貧乏貴族な私は体で稼ぐ
臭うのは人の汗。
むわりと暑く、まわりは暗い。
唯一照らされるのは、私が立つステージの上だけだ。
振り返る余裕も、あたりを凝視する余裕も無いけれど、無数の視線が突き刺さる。
自慢の乳房が、ちょっぴり大きめなお尻が、徒歩通学で鍛えた太ももが、衣装で隠された小さな面積を除いて、じろじろと見られる。
心臓がドクン、ドクン、ゆっくりなようで、素早く跳ねた。
魔法学が得意なら、鎮静の魔法を自分にかけるのに。
「ふー……」
鎖の巻かれた手が、少し痛い。
じゃらじゃら鎖が揺れ、手首を捕らえる革ベルトは脂ぎっていた。
もう逃げられない。
その実感に恐怖と興奮を覚える。
このショーで、観客を満足させなければ、解放されない。
借金の返済が終わるまで、私はこの体で稼ぐしかないのだ。
それがどれだけ惨めなことだとしても。
観客が一気に沸き立つ。
同時に、手に繋がれた鎖がぐんと引かれる。
貴族という人間は、たいてい馬車に乗って学校に通うらしい。
いや、正確に言うと通う必要はない。
魔法学校には広々とした学生寮があって、馬車が使われるのは週末の休日とか、大きな休日の前くらいだ。
だからその頃になると、馬のいななきと車輪の音が正門から聞こえてくる。
そのとき、徒歩で帰る者は平民、馬車で帰る者は貴族という分類ができる。
しかし私は、そのどちらでもなかった。
貴族ではあるが、馬車はもちろん、馬すら持っていない。
そして寮にも居ない。
学費が精一杯で、寮費を払うことができないのだ。
「うぅん、眠い……」
ゆえに、家から通う必要がある。
没落貴族にありがちな、大きいけれど調度品がすべて差し押さえられた屋敷から、徒歩で一時間と少し、それを毎日往復する。
靄がかかる街に活気はまるで無くて、だけど、この方が気は楽だ。
落ち潰れた貴族の娘だとクスクス笑われずにすむ。
「お嬢様ーっ、お待ちくださいっ」
「ん?」
振り返るとすこし古びたエプロンドレスをたなびかせ、灰色の髪の少女が駆け寄ってくる。
私より頭一つ低い。
「どうしたの、エル?」
「メリアお嬢様。一冊、教科書を忘れていましたよ」
「嘘? しっかり用意したはずなのに」
「仕方ありません。昨日はなんだか悩んでいたようなので」
息を切らしつつ、エルはお古の教科書を差し出す。
受け取って頭を下げようとして、しかし、エルに止められる。
「メイドにそんなことをしてはいけません」
「良いでしょ。メイドはあなた一人しか居ないんだから」
「だからこそ、しっかり主従関係を保っていただかなければ」
そう言うとお手本のように頭を下げ、もと来た道を帰って行く。
これからきっと、誰もない屋敷で内職に専念するのだろう。
たった一人のメイドがここまで仕事を抱え込んでしまうのなら、いっそのこと貴族という立場を捨ててあげたくなる。
しかしそうすると、わずかな利権の収入が途絶え、私はあえなく飢え死ぬだろう。
このご時世では、エルもすぐ再就職できるかわからない。
「そのために、っと」
魔法学校で勉強して、すこしでも良い職につき、お金を稼ぐ。
そうして家が抱える負債を返しつつ、エルを学校に行かせてあげたい。
もう一生、貴族どころか人並みの生活も遅れないかもしれないけれど、賢明に私に仕えてくれている彼女だけには、恩返ししなければ。
「とは決意してるけど、あー……おなか減ったなぁ」
校門をくぐり、階段を登り、教室に入り、席に座って、突っ伏す。
キリキリと腹の虫が胃袋を噛んでいるようだ。
さすがに水だけの朝食では、空腹を騙せない。
「でも、文具も買い足さないといけないし、学食はまず無理だし……購買のパンも無理だろうなぁ」
堅苦しいと不満が跋扈する制服だけど、私にしてみれば服代を用意しなくて良いから、ありがたいことこの上ない。
