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『交錯する思惑は静かに紐解かれる/Cause I know』

 ()()は式典会場に入って間もなく起きた。

 白い髪、紫色の瞳を持つアリサの容姿は瞬く間に周囲の視線を釘付けにし、セレブな中年男たちに囲まれるという出来事だ。

 (みお)はその視線を鬱陶しく思いながらも、無謀に、捨て身に、それでも声をかけてくる中年男の度胸を褒め称えようとしていた。無論皮肉交じりにだ。

 逆に女性からは男の目を引き付けるその容姿への嫉妬か、どこか軽蔑されているような雰囲気を感じる。


 男には群がられ、女からは嫌われる。


 それがアリサの持つ容姿の性質なのだと理解すると、その感覚はゆっくりと心を蝕む毒のように広がった。

 この感覚をずっと味わってきた彼女に対して、多少の同情を覚える。

 そんなサーカス小屋の動物のような思いをさせる周囲の反応を気を病んだのか、急に足元がおぼつかなくなったアリサは男とぶつかった。


「――――」


 誰もが造り物の笑みに下卑た気持ちを込めて会話するようなこの場において、その男はただ一人だけ、独特の何と言うべきか、悲愴的な雰囲気を纏っている男だった。


 ――刹那、眼を見開いて澪は直感する。

 この男は『黒』だ。理由なんて分からない。でも勘がそう告げるのだ。半年前から時折現れる一種のお告げ、天啓、未来視にも似た何かは、決して外れたことはない。


(コイツ……ヤバい……)


 男は澪より十センチほど背が高く、整えた黒髪に、仮面をつけていた。仮面舞踏会に着けていくにしても無骨な、黒い仮面。その瞳は――見えない。本人からは見えているのだろうが、こちらからはその瞳の色は確認できないのだ。


 明らかに怪しい仮面。だがしかし、スーツもシューズもその所作もこの場に相応しいものだ。それゆえに、この場そのものからは認められているのだろう。


「――ご無事ですか? ああ、本当に申し訳ないことをした。非礼をお詫びします」


「……いえ、そちらこそスーツが」


 澪はすぐさま盾となるようにアリサと男の間に割って入る。


「大丈夫か?」


「……ええ」


 床に転がったシャンパングラスはすぐに片付けられ、男は持っていたハンカチをアリサに差し出した。


「私の方はお気にせず。それよりも貴女だ。ドレスは言わば華、だが私はそれを摘み取ってしまった。……差し出がましいこととは思いますが、ここの三十階はモールになっていましてね、そこで別のドレスを用意してもらったほうがいい。ぜひご案内させてください」


 低い声。セラと同じだ。一度この世のすべてに絶望し何かを諦めたような声。でも不思議と、どこか色気を持っている。

 声の感じからして、年齢は二十代後半から三十代前半。絶対に気を抜いてはいけない相手だ。


「――悪い提案ではないでしょう?」


 男は、周囲の下衆な男どもから離れられるぞ、と暗に言う。

 いいだろう、そっちがその気なら乗ってやる。澪はアリサに目を配り、話に乗ることにした。

 危険だが、この男は必ず何かを持っている。逃すわけにはいかない。


(ノーリスクで欲しいものが手に入るなんて思っちゃいないんだ、こっちは)


「……ではお言葉に甘えてさせてもらいましょう」


「それは良かった。ああ、ぜひそちらのご友人もご一緒に」


「どうも」


 二人は、男のあとを追い、三十階へと向かうために式典会場を出た。

 その後はエントランスに向かい、エレベーターで上層に向かうのかと思ったのだが、男はむしろ逆の方向へ足を向けた。


「こちらにもエレベーターがありましてね。エントランスには人が集まっているので、こちらの方が静かでゆっくりとお話ができる」


『こちら(れん)、VIPルームで死体を発見した。犯人はおそらく『K』という人物、またはそれに関連した者だと思われる。その名前が唯一、死体と名簿で一致しなかった』


 蓮からの通信だ。澪はそれに応えるように声を出す。


「改めて、友人がぶつかってしまい悪かった。黒いスーツとはいえ気にしないわけにはいかない。そちらのスーツも三十階のモールに代えがあるといいんだけどな」


 男の言う通りエントランスや式典の喧騒から少し離れた場所にはエレベーターがあった。

 三人は密室空間へと乗り込む。

 とりあえず先ほどの言葉で、情報は送信した。

 

(向こうが接触して来た以上、兄貴と黒乃(くろの)が一人でいるのは危険だ。ってなると、とりあえずはその二人が合流して、更にセラたちが脱出準備を整え、そこでアタシらと合流してくれることが理想なんだけどな……)


 しかしそうもいかないよな、と澪が脳内で突っ込みを入れようとした瞬間。


『全員、離脱準備を進めてくれ。俺は澪とアリサのフォローに、――――なッ⁉』


 甲高いノイズのような音に思わず身を震わす。澪は鼓膜が破れるかと思って、勢いよくイヤリングを外した。


「――おや、どうかしたかな?」


「い、いやなんでも……」


 高鳴った鼓動を必死に落ち着かせ、とにかく澪は思考する。

 

(これでこいつの他にも敵がいることが確定した。ま、元から一人だけだとは思ってなかったが、助けに行くか? いやこの男から目を離せるわけないよな……ああもう、こういう細かいことって苦手なんだよ……!)


