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幕間『剣崎黒乃の追憶』

 それは僕らが高校三年生の頃だった。高校最後の夏休みの最終日。

 その日、僕はアリサと一緒に海へ行った。前触れなく突然、小さな町を飛び出したのだ。


 何故夏休みの最終日にそんな話になったかと言えば、元々はあの約束。

 海のない内陸の町で育った僕とアリサはお互いに直で海を見たことがなく、そして高校一年の夏、近所の市民プールからの帰り道で今度は海に行こうと約束を交わした。

 しかし僕らの行動力はもっと別の、例えば生活のためのバイトとか、ちょっとした厄介事とか、友達とのイベントとか、とにかく他のことに使われて結局海に行けないまま二年が経過していた。


 そういうわけで、なんとなく惰性のままに今年も海に行かなかったなぁ、なんて呟いていたアリサを引っ張って僕らはこの海にやってきたんだ。もっともこんなに時間が掛かるとは思わず、来るだけで夕方になっちゃったけど。


「……本当に、来たんだね」


 夕日に染まる水平線を見て、アリサは感慨深いように呟いた。


「ごめん、こんなに時間が掛かっちゃった」


 夏の終わり。ほんの少し肌寒い風が吹くようになってきたビーチには、遠くのほうで子供たちが遊んでいるだけで、あとは誰もいない。


 初めて海を見た喜びと、夏の終わりを告げる冷たい風が妙な物悲しさを感じさせるこの状況を、アリサはのんびりと味わっていた。


 僕ももちろん同じだ。けどアリサと違う部分がひとつだけある。アリサは僕によって突然海に連れてこられたが、僕は、実のところを言えば、前々からアリサを海に連れてこようと計画していたのだ。


「ううん、ありがとね、黒乃。とっても嬉しいよ!」


「いいや、お礼を言うのは僕の方だよ。――君と出会ってから僕の日常はずっと輝いていた」


「それは、黒乃がそうしたからだよ。私は別に何もしてないって」


「いいや、君がいたからさ。……今の僕には、予感があるんだ。なんだってできる予感。それがあるのは僕の隣にアリサがいてくれたから。――だから、これはそのお礼」


 僕は手持ちのカバンから、丁寧に包装された小さな長方形の箱を取り出し、それをアリサに差し出した。しかしアリサは困ったように僕の顔をじっと見つめる。


「私に? いいのかな……だって、本当の本当に私は何もしてないんだよ」


「いいから」


 アリサは迷った。受け取るべきか、受け取らざるべきか。

 彼女はとても優しい子だから、僕にプレゼントを用意させてしまったことを申し訳なく思う反面、このプレゼントを受け取らないことは、相手の気持ちを無駄にしてしまう酷いコトだって思っていた。

 だから余計に悩んだのだ。


 いやそれだけじゃない。アリサは昔から他人の優しさにあまり触れずに生きてきた。兄であるヴォイドさんという例外はいるものの、基本的にアリサは他人と本気で向き合わずどこかで壁を作り、一定の距離を保ってきた。


 その根底には幼い頃に母親によって施設に預けられた事実があり、アリサの内側には、どんなに仲が良くなってもいつかは離れ離れになり悲しい想いをするのでは、という疑念が生まれていたのだ。


 別れがつらいから、他人と距離を作る。彼女は――優しさに怯えていた。


 でもそれは過去のアリサであって、今のアリサではない。僕が彼女と出会い変わったように、彼女もまた僕と出会い変わった。

 そうして――アリサは優しい潮風に後押しされて、僕のプレゼントを受け取ってくれた。


「……開けてもいい?」


「もちろん。きっと驚くよ」


 包装を解いて姿を現したのは、木造りのオルゴールだ。アリサが鳴らしてもいいかと視線を向けてきたので、優しく頷く。


「――この曲」


「君がよく口ずさんでる曲。すごく印象に残ってたから、それを選んだんだ。でも残念ながら曲名が分からなかったから、僕が覚えてる範囲で作ってもらったんだけど」


「……ううん。いい、いいよ、黒乃。嬉しい、最高のプレゼント! 本当にありがとう!」


 アリサの目はとても輝いていた。夕日に照らされているせいか、頬が赤く見える。オルゴールの音色はまるで線香花火のように小さな光の華を咲かせ、そして静かに儚く消えていく。

 だが、もう一度ネジを回せば再び音色の華は咲く。


「これ、一生の宝物にするね!」


「……それはそれでなんだか恥ずかしいな……ハハハ。それで?」


「ん?」


「答え合わせ。その曲の名前、なんていうの?」


「ああ、うん。この曲はね、母さんが作った曲なの。確か名前は――『ソフィ』。この曲のことは正直、あんまり覚えてないんだけどね。でも兄さんが前に言ってたんだ。この曲は、母さんが私に愛を込めて作った曲なんだって」


「『ソフィ』――うん、いい名前だ」


 ――今は懐かしき、遠い夏の日の思い出。


 沈む太陽と登る月。波の音に重ねるように奏でられたオルゴールの音色が心を優しく揺らし、包み込むような安心を与えてくれた。

 それからほどなくして僕らは電車に揺られて町に帰った。


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