『小さな胎動/She notices the contradiction』
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『月夜野館』に戻ってきた黒乃は、自身に発現した未知の力――『ヘヴンズプログラム』と呼ばれるそれを解析するために、休む間もなくルドフレアの研究室に連れ込まれた。
体に取り付けられた様々な機械。体はベッドに横になっており、絵面としては入院患者のようにも見える。
せっかく病院を抜け出したというのにこれでは、どうも浮かばれない気もする。
しかし『K』――あの仮面の男が使っていた力と同質のものを使えたという事実は、蓮たちにもそして黒乃自身にも、とても大きな衝撃を与えた。
『ヘヴンズプログラム』――謎の鎧を纏った『K』の一撃からアリサを守るため、黒乃が必死に伸ばした手。その手は光に包まれ、『K』と同じような鎧が顕現していた。
蓮はあの力を魔術とも言い難い力だと言っており、一方でエルネストが持つカードの別の姿、剣の特殊能力なのではないか、という考えもある。
黒乃に宿った数字の掛かれていない空白のカード。それが『ヘヴンズプログラム』と関係している可能性は充分にある。
「とはいえ、二十分もこうしてると飽きてくるよな……」
思考を巡らせてみたものの、疲れもあってかどうも集中しきれない。話し相手もおらず、けれど一方で眠気も覚めてしまったのでただただ退屈だ。
ルドフレアは三十分したらまた来るって言っていたが、あと十分が長く感じる。
(こうなったら一人でしりとりでもして時間を潰すか。いや、なにそれ悲し……)
りんご、と頭の中で浮かべた直後、部屋の扉が開いた。
「黒乃? フレアはいないのね」
扉から顔を覗かせたのは、ブラックスーツ姿のセラだ。声はいつもの通りだがどこか気怠そうな表情。確か別の部屋で検査を受けていたのだが、おそらくそれも終わりルドフレアの確認を待っていたのだろう。
で、待ちきれず探し始めた。
「あー、フレアなら上。あと十分くらいしたら戻ってくると思うよ」
「そう、なら待たせてもらうわ」
そう言ってセラは近くのパイプ椅子に座った。黒乃はまだセラと出会ってそれほど経っていないが、しかしその様子は普段と比べて何かが違うように思えた。
「君――何かあった?」
思いきって聞いてみる。
「え?」
「なんだか元気なさそうだから。敵に魔術を掛けられたって聞いたし……平気?」
「少なくとも、機械塗れのアンタよりは平気よ。それに私は簡単に死ねる体じゃないから」
「けど、心まで傷つかないとは限らないだろ」
黒乃の言葉にセラははっと息を呑んだ。それから少し俯いて、無防備な自分の心を守るように両腕を組む。それから少しの間を置いて、セラは話し始めた。
「……夢を、見ていたの」
その声音は何かに怯えるようにか細く、瞳は虚を見ていた。
「夢?」
「そう、昔の夢。それがあのクソガキの能力よ。『シンクロドリーム』――夢の中から相手の心に忍び込む。おかげで私は能力を封じられた。次にあったら生身でぶん殴るしかないわ」
「……物騒だね」
「ホントよ。相手のトラウマを引っ張り出して枷にする。ガキのくせに趣味の悪い魔術」
黒乃が言ったのはセラの言葉のことなのだが、指摘するつもりはなかった。
不安をねじ伏せるためにか、かなりイライラしてる様子だ。変なことは言わないでおこう。
「セラの力って、ヴァイオリンの音のこと?」
ふと『モノクローム』でのことを思い出しながら黒乃は問う。蓮がジェイルズ・ブラッドの罠によって拘束された後、黒乃はアリサのもとへ合流するため、非常階段を上った。追われていたのでエレベーターは使えなかったのだ。
その途中で何人もの黒服を相手に格闘戦をしたりと、かなりアグレッシブなことをしていたのだが、途中でまるで頭の中に直接響くようなヴァイオリンの音色が聞こえて、不思議と力が湧いてきたのだ。
音色は割とすぐに消えてしまったのだが、あれがなければアリサのもとへは辿り着けなかったかもしれない。
