『旋律は刻まれる/4m33s』
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――信号弾を上げてから一分経過。『モノクローム』の正面入り口から五十メートルは離れた場所で、セラとスズカの往く手を阻む二つの人影。
仲間の救援を阻む男と少女は、奏でられるヴァイオリンの音色を呑気に聴いていた。
「『起点の鎖』――『その眼を開けなさい』」
セラ・スターダストの体に閃光が奔る。刹那、今まで不可視状態だったセラを拘束する鎖が実体化し、それが千切れる音と共に瞳は光を帯びた。頭部には獣の耳が現れ、薄緑色の髪と同色の尻尾が生える。
ヴァイオリンの音色はセラの背後にいるスズカの魔術――『共鳴歌』だ。
その効果は自身の魔力を味方に魔力を譲渡し、戦力を上げる――ゲームでいうところのバフ技。
セラとスズカの前に立ち塞がる二人。
一人はライトグレーのスーツを纏う、金髪碧眼の男――ジェイルズ・ブラッド。
もう片方は、ウェーブがかかったブロンドに『狼の眼』と表現されることもある金色の眼。腰にベル型の目覚まし時計を付け、紫を基調としたゴスロリ姿の少女――レベッカ。
――二分経過。
「『次承の鎖』――『さあ、爪を振り上げて』」
再び閃光が奔り、実体化した鎖が千切れる。今度は牙と爪が具現化し、より一層、セラの姿は獣のソレに近づいていく。纏うブラックスーツがその異質さを余計に際立たせているように見える。
一方で、レベッカは長いブロンドの髪を一房に纏め、ジェイルズは手元の懐中時計を見て時間を確認した。
というのも二分前。両者が遭遇した直後、彼らは自己紹介を終えるのと同時に、三分だけ戦う準備をする猶予をくれると言ったのだ。
何かのはったりかとも思ったが、二人は現に二分間、セラの力の開放、そしてスズカの魔術の行使を見逃している。
そして時計の針は進み。
「三分経過――女性に奇襲はしないと決めているのだ。ヴォイド・ヴィレ・エルネストの離脱を認めたのはオマケさ。何ならユーたちも逃げてくれた方が有難かったのだが残念、コインの時間だ。選べ、レベッカ。表が私と気の合いそうな鎖の彼女、裏が奏者の彼女」
コインを構えたジェイルズ、その隙にセラは自らの『枷』を外す。
「『流転の鎖』――『魂に誓おう』」
冷たい春の夜風に耳と尻尾を揺らし、一度肥大化した爪と牙が小さく、けれどより鋭利になる。
獣に近づく体を無為に晒すのはセラにとってあまり気持ちのいいものではないが、しかしこの状態での攻撃であれば常人ではまず反応は不可能。
「当然、ボクは表だ。当たるといいなぁ――なんてね」
レベッカの言葉を合図にコインが宙を舞った。
『モノクローム』の放つ煌めき、夜を忘れさせる街の輝きをコインは一身に受けて、反射させる。
セラは通常の数十倍にまで上昇した身体能力を使い、目に映る景色を意図的にスローモーションにする。
コイントスの結果が出るとき、二人の意識は必ずそちらに向く。
ほんの僅かな刹那、例え須臾だとしても、今のセラの前においてはそれすら致命的だ。
コンマの世界でさえ反応する彼女だからこそ――。
(コインが落ちるのと同時に、まずはあのゴスロリを――!)
その想いを両の爪に込めて、構える。そしてコインは――表向きに落ちた。
「――――」
右手の位置をレベッカの首元にくるよう固定し、音よりも早く世界を駆け抜ける。
しかし――レベッカは真っすぐにセラを見つめていた。コインの結果など見向きもせず。まるでセラが向かってくるのを見透かしていたように、嗤っていた。
「はッ――――だと、思った‼」
有り得ない反応速度でセラの攻撃を避けてから、レベッカはそう言った。同時に耳元で指を鳴らす音がする。まさに一瞬の出来事。
「ッ――――⁉」
何故十三歳程度の少女に自分の攻撃が避けられたのか、そして何故自分の意識は今にも消えそうなのか、答えを出す暇もなくセラの体は糸の切れた人形のように倒れた。
「――強力な力を持つヤツは大抵、内側が脆かったりするんだよねぇ。そりゃ両方強い本当の強者もいるよ。そうなると成す術無し。だからボクはそういうのを前にすると冷静に逃げろ、って判断が下せるのさ。けどセラ・スターダスト、お前は違ったね。――ビンゴだ」
いつの間にか目蓋を閉じていた。宙に浮いているような気分。解放したはずの『流転の鎖』の力を一切感じない。舌に当たる歯も、牙と呼べるような代物ではない。
セラは慌てて目を開けて周囲を確認した。
「嘘」
この眼で捉える光景は到底、信じられるものではなかった。床から天井、古ぼけた家具に至るまで見覚えのあるこの日本家屋――それは焼け落ちたはずのセラの実家だった。
「『シンクロドリーム』――ボクの魔術だよ。これは夢、ボクはそれを通じてお前の脳に眠る過去を知れるってわけ。ふーん中々くらーい過去じゃん。ふふん、そう呼吸を荒くするなって。マイホームなんだしもっとリラックスしろよ」
レベッカに指摘されて過呼吸気味の荒い吐息が耳に入った。
(――落ち着け、これは私の夢。あの過去はもう存在しない。父も、母も、妹も、この家も……実際にはもう存在しない!)
