『過去改変/Silver bullet』
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「世界の……解、放……?」
蓮が語った目的を、黒乃が繰り返し呟く。
「そうだ。これは革命とも言えるだろう。黒乃、この世界は『神』によって創られた。偶発的な超新星による誕生ではなく、意図して創られたものなんだ」
「はあ……」
これまで魔術なんて人知を超えた――否、ヴォイドはあくまでも人の身に収まる力だと言っていたが――ものを知らなかった黒乃としては、何かおかしな宗教にでも引っかかったような感覚を覚えるが、とにかく話を聞くことに専念する。
「だがここで言う神とは例えば神社などで祭られているような神とは全くの別物で、空より上、天より上の存在のことを指している。『イノセント・エゴ』――それが神の名だ。そして古来より魔術師は『イノセント・エゴ』の存在する『天上』を目指し、神の体現者である魔法使いを目指した」
「……な、なるほど?」
「しかし二〇二〇年の未来、突如として世界は神から見放された。世界はあまりにもあっけなく崩壊を始め、あと少しですべて虚無に飲み込まれるというところで、俺たちはある人から世界を変える力を――たった一度きりのみ行える『過去改変』の力を託された。その人物の名は久遠遥。世界で唯一、過去に干渉する力を持った魔法使いだ」
親鳥が居なければ、雛鳥は生きていけない。『イノセント・エゴ』に見放された世界は――終末を祝福された。
「……過去を変えて、未来を救う」
その為に、彼らは未来からやってきた。久遠遥――彼女から力を託されて。不意に、ヴォイドの言葉がフラッシュバックする。魔法使いはもう――この世にいない。
蓮はその後、託された過去改変の発動条件について語ってくれた。簡単にまとめるとこうだ。
過去改変は世界の破滅が一度確定してから発動するものである。
確定後、術者は世界破滅の要因を消去するため、過去にタイムトラベルする。
つまり今回は『世界が神様に見放され滅びの運命が確定した』から、それを『引き金』として力を託された蓮とその仲間が過去に来た、というわけだ。
「本来なら遥さんが来るべきところだが、彼女には今回、過去に戻れない事情があった。だから俺たちが託されたんだ。同時に彼女は二〇一〇年に決着した『起源選定』という儀式の結果が、滅びの要因になる可能性を示唆していた。おそらく結果がどう転ぶか、それなりの時間が経ってからでないと判断できなかったのだろう」
『過去改変』の能力はあくまでも受動的なものだから、と蓮は語る。
「そしてこの時代に来た俺たちはヴォイド・ヴィレ・エルネストに接触した。それが五日前のことだ」
ホワイトボードに円を二つ書き、片方には自分ら、片方にヴォイド、アリサの名前を書いた。二つの円は、より大きな一つの円によって纏められる。
「ヴォイドとは共闘契約を結んだ。俺たちは世界を解放するために『起源選定』――戦いに加わる必要があり、ヴォイドはアリサを守るための人手必要としていた。互いに利害が一致したわけだな」
蓮はホワイトボードに一連の流れを描いた。黒乃はそれを必死に咀嚼し飲み込む。さっきまでの鼓動の高鳴りが、どこか胃もたれしたような気分の悪さに変わっていくのがはっきりと判る。
(ああ、そうさ。――ビビっているんだ、僕は)
蓮は新たにホワイトボードに『起源選定』と書き加えた。
「『起源選定』とは、エルネストという一族の中で行われるバトルロイヤルだ。選ばれた十三人には『Ⅰ』から『ⅩⅢ』までのカードが配られ、命を懸けてそれを奪い合うことになる。そうして十三人、次に十三人、また十三人と、長い年月をかけて最終的に一人の勝者を生み出すというもの――で間違いないな、ヴォイド」
「ああ。もっとも人によってはこの最後の世代に存在していること自体が勝者だと、そう言う者もいるだろうがな。……黒乃君。君が記憶を失ったのは、事故のせいじゃない。本当は二日前、アリサが襲撃された際に巻き込まれたからだ。『起源選定』の最後の幕は既に上がっているんだよ」
「……ッ」
アリサに視線を向ける。彼女は虚ろな眼で下を向いていた。
「……なんでそんなことが起きてるんだ……」
「すべては神が進化するためだ。『起源選定』――我々が持っている感情のどれが必要で、どれが不必要かを見極めているのさ」
黒乃が小さく呟き、ヴォイドがそれを拾う。感情の取捨選択。そんな傲慢なことが許されるのだろうか。何より感情とは、心とは、良いも悪いもあって初めてそれと言えるのではないだろうか。
「……しかしこのまま勝者を生み出すだけでは、世界を神の手から解放することはできない。実際、二〇二〇年で世界は終わってしまうからな」
世界の終わり――蓮が語るそれには不思議と説得力があった。当然か。彼は、彼らはそれを実体験として持っているのだから。ただ空想を語るだけの子供の言葉とは、決定的に重さが違う。
「でも……どうして世界が……」
「有り得ない話ではない。『イノセント・エゴ』にとって、この下位世界はただの実験場だ。実験が終われば、道具は片付けられる。不必要になった世界は、捨てられる。そんなところだろう」