「……いえ、あれはスズカの力よ。スズカは『共鳴歌』という魔術で、味方に魔力を譲渡することができるの。ゲーム的表現するならバフ、ってやつよ」
「ああ、それ分かり易い。意外と詳しいんだ」
「スズカの影響よ。あの子はサブカルチャーが好きだからね。暇な時はアニメ鑑賞やゲームに付き合ったりするわ」
二人で仲良くゲームをするなんだか微笑ましい光景が浮かんで、黒乃の口元が少し緩んだ。
そういえば病院に軟禁されていた頃、主治医の神丘が持ってきたDVDにはアニメ作品もあった。今度話してみるのもいいかもしれない。
(――世界を解放する、なんて大きな役目を担っていても、セラもスズカも普通のコトをするんだよな。蓮も休日はラーメン屋を巡ると言ってたし、澪も絵を描くって言ってた。フレアも研究所に籠りながら趣味でガジェット作りをしているみたいだし。みんな、どっかクールだと思っていたけど、よく見ると普通の人なんだ。……僕と変わらない、普通の……)
出会って二日。少しずつ彼らの人となりが見えて気がして、黒乃はどこか嬉しそうに笑った。
「ところで、アンタはどうしてここに? 一応経歴は見させて貰ったけど、直接聞かせてくれる?」
「それは――」
どこから説明したものかと一瞬戸惑ったが、黒乃はここにいる経緯を話し始めた。
黒乃自身分からないことだらけで、不明瞭な点が多い。なので話はどこか要領を得ないものになってしまったが、それでもセラはしっかり聞いてくれた。
「『ブランクカード』に『ヘヴンズプログラム』――『K』と同じ力、ねえ。私が言うのもなんだけど、アンタも結構大変なのね」
「まあね。でも辛くはないよ。記憶を失って、居場所を見失って、アリサを守るためにここまで来て。でも何ていうか、ちゃんと生きてるって感じがする」
あのまま病院の個室に軟禁されて、窓の外の世界に憧れ続けるよりはよっぽどいいと思えた。
「そういうポジティブさ、嫌いじゃないわ。でも――それはスズカの前では言わないほうがいい」
「それはどうして?」
「スズカも記憶を失って、居場所を失って、ここまで来た。でも今のあの子にある感情は、きっとアンタのほど明るいものじゃない。今の人格が生まれて二年、記憶を取り戻そうと戦ってきたけどね、時間が掛かりすぎているのよ。もし仮に記憶を取り戻せたとしても、今の人格と過去の人格がどう干渉しあうのかなんて考えたくない。でもきっと、あの子はずっと考えているはずだわ」
言葉に詰まる。そうだ。記憶を失い、取り戻すために、守るために戦っているという点で、黒乃とスズカはよく似ている。だからこそ思うこともあるはずだ。
「……気を付けるよ。教えてくれてありがとう。セラもスズカのこと、大切に想ってるんだね」
「友達だから当然よ」
セラはここへ来て初めて、僅かばかりではあるが笑顔を見せてくれた。
セラ・スターダスト――声音も口調も冷たい感じではあるが、その本質は仲間想いの温かい子だ。
ほどなくしてやってきたルドフレアによって二人は自室に戻ることを許可され、黒乃はそのまま二階へ、セラはお腹が空いたとかでコンビニへ向かった。
「――――」
部屋に戻る途中、ヴォイドに会った。アリサの母親であるフィーネという人の存在は聞いていたが、どうも彼女をいろいろ案内したあとのようで、少しだけ立ち話。黒乃自身の体調のことを聞かれたが特に問題はないと答えた。
対して黒乃はアリサのことを尋ねる。怪我を負った様子はなかったが、なんとなく心配だったのだ。
するとヴォイドは、アリサが館に戻ってからずっと部屋に籠っていることを教えてくれた。心配なら部屋に行ってみるといい、とも。
と、そのような経緯で黒乃は今、アリサの部屋の前に来ていた。
(……怪我は大丈夫? 体調はどうかな? 起こしたらごめん。うーん……どれも違う気がする)
どうやって話かけようか悩むこと五分。黒乃はノックすることなく扉の前に立ちつくしていた。
昨日も一昨日もあまり話せなかったし、反応はやはり冷たいし、『モノクローム』で彼女を抱いて飛び降りたあとも、無事かと聞いても顔を赤くするだけで無視されたし。
