『舞い降りた白羽根/Charity that kills good and evil』
★
「グ――――ヵ?」
背後から響くその異質な声が、鼓膜を震わせる。
蓮の移動速度は残像を残す。一瞬で背後を取った『K』の更に背後を取り、白刀『刹那』を全力で振るう。それを同じように更なる加速で攻撃を避けた『K』は一度距離を置き、一拍置いてから弧線を描いて正面から向かってくる。
(よし――ひとまず『K』の意識がこちらに向いた!)
「――――ッ‼」
蓮は圧倒的な力に正面から向かい、黒刀『夜束』を一度鞘に納め、居合切りを放つ。
向かってくる『K』の拳は『刹那』で受け流し、続いて倒壊寸前の床をこれでもかというほどに踏みしめ、加速して二刀での連撃に繋げる。
二刀流の強みは、隙を与えずに攻撃ができる点だ。仮にその攻撃を崩されても、防御の手さえ通常の倍。例え相手が徒手空拳だとしても、手数の多さは絶対的な優位になる。
「ガ――ァア――――‼」
『K』は拳を使った単調な攻撃から切り替え、掌底を繰り出した。
「ッ……ぐ……⁉」
一歩動くごとに痛みが奔る。刀を振るうごとに骨が軋む。脳裏には自身を模した人体模型図が描かれ、肋骨や腕の骨に亀裂が入っているイメージが浮かんだ。
鎧を纏った『K』の攻撃の重さは尋常ではない。受け止めることは考えず、避けられない場合は必ず受け流す。
「――そこッ!」
『夜束』で頸動脈を狙った突きを放つ。『K』は蓮の声に反応して咄嗟に切っ先を両腕でガードする体勢に入る。しかしそれはフェイク。『刹那』でがら空きになった腹部を一閃。
「――まだだ!」
体をバネのように捻り繰り出す渾身の回し蹴り。強化された脚力が『K』の体の芯を捉え、勢いよく吹き飛ばす。しかし束の間、叩きつけられるはずの壁を足場に『K』は何よりも速く向かってきた。
蓮はそれを真正面から受け止める。受け止めてしまう。
「ッぐゥ――――ぁぁあああああ‼」
両腕の骨が折れるギリギリのところで体勢を変え、二刀で限界まで衝撃を受け流し、再び回し蹴りで『K』を吹き飛ばす。今度は蓮の番だ。精一杯の踏み込みで体を加速させ、居合切りの準備動作に入る。
『刹那』の真白の柄をしかと握り、そして放つ一刀。それを『K』は意地か、それとも何か策があるのか、やはり真正面から受けようとした。
――その瞬間。
「――――そこまでッ!」
全身を纏う魔力が蒸発したように一瞬にして消えてなくなった。
――透き通る、まるで騎士のような気高さを秘めた声だった。どこからともなく出現した白い羽根が舞い散る。どういうわけか蓮の魔術は完全に解除され、『K』もその鎧を解いた。
声の聞こえた方向に顔を向けると、そこには女がいた。
――白髪紫眼の、女。長い髪を動きやすいように一房にまとめ、空色のロングコートと鼠色のマフラーに黒いパンツ、厚底のブーツ、そしてその顔はどこかアリサの面影を感じる。
「……『K』!」
機械的で無機質な声は、開かれたエレベーターから聞こえた。エレベーターを降りて『K』へと駆け寄る白いスーツを着た黒髪の女。エルネストの方もだが記憶にない。少なくとも黒髪の方は『K』の仲間なのだろうが。
「……何だ、何が起こっている……?」
不意に全身の力が抜け、蓮は膝から崩れ落ちる。魔術の反動だ。
一方で『K』もどこか放心気味というか、現状を把握しきれていない様子だった。
「ジョイ……、また君の世話になった、のか?」
戦闘が始まる前の落ち着きを取り戻した『K』。彼は顔に着けた仮面を片手で抑えながら、何度か緩慢な呼吸を繰り返す。
「ノット、ワタシは何も。けれどプログラムが沈静化したのは事実です。おそらくは……」
黒髪の女が白髪紫眼の女に視線を投げる。
(なんだ、何の話をしている)
沈静化――錯乱、逆上、激高――紅い光が灯った『K』の状態は明らかに普通ではなかった。ある種の暴走状態にあった、ということだろうか。
「下がりなさい、ジョイ。――この白い羽根、十二番目である『ミゼリコル・トゥエ・レーヌ』ですね。直接は初めまして、フィーネ・ヴィレ・エルネスト――やはり『Ⅻ』の所持者は貴女でしたか」
フィーネ・ヴィレ・エルネストと呼ばれた女はゆっくり、蓮と『K』の間に入る。
