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『束の間/Collecting puzzles for home run』

 朝食を終えた黒乃(くろの)は、設置された公衆電話から桐木町(きりぎちょう)の病院へと電話をかけていた。これはこの施設に着いてからの日課で、あれから連絡が取れない神丘(かみおか)医師の無事を確かめるために行っている。


「あ、もしもし、夜代(やしろ)と言います。神丘先生はいらっしゃいますか?」


 先週無断で脱走した場所に電話をかけることに、何とも言えない気持ちを覚える黒乃。しかも許可を得ているとはいえ仲間の名前を使ってる。

我ながら自分の名前がこれほど悪目立ちしていることに悲しさを覚える――がしかし、そこまでしてでも、どうしても神丘に訊かなければいけないことが二つあるのだ。


 一つは『ヘヴンズプログラム』の移植について。ルドフレアが記憶した『ヘヴンズプログラム』に関する資料の書き起こしを黒乃もチェックしたが、しかし神丘が話していた『移植』に関する記述はどこにもなかった。

 つまり『移植』という行為は本来想定されていないイレギュラーなケースと言える。


 ならどうしてそんなことが行われたのだろうか。なおのこと、黒乃は知らなければならない。

 フィーネ・ヴィレ・エルネストによって封印された記憶は取り戻したが、それでもまだ見えない檻に閉じ込められている――過去の記録を。

 

 そしてもう一つは、――フィーネの遺体のことだ。黒乃とソフィが(れん)によって救助された後、すぐに例の場所に戻ったのだが、そこにフィーネの遺体は無かった。残っていたのは血痕とそれを引きずった跡。とはいえそれもあの豪雨で流されかけていた。


 出動した消防隊員に訊いても遺体が発見されたという話はなく、黒乃と蓮はもしかすれば、ヴォイドによって助けられた神丘が彼女の遺体を保護しているのかもしれないと予想を立てていた。


 それをはっきりさせるためにも、どうしても話しておきたいのだ。

 フィーネ――アリサの母親。もし彼女の遺体が得体のしれぬ何者かによって奪取されたら。それは考えたくもないことだ。


『――夜代様。はい、先生から番号を預かっていますよ』


「――!」


 予想外の返事だ。これまでは二、三言交わして通話を切るだけだったが今日は違う。


「本当ですか、番号は?」


 驚きのあまり声を荒げそうになったが何とか堪えて、すぐに言われた番号をメモ。

 看護師にお礼を言って、受話器を置き、一度深呼吸してから電話をかける。


「――――」


 コール音は二度繰り返され、三度目が始まるところで、その声に切り替わった。


『――もしもし?』


 神丘の声だ。


「もしもし、黒乃です! 病院に電話をして番号を聞きました!」


『……ああ、そうか。伝言が通じてよかったよ。ぼくとしても君と話さなければと思っていたんだ』


 気持ちが逸る黒乃に対して、神丘の声は落ち着いている。いやそれは普段通りという意味ではなく、例えば患者の治療をする時のような、異常時に対する冷静さと言える。

 それが伝わり、黒乃も次第に平静を取り戻す。そうだ、ここで焦っても仕方ない。 


「……怪我の方は?」


『転んで掠り傷、それくらいだ。大丈夫。心配することはない。それはそれとして……いきなり姿を消してごめん。あのロボットのようなものは、君と別れた後にヴォイド君が破壊してくれてね。彼の助けであの場を離れたんだ』


「ヴォイドさんが……」


『そしてぼくは、彼女の遺体を預かったんだ』


 黒乃の脳裏にフラッシュバックする、あの光景。漆黒の雨が降り注ぐ中、フィーネの心臓に白銀の剣を突き立てるヴォイドの姿。胸が痛い。見えない剣に心臓を貫かれたみたいだ。