(もしかして僕って、嫌われてるのかなぁ……)
そう思い始めると、今はどう話しかけてもなんか違う気がしてきた。
こうなったら大人しく部屋に戻って、明日姿を見せてくれた時に話そう。と、少しチキンな結論に達したところで――扉の向こうから小さく声が聞こえてきた。
「……何か用?」
扉越しの声に驚いて背筋が凍る。
「いや、その……ちょっと顔を見たくてさ」
少し慌てた感じに言うと、なんと意外なことに扉が開いた。ゆっくりと扉の影から姿を見せるアリサ。流石にドレスは着替えてしまったようで、適当な部屋着を着ていた。
「……どうして分かったの?」
この扉には覗き穴はない。なので外に出ようとして五分以上も立ち尽くしていた黒乃の存在を知ったというわけでもないだろう。物音もこの広い通路に掛かればどこかに吸い込まれてしまうし、謎だ。
「……エルネストは他のエルネストの位置をなんとなく理解できる」
目線を合わせず、小さな声でそう言うアリサ。
「そ、そうなんだ。や、でも僕はエルネストじゃあないけど――まあいいや。元気そうなら良かった。邪魔してごめんね、もう行くよ。おやすみ」
矢継ぎ早に切り上げて今度こそ、踵を返す。我ながら怖気づいてしまった。今はうまく話せる自信がない。
とにかく部屋に戻ろうとする。――が、その足は再び止まることになった。
「……待って。一つ、訊きたい」
いつも無気力に紡がれる彼女の言葉にしては、それは珍しく力の籠ったものだった。
「なに?」
刹那――アリサは黒乃の右手を掴んで、そのまま自分の胸に持っていく。当然、アリサの胸に触れた黒乃はその柔らかい感触を堪能、するよりも先に混乱が押し寄せる。
「な、なににょ⁉」
驚きのあまりちょっと噛んだ黒乃だったが、しかしアリサの表情は変わらない。感情を殺したような冷たい目。黒乃の右手を掴む手には結構な力が入れられ、簡単には引き剥がせそうもない。
「……どう、思う?」
冷や汗が流れる。こんなところを誰かに見られたら、という気持ちもあるが、それ以上に心配なのはアリサの心境だ。
どうしてこんなことをするのか、皆目見当もつかない。
いや、一つ。アリサは今日、命を危険を感じた。それは例えば速度を出した車とすれ違ったとか、高い場所で転んで落下しかけたとか、そういうものじゃない。
『K』――あの仮面の男から殺意を向けられ、殺されかけたのだ。
事故じゃなく、故意の殺意――。そしてそういう危機感は、場合によっては生存本能を刺激することもある。
つまり、死にかけた経験が生きたい、子孫を残したいという気持ちに直結して、そういう気持ちになることもある――と、映画で見たことがある。
「……私の体に、欲情、する?」
もしかしたらアリサは、そういうことを望んでいるのかもしれない。少なくともこの状況から黒乃はそう推察した。正直混乱しすぎて全く見当違いな考えかもしれないが、頭が働かない以上もうそれしか考えらない。
「……どうなの。無理やりシタイと、思うの?」
答えを急くアリサ。
だとすれば――黒乃の答えは決まっている。
「――思うわけないだろ。君は綺麗で素敵だと思う、だから卑怯なことなんてしたくない」
もし、一時の感情でそういうことを求めるのだとすれば、それは間違いだ。少なくとも黒乃はそう思った。
もしかしたら黒乃は今、手っ取り早くアリサの心の隙間を埋めることができるのかもしれない。でもそんなのいつか絶対に後悔する。
だからそんなことをしてはいけない。
アリサは真剣に答えた黒乃の目を見つめて、そのまま数秒、ゆっくりと握った手を離した。
「……そう。その、ありがと」
「え?」
「……あの時、助けてくれてありがとね。それじゃ」
ありがとう――そう告げた彼女の表情は、淡い桃色に染まっていた。
それを誤魔化すように白い髪を揺らしてアリサは部屋に戻る。
一方で黒乃はと言えば、脳内で何度も何度も先ほどの『ありがと』をリピートしていた。
「……や、やばい。嬉しすぎて心臓が止まりそうだ……」
はしゃぐ心を胸に、スキップしながら自室へ戻る黒乃だった。