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『モノクローム/Devil's Tower』

 三月十三日の夜。都心に建設された高さ二五〇メートルを超える高層ホテル『モノクローム』の完成記念式典の開始まで、あと一時間。時刻はすっかりと日が沈み、丸く大きな満月が中空から淡い光を垂らす頃合い。

 広い敷地内にはライトアップされた噴水や通路、綺麗に手入れされた植物が豪華な美術品のように計算されて設置されていた。それは『モノクローム』を彩る装飾。


 このホテルの真価は、眺めているだけで感嘆の声が漏れるほどの美しさ、細部まで魅せる繊細さ、けれど全体で見れば挑戦的で大胆、しかし優雅であるその外観にあると言える。

 『モノクローム』より高層のホテルは国内外にいくつも存在しているが、しかし外観の面でいえばドバイの『ブルジュ・アル・アラブ』に並ぶとさえ言われる程、話題になっている。


「じっくり見物したいところだけど、そうもいかない、か」


 ホテルの照明を星空のように反射する水面に向かって――剣崎(けんざき)黒乃(くろの)は呟いた。

 この水は『モノクローム』を囲うように地面を二段ほど掘り下げ水路を作り、中庭の噴水から流しているのだが、それも一種のアートと評していいくらいに美しい。


「俺たちにはミッションがある。それに敵が魔術師だけとも限らない。昨日のように襲撃を受ける可能性もある。油断はするなよ」


 隣で腕を組んで、しきりに時計を確認している夜代(やしろ)(れん)が言う。蓮の服装は初めて会った時と同じ、上質なブラックスーツにブローグシューズで、髪は普段以上に丁寧に整えられている。

 お祝いの場ということもあり黒乃も普段よりきっちりとした恰好だ。スーツとシューズは一昨日、蓮から貰ったものを使用している。

 

「――来たか」


 二人のヒールの音を合図に、蓮が言った。黒乃の視界にも、艶やかに揺れるドレスが映り込む。

 ネイビーの下地に控えめに入った白いライン。腰に巻かれたリボンはその綺麗な腰つきを際立たせており、艶のある上品な赤色のヒールがいいアクセントになっている。

 そして何よりも目立つのが、どの装飾品にも負けていない彼女の真白の髪と紫色の瞳だろう。


「綺麗だね。似合ってるよ、アリサ」


「……」


 アリサ・ヴィレ・エルネストは自らを称賛する言葉に返事をしなかった。折角整った顔をしているのだから、不愛想な表情はどこか勿体ないなと内心思うが、今回の彼女の役割は『おとり』。心境を考えれば、気を緩めることなどできないだろう。


 もう一人の女――夜代(やしろ)(みお)は控えめに、空色の装飾が入れられたデタッチド・スリーブのブラックドレスに艶のある黒いヒールだ。アリサの白に対するような色調。

 二人が並べばどのような景色も一種の芸術となるだろう。今夜だけの服装なのが勿体無い。


「澪も似合ってるよ、年下とは思えない」


「ふ、サンキュー、黒乃」


 『モノクローム』潜入組に割り振られた四人が揃ったことで蓮が最終確認をおこなう。


「こちら蓮、全員聞こえるな?」


 蓮はイヤリング型の通信機に触れた。


『こちらフレア、感度良好、地下駐車場、異常なーし!』


 ルドフレア・ネクストは『モノクローム』の地下駐車場でレンタカーに乗って待機している。その担当は全員のバックアップと逃走経路の確保だ。


『こちらセラ、異常なし』


『こちらスズカ、問題ありません』


『ヴォイド、異常はない』


 続く声。セラ・スターダスト、遠静(えんじょう)鈴華(すずか)、ヴォイド・ヴィレ・エルネストの三人は『モノクローム』から少し離れたところに停めたキャラバンで待機しており、『モノクローム』脱出に使用するレンタカーから、更に黒乃たちを回収するのが三人の役目だ。


 今回のミッションの概要はこうだ。まずはこのホテルを建設した剣崎財団の血縁者である黒乃の名前を使って潜入組の四人が正面から入り、式典会場に訪れた人々にアリサの姿を確認させる。

