『ヘヴンズプログラム/Don't take me heaven』
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夜代蓮は撥ね上がった脚力を使い、文字通り一瞬で『K』とアリサの剣戟に割って入る。
構えた二振りの刀――黒刀『夜束』でアリサの剣を受け、白刀『刹那』で『K』の剣を受ける。
力業で二人の斬撃を跳ね返し、そのまま『K』に向けて連撃を放つが、しかし『K』はそれを余裕綽々とばかりに軽く受け流し、反撃に出る。
交錯する三本の刃。
「さすがに死線を潜り抜けてきたことはあるな、夜代蓮! だが――それもこの音色が続く間だけのこと。ふふ、ははは! そろそろフィニッシュかな――ッ?」
「ッ――お前、何者だ! 何故俺の名前を――!」
「兄妹揃って同じことを訊くじゃないか! 君たちのことはよく知っているさ。さあ、そろそろ演奏は終わるよ。そうすれば君は相方が居なければ何もできない無力な青年に戻る。ハ、ハハ、ハハハ――織を失った『夜束』が泣いているようだよ、蓮――ッ!」
「何なんだお前は――‼」
不気味な雰囲気を放つ『K』を拒絶するように、全力を込めて斬撃を放つ。それを正面から受け止めた『K』は吹き飛ばされるとまではいかないもの、僅かに蓮との距離を作った。
「――ッ」
蓮は額に滲む汗を拭い、再び二刀を構えた。『K』はその程度か、とでも言いたげに不敵に笑う。
突如、全身が重くなるのを感じた。蓮はすぐに気が付いた。――ヴァイオリンの音色が、聞こえないのだ。魔術の反動で立つことすらままならなくなり、片膝を着いてしまう。
「魔術が解けたか。だが君はよく頑張ったよ。さすがは元『到達存在』。やはり神に触れたものは違うな。君は早々に潰しておくべき存在のようだ」
刹那――大気が揺れた。眼前で発生したのは圧倒的な熱。燃え盛る業火。憎悪、嫉妬、悲哀、絶望、そのすべてを飲み込む欲望の渦。
人に宿る数多の負を一つの窯に放り込み火をくべたようなそれが『K』の全身を包み込む。
『K』は持っていた剣を消失させ、大きく指を鳴らした。
「――――チェンジ」
爆発が起きた。それは破壊の後に生まれる創造。眼前の男は一度バラバラに破壊され、そして新たに創り上げられた。その姿は黒刀『夜束』よりも黒く、禍くそれでいて、途方もなく異形。
全身はどこまでも不気味な模様が描かれた鎧を纏い、その顔はロールシャッハ・テストのように見たものの精神を試すような表情。
並の人間なら見ただけで精神を病んでしまいそうなその姿に、ひどく吐き気を覚えた。構えた刀を向け直すことさえ躊躇ってしまったのだ。
「はあぁぁぁぁ―――‼」
しかし怖れ知らずというべきか、無謀にもそれに立ち向かう姿があった。禍々しいと表現できる鎧とは真逆の、一切の穢れを知らないとまで思わせる真白の髪。――アリサだ。
その姿を見て、蓮は我に返った。この場はもう逃げるべきだ。
魔術とも言い難い力、知り得ないはずの情報の保持、こいつはジェイルズ・ブラッドと比べてもはるかに危険すぎる。
拘束するにしてもセラが全力を解放して――可能かどうか。アレはもう神の域だ。とにかくアリサを止めて、すぐにでも逃げる。
「ぐ……っ、反動が……!」
それを実行に移そうとしても体が動かなかった。人を超えようとした代償は想像を絶するほどに重かったのだ。蓮は歯を噛み締める。
霞む視界が捉えたのは『K』の拳。天地開闢を行うための破壊の鉄槌。業火を抱えるそれを受ければおそらく跡形も残らず消滅するだろう。そしてそのような拳を今まさに受けようとしているアリサの姿。
まさに、絶体絶命。
しかしその瞬間、蓮は考えた。エルネストは互いのカードを奪うために戦っている。だがもし、あの一撃をアリサが受ければ体どころか魂ごとカードを焼却してしまうだろう。
そうなっては『K』の目的は果たされないのではないか。ならば『K』は、アリサがあの拳を受ける前に、その体が残るよう威力を加減するのではないか。
そしてアリサもそれに気づいているのではないか。
