣、いいか? それにしても珍しいな、蓮がお酒を飲んでるなんてさ」


 グラスを見て、黒乃が言う。対して蓮は無言のままだ。本心を言えば、今は黒乃とはあまり話したくない気分だった。黒乃の前向きさは自分には眩しすぎる。いつもなら頼りになる心強さだが、今だけは直視できない。

 それでも隣に座ることを断らなかったのは、この場所に黒乃が相応しくないと思ったから。イメージの問題などではなく、未成年である彼ならきっとすぐに出ていくだろう。

 ――そんな考えだった。


 しかし黒乃がメニューを一瞥してから困ったようにバーテンダーにこう言った。


「すみません、えーっと、おすすめのカクテル一つ」


「――かしこまりました」


「ちょっと待て、お前は未成年では……」


 蓮の言葉に、バーテンダーの動きが僅かに止まる。流石に未成年に酒を出すわけにはいかないからだろう。

 しかし黒乃は、鼻を鳴らしてまるで自慢するように財布から免許証を出した。生年月日の欄を見ると、羅列された数字は一九九〇年三月二十日。


「ふふーん、今日、めでたく二十歳になったんだ。とはいえ、あと少しで昨日になっちゃうけど」


 その言葉に、バーテンダーの動きは再開する。その鮮やかな手際を見て、蓮は申し訳ないことをしたかな、と軽く自己嫌悪する。とはいえだ。


「……そうだったのか。こんな時だがおめでとう、黒乃」


「ありがと」


 すかさず出されたカクテルを手に、黒乃は乾杯を要求する。蓮は手元のグラスを手に、軽く合わせた。

 そして黒乃はグラスを少し傾けてカクテルを一口。……なぜか目を瞑っている。それから数秒、黒乃は一気にカクテルを飲み干してしまった。

 その顔は苦悶に満ちていた。


「に……にっが……。こんなもの飲んでるなんて、大人も楽じゃないな」


「何も一口で飲む必要はないと思うが」


「ちびちび苦い思いをするよりは男らしく一気に……と思ったんだよ……」


 それを聞いて思わず鼻で笑ってしまった。別に他意はない。ただ、さっきまでナーバスだった蓮の気分は、黒乃によって少なからず変えられてしまったのだ。


「……不思議なヤツだな。お前は」


「それどういう意味? ま、それはそれとして、先輩として何かお言葉は?」


 黒乃の無茶ぶりに、しかし蓮は少し考えてからすらすらと言葉を並べ始めた。


「月並みなことしか言えないが、大人になるということは自分の行動の責任を自分で取るようになるということだ。きっと今後、今までできていたことができなくなるだろう。だがそれは逆に、今までできなかったことができるようになるということでもある。だから――お前はお前の信じる道を貫けばいい」


「おぉ……すげぇいい言葉。もしかしていざって時のために用意してた?」


「そんなわけないだろう。受け売りだ」


 ――信じる道を貫け。それは蓮が二十歳の誕生日を迎えた時に言われた言葉だ。


(……あれから随分と成長したつもりでいたが俺はまだまだ子供だ。大人の背中は、まだ遠いよ)


「……スズカと何かあった?」


「どうしてそんなことを訊く」


「なんとなく、そんな気がした。悩みがあるなら聞くぜ?」


「澪みたいなこと言うんだな。……結構だ。これは俺の問題。結局のところ答えを出すのは自分自身だからな。お前に話すことじゃない」


 不愛想に突き放したが、黒乃は空のグラスに光を反射させながら不敵に笑っていた。


「確かにそうかもな。でもさ、一人で考え込むよりも誰かに相談して一緒に考えたほうが、より良い答えが出せると思わないか?」


「お前の考えか?」


「受け売りさ。今日――じゃなくてもう昨日か。バッティングセンターで教えてもらった」


「……何故バッティングセンター」


 蓮はそう呟いて、なんとなくスズカのことが頭に浮かんだ。


「それで、僕はその考え――アリだと思ったんだ」


 黒乃はアンニュイな表情を見せた。

 そうだ、黒乃は時々、そんな儚げな表情を浮かべる。いつも元気があって前向きで、どこか人を惹きつける魅力を持つ男――それが黒乃の印象だ。

 しかし蓮は、物思いにふけるようにどこかを見つめるその姿が、剣崎黒乃(けんざきくろの)の本当の姿なのではないかと、たまに思うのだ。


「アリサの方はどうだったんだ?」


「フラれたよ。……女の子を泣かせるなんて僕は最低だ」


「俺もだ。きっとスズカはずっと前から泣いていた」


 スズカは正しく理解していた。蓮が二年前に抱いた気持ちが、約束から義務感へと変わっていることに。

 きっとスズカだって不安に思っていたはずだ。もし記憶が戻っても、澪の魂と同じように元の形には戻らないかもしれず、今のスズカと過去の鈴華の人格が無事に統合されるか、確かな確証なんてない。

