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『優しさは時として刃となる/Kindness Execution』

 温泉でルドフレアに元気づけられた後、黒乃(くろの)はすぐにソフィを花火大会へ誘った。何度も断られたが、それでも必死に誘い、約束を取り付けた。今の彼女を強引に外へ連れ出すことには抵抗があるが、必要なことなのだ。

 ――待っているだけでは、世界は変わらない。


 その後、今朝の神丘(かみおか)医師との会話で得た情報をPCを使い資料にまとめつつ、いろいろと準備をして約束の時間を待った。

 そして時刻は午後六時の少し前。すっかり日は沈んだが、遠くの方から届く提灯の暖色の光が周囲を明るく照らしている。


「……」


「行こうか」


 エントランスで待ち合わせをした二人は近くで開催される花火大会へと向かった。お互いに服装はいつも通り。浴衣のレンタルサービスなどもあり、一応提案したのだがソフィには無視された。

 地元の神社を巻き込んだ大きなお祭りらしく、それなりに人は多い。

 黒乃は、自分の一歩後ろを歩くソフィの手を握る。


「やっぱり人が多いね。はぐれたら変に動かないで、僕が来るまで待っててよ」


「……私は子供か」


 まあ、初めての花火に少なからず期待している部分は初心者(こども)と言えるだろうが、とソフィは内心呟いた。


「って言っても、屋台の通りは一本道だしすぐに会えるよ。神社も目印になる」


 と、やけに知った風な口ぶりの黒乃。


「楽しそう。きっと、来てよかったって思える」


 まだ屋台の出された本通りまでは遠いが、それでも充分活気が伝わってくる。祭りと言えば夏のイメージだが、まだ涼しい三月の夜のお祭りは、浮かび上がる熱を少しだけいさめるようでどこか風流を感じる。

 夏のお祭りが情熱的な赤い炎だとするなら、今は静かに燃える青い炎だろうか。最もそれはイメージ話で、実際に温度が高いのは青い方なのだが。


(……正直に言えば、ここに来るつもりはなかった)


 少し――いや結果的には三日間ずっとになってしまったが、とにかくソフィは一人で考える時間が欲しかったのだ。自身の内側を整理するための時間が。自らの内側に根付いた暗い感情。そしてそれを照らそうとする、芽吹きかけの何か。


(なのに……この気持ちは何?)


 少し歩いていよいよ本通りに入った。左右に並ぶ屋台。その奥に見える長い階段。その先には神社があり、縁結びのご利益があるとか。

 お祭りに来たほとんどはあの階段を登り高いところから、もしくは階段の端に座ったりして花火を見物するらしい。


「花火まで時間あるし屋台巡りしようよ、ソフィ」


「……こういうところに来るの、初めてだから分からない」


 ソフィは正直に本心を吐露した。浴衣を着て楽しそうに笑う彼、彼女たちがどうして笑っているのか、何を楽しんでいるのか。全く理解できない。

 彼なら――教えてくれるだろうか?


「そっか、なら手当たり次第に行ってみよう!」


「……お金は?」


 ソフィは黒乃の金銭事情についてある程度察している。ポケットの中に入れた財布の中身が小銭しかないこともバレバレだ。

 だが黒乃はどこか余裕そうに笑う。


「気にしなくていいよ。ほら、これ」


 そう言って黒乃がポケットから取り出したのは、お祭りの屋台で使える無料券だ。


「……それ、どうしたの?」


 さすがに今朝の段階で財布の具合が良くないことは判っていた。この辺りでできそうな日雇いのアルバイトはなかった。でもお金のせいでお祭りが楽しめないのはとても悲しいことだ。だから黒乃は急いで神丘の証言を資料にしてから、一足先にここを訪れていた。


「あー……親切な人がくれた」

 

 お祭りが始まるより先に訪れて――まだ屋台の設置が終わっていない人を手伝ったのだ。その見返りとして、親切な人から頂いたのがこの無料券だ。お祭りには実行委員がいて、その人たちは優待券のようなものを作っていることが多い。蓮からそうアドバイスを貰った。

 本当は、こういった見返りを前提にした人助けは好きじゃない。良くないことだとも思う。だからこれをどうやって手に入れたのかははぐらかすことにした。


「あ、おい、坊主。さっきはありがとな! 助かったぜ!」


 と、どこからともなく声を掛けられる。黒乃はソフィより早く、近くの焼きそば屋で調理をしている男に視線を向けた。結構強面で腕っぷしの強そうな感じだが、かなり友好的だ。


