『合流/Are you happy with an unexpected gift?』
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三月二十日。剣崎黒乃、アリサ・ヴィレ・エルネスト改め――ソフィ、夜代蓮、遠静鈴華、ルドフレア・ネクストの五人は、秋田にある剣崎財団が建設したリゾート施設に、黒乃の名前を使って宿泊していた。
家の名前をこのような形で利用することになった黒乃は、昔もこんなことしたなぁ、と記憶を取り戻したことをしみじみと実感していた。
黒乃とソフィが救助されてから今日で三日が経った。時刻は朝の六時。場所はホテルのエントランス。早朝というだけあって人はほとんどいないが、黒乃はそこに仲間を迎えに行っていた。
「――で? 山火事未遂の後に兄貴たちと合流して、その後なんですぐ連絡くれなかったんだよ」
合流早々にして、ブラックスーツ姿の夜代澪が訊いてくる。
「フレアが言うにはジョイの放った妨害電波が強力すぎて端末が壊れちゃったんだってさ。その修理が終わったのが昨日。それにレンタカーでここまで来るのにも、結構時間が掛かったんだ」
細かく表すと、研究所を訪れたのが十六日の昼頃。救助されてこの施設に来たのが十七日の深夜。そして二人が合流したのが今日、二十日となっている。
とりあえずの経緯を説明されたセラ・スターダストは、長い薄緑色の髪を一房に纏めて、小さく頷いた。その姿は澪と同じブラックスーツを着用しており、おそらくは不意の襲撃に備えてのことだろう。
「なるほどね。ありがとう黒乃。大体の状況は掴めたわ」
「ああ。サンキューな。詳しいことは兄貴に訊くよ」
まあ、場所が場所だ。これ以上の込み入った話はここでするべきではないと判断したのだろう。黒乃が蓮の部屋の番号を教えると、二人は荷物を抱えてエレベーターへと向かう。
しかし――ふと、澪の脚が止まった。相も変わらず、水に濡れたような綺麗な黒髪が、静かに揺れる。
「――そういや、おめでとな。黒乃」
「へ?」
「へ、じゃねえよ。記憶戻ったんだろ。だからおめでと」
「ああ、そっちね」
「そっち?」
なんだか懐かしいやり取りをするが、すぐに黒乃は言葉を続けた。
「でも、僕だけ喜ぶわけにはいかないよ。スズカだって――」
束の間――黒乃の唇に人差し指が触れる。少し冷たい、細長く綺麗な指。それはセラのものだった。
セラが黒乃の言葉を遮り、わかってないわね、とでも言いたそうにため息を漏らしたのだ。
「スズカは、他人の幸福はちゃんと一緒に喜んであげられる優しい子よ。だからアンタも変に気を遣わないで素直に記憶が戻ったことを喜びなさいな」
唇に当たる人差し指の感触を意識して、なんだか変に顔が熱くなってる。
それがやけに恥ずかしくて黒乃は無言で何度も頷いた。
「……黒乃って案外押しに弱いよな。そういうとこ可愛いと思うよ、アタシは」
「フォローになってないって……」
澪はそれに不満そうな顔をして、セラはひとしきり笑った。その様子を見て、なんとなく思う。
「なんだかセラ、前と少し変わった気がする。今の方が――なんか良いよ」
蓮によって与えられた『平和な日常』――それが自らの戦う理由を、今後どうするべきかを一度よく考えるために与えられたということを、黒乃は知らない。それでもセラも、そして澪も、どこか前と比べて吹っ切れたような雰囲気があった。
「ありがとう、黒乃。それじゃあね」
どこか爽やかな表情でエレベーターに向かうセラ。
一方で澪は何故かセラを追わず、立ち止まって黒乃の頭を凝視していた。
「……えーと、僕の顔に何か付いてる?」
見つめ合うこと数秒、澪は素早く黒乃の頭に手を伸ばして髪をぶちっと引き抜いた。
「いたっ⁉ 急に何事⁉」
澪は得意げに笑って抜いた髪を見せる。
「へへーん、白髪発見! ダメだぜ、黒乃。若いからって油断してると、すぐに禿げることになるぜ? 何事も細かい積み重ねが大事ってわけ。――ってことで、ほら、これやる」
ぽん、と渡されたのはシャンプーだ。
「え、いいの? 女の子からこれ貰うのってなんだか気が引けるんだけど」
「いいって、貰っとけ。……今度はナイスフォローだったろ? じゃな!」
