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あなたに復讐の花束を

 目当ての扉に辿りつくと、俺は怒りのまま開けた。

「カテリーナ!」

 ばんと大きな音が、王宮の優雅な室内に響く。

 赤い絨毯の上に置かれた猫足の椅子に座り、上品な仕草で紅茶を飲んでいた赤い髪の女性は、俺の無作法な仕草に驚きもせずに振り返る。


「あら、イザーク様」

 俺の怒った顔にも愛想のよい笑みを浮かべてみせる余裕のある態度は、さすが老練な国王陛下の孫なだけはある。外孫だが、今の王太子夫妻に子供がいないせいで、幼い頃から未来の女王候補としての教育を受けてきた本心を悟らせない笑みだ。

 けれど、俺は黒髪を揺らして大股で歩くと、お茶を飲んでいるカテリーナに近づいた。


「どうしてリーゼを投獄した!?」

「ああ、そのこと」

 しかし、俺の怒りもカテリーナにはそよ風程度らしい。

「王族の君に嫌がらせをした罪だと聞いたぞ!? あの気弱で優しいリーゼが、そんなことをするはずがない!」


 黒目を見張って力説しながら、俺は脳裏に幼い頃からの婚約者を思い出した。風に揺れる長い金の髪の中で、リーゼはいつも控えめに微笑んでいるような少女だった。成長しても、俺が笑いかけただけで、すぐに真っ赤になって口ごもってしまうような――。

 年頃の男としては、そんな婚約者の反応を物足りなく感じたこともあった。だから、友達に誘われるままに華やかなサロンに出入りもしたが、一度としてリーゼとの婚約を解消なんて考えたことはない!


 けれど、俺の張り上げた声が不快だったのか、すっとカテリーナの緑の瞳が据わった。

「だって、いつもイザーク様を一人占めしているのですもの」

「なに……?」

「わたくし、何度もご注意申し上げましたのよ? 公爵家の生まれで、わたくしの遠縁にもあたるイザーク様は、未来の女王たるわたくしの伴侶にぴったりだって。それにイザーク様も、わたくしを気に入ってくださったからこそ、サロンにもよくいらっしゃっていたのでしょう? だから、優しいイザーク様が言い出せないのを良いことに、たかが子爵令嬢にすぎない身分で婚約者の位置に居座ったりせず、さっさと婚約破棄をお願いしなさいと」

「なっ……!」

 思わず、言葉が続かなかった。

 こいつ! 俺の知らないところで、何を勝手なことを!


「それなのに、あのリーゼときたら頑なに頷かなくて……このわたくしをいらいらとさせたのですもの。四日後の死罪は当然でしょう?」

「死罪!?」

 何を言っているんだ、こいつ!

 けれど、カテリーナは豪華な部屋の中央で酷薄な笑みを浮かべている。

「当たり前でしょう? 王族である私の言葉に逆らったのなら、反逆罪も同然です。それとも、まさかあのリーゼの命乞いをなさるの?」

 喉まで出かかった怒鳴り声を必死に飲み込んだ。そうだ。絶対王政のガルド王国では、王族に逆らうことは死を意味する。

 俺はどうなってもいい。だけど、今牢に入れられているリーゼの命だけは…………。


「頼む……。幼馴染なんだ……」

 リーゼの死に顔など見たくない。

 だから、こみあげて来る怒りを飲み込んで、カテリーナの前に膝をついた。これで足りないのなら、土下座でもなんでもしてやる!

「だから、頼む。リーゼを助けてくれ……!」

「ふうん」

 けれど、カテリーナは冷酷な笑みを浮かべた。


「いいわ。イザーク様があの娘との婚約を破棄して、あの娘が私への無礼を認めて謝罪をするというのなら助けて差し上げます」

 弾かれるように、俺はカテリーナを見つめた。

「婚約を破棄される?」

 ぐっと拳を握り締める。

 婚約など――何度だってできる。俺の妻になるのは、リーゼしかいない。

 だけど、今、リーゼの命を助けるためなら。

「わかった。婚約を破棄しよう……。そして、必ずリーゼに謝罪をさせる」

「けっこうですわ! そのお言葉をお待ちしてました!」

 高らかに響くカテリーナの笑い声を聞きながら、俺は敗北感に打ちひしがれた心で立ち上がった。


 

 カテリーナの部屋を飛び出してから、すぐに王宮の端にある牢に来たが、まだ中にいるリーゼには会えない。

 遅い。

 面会を申し込んでから、もう一時間近くになるんじゃないか?

 雪で凍える入り口の近くに立ちながら、黒い石牢を見つめていると、やっと牢番が呼びに来た。

「面会時間は十分だけです」

 短い!

 だけど文句を言っている暇もない。唇を噛みながら、薄暗い石牢の中を駆け出すと、一番奥の鉄格子の中に見慣れた金色の髪の姿が蹲っていた。


「リーゼ!」

 よかった。まだ、ひどい目にはあわされていないようだ。

 美しい金の髪は、乱れてぼさぼさになり、空色の両目は泣き腫らしたように真っ赤だが、大きな怪我をしていない姿にほっとする。

 けれど、俺を見たリーゼの優しい面立ちはくしゃっと歪んだ。そして震える声で手を伸ばす。


「イザーク様……! 私との婚約を破棄されたとは本当ですか……?」

 あいつ、カテリーナ!