「いえ、こちらこそ! これ、本当にありがとうございます!」


 そう言って黒乃は無料券を掲げて見せた。


「……ふーん」


「――あっ」


 時すでに遅し。ソフィはすべてを察した。黒乃は誤魔化すように頭をぽりぽりと掻いて苦笑いを浮かべる。


「あー、えーっと、そうだな……まずは金魚掬いなんてどう? お祭りの醍醐味って感じだし。見て、あのポイっていう薄い紙が貼ってあるもので名前の通り金魚を掬うんだ」


 仕切り直して屋台の紹介を始める黒乃。彼の示した方向には、金魚掬いと大きく書かれた看板が見えた。見れば何人かの子供たちが集まって、悪戦苦闘している。


「……よく分からないけど、あれは紙を魔力でコーティングすればいいのね」


「いや違うって! 確かに破けやすい紙だけど、それを計算に入れて金魚を掬うのが醍醐味であって。プロとかあれ一枚で何十匹何百匹と掬ってみせるんだよ?」


「……なら私はいい。あんなものにそれを使うのは無駄」


 せっかく汗を流して手に入れたものなのだ。ならばもっと有意義に使った方が良い、というソフィなりの気遣いなのだろうが、その口調は強めだ。


「い、意外とはっきり断るね。……それじゃああれは? くじ引き。運試しとかさ」


「……私があれを商売にするなら、真っ当に考えて当たりは入れないわね」


「じゃあ輪投げとか」


「……簡単すぎるわ」


「じゃあゴムボールとか」


「……金魚掬いと同じよ」


 黒乃はがっくり、と言った感じに下を向いた。


「――も、もしかして何か怒ってたりする……?」


 少しばかり心が折れたようで、瞳には涙が溜まっていた。どうやら、『何かに怒りを覚えているせいでそっけない態度を取っている』のだと勘違いされた、と思ったソフィは別にそういうのじゃないんだけどな、と面倒臭そうに目を逸らした。


 不意に――ソフィの鼻先に覚えのある匂いが漂う。


「……シャンプー?」


 思ったままを口にしたソフィに、黒乃は返事をする。

 

「ん、ああ。もしかして僕かな。何か成り行きでセラが使ってたの貰っちゃってさ。折角だから使ったんだ」


 我ながら貧乏性だな、と黒乃は内心思う。同時にソフィの表情は少し固くなった。理由は分からない。けれど黒乃がセラのシャンプーを使った、という事実がソフィの中でどうにも引っかかったのだ。


「……」


「……あの、やっぱり怒ってる?」


「……怒ってない」


「そ、そう? えっと……じゃあ射的とかどう? というか、もう何が何でも行こう。ここで足踏みしてたら、お祭りが終わっちゃうよ……!」


 黒乃はソフィの手を引く。


(……彼はきっと私に楽しんでほしいのだろう。そんな資格、私にはないのに。あの券だって私のために? せっかくならもっと自分のために使って欲しい。私に構わないで欲しいというのに……どうして。この気持ちは――なに?)


 屋台通りを歩くこと数分。やっと射的屋の看板を見つけた。やはりお祭りの本番となるこの時間帯だと人が多く、一度見た景色でも別物に見えた。

 それに射的屋の周辺には随分と人が集まっている。ちょっと異常なくらいだ。


「なんだろう、すごく盛り上がってるみたいだけど――」


 人だかりの中心を避け、端の方から射的屋に近づく。ふと、何人かの声が耳に入った。


「すげーよ! あれでもう十個目だぜ! しかも連続とかどんな腕してんだよ!」


「しかもマジ可愛いなあの娘。つーかあの構えで当てるとか何者?」


 どうにも店を荒らしている女の子がいるらしい。

 

 ――観客の最前列へ潜り込み、ある種のステージと化していたその場所を、二人は見る。

 そこには見知った顔があった。


「――あれ、澪?」


 コルク銃を片手に、白いシャツにレザージャケット、ホットパンツといった軽装の(みお)が居た。


「ん、おお黒乃じゃん。アリサも一緒か」


 視線を黒乃に向けたまま引き金は引かれ、また一つ景品が落ちる。観客はターゲットを見ようともしないその神業に随分と沸き立つ。まるでステージの上に立っているような感覚だ。


