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愚かな令嬢の復讐譚

 半年前、わたくしはとても幸せな結婚をしました。


 結婚相手はレイモンド様という、とある商会の代表をしている青年です。

 彼は裕福ではあるものの一般市民。身分違いの結婚は褒められたものではありませんでしたが、両親を亡くしたわたくしの結婚を止めるものはいませんでした。しかるべき手続きを行い、彼はわたくしの夫となりこの領地の主になりました。


 わたくしは幸せでした。

 少しの不満といえば、領地のお仕事を始めたレイモンド様が、婚前ほどわたくしに構ってくれなくなったことでしょうか。


 けれども、レイモンド様はわたくしを忘れたわけではありません。

 その証拠に、忙しい合間を縫ってわたくしを遠乗りへ誘ってくださいました。


 レイモンド様が連れてきて下さったのは、花が咲き乱れたとても美しい場所でした。綺麗な川が流れていて、歌うような鳥の声が聞こえます。


「なんて素敵な場所なのかしら」

「シェリーなら気に入ると思いましたよ」


 陽の光を浴びながら、レイモンド様はわたくしにキラキラとした笑顔を向けてくださいます。

 今日のレイモンド様はいつもよりも上機嫌に見えます。レイモンド様も、わたくしとゆっくりと過ごせることを嬉しく思ってくださっているのでしょうか。


「レイモンド様。わたくし、あちらの花畑が見たいですわ」

「そうですね。ただ、その前に少し休憩をしましょう。馬に揺られて喉が渇いたのではないですか?」


 言われてみると、確かに少し喉が渇いているような気がしました。レイモンド様は本当に細かいところに気がつく方です。


「ほら、シェリー。そこに座って下さい。実は貴女にプレゼントがあるのです」

「まぁ、プレゼントですか?」


 レイモンド様の言葉にわたくしは顔を輝かせました。

 レイモンド様は元々は商人です。

 婚前はよくわたくしの知らない珍しい品をプレゼントしてくださいました。


「今日は何かしら。レイモンド様はとても珍しいものを知っていらっしゃるから」

「ふふ。シェリーも喜ぶと思いますよ。ほら、これです」


 レイモンド様はそういうと、馬に括りつけていた革袋から小さな木箱を取り出しました。目の前で開けられた木箱の中には、見たことのない黒い物体が乗っています。


「ショコルという異国の菓子です。とても甘くて美味しいのですよ」


 言われてみると、確かにショコルからは甘い匂いがしました。


「食べてみてもよろしいのですか?」

「もちろん」


 レイモンド様はそういうと、笑顔でわたくしの口にショコルを運んで下さいました。微かにほろ苦くて甘い、今まで食べたことの無い不思議な味でした。


「レイモンド様、とても美味しいですわ」

「それは良かった。シェリーのことを思いながら上質なものを取り寄せたのですよ」

「まぁ、ありがとうございます! それでは、このショコルはレイモンド様の想いの固まりですわね」


 レイモンド様の気持ちが嬉しくて、わたくしは笑みを作りました。レイモンド様も笑って下さるかと思ったのですが、彼はなぜだかスッと目を細めました。


「レイモンド様?」

「シェリー、貴女は本当に愚かな娘です」


 レイモンド様の言葉にわたくしは目を丸くしました。

 レイモンド様に嘲るような事を言われたのは初めてだったのです。


「レイモンド様、愚かとは……?」

「そのままの意味ですよ。貴女は余程両親に愛され、護られて育ったのでしょうね。疑うということをまるで知らない。羨ましいことです」


 レイモンド様が何を言いたいのか、わたくしにはまるで解りませんでした。


「レイモンド様、どうしてそのようなことを? それに、なんだかとても冷たい目をしています」


 レイモンド様のこんなに冷たい目は初めて見ました。

 いつも穏やかに微笑まれている方でしたのに、こんな顔もされるなんて驚きです。


「冷たい、ですか。どちらかといえばこっちが本性なんですがね。まぁ、シェリーが驚くのも無理はないでしょう。ずっと猫を被っていましたから」

「レイモンド様……?」


 今日のレイモンド様はいつもと雰囲気が違います。

 猫を被っていたとはどういうことなのでしょうか?