「貴方の目的は何ですか? エルネストは戦うべきではない。このままでは私たちは滅びの道を辿ることになるのです。それは貴方もよく理解しているはずでは?」
「創造の前には破壊が必要なのですよ、クイーン。無事――今回の目的は達した。今宵はこれにて失礼致しましょう。次は貴女のカードを頂きますよ。では、さらば」
『K』は指を鳴らし、黒い炎にその身を包んで姿を消した。一方で蓮は魔術の反動で立ち上がることもできず、今にも落ちてきそうな天井を見上げていた。
不意に、オレンジ色の髪が視界の隅に映りこむ。
「……無事か?」
「……ヴォイド・ヴィレ・エルネスト。彼女は何者だ」
いつの間にかこの場に現れたヴォイドに肩を貸してもらい立ち上がった蓮は、フィーネ・ヴィレ・エルネストと呼ばれた女と向かい合う。
(アリサと同じ髪と眼、顔もどこか面影がある。随分若いな、姉妹だろうか……)
「彼女はアリサの母親だ。とにかく撤退するぞ。随分と騒ぎになっている」
「……あ、あぁ……? いや待ってくれ。式典の客はどうなっている……?」
「無事だ。彼女が結界を張ってくれた。そう心配するな、後始末は『組織』の仕事だ」
それもそうか、と納得し歩き始めた直後に端末に着信が入った。『K』が去ったことで通信障害もなくなったのか。念のため通話の暗号化をした後、応答する。
『あっ、蓮くん! 無事ですか⁉』
「スズカか、なんとか無事だ。今からヴォイドと共に下へ向かう。そっちは?」
『ヴォイドさんが? ……ええ、全員揃っています。フレアくんがキャラバンの用意を』
「そうか、ならそのまま待機だ。一度、月夜野館へ戻るぞ」
了解、とスズカは通話を切った。
(勝敗で言えば、完膚なきまでに敗北させられた。先手を取れるはずの戦いで後手に回った……。『K』――ヤツは何物なんだ?)
★
『月夜野館』に戻ってきた各々は少しの休息を入れた後、黒乃、アリサ、セラを除いたメンバーでリビングに集まっていた。黒乃とセラは検査、アリサは体調が悪いとのことで部屋で休んでいる。
リビングには蓮、澪、スズカ、ルドフレア、ヴォイド――そしてフィーネという白髪紫眼の女がいた。
時刻は夜も深まった頃合い、一昨日と同じようにホワイトボードの前に立った蓮。
「では、これからできるだけ手短にこれまでの状況を整理する。まずは潜入直後からだ」
『モノクローム』――『K』はあのホテルについて『様々な思惑が絡まっている』と言っていたそうだが、まさしくその通りで、同時にいくつものことが起こっていた。なので証言を基に、できるかぎり時系列に沿って話を整理することにしたのだ。
すべての始まり――まずは『モノクローム』に潜入。
直後、黒乃が兄である惣助と接触。同時に蓮が最上階のVIPルームで死体を発見。
少しして澪とアリサが『K』と接触。
蓮がジェイルズ・ブラッドと接触し地下駐車場、そして屋上へ。同時刻、澪とアリサは『モノクローム』の三十階へ。
直後に、スズカ、セラ、ヴォイド、ルドフレアがジェイルズ、レベッカと戦闘開始。
蓮が『K』と相対、ヴォイドが離脱、澪が降下してルドフレアのところへ。
澪とルドフレアと合流。ほぼ同じくして『K』の前に黒乃が現れ、アリサと降下。
その後、蓮とヴォイドを除いた全員が『モノクローム』の正面入り口付近に集合。
そして――白い羽根の出現。『K』と戦う蓮のもとにフィーネが現れる。
これが大体の時系列だ。その中で蓮は最も不自然な箇所を指摘した。それはヴォイドの行動だ。
「何故フレアのところへ向かわなかった? フィーネ・ヴィレ・エルネストとは連絡を取っていたのか? 答えてくれ。これはお互いの信頼に関わる問題だ」
蓮は声音を重くしてヴォイドに問う。一歩間違えば、ルドフレアは死んでいたかもしれない。そして隠されていたフィーネ・ヴィレ・エルネストの存在。
「それについては当然、謝罪するよ。本当に申し訳ない、ルドフレア・ネクスト。オレのせいで場が崩れた、その責任は感じているよ」
ヴォイドは深く頭を下げた。一方でルドフレアはまあこうして生きてるし問題ない、とでも言うようにピースサインをして怒っている素振りもなかった。
