『それぞれの宿敵/Do not climb the tower of Babel』
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最上階のVIPルームで九人の死体を発見した蓮は、扉の傍らで気絶していた『モノクローム』の支配人を任されている男の内ポケットから手帳を抜き取った。
そこには今日この場に来る予定だった人物の名前が書かれており、それをもとに死体の身元判明を行う。方法は簡単。名前をルドフレアに伝えて、ハッキングした『組織』のデータベースで照合、該当した顔写真を送ってもらう。いまいち非効率な方法だがこれが最善だ。
「こいつは該当しない。次だ」
『簡単に言わないでよねー。はい、次』
「簡単にこなしているからな。いつも助かるよ。次を頼む」
そうして一致しなかった人物が一人。ページの最後にアルファベットで『K』とだけ書かれた人物だ。
死体はすべて脳天を一発――外から狙撃された形跡はないので室内に乗り込んで拳銃で殺した、と見るのが妥当だろう。
犯人は相当な手練れだ。ここに集まった人物はどれも『組織』に反抗する組織として有名な実力者だ。
それを抵抗させることなく殺す――それでいて支配人を気絶させたことから推察するに無意味な殺しはしない主義。とんでもない奴だ。
(しかしこれを銃で、か。――身体強化、催眠、罠、織のように時間操作でもしたのか?)
相手がどのような手を使ったのかを考えながら、蓮は黒乃たちに合流するべく急いでエレベーターに乗り込み、全員に通信で報告する。
「こちら蓮、VIPルームで死体を発見した。犯人はおそらく『K』という人物、またはそれに関連した者だと思われる。その名前が唯一、死体と名簿で一致しなかった」
入れ替わるように別の通信が入る。
『改めて、友人が『ぶつかってしまい』悪かった。『黒』いスーツとはいえ、気にしないわけにはいかない。そちらのスーツも『三十階』のモールに代えがあるといいんだけどな』
澪の声だ。せっかくドレス姿だというのに、いつもの男口調とは、と呆れながら、アクセントを変えた単語のメッセージを受け取る。
敵が澪とアリサに接触した。敵は間違いなく強敵だ。急いでフォローに向かう必要がある。
「全員、離脱準備を進めてくれ。俺は澪とアリサのフォローに、――――なッ⁉」
エレベーターが一階に到着し扉が開いた瞬間だった。何かが一瞬にしてエレベーターに入り込み、蓮の片腕を強引に掴み取り背後に回った。イヤリング型通信機を取られ、踏み潰される。
「ッ⁉ ……なん……だ⁉」
反撃する隙も無かった。目の前には大量の警備員と黒服が控えている。状況を飲み込むまでの一瞬で片腕に手錠が嵌められ、もう片方の腕も同じようにされる。
――失態だ。完全に拘束された。
「――彼だよ。あとのことは頼む」
身動きを封じられた体は一番手前の黒服に預けられ、すぐに囲まれて身動きが取れなくなる。蓮は最初に飛び込んできた人物の姿を確認しようと、なんとか背後に目を向けた。
そこには記憶に新しい顔が薄い笑みを浮かべていた。ライトグレーのスーツに、磨き上げられたオックスフォードシューズ、金髪碧眼の容姿を持つ白人。昨日知り合ったその男の名前は反射的に脳裏をよぎった。
「――ジェイルズ・ブラッドッ!」
その名を叫ぶ。それに反応した黒服が蓮を大人しくさせようと腹に拳を入れる。それを見たジェイルズは片手をあげて黒服に乱暴なことはしないよう指示した。
「偶然とは恐ろしいな。また会えるとは因縁めいたものを感じる。どうやら今回私が戦うべき相手はユーのようだ。ハハ、抵抗しないでくれ。大人しくしていれば裁判官の心証も変わるだろう。それに」
ジェイルズは耳元に顔を近づけ、蓮だけに聞こえるよう――告げた。
「――私はこの場にいる誰もを、自由に殺すことができる」
「脅しのつもりか……だが、お前は不必要に人を殺すヤツではないだろう……ッ、VIPルームの人間も必要だったから殺した。違うか?」
「少しプロファイリングしただけで私という人間を理解したつもりか?」
ジェイルズは鼻を鳴らして、黒服に連れていくよう命じた。
鎌にかかったな。VIPルームで殺しをやったのは『K』ではなくこいつだ。
「シーユー、レイターアリゲーター」
ジェイルズ・ブラッド――ただ者ではないと分かっていた。例えその脅しが嘘であろうと、どちらにしても蓮がこの場で騒ぎを起こすこと、この場にいる一般人を巻き込むことはできないと理解していた。
それを計算して、罠に嵌められた。
