『散策/Maze of Meaning』
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午前十一時を回った頃、黒乃と蓮は東京の街へ繰り出していた。
コンクリートのジオラマは平日でも休日でも変わらず賑わっており、黒乃はその人の多さに圧倒されている様子。
今回の目的は三つ。
一つ目は『モノクローム』周辺の地形データをできる限り入手すること。
二つ目はラーメン屋を巡ること。
そして三つ目に、店を巡る途中で黒乃の服を買い揃えることだ。
ちなみに今の黒乃の服装は、蓮から借りたスーツの下に着る用のシャツにできるだけ控えめなジーンズといった感じだ。イメージ的には文系の大学生。
昨夜澪が言っていたように蓮の私服はどれもパンクなものばかりで、黒乃としてはチャレンジしてみたい気持ちはあったもののハードルが高く。結局、少し肌寒いが大人しめに服を選んだ。
「……人、多いな」
黒乃は何度目か分からない台詞を口にした。先ほどから口を開けば、人が多いとしか言っていない。
よほどカルチャーショックを受けているのだろう。
「そうだな。俺もどちらかと言えば田舎で育ったから、いつまでも都会には慣れない」
「へー。……その割にはパンクな格好して、都会慣れしてそうな雰囲気に思えるけど」
「そう見せてるだけさ」
他愛のない話をしながら歩くこと十分が経過した。地図によればそろそろ一軒目にしようと目星をつけていたお店が見えてくる頃合いだが、いかんせん黒乃の気持ちはどこか追いついていない。
蓮はなんとなくその理由に予想を付けていた。
「スズカのことが気になるか」
黒乃は頷いて、どこか遠くを見つめた。ビルとビルの間に切れる青空を。
「記憶のこと……僕が聞いてよかったのかなって」
「別に隠していたことではないし、スズカがお前を認めたということだ。気にするな」
そうは言っても、黒乃の表情は重い。
「……昨夜の内に、お前の経歴を勝手に調べた。全員、調べられる限りのことは知っている。これでお相子だ」
一瞬、黒乃は信じられない言葉を聞いたように体を硬直させた。それから眉を寄せて蓮を睨む。
「それ……全然釣り合わないんじゃないか?」
「かもな。だから気にするな」
それを聞いて、黒乃は大きくため息を吐いた。まあ、素性の知れない男をすぐに仲間として受け入れることは不可能だろう。
『起源選定』――殺し合いの儀式。敵の存在もあるから余計にだ。
そのあたりの意図を組んで、黒乃は自らの過去を勝手に調べられたことに対して特に怒ったりすることはなかった。
「なあ、彼女の記憶は戻るのか」
確信を突く問いだ。
「――分からん」
蓮は既に一度出された『答え』がありながらも、再び思考した。
二年前のあの日まで記憶を遡り、どの時点でどう手を打てば誰もが納得できる終わりを迎えることができるだろうかと――不毛な考えを巡らせる。
認めたくない、諦めたくない。
そう思う心とは裏腹に、脳内で組み立てられる事実はいつも同じ。そう――『答え』はもう出ているのだ。誰にも言わず、己の心のうちに閉じ込めているだけで。蓮は既に解を得ている。
「だが……俺はまだ諦めていない。だから過去に来たんだ」
一軒目と決めていた店に辿り着いた二人は少しの間、待機していた列に並ぶことになった。お昼には少し早い時間だと思ったが人気店というだけあって混雑しているようだ。
少し待って店内に入ると厨房から漂ってくる熱気に包まれる。カウンター席に着いた二人は、無言でメニューを手に取りただ眺めた。気まずさとは違う、言葉のない空気が流れる。
(遥さんが遺した一度切りの過去改変――これが終わってしまえばこの世界は過去へ干渉する力を失い二〇二〇年までの歴史は確定してしまう)
蓮は過去に――現在の未来に想いを馳せる。
『塔』を上ることも『扉』を開けることもなく。『夜代織』を失い『到達存在』を剥奪されたあの未来が、確定してしまう。
(……我ながら、英雄にはなれないなと思う。世界を救うことよりも私情を優先してしまうなんて。だけど俺は。それでも――俺は……)
★
お昼を過ぎ、午前中より活発になってきた東京の街へと繰り出した三人――夜代澪、セラ・スターダスト、アリサ・ヴィレ・エルネストは、早くも道端のガードレールに寄りかかり行き先を決めあぐねていた。