 客観的に見れば分かる。現実はもう――詰んでいるのだ。


 その事実を見ないふりして、挙句の果てに充分だと、スズカから言わせてしまった。


「記憶をもう諦めようと言われた。だが俺はここまでされてまだ諦めきれていない。いつだって諦めなければ逆転できた。だから、と当てもなく期待している愚かな自分がいる」


 これまで少なからず何かを成すことができたのは、結局力を貸してくれる人がいたから。

 夜代蓮(やしろれん)個人は、たった一人の女の子との約束さえ果たせない、救いようのない弱者なのだ。

 

「お前ならどうする? 諦めるのか?」


 その問いに、黒乃は一呼吸置いてから答える。

 

「……昔さ、僕はあることを諦めたんだ。蓮は僕の経歴を調べたんだろ? 僕は高校に入学するまでの間に、家の力を使って、あらゆる訓練を積んだ。なんでかって言ったら――僕は認められたかったんだ。剣崎の家に、自分の家族に。でも結局上手くいかなくてさ。だから僕は諦めた。認められることを諦めたんだ」


 意外だった。黒乃にも苦悩の果てに何かを諦めた、そういった部分があるとは。

 いや、当然なのかもしれない。誰かに優しくなれるということは、それだけ痛みを知っているということで。より良い未来を求めるのは、望まない過去があるからだ。


「だから僕はこれ以上、何も諦めないと誓った。これまでその気持ちに従って生きてきた。そしてその選択は間違いじゃなかったと思ってる。――なあ蓮、時に立ち止まって、時に何かを諦めたほうが、進むべき道が見える場合だってあると思うんだ。あの時諦めたから、今の僕があるんだよ」


「そう言い切れるのはお前らしいな。だが俺はそう簡単に決められない」


「ああ、それもお前らしさだ。きっとスズカもそう簡単にいくなんて思ってないよ」


「俺たちに残された時間は、そう長くないがな……」


 どれだけ自分が面倒なことをしているか、考えているか。自覚はある。時折何も考えず思うがままに進む道を選べたらと思うことだってある。

 背中はもう押されている。消えてしまった彼女の手によって。

 今の自分がどうしたいのか。どうするべきなのか。考えれば考えるほど思考は足元を掬われたように泥の中へ沈んで――。


「なら――お前が迷いに迷って泥沼にはまりそうだったら、僕がぶん殴って目を覚ましてやる」


「ふっ……はは」


 思わず出てしまった笑い。


「受けた借りは返すぞ。それでもいいのか?」


「ああ、望むところだね。――それじゃあ僕はもう部屋に戻るよ。蓮もあんまり飲むなよ」


 そう言って黒乃は勘定を済ませて出ていった。

 カクテル一杯の値段に目が飛び出そうになっていたから、しばらくバーに来ることはないだろう。とりあえずカード払いと言っていたが、当てがあるといいが。


(……なあ織、お前が居たら……お前はどうするのだろうな)


 ――蓮はグラスに残っていたジュースを飲み干した。


(ただのコーラ。俺は酒に酔えるほど強くない)


「――そいつは酒に頼らない強さとも言えるぜ?」


 人の心を読んだような言葉が、隣から聞こえた。先ほどまで誰も座っていなかったはずだが、いつの間にかそこには男がいた。


 長身、黒いハットにロングコートを着て、髪型は白髪のオールバック。ただし白髪と言ってもエルネストのそれとは違い、老化による色素の欠乏によるものだ。顔には皴が多く、けれどその肉体は枯れてはいない。銜えた葉巻からは味わい深い香りが漂い、纏う威圧感、雰囲気はどこかのマフィアのボスというようなイメージを抱かせる。


 つまり一言で言えば――ただ者ではない人物。


「そうか……貴方が、『K』の次の一手ですか――レイヴン・R(レコード)・レクシリム」


「レレレのおじさん、と呼んでくれても構わんぞ」


 蓮は苦笑いを零した。


「いつからそんな接しやすい存在になったのですか、貴方は」


「ゴスロリ嬢ちゃんには好評だったんだがな……」


 ゴスロリ――『K』と接触したのであれば、彼の仲間のレベッカのことだろうと、蓮は思い至る。

 不意に、隣にいたレイヴンの姿が不鮮明になる。

 R(レコード)の名を持つ彼は、この世界のあらゆる結末が書き記された『世界の記録(アカシックレコード)』に唯一アクセス、そして書き込む権限を持ったいわば『世界の観測者』だ。


 だからこそ彼は過去、現在、未来に偏在し、普通であればこういった接触はできない存在なのだが――しかしそれを『K』は利用した。


「時間だ。三月二十二日。久遠遥(あいつ)の館で再び会おう。これは『K』の前払い分と、おまけだ――またな、小僧」


 そう言って、男の姿は消えた。バーテンダーに多少のチップを渡して口止めをしつつ、蓮はレイヴンが残していったUSBメモリと小さな紙きれを手に取った。

 紙切れに書かれていたのは緯度と経度だった。蓮は端末に地図を表示し、該当箇所を検索する。


「――次の目的地は、高知か。北から南へ――まさしく旅、だな」


 そして部屋に戻り確認したUSBメモリの中身は、『起源選定』の情報が記されていた。

 基礎知識。これで復習でもしろ、とでも言うように。


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