『眠れる箱庭の未来/Who What?』
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とある病院の一室。そこは他の病室より丁寧に手入れされ尽した白い箱庭。
部屋のサイズは、個室というには一人で使うにしても余りあるほどで、大型のテレビ、焦げ茶色のソファーが二つ、その間にはガラス板を使った机が置かれており、簡易キッチンや洗面台、木目の整ったクローゼットも完備されている。
整えられたその空間は、病院というよりは高級ホテルという印象を受けるかもしれない。
「――こんにちは」
彼女はこの病室の主――剣崎黒乃に対し、できるだけ静かに、明るく挨拶をする。
返事は返ってこない。
それもそうだ。
彼は眠っている。
とても永く、深い眠りについているのだ。
彼女は白いカーテンの向こう側にある、閉ざされた窓を少し開く。
桜の香りを運んでくる爽やかな風が吹き抜け、それが白い髪を揺らした。
続いて洗面台に向かった彼女は持参した小さなプラスチックの霧吹きに水を入れ、ベッドの横に設置された小物入れへと手を伸ばす。
そこから一枚、白無地のタオルを取り出し、さらにその上に置かれた『カエデ』の小さな苗木の手入れを始める。
――カエデの花言葉は『大切な思い出』、『遠慮』、そして『美しい変化』。
葉を霧吹きで濡らし、それを優しくタオルで拭う。それを上から下の葉まで終えたところで、作業は終了。苗木を元の位置に戻してから、片付けを済ませた。
「――――」
苗木の横には赤く花を咲かせたゼラニウムの花が一輪、花瓶に添えられていた。花瓶の水も、と思ったが、水滴が花瓶を伝うように零れているところを見ると、誰かが既に水を入れ替えてくれたようだ。
霧吹きとタオルをカバンにしまい込み、彼女は近くに置かれていた木組みの椅子をベッドの横に持ってきて、そのまま座った。
白いカーテンが揺れる。吹き込む風は彼女の髪だけならず彼の髪もそっと揺らす。
数秒、彼を見つめた。
意識せずに伸ばした右手。その指先が触れた彼の頬はとても柔らかく、けれどいくら触れても反応がないところを見て、『中身』がここに無いことを改めて実感する。
ヒトの器。それを強く認識してしまう。
彼女は揺れる髪をかきあげ彼の顔に近づくと、不意に、唇を重ねてしまおうかと思った。
距離は十数センチ、十センチ、五センチのところまで縮んでいく。
「――――」
けれど、きっとそれはこの場所には相応しくない行為だ。
そう思い、咄嗟に勢いよく背もたれに下がった彼女は背中を強打しつつ痛みで我に返った。
「いてて。……また、来るね。黒乃」
椅子を元の位置に戻し、床に置いたカバンを拾い上げる。
退室の準備を整えたところで天井の隅のほうに設置された『監視カメラ』へ向けて、手を振った。
特に意味のない挨拶だ。
そうして彼女――アリサ・ヴィレ・エルネストは病室を出た。