「……フィーネさん、ですね」


『……そうだよ。ぼくは今、彼女と一緒に、桐木町(きりぎちょう)に戻ってきている。安心してくれ。彼女の遺体は無事だ』


「――ありがとうございます。きっと、アリサも……そう言うと思います……」


『……そう、だね。それともう一つ――黒乃君、単刀直入に君が知りたいだろうことを話すよ。『ヘヴンズプログラム』の移植についてだ』


 神丘は黒乃の気持ちを察してか、自分から切り出す。

 今の自分に宿るブラックボックス――それを知る機会がやっと訪れたのだ。


「……はい! お願いします……!」


 自然と声に力が入り、黒乃は返事をした。そうして神丘は語り始める。未だ忘却の檻に閉じ込められた、過去のことを――。


『あれは五年前のことだ。ぼくはその時の状況を伝え聞いただけだが、君とアリサちゃんは戦闘訓練を受けた集団に襲われたらしくてね。君は大怪我を追って病院に運び込まれてきたんだよ。もしかしたらその辺の事情に関しては、今の君の方が詳しいかもしれないね』


 ――黒乃は思う。東京で出会ったあの集団。訓練された――おそらくは軍隊、いや自衛隊にいた経験があるのだろう男たちの強襲。

 そしてあの日、病院の屋上で出会ったソフィから渡されたアリサの携帯。それに録画されていた廃工場での出来事。

 そのどちらも、相手の目的は剣崎黒乃(けんざきくろの)という個人だった。


「五年前のことは覚えていないけど多分、剣崎惣助(けんざきそうすけ)――僕の兄の仕業だ。あの人が財団にとって不都合な存在である僕を消すために、その集団をけしかけたんだと思います。一年前もそうだった……そしてアリサは、それに巻き込まれた」


 一度ならず、――二度も。黒乃は拳を強く握った。


『やはり、五年前の出来事以外の記憶は戻っているようだね。話を続けるよ。追い詰められた君とアリサちゃんだが、しかし最後まで、二人が諦めることはなかった。強い感情――見知らぬ襲撃者に立ち向かう『勇気』という激しい想い。――それが、彼女のトリガーになった。その日、自らの起源を知ったことで、アリサちゃんはエルネストとして剣を覚醒させたんだよ。そして君は、それに巻き込まれ、大怪我を負った』


「な――――っ⁉」


『生きているのが不思議なほどに大きな傷だった。いや、かろうじて生きているだけであの時の君は半ば死んでいたとも言えるかもしれない。手術の執刀医はぼく。そして手術室には彼――ヴォイド君も居た。『移植』はその時に行われた。どういう経緯かは不明だが『ヘヴンズプログラム』を所持していたヴォイド君が、君を助けるには『移植』を行うしかないと断言した。ただしそれを機能させるには、エルネストの血液が必要だと彼は言うんだ。だからぼくは君の体に――アリサちゃんの血を輸血した』


「アリサの血が……僕の中に……⁉」


 神丘がエルネストに関する情報を知っているのは、当事者であり、また五年前からヴォイドと面識があったからだろう。

 だが思考が追い付かない。覚えていない五年前の出来事。エルネストの――アリサの覚醒。『ヘヴンズプログラム』の『移植』、それに必要なエルネストの血液。

 

『あまりにも無謀な賭け――医者として絶対にやってはいけないことだ。しかし彼は『血の適合』が有り得ることを知っていた。人間とは別の、それよりも強い存在――エルネストになれる可能性があることを。だからそれに賭けたんだ。そうしなければ君は助からなかった。……これが君に移植手術を施した経緯だ。今まで秘密にしていた本当に申し訳ない』


 神丘が事実を隠していたことに対して怒りはない。きっと言えない理由があったのだろうし、言ったら、知ってしまったら、黒乃はもっと早い段階で危険に巻き込まれていただろう。だからそれに関して言及するつもりはなかった。

 その代わりに、脳内で肥大化していく二つの疑問があった。


「……二つ、訊いてもいいですか?」


『……ああ。答えられることなら何でも答えるよ』


「まず『ヘヴンズプログラム』って、どういうもの何ですか? 『移植』なんてことができたってことはちゃんとした質量のある物体、なんですよね?」


『そう……だね。確かにアレには形があった。だがここまで『移植』という言葉を便宜上使ってはいたが、実際のところそれは正しくないんだよ。『ヘヴンズプログラム』とは――一枚のカードだ。エルネストが持っているものと同じ、けれども何も描かれていない空白のカード』


