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『交流/Precious peace』

 大浴場に通じる扉まで辿り着いた黒乃(くろの)は、体の汚れを落とすという本来の目的を忘れて、その場にしゃがみこんでいた。

 理由としては、床に敷かれたカーペットの観察。というと、黒乃が変人以外の何物でもないので情報を付け加えると、観察しているのはこのカーペットについた足跡だ。

 これが黒乃の好奇心を刺激している。


 おそらく大浴場から出てきて濡れたままの足でここを歩いたのだろう。だが問題はその形だ。その足跡は到底、人のものだとは思えないカタチをしている。


「犬にしては大きいよな。普通に大きすぎる。いや、大型犬とか……? もしかして未確認生物(UMA)――」


 微かに大きな爪の痕らしきものもあるし、可能性は高い。魔術なんてものがこの世界に存在していたのだから、超常の存在の一つや二つあっても不思議ではないだろう。


「待てよ?」


 もしかしたら、まだこの大浴場に何か手掛かりが残っているかもしれない。そう思い至ると、少年心とも言うべきものが黒乃の心の奥で疼く。


「ここに来てから、退屈しないなホント」


 黒乃の声が浮ついている。心の底から、今この場所にいることが嬉しいのだ。自由を求め、翼を広げた先にある未知との遭遇が。

 それを自覚した黒乃は、勇ましく大浴場の扉を開けた。


 中には大理石の床に、洗面台とセットになった鏡が、部屋の左右にずらっと並んでいた。それぞれの鏡の前には律儀に色の違うカウンターチェアがセットで置かれており、その内の一つ、赤いカウンターチェアには、髪をブラッシングしている子がいた。

 

 肩に掛かるくらいの鮮やかな赤い髪に、赤い目、着ている黒いTシャツが大きいせいか下に何を履いているかは隠れていて判らない。その代わりに見えるほんのり赤くなっていた手足は、スズカや澪のような健康的なもの――というよりはアリサのように作り物のような印象を受けるほど華奢だ。


「あれ、何か忘れ物かなー? と――おや、初めましての人だ。こんばんはー」


 ブラッシングが終わった髪を靡かせ、その子は黒乃に向かって無邪気な子供のように屈託のない笑顔を向けた。慌てて後ろを向く。


「その、ごめん! 覗くつもりはなかったんだけど……」


「まあそう慌てない、慌てない。安心して、キミのことはレンから聞いてるよ。ボクはルドフレア・ネクスト。みんなはボクをフレアと呼んでいるからキミもそう呼んで構わないからね! ……ところでなんでさっきから後ろ向いてるの?」


 ぺちぺちと素足で歩くフレアの足音が近づいてくる。


「え⁉ いや、そのー……」


 黒乃は戸惑っていた。ルドフレア・ネクストと名乗った子が男の子なのか女の子なのかさっぱり判断がつかないことに。

 (みお)は言っていた。今の時間は男湯だと。だから普通に考えればルドフレアは男だ。しかし黒乃の考えを真正面から折り砕くように、その見た目は完全に女の子なのだ。人形のような端正な顔立ちに薔薇のように鮮やかな赤髪、華奢な手足、中性的な声。


(でも一人称はボクだ。僕と同じだ)


 それに、女の子がお風呂上がりを知らない男に見られたら、何かしらの恥ずかしさが現れるんじゃあないだろうか。けれどルドフレアにそういったものは見られない。どころか初対面なのにすごい物腰が柔らかくフレンドリーな感じだ。ということは男の子、でいいのだろうか。本当に。


「ねえ、キミのコトさ、クロノって呼ぶけどいいよね? ボク、人の名前を苗字で呼ぶのはあんまり好きじゃなくてさ。だって苗字って家の名前でしょ? ボクが話しかけているのはその個人なんだからさ、個人じゃなく血筋って感じのする苗字呼びは好きじゃないんだよねー」


「あ、ああ、うん。いいんじゃないかなー……」


 今日体験したどんな出来事よりも心臓が早鐘を打ち、どうしようもなく冷や汗が流れる。とにかく頭を巡らせて、黒乃は一つの案を思いついた。


「ところで、今の時間は男湯……だよな? 澪からそう聞いたんだけど」


 もしこれで男湯だと返事がくれば、ルドフレアは男で確定。それで万事解決。オールオッケー。何の問題もない。我ながら名案だと拳を握り、その答えを待つ。


「――ん? ああ、もうこんな時間なんだ。確かに今の時間は男湯かな! それじゃあ、ボクはこれで……ではではー」


 ルドフレアはすっと黒乃の真横を通り、扉を開けて出ていってしまった。まるで嵐のような出会いだった。


「……結局どっちなのー⁉」

 