三人の服装はどれも季節が変わりゆくこの時期に合わせた格好で、ショートパンツやスカートにはレギンスを合わせ、スプリングコートなど気温に合わせてすぐ脱げるような、かつ洒落たコーディネートをしている。
特に目立っているのが澪だ。高い身長としなやかで長い脚、それをレザーパンツで惜しげもなく見せている。ジャケットも兄の影響か派手なものを着ており、可愛いというよりは美麗、格好良いといった感想が思いつく。
一方でセラとアリサは目立つ髪を隠すように黒髪のウィッグを被っているので、普段の彼女たちの容姿からすれば地味に見えるが、それでも整った端正な容姿はやはり人目を惹きつける。
しかしいくら道すがら男とすれ違おうとも、例えそれがホスト風の男や女好きそうなチンピラだったとしても、ナンパされることはなかった。理由は明白。
(何故三人とも、あれほどまでやさぐれ感を出しているんだ……)
どうにもアウトローのような雰囲気があの三人には渦巻いている。
悩み多き、と言うべきだろうか。
確かに蓮の仲間たちは何かしらの『理由』を抱えている。
立ち止まる理由――遠静鈴華は過去を。夜代澪は現在を。セラ・スターダストは未来を。
それぞれが憂いているのだ。その中の二人に並ぶ白髪紫眼の女も、同じく。
「……先が思いやられる」
路地の影から三人を見ていたヴォイドは、一息するために周囲の地図を広げる。
「――何が、思いやられるのかしら。ヴォイド・ヴィレ・エルネストさん?」
気配が、いつの間にか隣にあった。
「ッ――――」
ヴォイドは声にも表情にも出さないが、内心はものすごく驚いていた。
「やれやれ――おどかしてくれるなセラ・スターダスト。気づいていたのか?」
寄りかかっていたガードレールから、一瞬にして別の路地を経由しヴォイドの隣に移動する。
人間の脚力では不可能な、まさに一瞬の出来事だが、それでも彼女はやってのけた。
金色と銀色のオッドアイがヴォイドを鋭く睨む。
(まったく、それがやさぐれてる風に見えるというのに……)
「澪は私以上に早く気が付いていたわ。何せ勘がいいんだもの。きっとアリサも気が付いている。視線がそういう動きをしていた」
「細かい観察眼だ。なに、妹が心配でね。邪魔をするつもりはなかったとだけ言わせてもらおうか」
「嘘は言っていないようね。でも、一緒に行きたいなら隠れることないじゃない?」
(『モノクローム』の下見が終わり、少し様子を見て『月夜野館』へ戻ろうとしたが、三人のあのアウトロー風吹かせてる姿を見せられ、この先の顛末が気になった――と正直に言うのは気を悪くさせる、か)
仕方ない邪魔するつもりはなかったが。
「悪かったよ。改めてオレも同行させてもらおう。護衛だ」
「ええ、結構よ。さて、じゃあ貴方も考えてくれないかしら? もう三十分も行き先を決めあぐねているのよ」
ヴォイドはあまりこういった物言いは好きではないのだが、他にどう言い表したらいいのか見当もつかないのであえて声には出さず、呟いた。
――残念ながら三人の『女子力』というものは一般女性のそれと比べると著しく低いようだ。
全員二十の女、いや夜代澪は三人の中で一番大人びているように見えてまだ十八だが、そんな年端もいかない三人がああも残念とは。
外見と雰囲気が一致しない面々と合流したヴォイドは事情を説明し、そして事情を聴く。
「それで? 行き先が決まらないとは聞いたが、具体的な目的はないのか?」
「ないね」
「ないわ」
「……ない」
三者三様に最も求めていなかった返答が来ると、ヴォイドは眩暈がしたように額に手を当てた。
「本当に何もないのか。その年頃なら、服を着せ変えてみたり、雑貨屋で小物をチェックしたり、スイーツを食べ歩いたりとかするものじゃないのか?」
澪はそれを聞いて掌に拳を載せた。疑問が解消されたような素振りではあるが、本当に先ほどヴォイドが並べた例のようなことが思いつかなかったのだろう。
「貴方ってそういうことに詳しいのかしら? 察しは付いているでしょうけど、私たちはそういうことに疎いのよ。アリサまでそうなのは意外だったけれどね」
