85 大勢のひとの中で
オレは人だかりの一番うしろに怪しげに笑う高校生ぐらいの男を見つけて、愛優ちゃんを押したかもしれないヤツだと思い、そっちに向かっていこうとした。
だが、愛優ちゃんに「待って」と腕を取られた。オレは振り向き、「どうして?」と聞き返す。
そうこうしている間にも逃げられてしまうと思い、気が気でなかった。
だけど彼女は言う。
「大丈夫だから」
「大丈夫じゃないだろ! あのまま車道に出てたらどうなってたか」
「でも、車道には出ずにすんだよ。空くんのおかげ」
そう言ってにっこり微笑む彼女を見ていると、その手を振りほどいてまで行くことができなかった。
振り返ってヤツを探したけれど、すでに人だかりの中で見つけることはできない。
「解ったよ。愛優ちゃんがそう言うなら」
悔しい気持ちを抑えてオレは言った。
「ありがと」
彼女にケガがなくて本当によかった。
ホッとしたのも束の間、オレはある違和感を憶える。
「うっ」
立ち上がろうと足に力を入れたときだった。
左足に痛みが走る。
さっき愛優ちゃんをかばって、彼女と地面の間に仰向けに滑り込んだ時にひねったのだろうか。
いや、違う。
もう痛みもほとんどなくなっていたので忘れかけていたが、あの先日の甲子園で痛めたところがまた痛くなっているのだ。
あのピッチャー返しをまともに受けた左足。
「どうしたの?」
愛優ちゃんが心配そうにのぞきこんでいる。
「いや、なんでもないよ」
治りかけていたケガが今の出来事でまた痛みを感じた、とはとても言えない。
「大丈夫?」
そう言われて「大丈夫、大丈夫」と答えて、ニカッと笑ってみせた。
もうすぐ高校野球秋季大会がある。
その秋季大会で優勝して、春のセンバツ高校野球大会への出場を果たす。
それが今のオレの目標だ。
だからこれぐらい、どうってことないさ。
家に帰って冷やせば元どおり。と思いたい。
悟られないようにゆっくりと立ち上がり、愛優ちゃんを立たせて、周りで見ていたひとたちに「お騒がせしました」と一礼した。
信号が青に変わり、皆それぞれの目的地に向かって歩き出す。
オレと愛優ちゃんもその波に乗って歩き出した。何事もなかったかのように。
雑踏の中のひとに紛れて歩くオレ達。大勢のひとの中では埋もれてしまうかもしれない。
だけどそんなオレ達だってオレ達なりに一生懸命生きているんだ。
日々の生活の中で、その毎日の『今日』を大事に生きたい。
なぜだかそんな風に思った。
そしてこの世の中に存在する大勢のひとの中で出逢えた彼女のことを、護りたいと、そう思った。
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