 しかし男がこの閉鎖空間で澪たちに背を向けてくるとは意外なことだ。蓮は戦闘か、それに近い状況に陥った。だが目の前の男にはそんな素振りさえない。


(場所が悪いのか? 確か三十階は図面で見た感じ、五フロアを丸ごと使った巨大空間だったが、なんにせよここで仕掛けてこないのは都合がいい。その分、情報も引き出せないんだがな……)


 一分ほどして、エレベーターの上昇は終わり、三十階へと到達した。 

 男が先に外へ出る。やはりその背中は無防備に思えるが、だからこそ何かがあるのでは思わされてしまう。

 二人も歩き始め、話通りのショッピングモールに踏み入る。当然、明かりは付いておらず人もいない。静寂に包まれた空虚な場所だ。

 男は何も言わず、歩みを進める。


(さて――どうしたもんか、ねえ……)


 男はわざとらしく足音を立てて、舞台の上にでも立っているように語り始めた。


「――ここには客に聴かせるためのピアノが置いてあってね。一曲どうかな? 人に聴かせることのできるくらいの腕はあるつもりなのだが」


「この期に及んで、まだ茶番を続けるっていうのか?」


「茶番だなんてとんでもない。私はただ、本当に一曲聴いてほしいだけだよ」


「お前は何者だ」


「――さあ」


 東京の夜景を見渡せる硝子張りの壁の傍にピアノは置かれていた。高級ホテルで使われるだけあって、コンサートホールで演奏するわけでもないのに数百万はくだらないグランドピアノだ。

 男はピアノの前に置かれた椅子に座る。ピアノは調律されており、噛み合った歯車のように完璧に整った音を奏でてくれた。


 澪とアリサはその背後を取る形で、設置されたソファーに座る。背後を取るということは即ち、いつでも殺せるぞ、という意思表示でもある。男はその重要な位置を自ら譲った。

 目の前にぶら下げられた千載一遇のチャンス――それをあえて作らせる意図が読めない。

 心底不気味な男だ。

 男はそっと息を止めて、優しい指使いで音を奏で始めた。


「――――」


 澪はたまに趣味で絵を書く。その際、雰囲気作りとして音楽を聴くので、多少の知識はあるつもりだ。

 しかし男の奏でるその曲は知らない曲だった。数々の名曲に似たメロディはあるものの、しかしそのメロディを曲の持ち味として完璧に自分のモノにしている。

 とても温かな、愛のこもった優しい曲だと澪は思った。


「……この曲、知ってる」


 アリサが呟く。


「――先ほどの質問にお答えしよう、夜代澪さん。私は『K』。そう名乗っている」


 演奏を続けながら、男は自らを『K』と名乗った。


(やはりこいつが『K』。いや……待て、待て、待て――なんだ、今の――)


 今の言葉には妙な部分があった。決して看過できない部分が。


「どうしてアタシの名前を知ってる?」


 この時代で澪が名乗ったのは、黒乃、アリサ、ヴォイドの三人だけだ。他の手段で澪の名前を知ろうにも、まだこの時代では『組織(アセンブリー)』には所属していないし、何なら魔術の世界に入ってすらいない田舎の小娘だ。

 それなのに何故、この男は澪の名前を知っている。何故――知り得ないはずの情報を持っている?


「だんまりか。はっ、なら、質問を変えてやるよ。どうしてVIPルームの客を殺した?」


「……簡単さ。このホテルでは様々な思惑が交錯している。まるで、酷く絡み合った糸のようにね。だからそれを解いてやっただけのことなのだよ。ヤツらは死んでもいい――クズだったのさ。これで状況はよりシンプルになった」


 突如として――薄暗いフロアに光が灯った。


「……ッ⁉」


 光源はフロアの天井にあるシャンデリアではない。硝子の壁の外側。突如として撃ち上げられた薄い緑色をした信号弾だ。その光は十秒ほど太陽に代わって周囲を照らした後、地上へと堕ちていく。


 あれはセラ、ヴォイド、スズカが接敵した場合に撃ち上げることを決めていたもの。

 男はそれを待っていたように急に曲を変え、強引に演奏を終わらせた。


「――フィニッシュだ。ご静聴どうもありがとう」


「ああ、最高の演奏だったよッ――‼」


 澪は、魔術によって出現させた拳銃を逆手で構え、流れるように『小指』で引き金を引いた。

 セラたちまで戦いに入ったならもう悠長に話している暇はない。だから強引にでも口を割ってやる。

 そう思っての発砲、狙いは男の左肩。


(これで男の意識はアタシが掌握できる)