「随分注目されてるね」


「まーな。アタシは兄貴の監……ちょっと散歩に来ただけだったんだけど。こいつがアタシを呼んでいたのさ。銃は剣より――ってね」


 澪は空気銃を得意げに見せた。


「ほほう? 調子がいいみたいだね。だけど、僕も地元の祭りじゃそれなりに有名だったんだぜ?」


 そういって黒乃は屋台主に無料券を一枚渡した。


「言うねぇ。なら勝負と行こうぜ、黒乃!」


「望むところだ! と、その前に……」


 黒乃は静かに観客側へ行こうとしたソフィの耳元に顔を近づけてきて言った。


「……射的っていうのは、あの棚に並んでいる物をこれで落とせたら貰えるってゲームなんだ。さ、よく見て。君が欲しいものはない?」


 欲しいものなんてない。ソフィは、反射的に答えそうになった。しかし暖色の電球から放たれる光の中で、他に並ぶ物とは一風変わったものがあるのを見つけた。

 ――月下美人を黒く模った髪飾り。


 ソフィはそれに目を奪われた。そして黒乃は当然として、それを見定める。澪も同様だ。


「――狙いは決まったね」


「よし、ルールはこうだ黒乃(くろの)。アタシは右の棚から順番に落としていく。黒乃は左からな。ゴールはあれだ。あの髪飾りを先に落としたほうが勝ち――いいな?」


 こうして始まる射的の勝負。澪の提示したルールを確認するために、黒乃は商品が置かれた棚を見る。

 左の棚は的が少ない。おそらく(みお)が先に落としていたんだ。要するにハンデ。


「そのハンデ、後悔するなよ! 澪!」


「ハンデにすらならないぜ、黒乃!」


 黒乃は何としても、ソフィの求める月下美人の髪飾りを手に入れるため、澪はただ単純に暇つぶしのため、空気銃を構える。

 そうして二人の勝負は幕を開けた。

 周囲は更に賑わいを見せ、時に応援し、時に黙って勝負の行方を見守っている。

 

 妙な緊張感が奔る中で、しかしソフィはどうにも疎外感を覚えていた。悲しいことに二人がどうしてあそこまで本気になれるのか、そして周囲の人々がどうしてああも熱気を放つのか、それが理解できなかったのだ。


 まるで自分だけがこの場に取り残されているような感覚。すぐにでもこの場所から離れたいという気持ちもあった。しかしどうしてかソフィは、じっと黒乃を見ていた。まるで視線が吸い寄せられるように、その凛々しくも爽やかな横顔を見てしまう。


「――よし、順調!」


「残り五発。ゴール含め的は五つ、ジャストだぜ……!」


 澪はありえない速さでハンデを埋めていく。一発一発慎重に、大胆に決めていく黒乃とは違い、澪はほとんど構えもせず引き金を引くのだ。

 コルクの弾丸が届くより先に、的が落ちることが見えているようなそんな自信の溢れる姿。


 だが黒乃も負けていなかった。汗を流しながら、どうしてそんなに本気になれるのかと思うくらいに集中して、気合を込めて、例え次に狙いを外したとしても悔いを残さないような清々しさまで感じさせる。


 そんな二人の戦いも最後。澪は一発。黒乃は残り二発。


(澪は撃てば確実に落とす――。先に撃つか? いやあの髪飾りは一発じゃ落ちない。なら――ああ、そうだ。こういう時は血が滾る方を選ぶに限る!)


 黒乃は一発を装填した後、すぐに残った一発を横に置いてあった別のコルク銃に装填する。


「先に撃てよ、黒乃。これでアタシは落とすぜ?」


「――レディファーストだ、澪」


「けッ、言うねぇ色男! なら後悔するなよ!」


 その瞬間だった、澪が構えるのと同時に黒乃も構えた。


(やれるかどうか――一か八か、いや、やれる。そういう予感がある!)