 黒乃に宿った『十五番目(ブランク)』のカード――その正体は『ヘヴンズプログラム』。

 

『君の命を救えると聞いた以上、アレをどうにかして君の体内に入れる必要があった。例えば骨折した箇所を固定するインプラントのようにするとかね。でもアレは君の体に触れた瞬間、傷口を塞ぐような光の粒子に変化したんだよ。ぼくが行ったのは、粒子によって軽度になった傷の縫合など、一応は普段通りの手術さ』


 『ヘヴンズプログラム』の移植手術はそうして行われた。つまりアレは普段、光の粒子となって黒乃の体内に存在している、ということか。初めは粒子となって失われた箇所を埋めるような働きをしていたのだろうが、五年も経てば傷は塞がる。今は体内を巡る血液のようなものになっているだろう。


「……分かりました。それじゃあ最後にもう一つ」


 正直まだ頭が追い付いていないところはあるが、しかし最後にこれだけは聞いておかなければならない。これは剣崎黒乃という存在の根底を支える問題だ。だからこそ、逃げずに知らなければならない。


「――僕は今、人間なんですか? それともエルネストなんですか?」


『……分からない。これが正直なぼくの考えだ。人間でもありエルネストでもある。そのどちらでもあるし、そのどちらでもない新しい存在とも言える。だからそれは――君が決めていいことだと思うよ』


 神丘は、黒乃が自分の存在を見失ってしまうことを危惧してそう言った。

 自分の存在は自分で決めていい――確かにその通りだ、と黒乃は思う。


「……聞かせてくれてありがとう。神丘先生」 


『よしてくれ。ぼくはあの時、一歩間違えば君を殺していた。お礼を言われる立場じゃないよ。ああ……それと』


「なんですか?」


 今まで余計な前置きもなく交わされていた会話が止まる。どうやら神丘は何かを黒乃に言うべきかどうか悩んでいるようだ。黒乃はそれを黙って待つ。


『――実は、フィーネさんの遺体の確認に、アリサちゃんがやってきたんだ。君の知っている、彼女がね』


「ッ……アリサが……?」


『君がこれまで記憶を失っていたのは、フィーネさんが封印していたからだ。それについてはアリサちゃんも知っていた。そして君にはまだ記憶の欠落があるね。五年前の出来事とそして――』


 神丘は一呼吸おいてから黒乃に告げる。


『君とアリサちゃんが本当に初めて会ったのは――七年前のことなんだ。そのことはアリサちゃん自身も忘れている。……もし次にどうするべきかが分からないようなら、ヴォイド君を追ってみるといい。所詮私は部外者。だが、彼は当事者だ。いいね――黒乃君?』


「――はい。本当にありがとうございます」


『それからもう一人の――――』


 そう言ったところで、言葉に詰まった神丘は、それ以上口にすることを止めた。


『いやすまない、なんでもない。――それじゃあ、またね』


 そこで通話は切られた。まだ細々と聞いておきたいことはあったが、しかし一度に多くの情報を得すぎてしまった。一度甘い物でも食べながら考えを整理したい。それに長電話してしまったことで貴重な小銭をかなり消費した。

 こんな時こそ蓮から貰った端末を使えばいいのだろうが、実は今、あれは使い物にならなくなっている。ルドフレア曰く、故障ではないようだが。


(とにかく少し……頭を整理したいな。これ以上は頭がパンクする。っていうかもうしてる)