「……あの場でフィーネさんの姿を見た時、オレは彼女の安全を優先するべきだと判断した。カードが奪われれば選定は加速するからな。だがフィーネさんが『モノクローム』に現れたのは完全に想定外だった。彼女は他のエルネストの捜索をしていたんだ。襲撃者にも行動を読まれないよう単独でな」
全員の視線がフィーネに向く。すると彼女は折りたたまれた空色のロングコートのポケットから一通の手紙を取り出した。封蝋を押した手紙だ。
「数日前、これを受け取りました。ヴォイドくんの言う通り、私は別行動で選定を止める手掛かりと、判明していないエルネストの所在を探っていたのですが、そのような折、宿泊していたホテルにこれが」
フィーネは便せんを取り出しそれをテーブルの上に出した。
書かれた文章はこうだ。
『モノクロームにてアリサ・ヴィレ・エルネストとお待ちしております。十三番目の剣より』
十三番目――『K』の持っていたカードは『ⅩⅢ』。間違いなくこれはあの仮面の男が差し出したものだろう。
「つまり『K』は、アリサを人質として母親である貴女を誘き寄せた……」
「だからと言って剣を使うのは早計だった……ッ」
ヴォイドは声を荒げることはしないが、それでもフィーネの行動を非難していた。いや、使わせてしまった自分に苛立ちを隠せていないのかもしれない。
それほどまでにあの時、あの瞬間にフィーネが剣を使った事実は大きい。
「……『十二番目の剣』の能力は『発動から二十四時間の間、すべての武装、魔術を強制的に停止、解除させ戦闘行為を終了させる』でしたね?」
「ええ、ですが『十二番目の剣』の能力は所持者につき一度しか使うことができません。今回の戦いで私はこれ以上、力を使うことはできないでしょう。おそらくはそれこそが『K』――彼の狙いでもあった」
蓮は、この時代に来て初めてヴォイド、アリサと接触した時のことを思い出す。エルネストの持つカードには別の側面、つまり剣としての姿があり、剣にはそれぞれ特殊能力があると聞いた。
「エルネストはカードに対応した剣を所持する――確か以前、アリサの剣の能力は条件付きの『瞬間移動』、だったと聞いたが、他の剣の能力は判るか?」
蓮の問いに、フィーネが首を振る。その後に言葉は続かないので、質問を変える。
「一つ訊きたい、ヴォイド。『K』はアリサを襲撃したエルネストと同一人物だったか?」
「……いや、別人だ。フィーネさんの剣を使わせるためにこんな舞台を仕組むようなヤツには、到底見えないエルネストだった」
「だが、俺たちが『モノクローム』に目を付けたのは、そのエルネストが町中で魔術を使うという暴挙に出たからだ。『K』とそのエルネストは何らかの契約、共闘関係にあるのかもしれない」
それはおそらく、蓮とヴォイドが結んだ『契約』とは全くの別物だろう。
ヴォイドたちは『起源選定』を違う形で終わらせるために契約を結んだが、対して『K』はフィーネの剣を使わせた時点で、カードを奪うことを前提に動いている。
つまりいくら『K』と共闘関係を結ぼうと、一人しか生き残れないルールに従うようでは、その先にメリットがない。
「メリットがなければ、一方的に脅されている、か……それともヤツの剣の能力という可能性もあるな。だとすればあの鎧は……いずれにしても『K』は危険人物だな。フレア、『ダーカー』の件は?」
「部品をいくつか取ってきたから、裏で解析中。でも間違いなくプロトタイプだよ」
「そうか。……次にレベッカという少女の能力だ。セラから聞く限りは精神に干渉するタイプの魔術らしいが、能力が封じられたらしい。何かしらの条件があると思われるが、もし次に戦う場合は注意したほうがいい」
「容体は診療中ねー、ま、身体的異常は見たところないけどね」
「次は黒乃に発現した能力だ。名称はおそらくだが『ヘヴンズプログラム』。使用できたのは一瞬だったが『K』も同タイプの力を持っていた。気は進まないが、磨けば武器になるかもしれない」
「それに関しても解析中ねー」
「……ひとまず問題点はこんなところか」
全員が重い息を吐く。今回のミッションにおける目的、情報の入手は一応成功した。『K』という敵の存在が明らかになった以上、それだけで成果と言えるだろう。
だがそのせいで、余計に謎が増えたのも事実。知り得ないはずの情報を持つ『K』と、未知の力を発現させた黒乃もそうだが、何よりヴォイドとフィーネだ。
