利用されたのでパーティから逃げました
「……今日は果物見つけれてよかったぁ」
森の中に籠を背負った少年がいた。灰色がかった髪で黒い外套を羽織っており、腰にナイフを提げていた。
彼は背負っていた籠を降ろして、中の赤い果物を一つ手に取った。それはしっかりと熟れているが、皮は厚い。しかし、ナイフを押し当てると、ほとんど力も入れていないのに皮が裂けた。
飾り気のない刃を果汁がつたっていく。手に垂れてきたのを舐めとると口の中で甘酸っぱさが広がった。
「このナイフ、Sランクって聞いたけど、ボクのレベルじゃこのぐらいにしか役に立たないからなぁ」
切った果実を食べながら彼は上を見上げると、青く澄んだ空を一匹の鳥が横切っていった。
「あれから結構経ったなぁ」
自分がさっきの鳥みたいに飛べたなら魔物に会わずに街まで帰ることができたかな、などと考えていた。果物を胃に収めた彼は籠を背負い直して歩き始める。辺りを注意しながらだったが、目的をもった足取りで獣道を進んでいった。しばらくすると、一軒の山小屋が見えてきた。
「ここを見つけられたのは助かったけど、ずっとここで待ってるのも無理があるし……どうしようか?」
彼は小屋の中に入って籠を降ろした。外套を脱いで椅子に向かって放り投げ、腰の短刀を外す。そして、ベッドに身体を投げ出した。
寝転がったまま天井を見て考えるのはついこの間までのこと。パーティを逃げ出した日から思い出さない日はなかった。
彼はパーティの中で能力を利用されており、それを見かねた回復術士に逃がしてもらった。元々、パーティで彼を人間として見ていたのは彼女だけで、高ランクの装備を渡したのも彼女である。
彼女がくれた魔物よけのペンダントを手に取ってみた。元は装飾品だったので蒼い石を金細工で留めた高そうなデザインだ。しかし、即席の術式を込めただけだったので、効力は切れている。彼はペンダントを少し強く握ったが、もちろん何も起こらなかった。
彼女がどうなったかが気になっていたが、それを確かめるだけの力は彼にない。辺り一帯の魔物とレベルの差があるため、戦えば負ける。回復役がいるならまだしも、一人では餌になるか、野垂れ死ぬだけだ。
この世界においてレベルの差は絶対である。一つでもレベルで負けているなら挑むには万全の準備をすべきである。人数、戦術、道具……彼にはどれも望めない。死にたくなければ、できるだけ自分より強い敵と接触しないようにするしかない。
「ボクはレベル5、ここらの一番弱い魔物でもレベル8。やれるだけ、やってみよう――」
彼は身体を跳ね起こして、ベッドから飛び降りた。採ってきた果実を道具袋に入れて、短刀を提げる。最後に外套を着こんだ。
彼が山小屋にたどり着いてから一週間が経っていた。魔物よけのない今は街まで無事に辿りつくのは不可能だろう。容易に想像できる死に対して背筋が凍るような感覚があったが、このままでは埒が明かない事も明白だった。
彼は街へと向かう。魔物を見つければ迂回し、草陰に潜んで息を殺してやり過ごす。夜になれば魔物の行動は活発になる。その前にある程度は進んでおきたかった。
「どれだけ頑張っても見つかっちゃうんだろうけど――って、うわぁああっ?!」
せめて寝込みを襲われないようにしないようにと考えながら進んでいると、足を滑らせた。そのまま急な崖から落ち、坂道をごろごろと転がる。一応、目指している街の方へ向かっている。
木の枝やら、石などに何度かぶつかってようやく止まった。あちこち傷だらけではあったが、致命傷ではない。普通ならば大けがでは済まないような落ち方だったが、彼の外套が高ランクの装備だったので防御してくれた。とはいえ、薬草も回復薬も持っていないので、傷を癒やせない。とりあえずは命を守ってくれた外套に感謝しつつ埃を払っていると、彼の頭上に影が落ちた。
「あいたた……って、え?」
彼の顔を上げた先には火トカゲがいた。魔物は人間よりも一回り、二回りほど大きい。彼はそこで自分の置かれた状況を認識した。
転がり落ちたのは火トカゲの巣。魔物からすれば突然寝床に侵入してきた不審者であり、どう対応をするかは明らかだった。巨大な火トカゲがチロチロと舌を出しながら彼を威嚇している。ちなみに、火トカゲはこの付近では弱い魔物に分類される。
「……ゆ、許してくれたりしない、かなぁ?」
彼は精一杯の愛想笑いをしてみたが、当然無意味だった。次の瞬間、火トカゲは彼に襲い掛かり、炎気を纏った爪が大地を抉った。横へ跳んだおかげで回避できたが、そう何度も上手くはいかない。
「ガァアアア――ッ!」