清々しい気持ちを覚えたのか、澪は軽い足取りでセラのあとを追った。
(フォローってもしかして、さっきの気にしてたのかな……)
貰ったシャンプーを眺める。それは普段買おうと思っても買えないちょっとお高いシャンプーだった。しかし変だ。どうにもこれ、中身が三分の一くらいしか入っていない。使いかけ、ということだろうか。
ふと、澪とのやりとりを遠めに見ていたセラが、声を荒げていた。
「ちょっと、何勝手に私のシャンプーあげちゃってるのよ! いつの間に取ったの……⁉」
してやったり、とでも言いたげに澪は歯を見せて憎たらしく笑っていた。
「まあまあ、ほら、コンビニで買った新品があるから、それやるよ」
これは東京で無駄にシャンプーを一本買わされた澪のちょっとした仕返しだったのだが、それを知らない黒乃は何とも複雑な気持ちで、受け取ったそれを見つめていた。
セラのことだからすぐに取り返しに来ると思ったが、新品のシャンプーを手に入れてそれでよしとしたらしく、そのままエレベーターに乗り込んでしまった。
黒乃がセラの使いかけのシャンプーを使う。少なくともセラはその構図を気にしないようだ。
「だからフォローになってないって……まあでも、せっかくだしこの後は朝風呂にでも行く……かなぁ……。使わないともったいないし」
記憶が戻り、変に貧乏性になった黒乃だった。
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合流したセラと澪が蓮の部屋に到着しておよそ二十分。二人の留守中に得た情報、起きた出来事をできるだけ詳細に説明した蓮は、話し続けたことで渇いた唇を潤すためにコーヒーに口を付ける。
「幽玄世界と夢幻世界。一つの上位世界に二つの下位世界、ねぇ。『起源選定』の歴史は長いんだろ? なら『組織』や遥だって知ってたんじゃないかと思うんだけど――そこんとこどうなのかねぇ」
元々この世界が創造神である『イノセント・エゴ』によって作られた下位世界であることは魔術の世界に知れ渡っている。だというのに並行世界のことを知っている人間は極端に少ない。
「伝えられない事情があったか、何者かの陰謀か、もしくは『イノセント・エゴ』の仕組んだ運命か――可能性ならいくらでもあるわね」
セラがうんざりした声を出す。
「ってか、なんでアリサはそのことを隠していたんだ?」
「ヴォイド・ヴィレ・エルネストに口封じを受けていた、というのはどうかしら? どのような事情があったにせよ、フィーネを殺したのはヴォイドなのでしょう?」
「現時点では何とも言えない。アリサに話を聞こうにも、フィーネのことがあって塞ぎこんでいるようだからな。とりあえず俺たちはこれまでの戦闘データや黒乃の『ヘヴンズプログラム』の解析をしていた」
正確には、ルドフレアが研究所で記憶した『ヘヴンズプログラム』の資料の書き起こしだ。
当然だがこの施設には研究道具も何もないため、機械を使った解析ができるはずもない。
「ふーん。そういやその神丘って医者はどうしたんだよ。黒乃の話じゃあ、スズカと一緒に研究所の裏口に残ったんだろ? けどスズカが目を覚めたときはもう神丘はいなかった。そのうえ『ダーカー』が破壊されてたってことは、第三者の介入があったことになるぜ」
神丘にダーカーを撃破できるほどの戦闘能力があるとは思えない。となると澪の意見は正しいだろう。
「あの場で全く読めない行動をとったのはヴォイドだ。可能性があるとすれば奴だろうな。それに神丘はアルフレド・アザスティアから『ヘヴンズプログラム』の資料の場所を教えられていた。フレアの記憶した資料曰く、プログラムの開発には黒乃の父親である剣崎惣一朗が関わっていたようだ。もし神丘と剣崎惣一朗に接点があるとすれば、剣崎惣一朗と接点があったフィーネ、フィーネと接点があったヴォイド、と無理やり繋げることもできる」
ここ昨日、一昨日と、ルドフレアが剣崎惣一朗の情報を調べようとしたが、財団の圧力、権力によって必要な情報は秘匿されていた。『モノクローム』の一件もあって『組織』はあまり協力的ではないこともあってそちらに関しては手詰まりだ。
情報を手に入れるには、過去のことを知る人物に直接話を聞くしかないだろう。まあそんな当てはないが。
