『勇気の剣/First sword Victoria Ace』
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「な――、んだ――――⁉」
『心無き者』――それはカードを失い起源を奪われたエルネストの成れの果て。
ソレが己の命を刈り取る直前、『K』は静かに呟いた。
「チェンジ――」
ソレを真正面から受け止めた『K』は、『箱庭』の壁に途轍もない威力と速度で叩きつけられる。
『箱庭』の壁に大きく穴を開けた衝撃。土煙の中から姿を現したのは、全身から黒いオーラのようなものを放つ――到底、人の形をしていたものとは思えない存在。
「あれが、レイ、なの……?」
化け物だ――もし悪魔というものが現実に存在するなら、きっとあれこそ相応しい姿だろう。
アリサは震えた。感情を制限され恐怖さえまともに感じないというのに、恐怖がどんなものであるか鮮明に思い出せないはずなのに、本能が警告している。
一刻も早くこの場から逃げろ、と。けれどダメだ、動けない。――刹那、目が合ったのだ。
その一瞥でアリサは四肢をもがれた。
それが錯覚だったことに気付いたのは『心無き者』の意識が完全に『K』へ戻ってからのことだった。
『K』は『心無き者』の突撃を受けながらに生きていた。虚無の根源に勝るとも劣らない――異形の鎧を纏った『K』。その表情は鎧に隠れて見えないが、それでも先ほどより、明らかに戦意を失っていることが伝わってくる。
「そんな……ならば私は……私は、今まで…………なに、を」
取り乱す『K』の声は、ヴォイドとアリサには届かない。しかし『心無き者』は別だ。その声を聞きつけ、再び活動を再開した。『K』を――生命を、蹂躙するために。
失意と慟哭、狂気と混乱は交わり、状況は混沌極まる。
『K』を攻撃する『心無き者』の一撃一撃の余波――それから伝わってくる何かが、幾度となくアリサの息の根を止めようとする。
「……っ、アリサ、気をしっかり持て。安心しろ、お前はオレが守る」
ヴォイドはすぐにアリサの体を抱きしめて、優しく頭を撫でる。
そうしてアリサの呼吸が徐々に整っていくのを見届けたヴォイドは、心底悔しそうに下唇を噛んで言った。
「……一刻も早く、エリーとクロエ、そしてあの男を完全に殺す。『心無き者』に堕ちる前に」
幸いにもレイ――否、レイ・アダム・エルネストの成れの果ては『K』が引き付けている。
もうこの場は『K』と戦っている場合ではない。これ以上『心無き者』を増やさないことが、この場にいるアリサとヴォイドの使命なのだ。
アレをこの箱庭の外へ解き放ってしまえば――きっと世界は終わってしまうから。
――だというのに。
「……ダメ、体が動かないの……ッ」
アリサの悲鳴にも似た声。今になって事実が追いついてきたのだ。友人の死――生命の循環を超えた虚無の存在への反転。
理屈では分かってる。三人はもうカードを奪われた。けれど僅かでも息がある限り、『心無き者』として周囲の殲滅を続けることになる。
ここで止めなかったらもっと大勢の人が死ぬ。それでもアリサは動けない。
(だってできるわけない。止めを刺すなんて。殺すなんて――)
ヴォイドはそんなアリサを責めることなく、一番近くに倒れていたクロエの心臓に、白銀の刃を突き立てた。
「――――」
残された災厄の因子はエリー・イヴ・エルネストと、そこで――アリサは気が付いた。この箱庭で一番の友人として接してきた彼女の姿を確認しようとして気が付いてしまった。
「エリーがいない」
刹那――、
「がァッ――――⁉ ッ……逃げろ、アリサ……‼」
ヴォイドの声が届くより先に、アリサは空を見上げていた。何かが目にも留まらぬ速さで降りてきて、アリサを覆う。
――その姿は鮮血に濡れていた。それが何の血であるかは、近くで何かが落ちる音が聞こえてから把握した。視界の端に映ったそれはヴォイドの左腕だった。首元には剣だったはずの鋭利な何かが在った。
――そうだ。『心無き者』に堕ちたのだエリーは、ヴォイドの左腕を斬り落とし、その血を全身に浴びながら、アリサに覆いかぶさる。
「――――」
その時のアリサの感情は、恐怖や拒絶といったものではなかった。ただ冷静に。眼前の存在を理解しなくてはならない――そんな使命感に近い不思議な気持ちを抱いていた。
一つ意識がズレれば、体は油断すれば脱兎のごとく逃げ出しそうなほど震え、血の気は引いて自分が生きているのか死んでいるのかも分からなくなり、『心無き者』と呼ばれるものを――一つの生命として同じ世界に立つべきではないとさえ思うことだろう。
けれどその心の更に奥から湧き上がるような何か――おそらくはアリサの起源が、『心無き者』という存在を、真正面から受け止めるべきだと直感したのだ。
「――――」
一秒が永遠に。次の瞬間なんて来ないと思った。だがいつまで経っても死がアリサに訪れることはなかった。
そっと、何かが頬を伝う。
最初は自分かヴォイドの血液かと思ったが、それは『心無き者』の目だと思われる部分から流れた、雫だった。
――線を超えたら、私はきっと友達の貴女でさえ。
かつての友の言葉が想起される。
「……エリー……‼」
――どうしたら私は、変われたのかな。
そう、エリーが言った気がした。
直後、ヴォイドがエリー――『心無き者』に全身全霊を込めた回し蹴りを放つ。それにより『心無き者』とアリサの間に距離ができ、その距離を更に稼ごうと、ヴォイドは止めどなく攻撃を繰り出し続ける。
「……変わったよ」