 緩慢な足取りで自室に戻る。そしてタオルを片手に洗面所へ行き、頭から冷水を被った。とても冷たいが一度熱くなった頭を冷やすにはちょうどいい。

 すぐに滴る水をタオルで拭い、そのまま部屋に戻り、窓際に置かれた椅子に座り込む。


 ――天井を見上げた。目を瞑り、先ほどの会話の中で気になった点を想起する


(――『血の適合』。ヴォイドさんのエルネストという名前はアリサを引き取った際に自分も改名したのだと聞いた。だけどヴォイドさんはソフィやフィーネさん、そして『K』と同じように『カード』と『剣』を持っていた。あれがエルネストである証明になるなら――もしかしてヴォイドさんも過去に、僕と同じようにエルネストの血を宿したのだろうか。多分、そう考えるのが妥当だろう)


 そして黒乃の体内には五年前にアリサから輸血されたエルネストの血がある。黒乃が今生きているということは血に適合しているから。


(僕がアリサと初めて出会ったのは高校の入学式。アリサもそう思っていた。ということはアリサも五年前のことを覚えてない。だから僕が『起源選定』に一切関係ない存在だと思い、自分に関する記憶を封印して遠ざけることに賛成した。僕を守るために)


 なら、すべてを知りながらその選択肢を選んだのは――ヴォイドだ。すべてはアリサのため、なのだろうか。アリサを守るため、アリサの意思を尊重し、そのための選択を彼は行った。


 いずれにしても真実を知るにはヴォイドに接触するしかない。そしてヴォイドとも共に行動しているであろう――彼女にも。


「――もどかしいな。アリサ、君は今どこにいるんだ?」


 それに、黒乃が想いを馳せるのは、アリサ・ヴィレ・エルネストだけではない。

 ――アリサを捨てたもう一人の『彼女』、ソフィ。


「僕は――どうするべき、なんだろう」


 金属バットの芯に当たる心地よい音。それがこの場所に響くのは一体もう何度目のことなのだろうか。一瞬だけスズカは考えようとしたが、やがて速球が向かってきたところで思考を止めた。


「――――!」


 いい音だ。振り切った甲斐があった。だがそのせいで、短くまとめていた髪が解けてしまい、慌ててまた留め直す。この長い髪は自慢でもあるが、やはりスポーツには向かない。せっかくジャージに短パンと動きやすい服装をしているのに、そこを見逃しては勿体ないというものだ。

 やるなら本気で。


「――ッ!」


 打球がバットの芯に当たる良い音。


 このリゾート施設が完成したのはつい二年前らしい。剣崎財団が徐々に有名になっていき、全国に一か所は財団の運営する施設を建造する――という意向のもとにできた場所。

 そしてここは施設内にあるバッティングセンターだ。一回二十球、打席が全部で八つ。


 この施設に来てから、スズカは空いた時間があればここを訪れているが、どんな時間帯でも打席は半分も埋まらない。よくて二、三席くらい。


 ――ヒット。


「あれ――奇遇だね、スズカ」


 後ろから声が聞こえたので振り返ってみると、そこには黒乃が立っていた。服装は白いシャツに黒のスラックス。

 というのも東京で買った私服はすべて『月夜野館(つきよのかん)』に置いたまま燃えてしまったので、元々着ていたものしかないのだ。厳密にはシャツも山小屋で燃やしてしまったらしく、施設内のモールで買ったもの。スズカが今着ている服もそうだ。


 おかげで小銭しか残っていない黒乃の財布。一応、蓮たちが多少の工面を提案したのだが、黒乃はこれ以上借りたら気持ちが持たないからいい、と言ってやんわりと断った。


「奇遇ですね」


 ふとスズカの脳裏にはとあることが浮かんだ。努力の成果を見せる時が来た――すっかり手にできかけてしまったタコを悟られぬよう、スズカは黒乃に返事をする。


「まあね。温泉に行く前に少し汗でも流そうかなって。……隣いい?」


「ええ。でもそちらは中々の剛速球ですよ」


「上等、受けて立つよ!」


 迷いなく、黒乃は七つの打席の中で一番球速のあるところを選んだ。

 この施設の設備は宿泊客なら無料で使用することができる。家の名前を使っただけで正式な宿泊客かと言われたら微妙な立場の黒乃だったが、しかしせっかくなら楽しまなきゃ勿体ない。