しかし、どれだけそう思ってもセラの体は指先一つだって動かない。
想起するトラウマ。古傷に指を突っ込まれるような不快感。それらが瞬く間にセラの内側を包み込み支配する。
「あぁ、なるほどね。よかったじゃん。ボクを殺さなくて済んでさ。もし殺しちゃってたら戦いのない日常、遠くなっちゃうよねぇ。――お前の相棒の期待、裏切ってたよねぇ!」
「ァア――‼」
力が使えない事実を忘れ、セラはレベッカに殴りかかる。レベッカはそれを見越していたようにセラを見下すような笑みを浮かべた後、意識を奪い取った時と同じく指を鳴らした。
レベッカへの視線を遮るように、眼前に人間が現れる。
『――――』
怒りによって動いた体。この空間で体を動かせた最後のチャンスを不意にした。
『やめて――やめて――やめて――戦わないで――戦わないで』
血液が凍り付いていくその視線。その瞳に目据えられた私の耳元で声が囁かれた。それは紛れもない母の声だった。鬱陶しく残響する、耳に纏わりつくその声。
「くっ、私は……‼」
母親の影が呟くその言葉が呪いのように気味が悪く纏わりついて離れない。捨てたはずなのに、忘れたはずなのに、解き放たれたはずなのに。なんでどうして。
「チッ、鬱陶しい――――‼」
視界の端に、新たに二つの人影が見えた。考えるまでもない。セラの父と妹だ。
その姿を捉えた瞬間、セラの中で何かの鼓動が止まった。
「ァ――――」
鎖が全身を覆い、自由を奪われ、無防備に放り出されたセラ・スターダストという存在。
もはや、両目は眼前の光景を捉えていなかった。セラはこれと同じ光景を自身の内に見ていた。
「詠唱無しだから五分くらいか。さーて、目覚まし時計が鳴るまでに、自分という迷宮を攻略できるかな?」
★
一方で、ジェイルズと対峙したスズカは、早くも戦闘不能と言っていいほどに追い詰められていた。
いや、ある意味では追い詰められているのはジェイルズの方でもある。
「残弾ゼロ。そろそろ折れてくれると助かるのだがね。ユーは……ナチュラルクレイジーだったりするのかな? それともバトルジャンキーか?」
ジェイルズは弾を撃ち尽くした拳銃をホルスターにしまう。ここで使った弾数は六発。それで弾切れということはつまり、元から何発か消費されていたのだ。
VIPルームで殺人が九人、彼が使った拳銃――ベレッタの装填数は十五。九人と六発で合致する。
「――――」
「引き下がる気のない眼。どうやらユーはレベッカと相性が悪そうだ。だからこそ私が片付けなければならないのだが……やれやれ」
一発目でヴァイオリンを破壊したジェイルズは残りの五発を、スズカの戦意を削ぐために使用した。
軽傷を負わせるだけの発砲。彼は今も殺意を出していない。
(彼には私を殺すつもりがない。なら――稼げる時間はまだある)
どれほど傷付こうと、意識を失ったセラを置いて逃げるわけにはいかない。スズカはそう思い、ジェイルズを睨む。少しでも、ほんの少しでも時間を稼ぐ。それによって仲間が状況を好転させてくれると信じて。
「――ッ、あれ、は」
刹那。スズカの視界の端で、ワイヤーを使って降下してくる澪の姿が見えた。
それに加えて、更にもう一つ。ルドフレアからの二発目の信号弾が目に映る。澪もまた、スズカの姿とその信号弾を視界に納めた。
(セラがやられてる――? スズカも軽症だが『共鳴歌』はもう使えない。チッ、ヴォイドはどうした⁉ フレアの援護か⁉ なら二発目の信号弾は――――)
スズカとセラの状況を、瞬時に判断する。そして下した結論は――、
「ッ――――悪い、スズカ。『ファントムトリガー・アブソリュート』‼」
澪は人差し指で引き金を引いた。銃口から発射された魔力の光子は、やがて大気を侵食する氷の柱となる。
「む――ッ」
ジェイルズは即座にレベッカの体を確保し、数歩下がった。
氷の柱は両者を隔てるボーラーラインとなり、ひとまずスズカとセラの安全を確保する。
澪は無事着地するのと同時に、ルドフレアのもとへと走っていく。
「――すぐにフレアを連れて戻るからな!」
「はい! 頑張ってください! 澪ちゃん!」