 真相がわかるのは、もう少し先のことだった。

 一難乗り越えた黒乃は、結局例の足跡のことなどすっかり忘れて、とにかくお風呂を済ませることにした。よくわからないこの状況でまた何かが起こるとしても、せめてそれは万全の状態で受け止めたい。


「もしかして……押しに弱いのかなぁ、僕」


 そんなことを考えながら適当にシャワーを済ませ、湯船につかる。幸いシャンプーなどは備え付けのものがあり、少し熱めに設定された湯も気持ちがいい。

 こんなに広い浴場を使うのは初めてのことだったが、黒乃以外誰もおらずかなりリラックスすることができた。思えば病室には監視カメラがあったし、誰にも見られていない一人だけの時間は久しぶりだ。

 入浴は心の洗濯というらしいが、間違いない。


「――いい場所だな、ここ」


 できればもう少しこの時間を味わいたかったが、あまり長湯していてはブリーフィングとやらに遅れてしまう。

 ほどほどのところで切り上げ、脱衣所へ戻る。すると、黒乃が病院服を置いていたモノクロのカウンターチェアの上には、いつの間にか見覚えのない服が用意されていた。おそらく澪が用意してくれたのだろう。

 

 着替えを済ませた黒乃はリビングへと戻ることにした。時刻は午後十時が十一時に変わりそうなところ。

 ブリーフィングに参加するため、リビングには黒乃、蓮、澪、スズカ、ルドフレア、それと名前の分からない女が一人、集まっていた。


「蓮、着替えありがとな。かなりイカした服だよ」


 一時間ぶりに再会した蓮に、早速服を借りたお礼を言う。借りたTシャツはかなり弾けた見た目をしている。黒を基調に、胸のところに白色で割れたガラスを描いたような柄のあるいわゆる『パンク』なシャツだ。


「ああ。……だが、下のジャージは俺のではないぞ?」


 疑問を抱く僕を尻目に、近くで会話を聞いていた澪が言葉を挟んだ。


「やー、それアタシの。だって兄貴の私服どれも派手なのばっかだしさ。上はいいけど下は部屋着には適さないんだって」


 確かにパンクなTシャツに黒無地のジャージというのは些かミスマッチだと思っていたが、まさか澪のジャージだったとは。


「……」


 女の子の私服を借りるなんてことは初めてなので、どう反応していいか分からない。が、少なくともジャージはジャージだ。特別何か感じるものはない。強いて言うなら、サイズが黒乃用に伸びてしまわないか、少し心配だった。


「待て、ジャージなら俺も持っている。右側のクローゼットにあるはずだが」


「ええ? そんなの知らねーよ。見つからなかったものは見つからなかった」


「本当か?」


「あ、蓮くんのジャージだったら朝に洗濯しましたよ。ほら、先日の大掃除で随分と埃塗れになっていたので、洗っておいたんです」


「ほらな?」


「……そうか」


「まったく妹の言うことくらい信じろよな。ほら、疑ってごめんなさいは? んー?」


 煽る澪の言葉に、蓮は僅かに眉間に皴を作った。


「疑ったわけではない。少し被害妄想が過ぎるんじゃないのか? それにしてもお前は男口調を控えてもっと慎ましやかな話し方をだな――」


「なーにがそれにしても、だ。別の話を持ち出すなよ」


「こういうのは普段から心がけて治さないといけないものだ」


「なんだとー?」


 兄妹の小競り合いが始まった。蓮は澪の普段の行動を振り返り正すべき点を指摘し、澪はそれを屁理屈で躱す。不思議なのが、澪の屁理屈はどこか抜け目ないと言うか、どこか納得できてしまうのだ。要するに口が上手い。これは蓮の分が悪そうだ。


「もう、喧嘩しないで二人とも。ハーブティー飲みます?」


 ハーブティーには気分を落ち着かせる効果があったはずだ。それを聞いた蓮と澪は、飲む、と声を合わせた。仲が良いのやら悪いのやら。


「僕も手伝うよ、できることは何でもしたい」


「ありがとうございます、黒乃くん。では棚からティーカップを八人分、お願いします」


 スズカがダイニングの隅に置かれていた電気ケトルの用意を始める。それを横目に棚を開けてティーカップを探す黒乃は、ふと兄妹の小競り合いを納めた先ほどのスズカの手腕を思い出す。