「シェリー、貴女は本当に愚かな人です。せっかく使用人が反対していたのに、私のような男を夫に選んでしまって。まぁ、私としては都合が良かったですけれどね。貴女が馬鹿女だったおかげで、私はいまやランダット地方の領主です。簡単にコトが運びすぎて欠伸が出るくらいでしたよ」

「レイモンド様……な、なにをおっしゃるのです? それではまるで、レイモンド様がわたくしの地位を目当に結婚をしたようではありませんか」


 きっと、たちの悪い冗談を言ってらっしゃるのでしょう。

 けれどもレイモンド様は、温度を感じない冷たい目で私を睨んだまま、ちっとも笑って下さいません。


「みたいではなく、そう言っているのです。貴女に身分以外のなんの魅力があるというのですか。顔はそこそこですが、それだけです。貴女の中身は実にからっぽだ。毎回、口説き文句を考えるのに苦労したものですよ」


 辛辣な言葉を投げられて、わたくしは咄嗟に何を言えば良いか分かりませんでした。

 あまりの衝撃に、なんだか胸まで苦しくなってきたような気がします。


「愛していると言って下さったのは、嘘だったのですか」

「はい。おかげで良い夢が見られたでしょう? 貴女は私という恋人を得て、両親の死からも領主の重圧からも逃げることができた。煩わしいことは全て、私に任せれば良かったのですから」

「に、逃げるなんてそんなことは……」

「ないと言いきれますか? 突然庇護者がいなくなり、貴女は見ず知らずの私の言葉をすんなりと受け入れた。それは、私が貴女にとって耳触りの良い、都合のいい言葉だけを並べたからですよ。私と共にいれば、貴女はなにも変わらず今までの生活を送ることができるのですから」


 違いますと、叫ぼうとした喉からは声が出ませんでした。


 わたくしはレイモンド様のことが好きだったのです。お慕いしていたからこそ、反対を押し切っても結婚したいと思ったはずでした。


 どうにかわたくしの気持ちを伝えたい。

 そう思うのに、口から零れたのは乾いた咳と大量の血でした。

 胸が熱を持ったように熱くなって、上手く息ができません。

 まさか。そんなまさか。

 レイモンド様はわたくしに毒を盛ったのでしょうか。


「鈍い貴女もようやく気が付きましたか。あなたに食べさせたショコルには、毒を混入していたのですよ」

「な……ぜ。……殺したいほど……私をお嫌い……だったのですか……」


 そこまでわたくしはレイモンド様に憎まれていたのでしょうか。

 そうと気づかず、わたくしだけが一方的にお慕いをしていたのでしょうか。


「いいえ、シェリー。貴女に対しては好きという感情も、嫌いという感情もありません。貴女を殺すのは、ただ単にその方が都合が良くなったからです」


 それは、わたくしにとって嫌われるよりも辛い言葉でした。

 なんということでしょうか。

 わたくしは、結婚したいほど望んだ相手に、何の感情を抱かせることもできなかったのです。


 これ以上立っていられなくなって、わたくしはその場に崩れ落ちました。

 胸が張り裂けそうに痛みます。毒のせいだけではありません。

 レイモンド様の仕打ちと、わたくし自身の愚かさに身体が千切れてしまいそうでした。


「あなたを、許しません……レイモンド様」


 草の上に倒れた私の目から涙が一筋零れ落ちます。

 わたくしを騙したレイモンド様がとても憎らしく思えました。

 けれども、わたくしはそれ以上に自分の愚かさが嫌になりました。


「えぇ。許していただかなくても結構ですよ、愚かなシェリー。死人に憎まれようとも、私は痛くも痒くもありません」


 レイモンド様は、まるで結婚した日の初夜のように、優しくわたくしの身体を抱きかかえました。

 そうして動かないわたくしの身体を、川の近くへと運んだのです。


「貴女が毒で死んだとバレては面倒ですからね。私の愛しい妻は、哀れにも川に溺れて死んでしまったことにさせていただきます」


 レイモンド様は最後にわたくしの髪を優しく撫でると、わたくしの身体を川の中へと突き落としました。

 一見穏やかに見えた川は思ったよりもずっと深く、上手く身体を動かせないわたくしの口や耳の中に、容赦なく水が入り込んできます。


 苦しい。苦しい、苦しい!!


 どうにか水面に上がろうともがきますが、毒のせいか、石になってしまったみたいに身体が動きません。水は容赦なくわたくしを押し流し、何度も岩にぶつかっては、目の前が暗くなっていきます。


 ああ、わたくしは死ぬのでしょうか。

 きっとわたくしが死んだところで、レイモンド様は涙ひとつ流さないのでしょう。


 そう思うと、わたくしの内側に激しい怒りが湧いてきました。


 わたくしは、こんなところで死にたくありません!

 こんな風に殺されて、レイモンド様がミルドレット家を継いで生きるなど、どうして許せるものですか!


 わたくしは必死で水面に浮かび上がろうと腕を伸ばしました。

 けれどもやはり、身体が痺れてしまったみたいに上手く動くことができません。

 それでも絶対に死にたくないと、必死でもがいていたその時でした。


『ずいぶんと、面白いモノが流れているわね』


 脳内に直接響くような、不思議な女性の声が聞こえました。

 同時にふわりと宙に浮きあがったような感覚がありましたが、わたくしの意識はそこで途絶えてしまったのです。

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