「――――リサァァァァ‼」
しかしそんな臆病でみっともない考えの外側から、『彼』の叫ぶ声が聞こえた。
「アリサァァァァァ――――‼︎‼︎‼︎」
「く……黒乃……ッ⁉」
颯爽と現れたのは、剣崎黒乃だった。
魔術に対して何の力も持たない青年。ただアリサ・ヴィレ・エルネストを守りたいという気持ちだけでここまでやってきた彼は、何のためらいもなく一撃必殺の拳の前に立ち塞がったのだ。
そして黒乃は信じられないことに、その拳を『受け止めて』いた。
『K』と似て非なる――鎧を纏った腕で。
黒乃を中心として衝撃が波紋の如く周囲を揺らす。
「……ッ、剣崎……黒乃ォ‼」
『K』が舌打ちした。心の底から憎らしそうに黒乃の名を呼ぶのと同時に不気味な顔に紅い光が灯る。
それは、これまで余裕を見せていた『K』が初めて感情を乱した瞬間だった。
蓮が足を引きずりながら距離を詰めると、黒乃の足元に端末が落ちているのが目に入った。
アリサもそれが視界に入ったようで表示されている文字を読み上げる。
「……『ヘヴンズプログラム――ダウンロード完了』……?」
「お前が誰かは知らないが、アリサを傷つけることは許さないッ! ――これならやれる。そういう予感がある!」
黒乃は受け止めたままの『K』の拳をはじき返した。強い意志と確かな力を持って。
しかし次の瞬間、黒乃の腕を覆っていた鋼の鎧が光となり消えてしまう。
「な――どうして⁉」
困惑し立ち止まる黒乃。
「――――ァ」
戦いの場において立ち止まるということは、十中八九死を意味する。 『K』は再び拳を構え直し、蓮は咄嗟に助走をつけて黒乃を押し倒す。それにより空ぶった『K』の一撃は床を完膚なきまでに破壊した。
だが被害は最悪と想定していたほどではない。今の一撃、明らかに精密さを欠いていた。
先ほど『K』の顔、おそらく眼にあたる部分に紅の光が灯った瞬間、それまで冷静だった『K』が感情を乱したのだ。
だから直感した。注意を惹きつけた黒乃でも、アリサでもない、蓮が拳の射程外からアクションを起こせば、おそらく避けられると。
しかし、あの拳が強力な一撃だったことに変わりはない。フロアの中心はなんとか形を保っているが問題は壁際、二フロア分は崩れて落下した。おそらくここも長くは持たないだろう。
「無事か、黒乃!」
「悪い、助かった! 待って、――アリサが!」
視線を向けると、崩壊する床を転がるようにアリサが外へ放り出されようとしていた。
蓮は即座にワイヤー降下に必要な手袋と金具を黒乃に渡した。
「行けッ――黒乃‼」
「――――!」
一瞬の交錯。言葉もなしに黒乃は走り出す。
全速力で崩れ往く床を駆け抜ける黒乃は即座にアリサの体を抱え、そのまま驚くべき手際で降下準備を整えて、迷いなくワイヤーを握って飛び降りた。
――これで『モノクローム』に残っているのは蓮だけだ。脱出準備が整えば、セラやスズカが必ず合図をするはず。それが来るまでは、奥の手を使い――、
「――足止めする!」
「アァァ――――ヵ?」
纏ったコートを脱ぎ捨てる。『共鳴歌』による魔力譲渡が行われないこの状況で唯一、自身で魔力を補給することができる方法がある。
その方法とはコートに目一杯編み込まれた魔力を使用すること。しかし一度この魔力を解いたら、再び魔力を編み込むのに一年は掛かる。よって今回の戦いでこれ以上、この手札を使うことはできなくなる。
(だがしかし……大事な生命線を失ったとしても、今の『K』は絶対に止めなければならない!)
何故ならヤツの視線は真下、既に蓮を見ていない。そしてこの真下では――式典が行われている。
下の人間がこの惨状に気が付いているのか、何故『K』の様子が変わったのか、不明瞭な部分が多い。
――だが。
蓮は『夜束』の切っ先でロングコートを貫き、その魔力を刀身が受け取る。
その刀身を通じ魔力は蓮の内側にたっぷりと流れ込んでくる。それを即座に、自身に炎を灯す燃料に転換し、再びその呪文を唱えた。
「『――我、黒き刃なり』。止めるぜ――『K』‼」
「グヵ――――?」