 リーゼにショックを与えるためだけに、わざわざ先回りをして自分で告げにきていたのか!

 リーゼへのあまりの仕打ちに強く唇を噛む。


 違う! あれは、お前を助ける為に、ついた嘘だ!

 今本心を叫んで、震えているか弱いリーゼを抱きしめてやれたらどれだけよいだろう。

 だけど、周りを見張るように衛兵が立っている状態では、今本当のことを口に出すことはできない。言えば、きっと激怒したカテリーナはリーゼを殺すだろう。

 だから、俺は俯きながら頷く事しかできなかった。


「……本当だ。お前との婚約は、今日限りで解消した……」

 まさか、リーゼに婚約破棄を告げるのが、こんなに苦しいとは思わなかった。一つ一つの言葉が、鉛のように重い。

 けれど、俺の言葉を聞いたリーゼの顔は、はっきりと絶望に歪んだ。

「そんな……! イザーク様に確かめるまでは信じないと決めていたのに……」

「リーゼ!」

 ごめん。そんな顔をさせるつもりはなかったんだ!

 だけど、今は俺の気持ちよりも、君の苦しみよりも君の命こそが大切だから――!


「頼む! カテリーナに嫌がらせをしたことを認めて謝罪をしてくれ!」

「な……!」

「頼む! 一生のお願いだ! 代わりになんでも君の願いをきくから……!」

 けれど、牢越しに必死でリーゼの肩を掴んだ俺の両手は、鋭い腕の動きによって突き飛ばされた。

「リーゼ……?」

「イザーク様だけは信じてくださっていると思っていたのに……! 神に誓って、私はカテリーナ様に嫌がらせなんてしてませんわ……!」


 違う!

「リーゼ……!」

「十分です。面会時間は終わりです」

 しかし、もう一度縋ろうとした体は、衛兵達によって両側から取り押さえられてしまう。

「頼む! リーゼ! 謝罪をしてくれ!」

 そうでなければ、君の命は刑場に消えてしまう。けれど、聞きたくないというように、リーゼは涙に溢れた顔を俺から逸らした。

「リーゼ!」



 とにかく、なんとしてもリーゼに三日後の処刑までにカテリーナに謝罪をさせないと。

 次の日の朝。俺は雪でかじかむ両手を息で温めながら、王宮の牢へと急いでいた。

 あまりに急いで屋敷を飛び出してきたので、手袋を忘れてきたのだ。

 だけど、牢へ向う俺のところへ親友が走ってくると、信じられない言葉を告げた。


「おい! 何をしているんだ、リーゼ嬢の処刑が始まるぞ!?」

「なに!? どういうことだ!? リーゼの処刑まではまだ三日もあるはずだ!」

「予定が早まったんだとよ! もう間もなく開始時刻だ!」


 そんな!

 俺はブーツの中に雪が入るのもかまわずに、王宮の北端にある貴族の刑場へと走った。

 ブーツが昨日の雪にとられて走りにくい。

 けれど、俺の脳裏には「嘘だ!」という言葉だけが、こだまし続けた。


 あの、リーゼが殺されるだって!?

 幼い頃から、俺が一生を共に過ごすのは彼女だけだと思っていた!

 たとえ、いつか死に別れるとしても、それは子供を何人も残して、互いに長い道のりを終えた先だと思っていたのに!


 けれど、刑場に走る俺の瞳には、空に昇っていく黒煙が映る。

 そして、辿りついた人ごみをかきわけた先では、今まさに足元の薪から巻き上がる火炎に飲み込まれようとしているリーゼの杭に縛られた姿があるではないか!

「リーゼ!」

 喉の奥から絶叫が迸った。


 炎は、リーゼの白いドレスを飲み込み、金の髪をちらちらと焼いていく。

 白い腕が焔で生きたまま焼かれていく苦痛に、リーゼが叫びながら目を開いた。

 その瞬間、叫んだ俺の声が届いたのだろう。

 一瞬見つめあった空色の目に浮かんだのは、悲しみか、悔しさか。

 そして、リーゼが唇を噛んだ刹那、焔は荒れ狂う火炎となってリーゼを内側へと飲み込んでいく。


「リーゼ!」

 嫌だ! このままじゃあリーゼが死んでしまう。

 それなのに、杭に縛られた届かない姿は黒い影となって、髪も衣も叫びすらも、何もかもを炭に変えていく。凄まじい肉の焼ける匂いがした。

「嘘だ! 嘘だ、うそだ! リーゼが死ぬなんて!」

 燃え上がる業火は、容赦なく、リーゼの姿を灼熱の懐の中で焼き尽くしていく。

 あいつ! カテリーナ!

 許すものか!

 たとえ、天と地が許しても、リーゼを殺して俺を欺いた罪を償わさせないでおくものか!

 ふらふらと立ち上がった。まだ、今見たことが信じられない。


 どこをどう歩いたのかもわからない。

「イザーク様」

 けれど、雪の中、突然聞こえてきた声に驚いて振り返った。

「リーゼ……、なぜ?」

 背後では、今処刑されたはずのリーゼがふわりと俺を見つめながら立っているではないか。酷薄な笑みでナイフを持って。


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