 相変わらずどこか爽やかな雰囲気を纏って、黒乃はバッターボックスに立つ。


「にしても少し意外かな。君がそうしてバットを振ってるのは――っとッ!」


 早速一球。スズカが今日聞いた中で、一番当たりのいい音が響く。


「運動、苦手そうに見えます?」


 ヒット。


「どちらかと言えばインドアかなって、ねッ!」


「こう見えて結構スポーツ得意なんで、すッ! 動体視力もかなり。この眼鏡も伊達ですし」


「確かに全然空振ってないね。打球もかなりイケてるよッ――と!」


 そう言う黒乃も、あと一歩もすればホームランが打てそうなほど、剛速球を芯でとらえている。

 蓮のように鍛えているだけあって、運動神経も抜群だ。


「――ありがとう、スズカ」


 ヒット。


「何のことですか?」


「研究所でレベッカを引き付けてくれたでしょ? スズカがいなかったら僕とアリサはどうなっていたことか。体の方は本当に大丈夫? セラは、あの子の魔術で力が使えなくなったって言っていたけど――おりゃッ!」


 スズカもホームランを狙い思いっきり振りかぶる。結果は、力が入りすぎて鈍い金属音が響くだけ。

 それが最後の球だったので、スズカは打球をリセットして再びバットを構える。


「私とレベッカは相性が良かったんです。逆にセラは悪かった。私の場合は特に何もありませんでしたよ」


 ヒット。


「そういえば、アリサちゃんの方はどうですか。やはり……フィーネさんのことが?」


「……まあね」


 珍しく、黒乃の声音が低くなった。この施設に来てからというもの、アリサは滅多に姿を見せない。

 部屋に籠っていて、やはり、フィーネの死がショックなのだろう。

 本人は無関心を装っていたようだけど――と、黒乃は思う。


 それにしても、スズカにとって『それ』は意外だった。黒乃のことだ。大切な彼女のために悲しみを一緒に背負ってあげることまでするんじゃないかとも思ったのだが、その予想は外れた。

 どうも黒乃も黒乃でこの三日間、一人で考え込んでいることが多かった印象だ。


「……一緒にいてあげなくていいんですか?」


 黒乃も最後の球を打ち終わり、打球をリセットしてバットを構える。


「――今の彼女には、一人で考える時間が必要だと思うんだ」


 ヒット。いい当たりだ。


「もしかして温泉っていうのは建前で、何か考え事があってここに来たんですか?」


「温泉には入るよ。でもまあ、確かに、とても大きな考え事はあるかな。そういう君は?」


「私もとても大きな考え事、ありますよ。――ねえ黒乃くん。突然ですが、一つ勝負しませんか?」


 スズカはすべての球を打ち終わり、バットを下ろす。


「ルールは簡単。これから三球で先にホームランを打ったほうの勝ちです。私が勝ったらアリサちゃんを誘って今日の夜、花火大会に行ってください」


「花火大会?」


「ええ、近くでやるそうです」


「それは構わないけど、僕が勝った場合は?」


「黒乃くんが決めてください。どんなことでも、私に要求してもらって構いません」


 黒乃は突然のことに戸惑いを見せるが、それも一瞬。身に纏う空気を入れ替え、バットを構え直す。


(ええ、それで構いません。それに勝利してこそ、意味があるのです)


 スズカは打球をリセットし、狙いを真っすぐにバットを構える。

 そうして――運命の三球が始まった。


「でも、どうして急にそんなことを? ――そらッ!」


 ヒット。


「一人で考える時間も大事だと思います。でも、私は思うんです。一人で抱え込むよりも隣に誰かがいて、その人と相談し合った方がいい答えが出せるんじゃないか――ってッ!」