(今は認めるしかない……俺の負けだ)
成す術なく、黒服によって地下駐車場行きのエレベーターに連れ込まれる。
だが、これで終わってたまるか。蓮は後ろのポケットに入れていたクリップを曲げ、それを手錠の鍵穴に入れる。すべて手探りだが、昔から何度もやっている手だ。
問題なく手錠は解ける。
あとはエレベーターの扉が開いたのと同時に、目の前の黒服を押し倒すようにして脱出。
「ッ――!」
即座に体勢を立て直し、次々に格闘戦を繰り広げ気絶させていく。相手は格闘術の心得があっても実際に殺し合いをした経験はない。曲がりなりにもいくつかの死線を潜り抜けてきた蓮は、難なく全員を気絶させた。
「これならまだ、昨日の連中の方が歯ごたえがあった」
後方で車の扉が開く音が聞こえ、足音が近づいてくる。赤髪を揺らし近づいてくるのはルドフレアだ。
その背には蓮が普段使う武装一式を収納したケースが背負われている。
「やられたね。でもキミのスタイルはカウンターだ。次は勝てよ」
「ああ、すまない」
フレアは背負ったケースを投げてきた。
「ミオ、アリサ、クロノはまだ『モノクローム』内。レンは当然、戻るよね? まあ正面から入るのは不可能で、そこのエレベーターは警備に連絡しないと使えない。よって内部に入るには、あの方法を使うしかないわけだけど?」
「この際仕方ない。が、俺は好き好んでやるわけではないからな。次はごめんだ」
フレアはしぶしぶ了承した蓮の顔を見て満足げに微笑み指を鳴らした。それに反応し、逃走車両に用意していたドローンが起動する。病院から脱走する時にも使ったものだ。
――『モノクローム』に潜入するための『あの』方法。
実はこの建物の西側の壁には、ほんの少しだが、人一人が入れる隙間が存在している。
それは『モノクローム』の構造上なくてはならない人間でいう背骨にあたる部分であり、要は全面ガラス張りの壁面において、唯一その柱の部分だけは内側から人目につかない場所になっているのだ。
ちなみにそれはご丁寧に屋上まで続いている。つまり黒乃の名前を使う作戦が失敗した場合の二番目の侵入方法とは。
「さて――登山の時間だよ、レン!」
蓮は特殊素材の手袋を着用し靴に強力な滑り止めを取り付ける。大きなため息も一緒に。
「本当に登るしかないのか……。それと正確には登山ではなくタワークライムだ」
「ま、なんとかなるって。今までだってそうしてきたじゃん! ほら、早く武装整えて!」
ケースから取り出した二振りの日本刀。
一つは切っ先から柄に至るまでそのすべてを黒く塗り潰された黒刀『夜束』。
一つは切っ先から柄に至るまでそのすべてを白く染め上げられた白刀『刹那』。
そしてスーツの上には黒いスリムロングコートを重ね、刀を腰の位置で固定する。
これが一応、戦闘時の蓮の正装。コートはスーツ以上にしっかりと魔術が掛けられており、自力で魔術が使えない蓮の大事な生命線になる。
端的に言えば、『かなり無茶できる』恰好というわけだ。
「――さて」
『モノクローム』の西側に到着した蓮は、屋上へと先行したドローンから放たれた命綱となる金具をベルトの方の金具に取り付けた。
幸い今日は月が雲に隠れ気味――例え地上二五〇メートルの建物を登っている男がいても、それを目撃する人物はいないだろう。
ルドフレア曰く、アリサと澪の位置は東側三十階の壁際。つまり西側から屋上へ上り、ワイヤーの長さを調節して東側へダイブする段取りだ。
ドローンの巻取り機能をオンにするよう指示する。
『よし、それじゃあ行くよー』
ワイヤーの巻取りが開始された次の瞬間――意識が途切れかけた。
「ぐへッ――おいおいおい、バカ! 止め、止めろ‼」
『え? なんかあった?』
「巻取りが速すぎだ! 背骨が折れるかと思ったぞ!」
減速も含めて五秒、一気に数十メートル前後上昇した。途中バランスを崩して壁に頭を擦り付けそうにもなった。おそらく病院の脱出に使った落下用の設定がそのまま反映されていたのだろう。
調整された速度で巻取りが再開されるが、蓮は抗議の通信を送った。
「……使用後は設定の見直しを頼む」
『やー、あ――ごめ――――』
「――――」
それは明らかな電波障害。直後、ルドフレアとの通信は遮断された。それだけじゃない。
ドローンによる巻取りも同時に停止した。
地上からおよそ百メートル前後のところで宙吊り状態となった蓮は、とりあえずドローンがしっかりと固定されていることを確認する。
「――自力で行くしかない、か」
仕方なく左右の窪みを利用して残りのおよそ百五十メートルを自力で登ることにした。
