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幕間『母と娘/Someday reach the truth』

 通路に出ると少し肌寒く、フィーネ・ヴィレ・エルネストは持っていた空色のロングコートを着直した。

 行き先はアリサの部屋。場所は知らないが判る。覚醒したエルネストは他のエルネストの位置を感知できる。それはまあ精神状態や相手との距離に応じて精度が変わるのだが、同じ館内にいるのなら部屋まで特定できる。


「――――」


 厚底のブーツが鈍い足音を立てる。音はどこかに吸い込まれるように消えていき、ここでは自分の呼吸音、鼓動の音まで耳をすませば聞こえるようだった。

 まるで自分を試すような館――『月夜野館(つきよのかん)』。フィーネの娘であるアリサは今、ここでお世話になっている。

 これまで別行動をしていた彼女だったが、大体の事情はヴォイドを通じて把握している。未来からの来訪者。『モノクローム会合』。そして仮面の男――『K』の存在。


 おそらく、フィーネやヴォイドが秘めた事実をすべて曝け出せば、この複雑な状況も少しは好転するだろう。


 だが――彼らが信頼できる存在か見極めるにはもう少し時間が必要で、そして何より、このままではあの子が守ろうと遠ざけたものが巻き込まれてしまう。

 フィーネは胸に手を当て、自身の内側にある『(クイーン)』のカードを感じる。『(クイーン)』に込められた起源は『慈愛』。他者に対する愛情の気持ち。

 

 二階の角部屋に辿り着くと、フィーネは扉をノックする。返事はなかったがアリサもフィーネの存在を感知しているはずだ。フィーネは扉を開けた。

 部屋の中に入る。カーテンが閉められ、明かりもない。


 ――アリサはベッドの上に横になっていた。潜入に使用したドレス姿のまま着替えることなく、胎児のような体勢。ちらりと、視線が向けられた。眠っていたわけではない。ただ、静寂の中で虚無を見ていたのだろう。


「……何?」


 気怠い声だ。


「ヴォイドくんから聞いたの。あなたが私を呼んでいるって」


「……呼んでないから」


 フィーネは扉を閉めて、指を鳴らす。すると空中に、蝋燭に灯った炎のように小さくて暖かい光が出現する。なんてことのない魔術だ。

 きっと今のアリサには部屋全体を照らす眩しい光よりも、闇の中で微かに揺れる炎の方が心地良いだろう。


「ええ、知っています。ちょっと口を滑らせてしまったんです。ヴォイドくんとしてもやっぱり、まだ話すわけにはいかないでしょうから……」


 フィーネはコートを脱いで、ゆっくりとアリサの隣に横になる。アリサはただ、揺れる炎を見ていた。虚ろな目で。光を失くしたその瞳で。

 弛緩した彼女の体を、フィーネは優しく抱きしめる。

 人を癒すのに必要なものは時と場合による。時には優しい言葉。時には優しい行動。


「聞きました。あの仮面の男と戦ったそうですね。怪我をしなくて良かった」


 そっと頭を撫でてやる。アリサは僅かに抵抗するような素振りを見せたが、すぐに諦めて受け入れた。フィーネにとってはそれがどこか悲しく思える。おかしな話だ。自分には『慈愛』しかない。ただ他人を無限の愛で包み込むことしかできないのだ。

 

「……期待外れだった」


 小さく重い言葉。


「薬の方は飲んでいますか?」


「……別に」


「駄目ですよ。それと、食事もきちんと摂らないと」


 ゆっくりとアリサは目蓋を閉じた。フィーネに頭を撫でられたのが気持ちよかったのか、それともようやく張り詰めた糸が緩んだのか。


「……母親みたいなこと言うのね」


「ええ――母親です。よく、頑張りましたね。疲れたでしょう? 今日はもうお休みなさい」


「…………」


 アリサの呼吸は徐々に規則的で安らかなものに変わっていく。

 時刻は日付が変わろうとする頃合い。柔らかい温もり、意識が溶けてゆく感覚。手足の力は徐々に抜けていき、力を抜いて初めて眉間に力を入れていたことに気づく。閉じた目蓋はどうあっても開かない。それでも暗闇の中で揺れる炎が熱を届かせ――――泣き声が聞こえた。


 アリサは奥歯を噛み締める。強く。忘れかけていた痛みを取り戻すように強く。


「……着替えるわ。もう、出ていって」


 一連の様子を見ていたフィーネは最後にもう一度だけアリサの頭を優しく撫でて、ベッドから出た。

 以降の会話はない。今のアリサには言葉も行動も届かない。そう判断し、フィーネはコートを携えて扉を開ける。


「私が必要な時はいつでも呼んでください。それじゃあね、アリサ」


 そう言って、フィーネは部屋を去った。

 

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