 澪は引き金を引く。しかし発射された弾は二発。コンマ数秒タイミングをずらして黒乃が撃ったのだ。レディーファーストという文言は破っていないが、ほぼ同時に発射された黒乃のコルク弾。

 その狙いはたった一つ。


 澪の正確無比な一発を――自らの弾丸で逸らすためだ。弾丸は交錯する。僅か――ほんの僅かに。

 それは澪の弾丸の軌道をほんの少し逸らすだけに終わった。


「当てたのは褒めてやる。だがビリヤードみたいに上手くいくかよ!」


 二つの弾丸は髪飾りの端と端に当たってしまい、あと少し、一陣の風でも吹けばあっさりと落ちてしまうところまで、大きく揺れる。

 誰もがこの選択を間違いだと思った。余計なことをしなければ黒乃が勝てたかもしれない。ソフィはそう思った。

 ――刹那、澪の青みがかった瞳がほとんど無意識に黒乃の右手を視た。


「――いいや、これが僕の狙いッ!」


 すぐ隣に置いていた別の空気銃を黒乃は構えた。


「フィニッシュだ――ッ!」


 そうして勢いよく撃ち出された弾は見事、最後の的を撃ち落とした。

 これこそが黒乃の狙いだった。澪の正確な一発ならともかく、黒乃の腕ではおそらく、一発でも、二発でも、あの月下美人を模した髪飾りは落ちなかった。

 だから二発で衝撃を与え、そして最後の一発で黒乃が落とした。。


(……なんて、澪のコルクを弾けたのも、最後に髪飾りが落とせたのも、勘とか偶然に頼ったものなんだけど)


 それでも黒乃は、ソフィの前でカッコつけたいから、という理由でそのことは胸の内に秘めておくことにした。

 最終的に、黒乃と澪は最後に落とした景品以外は元に戻すよう屋台主に告げた。流石に景品全部を持ち帰るわけにもいかない。


「ふー、いい汗流したね。どうかな、君は楽しめた?」


「……別に。どうしてあれだけ本気になれたの。ただのゲームよ、これ」


 ソフィは、我ながら水を差す言葉だと思った。しかしそれが本音なのだ。


「あー…………」


 黒乃はそんなソフィの言葉に戸惑いを見せた。しかしそれも束の間。どこか誇らしそうな顔で、笑って言う。


「ゲームだとしても、勝負に本気になれるって――(ここ)が燃えてるようでさ。それってかなりアリなことじゃない? 僕はそっちのほうが生きてるって感じがして好きなんだ」


「……キモ」


「ぐはッ――――⁉」


「ははは! ドンマイ黒乃!」


 笑う澪と結構本気でへこんでいる黒乃。二人に背を向けたソフィは静かに、胸に手を当てていた。


(まただ。また、私の心が揺れた。まるで白昼夢を見せられたようなこの感覚はなに?)


「……そ、それにしても。この髪飾りかなりいい物みたいだよ。でもよく考えるとなんで射的に髪飾りがあったんだろうね」


「ちぇっ、まさかアタシが負けるなんてなぁ。黒乃、今度は負けないからな」


「ああ、いつでも受けて立つよ」


 ピースサインに屈託のない笑顔を添えて、黒乃は宣言したのだった。


 再び屋台巡りに戻った黒乃とソフィは、食べ物を買ってみることにした。ソフィは別に何も食べるつもりはないのだが、やはり黒乃がその手を引く。


「あれはりんご飴、生の林檎に飴を固めたもの。結構食べ応えがあるお菓子だね。で、あれがチョコバナナ、バナナにチョコを付けたもので味が噛み合ってて美味しいよ。あっちは綿あめ、溶かした砂糖を綿っぽく巻き付けてる。とにかく甘いかな」


「……甘いものしかないの?」


「あはは……女の子には甘いお菓子かと思って。しょっぱいものなら、焼きそばとか唐揚げ、ポテトにお好み焼きとかあるよ。僕のおすすめは食べやすさを加味して唐揚げからのチョコバナナ、で、ちょっとしたドリンクかな」


「……任せるわ」


 それからものの数分で両手いっぱいに食べ物を例の無料券で黒乃は、屋台を巡っている間に見つけた落ち着ける場所へ向かう。ソフィはただ、その後についていくだけ。だがその心境は意外と悪くない。

 

(……おかしい。さっきまで疎外感を覚えていたはずなのに。今ではなんだか、この空気がどこか嬉しい。お互い浴衣も着ていなければ、楽しい会話ができているわけでもない。なのに、どうしてこんなにも……)