「まるでお母さんみたいだね。にしても、二人はいつもあんな感じなの?」


 蓮にはどこかクールそうなイメージがあったが、澪と話している時の彼はどこか砕けているというか普段とは違う気がした。


「ええ……ああやって互いの距離を測っているんですよ。信じられないかもしれませんが一年前まではもっと仲が悪かったんですよ、蓮くんと澪ちゃんって」


「へえ、そうなんだ。……あ、スズカ、もしかしてこれって使うカップ決まってる?」


 棚を開けた黒乃は、一つも同じカップがないことからそう予測した。

 シンプルな黒いマグカップに、アニメキャラがプリントされたマグカップ、どこかの草原が描かれたティーカップに、うぐいす色の湯呑、花柄で金の装飾がされたティーカップ。


「ええ。足りない分は右の棚にあります」


「あ、あったよ。と……それで、二人が仲良くなったきっかけは?」


「そうですね。やっぱり、蓮くんがプレゼントしたあのヘアピンですかね。蓮くんって実はとっても不器用なんです。で、澪ちゃんも色々あって蓮くんとどう接したらいいのか分からなくて。それでも二人は仲良くなる努力していて、その一歩があのヘアピンなんです」


「健気だね。それで君はその手伝いをしてる?」


「ええ。――あ、お湯が沸いたみたいです」


 スズカは慣れた手つきで並べたカップにティーバッグを使い人数分のハーブティーを用意する。


「この湯呑は誰の?」


 なんとなく訊いてみる。全員が別のティーカップを使っているとなると、シンプルめなのは蓮、アニメキャラのはスズカ、草原の絵画が意外と澪、花柄で派手な装飾のものがルドフレアのものだと予想していた。

 しかし湯呑に関しては少々難しい。消去法的にまだ名前を知らない彼女のものだろうが……。

 そんな黒乃の他愛のない疑問に、スズカは優しい声音で答えた。


「セラのです」


 セラ――澪が言っていた名前だ。黒乃は声を潜ませてスズカに確認を取る。


「それってあの窓際にいる、ちょっと話しかけ難そうな子のこと?」


「はい。いつもむすっとしていますけど、話してみると案外普通の女の子ですよ。まあ耳がいいので、あまりぶっちゃけないほうがいいですけど」


(……ちらり)


 そっと首を横に向けてみると、確かにむっとした表情でこちらをじっと見ていた。薄い緑色の髪をサイドアップにした髪型で、瞳は向かい合って初めて気が付いたが金色と銀色のオッドアイだ。空色の浴衣を着ていて、見た目は外国人なのに見事に日本の風土に馴染んでいるように感じる。

 湯呑を使うのも、言われてみれば納得できるが、しかしどうにもイメージが結びつかない。

 日本が大好きな外国人――といったところだろうか?


「――――」


 それにしても彼女からの視線は痛い。黒乃は耐えきれず、苦笑いを返した。


「――すまない、遅れた」


 扉を開ける音と共に、その声が室内に響いた。ヴォイドの声だ。後ろからアリサもやってくる。スズカは人数分のハーブティーをトレイに載せてテーブルの上に置いた。

 すかさず黒乃はうぐいす色の湯呑を手に取り、それを取りに来たセラに差し出す。


「さっきはごめん」


「いいえ、気にしていないわ。ありがとう」


 高い声を無理やり低くしたような声。どこか蓮と似たクールな印象を受ける。会話はそれで終わり、セラはまた窓際へと戻ってしまった。

 ハーブティーが全員に行き渡ったのを確認した蓮は、リビングの隅に置かれていたホワイトボードを全員の前に持ってきた。


「よし、これよりブリーフィングを開始する。だがその前に今回は黒乃への説明も兼ねて、改めて俺たちの状況を整理する。少し時間は掛かるが構わないな」


 全員が頷く。まず蓮は黒マジックで大きく『この時代に来た経緯』と書いた。やはり未来人と言ったのは冗談ではなかったらしい。

 思わず心臓が高鳴ってしまい、それを治めるように黒乃は胸に手を置いた。


「まずは前提の話を黒乃に覚えてもらう。先ほど端的に伝えたが夜代蓮(おれ)夜代澪(みお)遠静鈴華(スズカ)、セラ・スターダスト、ルドフレア・ネクストの五人は、今から十年後である二〇二〇年の未来からやってきた。その目的は――『世界を解放する』ことだ」


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