この場での言及は避けるが、明らかに何かを隠している。
(状況は芳しくないな……。とりあえず『K』を警戒しつつ、二人を監視下に、そして次にやるべきことは……)
そこまで考えて、疲れがどっと押し寄せた。その様子を見て、ふとスズカが立ち上がる。
「今日は一度お開きにしませんか? まだ疲れが残っている人もいるでしょうし。疲れていたら出る案も出ません」
全員が頷く。
「……そうだな」
結局、この場は次の日に持ち越されることになった。
各々がバラけた後、近くの椅子に座り込み、蓮は疲れ果てたように天井を仰ぐ。
「……お疲れ様です。お茶でも飲みますか?」
「あら、いいですね。私も手伝いますよ、えーと、遠静さん?」
「スズカで結構ですよ、フィーネさん。それにお手伝いの方も大丈夫です。主賓なんですし、どうぞ座っていてください」
ならお言葉に甘えて、とソファーに座り直すフィーネ。しかしスズカ自身も疲れているはずだ。どれも肌を掠る程度とはいえ、銃撃も受けている。
「俺が手伝おう」
そう言って立ち上がりかけるが、すかさずスズカが両肩に手を載せた。
「いーえ、蓮くんも休んでいてください」
言われるまま背もたれに体を預けることにした蓮は、目蓋を閉じて少しでも気を休める。こうしているだけでも休息になるのだ。
一方でスズカはリビングからキッチンへと移動し、人数分のカップとお湯の準備を始めた。
「愛情だねー」
その様子を遠めに見ていたルドフレアが呟く。
「いいお嫁さんになりそうですね、彼女。改めて、フィーネ・ヴィレ・エルネストです。エルネストはあまり老化しないので信じられないかもしれませんが、アリサの母です」
丁寧にお辞儀をしたフィーネは優しく微笑む。その姿はアリサの母親というよりは、まるで姉のように見える。
曰く、エルネストは『イノセント・エゴ』が創り出した厳密に言えば人間と似て非なる存在らしく、なのであまり老化しないという言葉も一応納得できないこともない。
「ふーん。で、アリサを放ってどこに行ってたのさ」
澪が純粋な疑問を口にする。
「おい澪、言い方に気を付けろ。妹がすまないな」
「いいえ。あの子に辛い思いをさせたのは事実ですので……」
フィーネは片腕を庇うような仕草を見せる。
「アリサが三歳になった年に私は『Ⅻ』のカードを覚醒させました。覚醒したエルネストは戦う運命にある。そしていずれ自分の娘もそうなることを直感しました」
アリサが親元を離れて施設に預けられたのが三歳の時。フィーネは、自らが狙われる立場になったことを自覚し、それでいて娘のやがて戦いに巻き込まれることを憂いた。
「だからたとえ自分から遠ざけてでも、戦いを行わないための手段や、戦いを拒絶したエルネストを保護するための施設などを探していたのです。残念ながら成果はほとんどありませんでしたが……」
大事だから遠ざけた。それも一種の愛情だとルドフレアが言うが、フィーネは優しい笑みのまま首を横に振った。結局は自分のエゴで娘を一人にしてしまったことを、その意味、重さを正しく理解しているのだろう。
ふと蓮は彼女に尋ねる。
「一つ貴女に訊きたいことがあるんだが、黒乃のブランクカードについては聞いているか? 黒乃にエルネストの血縁はない。なのにカードを持っていた。その理由に何か心当たりはないか?」
「蓮くん。今は休憩中ですよ」
人数分のカップを用意して持ってきたスズカが、蓮に注意する。
「すまない。だがどうしても訊きたい。『K』と同じように黒乃もまた俺たちにとってイレギュラーな存在だ。できる限り、あいつの情報を集めておきたい」
「いえ、お気になさらず。そうですね。正直なところを言えば、私にもそれは判りません。でも強いて言うなら――私のカードと同じものが、彼にも流れているのかもしれない」
「――フィーネさん」
不意に、ヴォイドが声を掛けた。彼は一度アリサの部屋へ行き、そしてリビングに戻ってきたのだ。
「アリサが呼んでいる。貴女に会いたいそうだ」
「……分かりました。今、行きます。すみません、少し失礼しますね」
そうして結局、その話はうやむやになった。
黒乃にはフィーネのカードと同じものが流れている――その言葉の意味を理解できたのは、もっとずっと先のことだった。