 ヒット。


「それは……アリかナシかでいえば、アリな考え方だッ!」


 ヒット。


「例えその人に重荷を与えてしまうとしても――、それが許せる人になれればってッ!」


 ヒット。


「――――、確かに言えてる」


 黒乃が最後の一球に望む。結果は――ヒット。これで黒乃の勝ちは無くなった。

 そして、スズカの最後の一球。


「せや――ッ――‼」


 スイングはゆっくりと、球に当たる直前に加速――緩急をつけることで理想的なバッティングを生み出す。とにかく遠くに飛ばす、バットが球を捉えた瞬間それだけを意識し、思いっきり振りかぶる。

 それにより再び留めていた髪が宙を舞い――、勝負が決着する。


「お見事」


 打球を見届けることなく黒乃は言う。ホームランと書かれたパネルに打球が当たり、それを祝うような効果音が響き渡った。

 この勝負、見事ホームランを叩き出したスズカの勝ち。スズカは次に来る球を無視して、隣の打席に立つ黒乃を見た。


「黒乃くんも、たまには理由が欲しくなるんですね」


「僕がホームランを打てなくて、君は打てた。それは本当だよ。うん、ここに来てよかった。おかげで少し考えが変わったし――それにスズカの綺麗な髪がカッコよく靡くところも見れたしね」


 ……ホームラン。

 最後の打球、黒乃は彼女をお祭りに誘う口実が欲しくてわざと打球を外したのかとも思ったが、考えすぎだったらしい。疑ってごめんなさいと頭を下げるスズカ、対して黒乃は優しく笑いかけて、バッターボックスから出た。


「ありがとう、スズカ。それじゃあ!」


「ええ、こちらこそ。ありがとうございました」


 そうしてスズカは、再びバットを構えた。

 しかしその時、声が聞こえた。


「――それ以上はよせ。手にタコができてるじゃないか」


 バッターボックスの外から聞こえた声。その姿を見るまでもなく、スズカは声の主が蓮であることを察した。


「珍しいですね、蓮くんの方から会いに来てくれるなんて」


「……そう、かもな」


 蓮は一呼吸おいてから、ほんの少しだけ声を震わせてこう言った。


「その、昨日は済まなかった。少し考えが変わってな、その、今日一緒にどうだ? 花火大会」


 スズカはなんとなく直感した。

 きっとセラと澪に怒られて、蓮はここに来たのだ。

 そうでもしないとお誘いの一つも受けてくれない鈍感な青年に、スズカはまるで愛らしい子供を見るような表情を向けた。


「――ええ、ぜひ」


「単刀直入に訊くよ、フレア。君はその……男、でいいんだよな?」


 どこからともなく、鹿威しの心地よい音が聞こえてきた。


「……ん?」


 何故こんな話になったのだろうか。

 時は少し遡り、今朝貰ったシャンプーを普段手が出ない高いものだし、せっかくだから使ってみるかという気持ちで黒乃(くろの)が入浴に来たことがすべての始まりだった。

 この施設の温泉にはいくつか種類があり、基本的な温泉、やや小さめの個室っぽい温泉、そして露天風呂など。その中で目を付けたのは露天風呂で、理由は開放的な景色を見て気分転換をするため。


 そして黒乃は、同じ理由で露天風呂を訪れていた先客――ルドフレア・ネクストの姿を発見した。


 扉を開けた時のあの沈黙はやけに頭にこびりついて離れない。

 そして黒乃は全身を洗って湯船に浸かって、いや浸かってからも、明らかに挙動不審だった。

 ルドフレアの方をちらちら見たり、ここが男湯なのかどうかを念入りに確認したりと。


 ルドフレアは、その理由が自分にあることを何となく察していた。だからストレートに訊ねたのだ。何かボクに訊きたいことがあるよね、と。

 そうして先ほどの言葉に繋がる。


「するとキミは、ボクが女の子だと思ってるってことかい?」


 これまでそんな風に思われたことは無かったと思うので変な気分だ。嬉しいわけでもないし、反対に怒りがあるわけでもない。呆気に取られるとはこのことを言うのだろうか。

 湯船に浸かり景色を眺めながら、一定の距離を保つ黒乃とルドフレア。


「や、フレアと初めて会った時、ほら、『月夜野館(つきよのかん)』でさ……女湯の時間帯に入ってただろ?」


 正確には、黒乃が今の時間は男湯かと尋ねた時に、ルドフレアが『ああ、もうこんな時間なんだ。確かに今の時間は男湯かな!』となんとも解釈に困ることを言ったことで、とりあえずルドフレアは女湯に入っていたと判断したのだが。