 この式典には日の当たる道を歩けないような魔術組織の人間が何人も集まるらしい。そのような会場に現れたターゲット。もし敵がいるのだとすれば、必ず何かのアクションを起こすはずだ。


 アリサが表でおとりを務め、その裏で『モノクローム会合』に参加するために集まった魔術師に探りを入れる。これは蓮の役目だ。


 そうして敵を炙りだし正体を見極め、『起源選定(きげんせんてい)』に関する情報をできるだけ引き出す。で、用事が済み次第、すぐさま退散する。


 今回の目的はあくまでも情報。もし交戦することになったとしても無理はせず、情報だけを狙ってすぐに安全圏まで避難。これがリーダーである蓮の立てた作戦だ。


「……アリサ、異常なし」


「澪、ばっちり聞こえる」


「黒乃、問題なし」


「よし――ミッション開始(スタート)だ」


 蓮がネクタイを整えてから言った。澪とアリサもそれに頷き、黒乃も呼吸を整えた。


(――ここには僕の兄、剣崎(けんざき)惣助(そうすけ)がいる。きっと会うことは避けられないだろう。その人と対面して僕がどうなるか、正直不安はある。でも、それは不安だ。恐怖じゃない。きっとおとり役となったアリサのほうが何倍も不安を感じていて、そして怖いはずだ)


 だったらビビってる場合じゃないと両の頬を叩き、気合を入れ直した黒乃は、堂々と胸を張って招待状のチェックをしている正面入口へと向かった。


 予定通り、エントランスの入り口ではいかにもなホテルマンが招待客への挨拶を行っていた。


「ようこそ『モノクローム』へお越しくださいました。招待状を拝見いたします」


 黒乃はできるだけ声を低くし、視線を真っすぐ相手の目に合わせ、余裕のある表情を見せる。

 物言いは高圧的に。下に見られたら相手にされず終わってしまう。


「――すまない、招待状はないんだ。けど僕の名前は剣崎黒乃。惣助(そうすけ)兄さんに挨拶をと思ってね。入っても構わないよね?」


 鼓動が高鳴る。ここで失敗したら潜入には別の手を使うしかない。成功率が低く、時間が掛かる第二の手に。つまりこれがもっとも成功率が高く、素早く潜入でき、かつ安全な方法なのだ。失敗は許されない。

 自分が平然な顔を装えているか、挙動不審でないか、些細な焦りが頭の中を延々と巡り精神を削いでいく。

 夜風は冷たいのに汗が流れそうなほど、体が熱い。


「……恐れ入りますが身分証などはお持ちでしょうか?」


 相手を不快にさせない微かな笑みを全くもって崩さないホテルマン。黒乃はその笑みが作り物であると看破し、その即席の表情に一種の恐れさえ抱きつつ、内ポケットから取り出した免許証を渡す。

 ホテルマンはそれを隅から隅まで確認し、丁寧な言葉遣いで返却する。


「念のため代表のほうにも確認致します。もう少々お待ちください」


(ッ、それはまずい……!)