しかし次の瞬間、信号弾の光を背に受けた。あの色は、ルドフレアが敵と遭遇したということだ。
さらにタイミングを重ね、ヴァイオリンの音色が聞こえてくる。
「スズカの『共鳴歌』――向こうも戦闘が始まった。ッ、だとすれば――!」
蓮は本来魔力を持たず、自力で生成することもできない体質だ。故に魔力を媒体とする魔術を行使することはできない。
しかしこの場合、スズカが発動した『共鳴歌』という魔術で魔力を譲渡された状態のみ、一つだけ使える魔術がある。
それは魔術師であるなら、誰もが使える基礎の技。身体強化の魔術だ。
炎を出すことも、水を出すことも、相手に催眠を掛けることも、空間を繋げることもできないが、初心にして『魔術の真髄』と言える基本中の基本――身体強化。
過去に『それ』が行きつく先である『人を超えた存在』を経験したせいか、この魔術は驚くほど蓮に適合した。通常、身体能力を少し上昇させる程度の効果しか見込めないが、蓮の場合は十倍以上まで効果を引き上げることができる。
そっと息を吐き、短い詠唱を口にする。
「『――我、黒き刃なり』――――!」
身体強化――それは即ち自己の書き換え。
瞬間、全身の血液が凍り付いたような感覚が突き抜ける。生が遠ざかるようなこの感覚こそ人を超えるということ。結局のところ人を超えた存在は生きているとは言えないのだ。
内側から発生した黒紫色のオーラが蓮の体を包み込む。
さあ、すべての準備は整った。
この場を超えて自らの生を勝ち取るため――全身全霊を込めて一歩踏み出し、落下が始まるより先に更にもう一歩踏み込む。
次第に一歩の歩幅は広がり、十秒もしないうちに屋上へと辿り着く。
「フ――ッ、――ッ‼」
だがこれで終わりではない。
溢れ出るオーラが残像を残すほどの速度で屋上を駆け抜けた蓮は、登ってきた場所とは反対側――『モノクローム』の東側へと飛び込んだ。
ドローンから伸びるワイヤーを掴み、振り子のように建物へと戻される。目的地は三十階。
「――――ッ‼‼」
途方もない浮遊が落下に切り替わる瞬間、自身を砲丸のように切り返しそして見事、狙い通り三十階の硝子の壁を突き破ってみせる。
硝子を突き破る音と衝撃を全身に浴びながら、着地した蓮は即座に体勢を立て直し、刀を抜く。
「――お前が『K』か」
どこか威厳というか品のあるレイピアを構えた仮面の男に向けて、二刀の切っ先を向ける。
突然の乱入者にアリサと澪は僅かに呆気に取られたようだったが、しかし『K』は妖しく嗤った。このような状況も予期していたように、動揺する素振りもない。
「そういう君は夜代蓮。ふっ、君にも用はないなァ!」
『K』は蓮を眼中に入れず、切っ先はアリサに向けられた。アリサも剣を構えて応戦するつもりのようだが、そういうわけにはいかない。
向かい来る『K』の斬撃を『夜束』で受け止め、即座に背後に回り込み『刹那』の峰で力いっぱい薙ぎ払う。
「チッ――‼」
『K』の体は近くの店へと吹き飛ばされる。今だ。この隙を逃してはいけない。
「澪! アリサを連れて降下だ! 黒乃を回収して、フレアの援護を頼む!」
「……ッ」
しかし澪の反応は芳しくない。それどころか困惑した様子だ。妙だった。いつもの澪なら冷静に判断を下せるはずだ。
その理由はすぐに判明した。『K』が吹き飛ばされた方向にアリサが走って向かったのだ。
「おい待て、アリサ! 戦う必要は――!」
「……邪魔をするなっ!」
思わず息を呑んだ。すれ違った一瞬、アリサの表情が戦いを心の底から楽しんでいるように見えたのだ。
これまでどこか陰った表情しか見せなかったアリサ・ヴィレ・エルネストだが、戦いの最中ではあれほど生を実感しているような、むしろ普段の日常の方が間違っているのだと言わんばかりの表情を浮かべている。
――再び『K』とアリサは交戦を開始した。
「くッ……澪、先に降下しろ! あとから行く!」
「――オーライ!」
素早く澪は降下した。これで下の戦力が増えて、脱出の手筈が整いやすくなる。
問題は敵があと何人いるか、だ。
通信妨害のせいで状況が掴めない。アリサの行動も問題だ、式典に来ている一般人も気になる。
今回、蓮たちはエルネストに関わることのみ特例として、『組織』から魔術の行使が許されている。多少ならば隠蔽できるが、しかし東京の街中でこれ以上派手なことをすれば、いよいよ不味い事態だ。
しかしそれ以上に気がかりなのが黒乃の存在。
「誰かに保護されていればいいが……」
とにかくアリサをこの場から引き離すのが最優先だ。そう思い、蓮は二刀を構え直した――。