「あー、あれね。セラの体を洗ってたんだ」


 どうやら女湯の時間帯にいたのは自覚があるらしく、そしてもっととんでもない爆弾発言が飛んできた。


「え、えぇ⁉ つ、つまりそれはどういう⁉ いやよくよく考えると今、男湯に入ってる時点でフレアは男のはず……つまりフレアとセラはそういう関係⁉」


「違うけど」


 鹿威しの音が響く。


「ち、違うの⁉ ……なんていうか、大人だねぇ……。いや待てよ、違うっていうのは関係じゃなく性別の方なのか⁉ つまりここって女湯なのか⁉」


 うーん、そろそろ勘違いを解いてあげるべきだろうか、とルドフレアは首を傾げる。

 

(でもクロノが慌てふためく姿は見ていて気持ちがいいんだよねぇ。いい反応してくれるし。でもまあ、これ以上は気の毒だよねー)


 仕方ない、と言った感じでルドフレアは立ち上がった。

 

「はい、クロノ」


「ちょ、まッ――心の準備が‼ ――って、え――な、なな、なななな⁉」


 水面が大きく揺れて、黒乃の視線は釘付けになる。


「うん。ボク『人造人間(ホムンクルス)』だから、性別とか無いんだ」


 まあ強いて言うなら性別――ルドフレア・ネクスト。そう小さく付け加える。


「ええええ――――⁉」


 鹿威しの音は黒乃の大声によってかき消されてしまった。


「カコーン」


 ひとしきり驚いた黒乃は頭の上に載せたタオルで顔を隠し数十秒ほど湯船の中に沈む。

 息苦しくなって顔を出す頃には、すっかりと表情は落ち着いていた。


「――言ってもよかったの、僕に」


 『人造人間(ホムンクルス)』であることを嫌悪せずただ受け入れる黒乃。ルドフレアは他人の評価を気にしない性分だが、しかし黒乃が自分という存在を真面目に受け止めてくれたことは、とても嬉しく思う。


「まあね、別に隠していたわけじゃないし」


 何となく、ルドフレアは自分の生い立ちを話し始めた。黒乃は自分から訊こうとはしなかったが、しかしで中途半端に教えるのもかえって気になるだろうというルドフレアなりの気遣いみたいなものだ。


「――ボクはね、とあるアルフレド・アザスティアが生み出した天才の後継者ってやつなのさ」


「アルフレドって、あの研究所にいた?」


「いんや。アルフレドってのは一言で表すなら『とんでもない天才(ばか)』でさ、今から何十年前、それこそ世界がハルカによって書き換えられた頃かな。アルフレドは自分と全く同じ存在を作り上げたんだよ。百人くらい。それぞれが違う研究を担当して、それぞれが違った角度から『天上(うえ)』を目指すよう自分自身を設計したんだ。今ではそれが増えてるのか減ってるのか分からないけど、ボクを生み出したのはそんなアルフレドの一人」


 鹿威しの音が、心なしかここに来て一番気持ちよく音を響かせた。


「な、なるほど……?」


「ある日ね、レンとセラがボクの目の前に現れたんだ。ざっくり言えばボクは二人に救われ、心を得た。生まれたっていうか、生まれ直したっていうかね。そして世界を知ったボクは決めたんだ。『(いのち)』の輝きを魅せてくれた二人の行く末を見届けようってね!」