 惣助は黒乃のことを遠ざけている。病院に軟禁状態の黒乃が行方をくらまし、財団にとって大切なこの式典に姿を現す。それは惣助にとって最も阻止すべきことだろう。

 確認されたら間違いなく門前払いを食らってしまう。

 黒乃は咄嗟にホテルマンの耳元に顔を近づけた。


「――夜風が冷たくてね。今すぐ僕たちを入れてくれたら貴方の名前を兄に伝えましょう。きっと、良いことが訪れると思うんだけど」


 大胆で危険な手だと思ったが、沈黙が一瞬流れて、ホテルマンは先ほどの微かな笑みからまるでピエロのような表情を浮かべた。


「……ようこそ。剣崎黒乃様」


「どうも」


 こうして四人は予定通り『モノクローム』の中へと侵入することに成功した。エントランスに入り少しして、黒乃は大きくため息を吐きだす。


「やったな、黒乃。名演技だったぜ」


「……もう絶対にやらないからな、こういうこと」


 褒めるように優しく背中を叩く澪、その隣で蓮もサムズアップしているが、困った表情で答えるしかなかった。何にせよ潜入成功、作戦は次の段階へと移行する。


「澪、二人を頼んだぞ」


「了解」


 蓮はそう告げて、広大なエントランスの奥に設置されたエレベーターへと向かった。

 ルドフレアとヴォイドが用意した『モノクローム』の図面から、最上階のフロアがVIPルームであることを予測した蓮は、そこへ直接乗り込むことになっている。


 エレベーターに乗り込む蓮の姿を見届け、三人は式典会場へ。大きな式典だ。財団やこの『モノクローム』の運営などに関係のある人間しか招待していないという話だが、それにしても人が多い。

 『モノクローム』は巨大な建造物なので、決して通路や会場自体に余裕がないというわけではないが、これでは戦闘が発生した場合、大きなパニックが起こるだろう。


 できれば大ごとになるのは避けたいところだ。


「おい――待て」


 式典会場である一階のパーティフロアを目前に声をかけられた。落ち着いた男の声だ。

 それに黒乃だけが振り返ると、そこには黒服を二人引き連れた長身の男――剣崎惣助がいた。


 咄嗟に澪とアリサは歩幅を早め、黒乃とは無関係な人間を装い人混みに紛れる。惣助と接触した場合、黒乃はつまみ出される可能性が高い。だからこれはあらかじめ決めていたことだ。


「――――」


 兄である惣助と向かい合う。踏み心地の良いカーペットを不機嫌を露わにして強く踏み荒らす彼は、黒乃の正面に立つとつま先からてっぺんまでを心底嫌そうな顔で見回した。


「何故、ここにいる? お前を招待した覚えはないが――それにその恰好、あの貧乏で小汚いお前がどこでそんなものを手に入れた」


 軽蔑し侮蔑するような声音と物言い。やはり相当嫌われているらしい、と率直に感じた。


「兄さんに挨拶をと、思ったんだ」


「兄さ~ん? 冗談はよせよ。俺はお前にそう呼ばれるのが大嫌いだ。そしてお前は俺のことを兄と呼ぶことなんて一度も――ああ、ああ、はは、そうか記憶がないんだったなぁ」


 周囲の視線を妨げるように黒服が壁を作る。


「どこまで記憶がないのかは知らないがお前のことだ。どうせ、実家が財団だと知って金欲しさに俺のとこまで来たんだろう。さすがは卑しい売婦の子供。反吐が出るなぁ」


「確かに今の僕には記憶がない。貴方のことも母親のことも知らない。だが――貴方がヒトとして最低なことを言っていることだけは分かるよ」


 それは怒りというよりも、呆れるといった感情のほうが近い。裏切られて理解した。黒乃は少なからず期待していたのだ。剣崎惣助、自分の兄と会うことで何かしらの記憶が蘇ることを。

 しかし彼がこんな人間だとは、いや、勝手に期待した自分が悪かったのだ。

 そうやって感情を制御する。


「下品な犬はよく吠える。おい、こいつを連れ出せ」


 黒服がそれに従い黒乃の両腕を掴む。


「言われなくても、もう帰るよ」


「……消えろ」


 周囲に聞こえないよう静かに、けれど力強く彼はそう言って式典会場へと向かった。


「――歩いてください」


 抵抗の意思を見せなかったからか意外にも丁寧な対応をする黒服。けれどしっかりと左右を固められ、出口以外への移動を封じられた。

 まずい。予定では惣助と接触した場合速やかに離脱する計画だが、それではアリサを残してしまう。

 すぐ側には澪がいる。おそらくは黒乃よりもずっと強い彼女が。それでも、黒乃がここまで来たのはアリサを守るためだ。


(……どうしたものかな)