蓮の説明にヴォイドが付け加える。
「つまり既存のルールに従うだけでは未来は約束されない。過去を改変し、失われた未来を取り戻す――それが俺たちの使命だ。そこで、まず手始めに――他のエルネストと接触し『起源選定』そのものを破壊するための情報を得ることにした。狙いは『モノクローム』だ」
ここで、病院の屋上で蓮が言っていた言葉がフラッシュバックする。『モノクローム』とは黒乃の兄である剣崎惣助が実権を握っている剣崎財団が作り上げた超高層ホテルのことだ。新聞によると明後日に完成記念式典を控えていたはずだが。
「『モノクローム』に?」
黒乃がそう訊ねると、蓮は伝えていいものかと一瞬のためらいを見せながらも、その事実を告げた。
「……『モノクローム会合』という有名な話がある。世界に点在する魔術世界の秩序を守る巨大組織――『アセンブリー』の本部と支部、計十一箇所がある年、反抗組織による同時テロを受けた。革命を起こそうとした巨大な動きだったと言われている。結果を言えば『組織』が勝利した、が多すぎる犠牲者が出た。その後の調べで発覚したのは、テロに使われた資金を援助していたのは――剣崎財団だったということ。財団が反抗組織と接触したとされるのが『モノクローム』の式典だということも語り継がれている」
だから――『モノクローム会合』。言葉が出なかった。自分の家が、血の繋がりを持つ者が人殺しに加担している、という事実によるショックは全身を脱力させるのに容易い。
「……蓮、一つ、訊いておきたいんだ。蓮や君らは――その『組織』に所属する人ってことでいいのか? もしそうなら僕は――」
剣崎の名を持つ者として、謝罪しなければならない。たとえ記憶がなかろうと。絞り出した声で問う。
直後、黒乃の視界の端で薄緑色の髪が静かに揺れた。
「――正確には剣崎財団だけではなく、その他五つの大金持ちがテロに加担した。ある人は家族を人質に脅され、ある人は洗脳され、ある人は殺されて別人が成り代わっていた。すべての責任が剣崎財団にあるわけではないわ。それに私たちは全員あの組織を抜けている。もっと言えば、時系列上、私たちはその戦いには関わっていないし――どうでもいいわ」
淡々と語るセラの言葉に、黒乃は僅かに戸惑う。
「えっと……、……もしかして、フォローしてくれてる?」
「いいえ。ただ補足をしただけよ」
投げやりな言い方で抑揚のない声音だったが、それでもセラの気遣いは黒乃の心に染みた。スズカに目線を送り、確かに見た目で判断しちゃいけないね、と口元を綻ばせる。スズカもそれに小さく頷いた。
「ま、確かに良い職場とは言えなかったしな。あの組織。デカい分、善も悪も兼ね備えてしなやかに使ってくるからな。遥だって所属はしていたが少し特殊な立場だった。いずれにせよ黒乃が気にすることはねえよ」
「……ありがとう、澪」
スズカが入れてくれた温かいハーブティに口を付け、心を落ち着かせる。ここはいい場所だし、ここに居る人もいい人ばかりだ。心強い。
「――話を続けるぞ。何故『モノクローム』に向かうのかだが、ヴォイドの話ではアリサの襲撃に使われたのは魔術だ。本来、通常の魔術師は『組織』が敷いた秩序によって保護されることになる。いくつか条件はあるが魔術世界での人権のようなものがあってな、その恩恵を受ける条件の一つに『魔術の秘匿』というものがある。しかし今回――」
「敵は町中で魔術を使用した」
ヴォイドの指摘に蓮は頷いた。確かにそれは『魔術の秘匿』を目的とする『組織』の理念から外れている。
「『組織』は今回の『起源選定』には極力関わらない方針だが、一応マークはしたはずだ。それでも情報が挙がってこないということはおそらく、反抗組織を隠れ蓑にしているのだろう。だから直近で、もっとも反抗組織と接触できる機会――『モノクローム会合』に潜入し、情報を探る」
「でも情報って言ったって、どうやって?」
「アリサを会場に連れていく。そして敵に行動を起こさせる」
「――――な」
あっさりと言い切った蓮に対して、ほぼ反射的に、黒乃は抗議の声を挙げようとした。それはアリサをおとりにして敵を炙りだすということだ。そんな自分から危険に飛び込むようなことを、絶対に認めたくない。
しかし――蓮の目は本気だ。
蓮だけではない。澪、スズカ、セラ、フレアも。それに何も言わないということは、アリサも既に了承済みなのだろう。
だとすれば黒乃に口を出す権利などあるわけない。
それに、『モノクローム』に入るには黒乃の名前が必要だ。それはつまり黒乃自身も同行する必要があるということ。
(ならいいさ、僕がアリサを守るだけだ)
短く息を吐いて、数度頷く。自分に言い聞かせるように。
「今回の目的はあくまでも情報の入手。理想は『起源選定』を破壊するための情報を得ることだが、現実的に考えれば『敵』の数が把握できれば、それで充分だ。もし戦闘が発生しても極力応戦せず撤退を優先する」
敵を知ることで今後アリサをおとりにする必要がなくなる。そして戦闘を起こさないことで無関係な人を巻き込まない。それはおよそ考えられる中で最も慎重かつ、丁寧な作戦だ。
これならきっと、安心して身を委ねられる。
「よし。これで前提は終了だ。――これから本題、作戦概要を説明する」