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『箱庭/Dedicated to Ernesto』

 三月四日の夜。黒乃に別れを告げたアリサ・ヴィレ・エルネストは、兄であるヴォイド・ヴィレ・エルネスト、そして母であるフィーネ・ヴィレ・エルネストと共に、車でとある場所へと向かっていた。

 長年暮らしていた桐木町(きりぎちょう)を離れることは、アリサにとって少なからずの抵抗のあることではあったが、しかしアリサは黒乃を巻き込みたくなかった。その想いが背を押した。


「――もうすぐ着くぞ、アリサ」


 もう二時間以上も運転を続けているオレンジ髪の男。彼はアリサの兄、ヴォイド。身長一八〇センチ、その体つきは一目で鍛え上げられていると理解できるほど逞しい。大柄の男。

 バックミラーに時折反射して見えるその顔は、彫が深く、エメラルド色の瞳はまるで水晶のように綺麗だ。


「……うん。兄さん」


 緩やかなカーブ。流れに身を任せたアリサは、すぐ隣に座っていた白髪紫眼の女――母であるフィーネと肩が当たる。フィーネは娘の体をゆっくりと抱きしめ、目を瞑った。アリサの不安を拭い去るように。

 そうして山道に入り十分もすると、ヴォイドは車を止めた。目的地に着いたのだ。


 場所は、どこかの山の中腹あたりにある『箱庭(はこにわ)』と呼ばれる大きな館。館までの道中は舗装されているところもあればそうでないところもあり、開拓の途中で放棄されたようなアンバランスさを感じる。

 夜――明かりのない館の全貌は把握できないが、それはまるで廃墟に見える。夏になれば周辺に住んでる若者が肝試しにでも訪れそうな雰囲気だ。


「アリサ。母さんはここでお別れです。でもすぐにまた会えるわ。――必ずあなたを守ってみせますからね」


 フィーネは長い前髪をゆっくりとかき上げ、アリサの頬に優しくキスをした。ぎゅっと体を抱きしめる。その存在を確かめるように。忘れないように。


「約束だからね。必ず、帰ってきてね……!」


 その声は僅かに震えていた。それを察したフィーネは一度だけ、優しくその頭を撫でた。たった数十秒の別れの挨拶。それを終えたフィーネは、ここまで乗ってきた車を使い、山道を下って行った。

 二人でそれを見届けると、小さく足音を立てて館の正面入り口へと向かう。


「数ヶ月分の物資は備蓄されている。オレやフィーネさんが再び来るまで外出はするな」


 ヴォイドはゆっくりと扉を開ける。館内にはやはり明かりはなく、足元もおぼつかないのでアリサは携帯の微かな明かりを使い周囲を照らした。

 見ると、床一面に赤いカーペットが敷かれており、装飾は金を基調に、上を向けば大きなシャンデリアがあった。しかし手入れはされていないようで、館内は荒れている。

 ヴォイドは入ってすぐに右側の通路へ向かい、その通路の丁度中間に位置するところで立ち止まった。


 アリサが何をしているの、と尋ねるより先にヴォイドは通路の端に置かれた空の花瓶に手を入れる。

 一秒もせずに、何かのスイッチを押すような音が聞こえると、花瓶のすぐ隣の壁がスライドし地下へと続く階段が現れる。

 階段の先には明かりが見える。この先は隠し部屋のような空間になっているようだ。


「す、すごい……」


 その先は星空に照らされる退廃的な館とは打って変わり、まるで西洋のお伽噺に出てくるような場所だった。隠し部屋というより、秘密の庭園。箱庭。


 中心に備えられた噴水とそれを囲うように手入れされた花壇。さらにその先には優しい緑色をした植物のアーチがお出迎えをしてくれた。アーチを抜けた奥には、地上の館よりは小さいが、一軒家よりは大きい屋敷がぽつんと建てられている。