 束の間、歩き出して数歩のところで二人の無線からノイズのような音が聞こえた。


「……俺が向かう。彼は任せた」


 どうやら何かのアクシデントがあったようだ。黒乃は、もしかして蓮の方に何か、と思案する。


「了解」


 だがこれは――チャンスだ。


「あのー、ちょっとトイレに行きたいんですけど、いいですか?」


「……我慢できないのか」


「緊張するとすぐにお腹壊しちゃうんですよね……ははは……」


 適当なことを言って黒服を納得させた黒乃は近くのトイレへ入り、個室へ。


「早くするんだぞ」


 急かすような声とほぼ同時だった。イヤリング型通信機に通信が入ったのだ。


『こちら蓮、VIPルームで死体を発見した。犯人はおそらく『K』という人物、またはそれに関連した者だと思われる。その名前が唯一、死体と名簿で一致しなかった』


『――改めて、友人が『ぶつかってしまい』悪かった。『黒』いスーツとはいえ気にしないわけにはいかない。そちらのスーツも『三十階』のモールに代えがあるといいんだけど』


 蓮の報告の途中から澪の声が聞こえてくる。誰かと会話をしているようだが、節々で強調されている言葉から察するに、敵と接触したらしい。


『全員、離脱準備を進めてくれ。俺は澪とアリサのフォローに、――――なッ⁉』


 甲高い音が鼓膜を貫いた。それが何か瞬時に理解できた。蓮の通信装置が破壊されたのだ。


『フレア、蓮との通信は?』


 セラが訊く。それに対しルドフレアは間を置かずに答える。


『やられたね。こっちからじゃ分かんないや』


『私たちが内部に入ることはできません。……そうなると』


 スズカの言いたいことはすぐに分かった。現在『モノクローム』内部にいて自由に通信可能なのは黒乃だけだ。澪もアリサも怪しい人物と接触した以上は、下手に通信できないはず。


『黒乃君。危険だが、やってくれるか?』


「……了解」


 通信を切り個室の扉を開くと、黒服が警戒する素振りもない表情を向けてくる。


「なんだ、もういいのか」


 小さく黒乃は頷き、手を洗うように見せかけゆっくりと接近し――行動を起こす。


「ごめん――ッ!」


 黒乃は黒服の胸倉を素早く掴んで足元を蹴り崩し、そのまま地面へと叩きつけた。黒服の意識が朦朧としている間に、素早くトイレを出てエントランスへと向かう。


 まずは蓮が向かった最上階へエレベーターを使って向かわないと。そう考え移動したのだが、エントランスへ繋がる通路にはどういうわけか人が溢れていた。


「あの人、何かしたのかしら」


「あんなに警備員がいるとか、結構大ごとじゃないか?」


 何とか人混みをかき分け、警備員や黒服が集まっているエレベーター付近を確認する。


「そんな……!」


 信じたくない光景だった。そこには警備員や黒服によって拘束され、どこかへと連れていかれる蓮の姿があったのだ。更に、そのすぐ側には見覚えのある金髪碧眼の男――ジェイルズ・ブラッドの姿が、あった。


「あいつ……昨日の……⁉」


 気づかれる前に再び人混みの中に紛れる。駄目だ。どうあれ騒ぎを起こせない蓮は抵抗できない。とにかく黒乃は通信機を使って、その旨を矢継ぎ早に伝えようとする。

 だがしかし、応答はなかった。真っ先に思い浮かべたのは通信妨害。イヤリング型の通信機とは別に持っていた予備の端末を起動すると、その予想は的中していた。


 ――間違いなく敵からの電波妨害。周囲の招待客からも電波の状態が悪いなどの声が上がっている。


「おい、そこを動くな!」


 背後から大声が響く。それに反応して周囲の人間は振り向くが、反して黒乃は人混み飛び込んだ。

 先ほどの黒服が意識を取り戻したのだ。それにエントランスには大勢の警備員が集まっている。このままではあっけなく捕まってしまう。


「――くそ! ヤツを追え!」


 追ってくる足音はどんどん増えている。


(……黒服が多すぎる! 正面から突破するのは無理だ――ッ!)

 

 こうなったらこのまま走り抜けて、逆側の通路から階段を上りアリサと合流する。

 方針を固めた黒乃は全力でエントランスを駆け抜けた。


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