「人多いね、椅子が空いててよかったよ」


 そういって道端に置かれた木組みの椅子に腰かけた二人。食べ物を広げ、子供のようにどれから食べようかと迷っている黒乃の横顔に、何となく視線が吸い寄せられる。


「……はい、ソフィ。好きなものを選んでよ」


「――――ぁ」


 ――不意に、涙が溢れそうになった。


 ソフィは理解した。この胸の痛みの正体。これは――黒乃の優しさなのだ。

 今まで誰にも与えられることなく、自分で掴み取ることもなかった『選ぶ自由』。

 それを黒乃は何気なくソフィにあげた。ソフィがこれまで欲しくて、欲しくて、でもどんなに手を伸ばしても届かなかったそれを、こんなにも簡単に。なんてことだ――これは。


 ああ――なんてことだ。理解してしまった。

 

「ソフィ? 別に遠慮しなくていいんだよ。もう買っちゃったし。むしろ食べなきゃ損! ……僕が全部食べちゃうよー?」


 おそらく、始まりはあの病院の屋上。ソフィに向けた言った言葉でないことは理解している。

 それでもきっと黒乃の『優しさの杭』が刺さったのはあの時。


 そして、その杭を自覚したのは『モノクローム』で黒乃に助けられた時。

 何の迷いもなく『K』との間に立って、命を張って。


 あの小屋では自身の正体、過去を聞いてもきちんと受け止めてくれた。守ると誓ってくれた。

 そうまでしてくれて――芽生えないはずがない。

 

 ソフィは――黒乃に恋をしていた。


「……食べる。食べるわ。お腹、空いてたの」


 いずれソフィはその杭によって砕かれるのだろう。――己の内に飼う破滅願望を。過去の絶望を。


(でもダメだ。私はソフィ……ソフィなんだ。もう私は……)


 溢れそうな涙を誤魔化すため、ソフィは色々なものを食べた。チョコバナナ、焼きそば、クレープ、たい焼き、唐揚げ、たこ焼き、綿あめ。こんなに沢山のものを食べたのは、久しぶりだ。


 ――だが、感情に体は追いつかない。


 飲み物をあおり、ソフィは何とかそれらを胃袋に入れた。口元を手の甲で拭い、歯を食いしばって、ゆらりと幽鬼のように立ち上がる。


「……ごめんなさい、ちょっとお手洗いに」


「ん、うん。気を付けて」


 黒乃に聞こえないほどか細い声で、何度もごめんなさいと言って、ソフィはその場を離れた。

 周囲にお手洗いがないことは分かっていた。だから誰にも見られない場所を探してとにかく走る。すべてを投げ出して、鎖に繋がれた思い四肢を動かす。


 やっとの思いで人のいない木陰を見つけるとソフィは、先ほど食べたもののすべてを――嘔吐した。


 泣きながら、謝りながら。


「……ごめん――――う、うっ、ごめんなさい――っ」


 何を食べても、味を感じなかった。


 ――あの日、ソフィがあの病院にいたのは黒乃に会うためではない。


 意識を失って倒れ、あの病院に偶然搬送されたのだ。そしてあの医者――黒乃の主治医でもある神丘(かみおか)の診察を受けた。診断結果はこうだ。

 ――余命一年未満。


 原因は過去の薬物大量摂取と、戦闘で負った傷、そして何よりソフィ自身が生きようとしていないから、そう言われた。

 薬物のことは正直に言ってはっきりとは覚えていない。だがおそらくソフィを慰み者にしていた男たちが気まぐれで投与していたものが積み重なったのだろう。

 そして最愛にして最後の希望だった――フィアを失うことになったあのエルネストとの戦

 あれでソフィはすべてを失い、半ば死に体となったのだ。


 この瞬間、生きていることさえ奇跡だと言われた。だからソフィはその奇跡を破滅に使おうと考えた。

 けど黒乃の優しさが。彼の杭が――死に向かう彼女を砕こうとしてやまないのだ。


「ううっ――く、うあ――ッ」


 嗚咽を噛み殺し、涙を流す。枯れたはずの涙。

 それでも流れると言うのなら、いっそ早く流れ切って欲しいとさえ思う。


「――――!」


 黒乃から貰った月下美人の髪飾りを投げ捨てようと力を込める。でも――できなかった。

 分からない。頭と心がぐちゃぐちゃだ。

 でも、次の瞬間に思い浮かべたことは――黒乃が心配しないように早く戻ろう、だった。


 光の明滅。ソフィの涙を照らし、一瞬にして闇へと葬り去る。


 そう――花火が打ち上げられた。


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