「――それは困るな」


「な⁉」


 その声は背後から聞こえた。考えるより先に澪は拳銃を構え直し、振り向くのと同時に『人差し指』で引き金を引いた。

 放たれた弾丸はやがて大気中の水分を氷結させ、巨大な氷柱となる。向かってくる()()を男は羽虫でも払うかのように手を動かし、それだけで簡単に氷を砕いた。


「『シージングトリガー』の次は『ファントムトリガー』。君の長所はやはり、やると決めたら躊躇しない点だ。君は引き金にかけた指によって違う魔術を発動させる。マインドコントロールを実行する小指。多様な属性魔術を放つ人差し指。魔力のすべてと引き換えに必殺の一撃を放つ中指、『インペリアルトリガー』。死を偽装する仮自決用の親指、『サイレンストリガー』」


 男が語るたび、一秒ごとに澪の中で『K』という存在への警戒心が強くなっていく。絶対に知りえないはずの情報をこいつは知っている。一体何故だ。


「随分と詳しいな。なら薬指の魔術も知ってるのか?」


「否定しよう。何故なら薬指の魔術は設定されていないからだ。薬指では引き金を引くのに向いていないという理由でね。――ふっ、顔が怖いよ、澪。せっかくの美人が台無しだ」


 澪の中にあった余裕が少しずつ擦り減っていく感覚がある。まるでいつの間にか崖っぷちに立たされ、少しずつ足場が崩れていくような気分だ。


(何故だ。何故、こいつはアタシのことを知っている。記憶を読む能力か、心を読む能力か……後者だとしたら背を向けながら隙を見せないのも、アタシの攻撃に反応できたのも納得がいくが……)


「安心するといい。私の能力は決して君の記憶や心を読むものではない。単純に知識と経験、と言ったところかな。私たちの差はね」


「――もう一度聞くぜ、お前、何者だ!」


 引き金に中指を構えた。『インペリアルトリガー』を撃てば魔力のすべてを失い、しばらく戦闘ができない状態になる。それにここでアレを撃つと周囲の人間を巻き込むことになるだろう。

 だから、これはあくまでも見せかけ。


 ――アタシじゃ勝てない。だから精一杯時間を稼ぐしかない。


 男は落胆した様子で澪を一瞥し、再び姿を消した。


「私が何者か、ヒントならもう与えた。戦う理由のない君にこれ以上の用はない、夜代澪」


 背後を取るようにピアノの傍に戻った仮面の男は意識をアリサへと向ける。もはや澪のことなど眼中にないようだ。


「さてアリサ・ヴィレ・エルネスト、一つ教えておこうか。先ほどの曲はある母親が娘に向けて作った曲なのだが知っていたかな?」


 アリサの紫色の眼は鋭く、まるでナイフのように研ぎ澄まされていく。

 それに呼応するように男の胸に――光が灯った。暗闇を照らす青白い光。


「本題に入るとしよう。とはいえ、わざわざ言わずとも分かるだろう? 君は知っているはずだ。エルネストが戦う運命にあることを。だからこそ――私と君はこうして巡り合ったのだよ!」


 ――遠くからヴァイオリンの音色が聞こえた。


 まるで奇術師のように、男の指にはいつの間にかカードが挟まれていた。『ⅩⅢ』と書かれたそれを見て、アリサは小さく呟く。


「……キングの……カード」


 『K』は灯った光を掴むように拳を握り、勢いよく()()を引き抜いた。


 ――(つるぎ)が握られていた。


 白い刀身に金の装飾がされたレイピアのように細い西洋剣。一度見たら目を逸らせない圧倒的な存在感を放つそれを杖のように床に突き立て、『K』は――再び笑みを漏らす。悲愴と色気を兼ね備えた、独特の笑みを。


「さあ、エルネストらしく剣を出せ! それともまだ出せないのかな――?」


 背後から光が溢れる。澪がまさかと思い振り返ると、アリサも『K』と同じように胸の光を掴み取り、自らから剣を引き抜いたのだ。

 柄から切っ先まで黒く、血のように紅い鍔を持つ剣。


「……それを、待っていたわ……ッ!」


「おいアリサ、戦う必要は……⁉」


 驚く暇もなくエルネスト同士の戦いは始まった。弾ける火花、響く剣戟の音は一秒ごとに加速し、加勢する隙間さえなくなっていく。純粋な一対一での殺し合い――。


「どうしたらいいんだよ、くそ!」


 敵の正体が『ⅩⅢ(キング)』であることは判明した。最低限の目的は達成したのだ。予定通りならここで撤退するべきだろう。


(だが既にセラたちが接敵し。アリサも勝手に戦いを始めちまった……ここは加勢するか? いや『K』は危険だ。直感だがここは逃げた方がいい。無理やりにでも!)


 強引にアリサを連れて撤退する。そう決断し、澪が拳銃のグリップを握り直した直後だった。

 ――一面の硝子が砕け散り、フロア全体に降り注いだ。何者かが外から、飛び込むようにしてこの戦場にやってきたのだ。


「――――」


 澪は口を開けたまま乱入者の姿を視る。

 それは黒いロングコートを身に纏い、腰に二振りの日本刀を提げた――夜代蓮だった。


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