セラは思ったことを率直に口にした。どこか気まずそうにアリサが目を泳がせていたので、ヴォイドは口を開く。
「あ、ああ。アリサは昔からそうなんだ。自分で良いと思ったものよりもオレの選んだ服やたまに買って帰るスイーツなんかを喜んでくれてな。だからそういったものはオレのほうが詳しい」
「いい兄貴っぷりだねぇ。どっかの誰かさんにも見習わせたいところだよ、マジで」
今の言葉を蓮に伝えてやり助言の一つでもしたいところだが、夜代兄妹の事情を思うに、あまり他人が横やりを入れないほうがいいだろう。
「まあつまり、オレが適当に店を案内すればいいんだろう? そういうことならお安い御用だ。いつまでもここで立っている訳にもいかないしデータの収集もある。オレの信条は『効率的に素早く』だ」
「私も賛成よ。では、早速行きましょう」
「よし、ならアタシが先陣を切るぜ!」
そう言って、二人は当てもなく歩き出した。一歩遅れるヴォイドは、更に一歩遅れるアリサから声をかけられる。
「……服を選んであげて、スイーツを買っていく、ね」
「――余計なコトは言うな」
「……こっちの台詞だから、それ」
アリサに向ける自分の表情が、決して兄が妹にするような表情ではないことを自覚すると、ヴォイドは軽く咳払いをして首元のボタンを一つ外した。張り詰めた糸を緩めるように。
そこから二時間ほど服や小物の買い物に付き合ったヴォイドは、三人を連れて適当なスイーツ専門店へと向かっていた。
そういったことに疎い、と自嘲していた割には三人が三人とも遠慮なく荷物を増やしていったわけで、すっかり街の案内人から荷物持ちへと成り下がったヴォイドは、とにかくどこでもいいので腰を落ち着けたかった。
そこで選んだのがこの店なのだが、どうやら有名人のサインが置いてあるほどの人気店のようだ。
運良くすぐに店に入れたものの店内は混雑していた。休日ということもあってか学生からOL風の女性まで、甲高い話し声が充満している。
「……本当に、ここで構わないのか?」
さすがにこういった雰囲気に乗れるほどヴォイドは若くない。完全にアウェーだ。だから別の店に行くのはどうだろうと暗に提案してみたのだが。
「別にいい」
澪に呆気なく却下された。
一通りの注文を終え、一通りの物が揃うと、セラを皮切りに無言でパクパクとケーキやパフェを食べ始める三人。
ヴォイドは、甘い物など少し食べればそれで充分なのでひたすらにコーヒーを飲んでいたのだが、その横でセラの胃袋に驚愕していた。
なんと注文したケーキの半数以上を食べただけでは飽き足らず、人気店によくある大食いメニューであるところの『グランドジャンボパフェケーキ』をケロリとした顔で完食したのだ。
二キロか三キロはありそうなそれを平らげた横で、呆れた顔を見せる澪。一方でアリサは、小さなケーキを少しずつ食べていたのだが、元々の白い肌を更に青白くしてどこか体調が悪そうにしていた。
「……ちょっと、お手洗いに」
そう言っておぼつかない足取りで歩いていく姿を、セラは神妙な表情で見届ける。
「人酔いしたか、それともセラの食べっぷりに酔ったかな。いずれにせよデータも充分集まったし早めに戻ってやろうぜ」
「気を遣わせて、済まないな」
数分後、アリサが先ほどよりは顔色をマシにして戻ってきた。何事もなく席に座り、紅茶をあおる。
「――胃酸」
「遺産? 何言ってんだ、セラ。……あ、そういえばさ、黒乃って一応財団の次男なんだろ? だったら亡くなった父親の財産は黒乃にもある程度相続されてるのか?」
セラが澪の横腹をつつく。澪はおそらく単純な好奇心からその質問をしたのだろう。別に悪気があるわけではない。ヴォイドはその好奇心を沈めるように話す。
「確かに十年前、前代表である剣崎惣一朗は莫大な財産を残して亡くなった。その際、確かに黒乃君は財産の一部を相続したらしいが、管理は財団が行っているようでな。実際には自分の物とは言えないそうだ」
以前に聞いた話をそのまま伝える。黒乃が実際に使える資金は無いと言っても過言ではなく、そのおかげで高校時代はよくアルバイトをしていた。
「……世知辛いなぁ、それ」
世知辛いのはオレもだ、とヴォイドは知らない間にぐいぐい手元寄せられていた会計伝票を見て思った。