 だからルドフレア・ネクストは『天才のなりそこない』として生きているのだ。未来へと。


「――そうか。フレアはもう自分なりの答えを出しているんだね。だから迷いが無い」


「そういうキミは? アリサの傍に居てあげなくていいのかい?」


「……さっきも同じことを言われたよ。この後、部屋に行ってみようと思ってる。でも……正直、何を話せばいいか迷ってるんだ。彼女の前では強がっているけど、結局のところ僕はあまりにも無力で、まだ、どうしてあげることもできない。やるべきことは決まっても、やりたいこと、そのための具体的な方法はまだ掴めてない」


 悩んでいる、というよりはその事実を正面から受け止めている様子の黒乃。

 『ブランクカード』、『ヘヴンズプログラム』――それらは未だあまりにも不可解で、おそらくどんなに彼女を労わっても、その言葉は軽いだろう。自分のこともよく知らないヤツが誰かに手を差し伸べるなんて傲慢だ。

 それが正しく理解できているからこそ、黒乃はこれからどうするべきかを決めあぐねているのだ。


 その様子を見て、ルドフレアは告げる。

 

「――黒乃、さっき『ヘヴンズプログラム』の資料は見たよね? 大丈夫。君が一歩踏み出せば、答えは出ると思うよ」


「――――」


 そう告げられた黒乃は、静かに頭の上に乗せたタオルで目を覆い、湯船の中心に置かれた大きな岩に背中を預ける。数秒の沈黙が流れ、黒乃はその状態のままフレアに訊いた。


「フレア、僕は科学者でも研究者でもないから、あれがどういう意図で開発されたのか分からない。だから……フレアはどう思う? 『ヘヴンズプログラム』は誰かを守るための力になるかな。それとも誰かを――」


 誰かを傷つけるだけの力なのだろうか――アリサやソフィを守れる力とは真逆のものだろうか。

 その答えを黒乃はずっと求めていた。そしてルドフレアもその気持ちを察していた。


 本来なら自分の手で、その答えを掴むべきところだけど――と、黒乃がこちらを見ていないのをいいことに、静かに笑みを溢して。ルドフレアは濡れた赤毛をかき上げながら言う。


「『ヘヴンズプログラム』は言わば『人工のカード』だ。でも、どうして君のお父さんはそんなものを作ったんだと思う? そしてどうやって作れたんだと思う? 絵画の贋作は本物を見なければ描けない。これはボクの仮説だけど、カードを奪われたエルネストには何か絶対に避けなければならないことが起きるんじゃないかな。だから剣崎総一郎(けんざきそういちろう)はそれを回避するために、そして『起源選定』から解放するためにだ――『ヘヴンズプログラム』を開発した」


「解放――って誰を?」


「そんなの、好きな人に決まってるじゃん。愛は時に世界を変える。それにフィーネも言ってたよ。黒乃の中には自分と同じものが流れているのかもしれない。フィーネと同じもの――彼女の持つカードに込められた起源は『慈愛』。――つまり」


「『ヘヴンズプログラム』は父さんが、大切な人を守るために開発したもの――」


 黒乃は顔に乗せていたタオルを取って、にっこりと笑みを浮かべるルドフレアにそう言った。

 一方でルドフレアは、黒乃がちゃんと答えに辿り着けたことを喜び、さらにこう付け加えてあげる。


「安心して――アレはきっと、君が望んだことを実現させることのできる力さ」


 それは、黒乃が今一番必要としていた言葉だった。

 刹那――暗闇に覆われた視界に一筋の光が差す。


「ッ――、ありがとう、フレア! 今――何かが見えた気がする。僕のやりたいことが!」


 この瞬間、黒乃は『剣崎黒乃』を取り戻した。決意を秘め、希望を胸に、ただ真っすぐ前に向かって走り続ける――そんな自分らしさを。


「――もう行くよ! あ、それと、たまにはシリアスな君も悪くないよ!」


 鹿威しの音を合図に、黒乃は颯爽とこの場を去っていった。


「……普段お調子者だと思われてるのだとしたら、そいつは心外だなぁ」


 ――けれど願っているよ。かつてレンがボクをアルフレドの呪縛から救ってくれたように、君も彼女をエルネストの呪縛から救えることを。


「カコーン、なんちて」


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