 空はホログラムを投影しているのか青空が広がっており、屋敷の周りには噴水と花壇とアーチを除けば一面の原っぱ。昼夜を忘れる光景だ。


「――――綺麗」


 アリサが感想を漏らす。これが『箱庭』。これから身を預け、戦いから逃れるための場所。

 屋敷へと向き直る。

 赤いレンガを全体に使い、窓は小さいものが六つで大きいものが一つ。屋根は黒い三角屋根でそれほど目立つ造りはしていない。


 ――ふと、窓と目が合った。正確には窓の向こう側でこちらを覗いていた紫色の瞳と。

 ほどなくして白髪紫眼の女が二人と男が一人、屋敷の扉を開けて姿を見せた。


 女の方は二人とも民族衣装のような服を着ており一人がロングストレート、もう一人はセミロングにウェーブをかけた髪型。

 そして男は長く伸びた髪をポニーテールにし、白いシャツに黒いサスペンダーとジーンズ、黒縁の眼鏡を掛けている。

 男の方がどこか落ち着かない様子で、ヴォイドに訊ねる。


「か、彼女が六人目ですか……?」


「そうだ。オレの妹であり、六人目のエルネスト」


 ヴォイドがそれを肯定し、アリサは右手を出して名乗った。


「アリサ・ヴィレ・エルネスト。……よろしくね。君の名前は?」


「じ、ジブンの名はレイ。レイ・アダム・エルネスト。ヴォイドさんから話は聞いているよ。……その、うん、握手だよね。い、いいよ」


 次に二人の女が並んで自己紹介をした。


「わたくしはクロエですわ。クロエ・イヴ・エルネスト。そして隣にいるのが姉の――」


「エリー・イヴ・エルネストよ。アリサ、よろしくね。気軽にエリーと呼んで」


「……うん、よろしく」


 クロエは丁寧な口調で気品のある仕草が驚くほど様になっていて、セミロングの髪型も可愛らしく決まっている。

 クロエの姉のエリーは、聞くと不思議と気分が落ち着く声音だ。歳はアリサと同い年か一つ上。クロエの姉というのもあって大人びている印象。彼女の真っすぐな髪は枝毛ひとつなく、よく手入れされている。


「自己紹介は済んだか。なら、オレもここを発つ。アリサ……少しの辛抱だ。いいな?」


 ヴォイドがアリサの頭に優しく手を置いた。


「――」


 アリサはその手を掴み、胸の前に寄せる。最愛の兄が、どうか無事でいられるようにと祈りを込めて、目を瞑るのだ。


 ――ずっと、言葉を探していた。ヴォイドを送る言葉。

 いってらっしゃい、頑張って、気を付けて、どうか無事で……どれでもありきたりで、どれも違う気がして。


「ふっ……もう行く。またな、アリサ」


 控えめな笑顔を見せたヴォイドに向けて、アリサも言った。


「……うん、またね」


 結局、特別なことは何も言えなかった。握った手をすり抜けるようにして、ヴォイドの手が遠くへ行ってしまう。

 その時のアリサはきっと寂しげな顔をしていたに違いない。何故なら、エリーがそっと肩を寄せて、励ますような笑顔を見せてくれたから。


「――大丈夫よ。あの人は強い」


 アリサはその笑顔で、ほんの少し元気づけられた。


「……じ、ジブンたちは君と同じくヴォイドさん、フィーネさんによって保護された。た……戦いを放棄したエルネストなんだ。君は『起源選定(きげんせんてい)』について、ど、どれほどの情報を持っているのかな……?」


 屋敷へ向けて歩きながら、レイはアリサへの疑問を投げかける。


「兄さんから端的に話は聞いたけど、あまり時間がなくて詳しくは……。ただはっきりしてるのは、私たち白髪紫眼の一族――エルネストによって行われている戦い、それが『起源選定』。なんだよね」


「ええ……そうよ、アリサ」


 静かに、暗闇の海へと呟くようにエリーは答えた。レイ、エリー、クロエに続きアリサは屋敷の中に入る。

 内部の家具や装飾は控えめで、地上の館が――荒んでいることを除いて――生活可能な美術品だとするならば、ここは美術や芸術という飾りを捨て去った一般的な生活空間と言える。


 入ってすぐ正面に二階への階段があり、右に向かえばリビング、左に向かえば表の花畑を見ることができるテラスへ通じているようだ。

 リビングへと向かった四人。ダイニングには隣接した大きなテーブルがあり、それを囲むように置かれた木組みの椅子に座る。


「な、ならまずは情報と認識、そ、そのすり合わせだね。……協力して、生き残るために」


 それに頷く、がしかしその前に、まず初めにアリサは自分の生い立ちを話すことにした。最初に行うべきことは互いを理解することだ。


 そして自分のことを理解してもらうには、始まりから今に至るまでを語った方が早い。

 幸い、アリサは自分のこれまでの人生が特に語るべきところのない平和なものだったことを知っている。

 そう長い話にはならないだろう。


 故に彼女――アリサ・ヴィレ・エルネストは語り部となる。

 これまで歩んできた二十年間について、今は遥か――遠く懐かしい平和な日々を思い返すように。


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