アリサは静かに呟いた。
(私を殺せたのに、殺さなかった。エリーがそうしたくないと思ったからだよ。私はそう信じたい。頬を流れたあの雫が、エリーの中で何かが変わった証だと信じたい)
そして己を奮い立たせるように、その事実を高らかにアリサは叫ぶ。
「……変われたんだよ、エリー!」
光が灯る。
――心の奥が、温かい。
――今の私ならやれる。
――そうだ、私は死ねない。
――また黒乃と一緒に、『普通』に戻りたいんだ。
だからお願い。そのための勇気を――、
「私に、大切な友達を救う力を――――‼」
『一番目の剣』は何よりも気高く――煌めく。
純白の刀身に柄を通して五指から手首へと巻き付く鮮やかな赤い布。人を殺める剣とは到底思えない、戦場に咲く一輪の花――象徴であり神聖視される軍旗のようなその剣を、アリサは正面に構えた。
「これが、私からの弔い‼」
思いのまま、いやそれ以上に手足が動く。手元に巻き付いた赤い布が線を描き、それは瞬く間にヴォイドと相対している『心無き者』に届く。
「――――」
――完璧なる一線。恐れを勇気で、想いでねじ伏せ、アリサは一つの存在を葬った。『ヴィクトリア・エース』を地面に突き立て、アリサは目を瞑る。それはアリサが友達への黙祷。
――しかし、状況はそれを許さない。
「ッ――アリサ、後ろだ‼」
『一番目の剣』を再び構え直し、振り返るまでの一秒で、アリサの体は先ほどの『K』と同じように『箱庭』の壁に叩きつけられた。
「ぐ……ぁ――ッ⁉」
新手の『心無き者』。それは『K』と共に行動していた、『K』に利用されたエルネストだったもの。
それだけではない。いつの間にか『K』の姿が消えている。それによって更にもう一体の『心無き者』がアリサに向かう。
距離にして残り五十メートル。しかし、その間にはヴォイドが入った。
「……使うしか……ないかっ……――ここで――ッ⁉」
刹那、『心無き者』の一撃を必死に受け止め続けているアリサの真横に、剣が突き刺さる。それはヴォイドが投擲した、白銀の剣。
けれどヴォイドの手には未だなお、剣が握られていた。同じ造形の――二本目の剣。
「アリサ! それを掴め‼」
「ぐぐッ――う、――あ―――ッ」
『心無き者』の一撃は重い。それでもアリサは必死にそれを受け止め、とにかく隙を作るために力を振り絞る。
「――急げ、アリサ!」
ヴォイドが『心無き者』と接敵する。絶体絶命。このままでは一分と経たずにアリサとヴォイドはその四肢を引き千切られ、魂は蹂躙される。
「ッ――ァあああああああ――ッ‼」
そんなことには絶対にさせない。ただ生きて、もう一度、必ず想い人との再会を果たす。その一心で、アリサは手を伸ばし――そして、掴んだ。
その瞬間、脳内に声が流れた。
『『十一番目の剣』――承認要求。受諾完了。『開錠』スタンバイ、カウントダウン開始――残り七八六〇五八時間』
抑揚のない機械的な声。それを上書きする、落ち着いた優しい声音。
「――借りるぞ、アリサ」
その声は、耳元で聞こえた。
アリサの手が握っていたはずの剣は、いつの間にかヴォイドの手にあった。いやそれ以前に、五十メートル離れた場所にいたヴォイドが、どうして次の瞬間には自分の隣にいたのか――アリサがそう思考する束の間、『心無き者』の首が落とされた。
それを目視で確認できた次の瞬間には、残り一体となった『心無き者』も行動不能になっていた。あまりにも一瞬の出来事に、アリサは呆然とする。
『カウントストップ――残り七七三〇五時間』
再び、脳内に声が響いた。無感情で合成されたような音声。ふと、ヴォイドの手を離れた剣の一振りが『一番目の剣』と共にアリサの内側へ溶けていく。
「『十一番目の剣』の能力はオレが認めた誰かに承認してもらわなければ発動しない。承認されればオレは、本来人間が持つ潜在能力をリミッター無しで使えるようになる。ただしその反動、責任というべきものが課せられて――」
そこまで言ったところでヴォイドはアリサの気持ちを察した。突如として訪れた友人との別れ、戦いの終わり――未だ続く『起源選定』。それらがまだ、アリサの現実に追いついていないのだろう。
「――いや、今はまだ、いい」
そうして少しの間、二人は無言のまま、その場に立ち尽くしていた。庭園や噴水は荒らされ、破壊され、見るも無残な姿となった『箱庭』。それらをゆっくり一つずつ視界に納めてから、アリサは静かに呟く。
「……ねえ兄さん」
「なんだ」
「どうして、『カード』を持っているの?」
抑揚のない声。その姿は、『彼女』と重なる――そうヴォイドは思った。
「過去に、オレはフィーネさんから『エルネストの血』を、そしてお前の父親から『Ⅺ』のカードを託された。それがオレを――エルネストにした」
長い白髪に隠れて、アリサの顔は見えない。その心中は、傍目から見ていても、とても複雑なモノであることが分かる。人間と同じような感情があれば、の話だが。
「ねえ、兄さん。兄さんが生きててくれたのに、喜びが分からないの。……友達が死んだのに、涙が出ないの」
どうして欲しいわけでもないのに、呼吸をするように当然と出てしまったその言葉は、悲しいほどにこの場に響いた。とても、静かに。ヴォイドは片腕で、アリサを強く抱きしめ、――けれど、自分に言い聞かせるように呟いた。
「お前はオレが守ってやる。何と引き換えにしても――必ずだ」
「これが、エルネストになるってことなのかな……、ああ……お墓……作って、ちゃんと弔ってあげなくちゃ……」
「ああ。お前が望むなら、オレも手伝うよ」