「なるほどねー」
蓮の説明を話し半分で聞きながら、澪は自らのキャリーケースから荷物をほいほいと周囲に撒き散らしていた。皴のついた服や飲みかけのジュースなんかもとにかく手当たり次第だ。片づけられていた蓮の部屋はものの数秒で片付けが行き届いてない系の部屋に早変わりしてしまった。
その様子を冷めた目で見ていたセラは、とりあえず話を戻す。
「……ところでフレアは? 記憶した『ヘヴンズプロラム』の資料の内容が知りたいのだけど。
「資料なら既に書き起こしが終わり、要点もまとめてある。その机の引き出しに印刷したものがあるはずだ。で、フレアは疲れを取ると言って温泉に行った。あー……ところで澪、どうして俺の部屋で荷物を散らかしているんだ」
「行くところがねぇんだよ。セラはスズカの部屋に行くけど一部屋に三人は狭いし。フレアの部屋は寝てる間に実験とかされそうだし。黒乃やアリサには気を遣うからな。節約さ」
「な……」
蓮は、呆気に取られていた。澪は魂を取り戻したあとからずっと蓮との距離感を測りかねていた。変わってしまった自分。もう一人の自分を失った兄。様々な要因があって、どう接すればいいか分からなくなっていた。
そして蓮も、そんな澪の様子を見て引っ張られるように一定の壁を気づいていた。いや、兄妹とはいえ二十歳と十八歳にもなれば別に一定の壁があっても何もおかしいことはない。
ただゆっくりと時間をかけて、また家族として普通に接することができれば、それで良いと思っていた。
そんな一度開いてからいつまでも埋まらなかった距離を飛び越えるような、真正面からの行動。
蓮は当然困惑する。澪は明らかにどこか吹っ切れた様子だ。そして澪だけではない。
「蓮」
「……なんだ、セラ」
正面から向かい合ったセラに、蓮は過去のセラの姿を思い出した。かつての彼女は――アルフレドへの復讐にすべてを懸け、自身の死さえ厭わぬ、死を恐れぬ堂々たる姿を見せていた。
そして――セラは一度燃え尽きた。何よりも優先してきた目的を達成し、自分の居場所を見失ったのだ。
だが燃え尽きたはずの眼には、再び信念が宿った。金色と銀色のオッドアイ――双眸は優しく閉じられる。
「アンタを卑怯と言った私の言葉、撤回するわ。私はただ戦う理由をアンタに押し付けていた。本当にごめん」
「……気にするな」
むしろ迷っているのは蓮自身。向かい合って、相手の顔を直視できないのは蓮の方なのだ。
「――私も澪も、答えが見えた。あとはそれを叩きつけるだけよ。……蓮、前に言っていたわよね、責任は取るって。もうアンタだけ迷っていることは許されないわよ」
「手厳しいな」
「当然よ、私はアンタの相棒なのだから。困ったときは支え合う、そういうものでしょ。だからひとつアドバイスよ。今日スズカと一緒にここに行ってきなさい」
そう言って渡されたのは、施設内に張ってあった花火大会開催のチラシ。それを突き出され、反射的に顔を逸らして一歩引いてしまった。明らかに不審な挙動をした蓮を、セラと澪は見逃さなかった。
「なあ兄貴、アタシは勘が良くてそれなりに兄貴のことが分かるから、今アタシが想像したコトが正解だって確信を持って言える。けどさ。一応、元『到達存在』である兄貴だから、もしかしたらアタシの勘が外れることがあるかもしれない。だから――言え」
「昨日……既に誘われて断った」
銃口とダガーの切っ先が、左右から向けられた。予備動作も見せないプロの技。二人がその気になれば一瞬にして蓮の首は飛んでいた。
「この愚か者ッ!」
「この鈍感クソ兄貴ッ!」
もはや言い訳すら許されぬ状況。一ミリとて動くことを許されないまま、冷や汗を掻く。
「アンタの事情でスズカを誘って、それでスズカが断るなら分かる。でもスズカから誘ったってことは、大方アンタが無理していたからせめて息抜きできたらと思ってのことでしょう! その気持ちを無駄にするなんて……‼」
「て、手厳しいな……」
「当然よ、友達だもの! スズカには私から言っておくから今日の六時! 行きなさい! 行かなかったら喰うわよ!」
「行かなかったらアタシがスズカを奪っちまうからな!」
「あ、ああ。分かった……分かったよ……」