辺り一帯に響きわたる咆哮。開いた口から炎が漏れ出し、覗く牙は竜の眷属であることを見せつけていた。火トカゲが再び間合いを詰める。真正面から睨みつける火トカゲの眼光に彼はすくみ、そして、直感した。
(次は、ない――)
彼は火トカゲの餌になってしまうと悟ったが、あの小屋で腐っているよりはよほどマシかと思った。意を決して腰から短剣を抜きはらう。
倒すのは無理だとしても、傷跡の一つぐらいは残してやろうと思った。短刀を向けられた火トカゲは不快そうにもう一つ吼えた。びりびりと身体の芯に響いてくるその叫びを聞いて、決意がわずかに揺らぐ。魔獣はその隙を見逃さない。
火トカゲは大地を蹴って彼の方へ向かって走った。急速に目の前に迫ってくるのは分かったが、彼は動くことは出来なかった。
「しまっ――?!」
頭突きを食らって高く吹き飛ばされ、身体が空中に放り出された。地面への激突を覚悟したが、それはさらに悪い方へと裏切られる。落下地点にいた火トカゲが振り回した尻尾に打たれて、岩に激突した。
「がっ、はぁ……っ」
肺から叩き出された空気に遅れて口から血を噴き出した。全身を襲う激痛は転がり落ちた時とは比べ物にならない。死の恐怖は今まで変わらず何度味わっても慣れることはなかったが、これで最後なのだと思うと少し気が楽になるような気がした。ズルズルと岩から落ちて、地面に倒れた。
火トカゲが大地を踏みしめる足音が傷に響くので、自分の方へ近づいてきているのがわかった。火トカゲは彼の前まで行くと細長い舌で彼を一舐めし、捕食しようと口を大きく開いた。
「――待ちなさいっ!」
それは凛としてよく通る声だった。辛うじて目を動かして声のした方を見ると、少女がいた。長い金髪は風に踊り、気の強そうな赤い瞳が魔物を見据えている。そして、彼女は華奢な体型に似つかわしくない大きな両手剣を持っていた。その剣は見ただけでも一級品とわかる圧があった。
「火トカゲの声がすると思って来てみたら、間に合ってよかったわ」
火トカゲは人間を食うが、若い女の肉の方が好みである。興味の対象が瀕死の少年から割り込んだ少女へと移った。同じように痛めつけ、食べてやろうと少女へと向き直ったが、それは遅い。
彼女は空中へと跳びあがり、剣を振りかぶっていた。そして、そのまま火トカゲの脳天めがけて振り下ろすと、ガツンと鈍い音がして火トカゲの頭に剣が突き立った。両断には至らなかったが、重い一撃に巨体が倒れた。
戦果を確認することなく、彼女は彼の方へと駆け寄った。自分が汚れるのも構わずに血まみれの彼を助け起こすと小瓶を取り出して飲ませる。しかし、彼にはそれを飲み干す力は残っていなかった。
「ゲホッ、ゴホッ――」
「だ、大丈夫?! ……ってその傷じゃ飲めないわね」
彼はせき込んで血と同時に回復薬を吐きだした。それを見て少女は新たな回復薬を取り出したが、ためらう素振りを見せた。それは彼女は口移しなら飲ませることができると気付いたからだった。
「ふぁ、ファーストキス、なんだけど……名前も知らないって言うのはちょっとイヤね」
「なま、え……?」
「い、意識あったの?!」
彼はかろうじて意識を繋ぎとめていた。彼女の瞳が驚きの色を帯びていた。絞り出すように彼は名前を告げた。
「ボクは、クロ、ウ……」
「あたしはフレイ。クロウ、今助けてあげる」
フレイは回復薬を口に溜めて、クロウと唇を重ねた。押し付けられた互いの唇の間からわずかに薬が漏れる。力の入らない彼の口の中にそっと彼女の舌が差し入れられ、唾液と混ざった回復薬が流し込まれる。もうろうとする意識の中でも、彼女の唇の柔らかさ、舌の熱さ、優しく甘い香りをはっきりと感じた。そして、薬が喉を通過すると同時に身体に力が戻ってくる。
「んくっ、くっ……ぷはぁっ! まだ、だ……!」
「ちょ、ちょっと! きゃあっ?!」
火トカゲが残る力を振り絞って火炎を吐こうとしていた。彼らに避けることは無理だった。とっさにクロウはフレイをかばった。しかし、瀕死であったせいか、狙いは大きく外れていた。
力を使い果たした火トカゲはそれきり動かなくなり、彼は腕の力を抜いた。すると、青白い光が彼らを包み込み始めた。
「あれ、え、嘘、これって、レベルアップ?!」
驚くフレイに対して、クロウは長く忘れていたレベルアップの感触を思い出していた。
彼の能力は自分と味方の経験値を増やす力である。そして、彼と敵とのレベル差が大きいほど経験値の増加分が増えるので、戦闘のたびに味方から攻撃されて気絶させられていた。レベル差が絶対のこの世界において経験値を増やせるというのはバランスブレイカーと言える。
だからこそ、クロウは能力を利用されていたのだった。