まずいと評判の購買のパンも、私にしてみれば絶品のパンだ。
が、少なくともパンは今後数週間食べられないだろう。
いくら気絶しかけていたとはいえ、学食に手を出してしまった数週間前の私を殴りたい。
すると、誰かに呼ばれたような気がして、頭を上げる。
「おーい、メリアー」
「ん、なに?」
「先生が呼んでたぞ。早めに職員室に来いって」
「あー……うん、わかった」
授業までは十分に余裕がある。
チョコレートのおかげが、立ち上がりはスムーズだった。
しかし、内心ではテンションがガタガタに落下している。
私が職員室に呼ばれることなど、魔法学でのお叱りか、授業料の催促くらいだ。
しかしつい昨日、鼓膜が破れんばかりのお叱りを受けた。
今月はちゃんと授業料はもちろん、その他諸々の手続きは済ませている。
となると、考えられるのは一つだけ。
脂ぎった顔と、体重で潰れたような足、でっぷりと横柄な男の姿が、脳裏に蘇る。
リボンタイが独りでにきつく締まったような気がした。
「……失礼します」
重厚な扉を引いて入る。
私を呼びつけた先生はすこし離れた席で、羽根ペンに書類を書かせていた。
インクの臭いと紙のこすれる音、次の授業の打ち合わせの声。
特に自分に向けられたものでは無いけれど、どことなく排他的なそれを覚えてしまう。
「先生、なんのご用でしょうか」
一刻も早く用件を終わらせたくて、やや駆け足気味になる。
しかし、私の予想が正しければどうやっても不快になるはずだ。
「来たか。お客さんだ」
「また、あの人ですか?」
「ウォルモ様だ。しっかりと名前を呼ぶようにしなさい。君の足長おじさんなのだから」
あの短足男にこんなあだ名を付ける先生も先生だが、渋々うなづいてその後をついて行く。
応接間にはすでに、あのでっぷりした男が腰を下ろしていた。
出されていたであろう紅茶とクッキーはすでに空だ。
「おお。久しぶりだね」
一目見るなり、ウォルモは唇に舌を這わせた。
クッキーの破片を舐めたのか、舌舐めずりなのかはわからない。
「お待たせしました。ウォルモ様」
「うむ、二人きりにしてくれるかい?」
「もちろんでございます」
へこへこ頭を下げ、先生はそそくさと退出した。
普段偉そうな先生も、圧倒的な財力の前には無力だ。
「……またですか?」
「もうわかっているようだね」
「あなたがここに来るのは、そうと決まっています」
「観客は君の肉体を欲している。そして君は観客からの金を欲している。なにも嫌になることはないだろう」
「……嫌ですよ」
思わず体を縮ませてしまった。
また、あそこに行かなければならないのか。
裸体に近い格好で、血気盛んな男たちの欲望を満たすために。
「どうしても嫌なら、断っても良いが? ただし、支援金と借金返済の話は」
「ああもう、行きますよっ。行けば、良いんでしょう!」
思わず叫んでしまったが、ウォルモは怯むことなく立ち上がり、私の手を握る。
生暖かい体温が気持ち悪い。
「新しい衣装を用意したんだ。とびきり過激で、それでいて、実用性もある」
「……っ」
「学校が終わるころに馬車を用意しておこう。君も、用意をしておくんだな」
言い残して、ウォルモはゆさゆさと横に長い体を揺らして立ち去った。
応接間に残った、高級なコロンの香りがなんとも腹立たしい。
「お金は必要だけど……なんで、こんなことに」
またあの恥辱と恐怖を味わうのかと思うと、胸が痛くなった。
だけど、今後支援が受けられるなら、と考えると断ることはできない。
私は息を整え、そして授業に望み、学校を終え、そして予定通り馬車に乗り込んだ。
目隠しがされて、視界が閉じる。
そして今、私は照らされたステージの上に立っていた。
鎖が引かれ、眼前に拳が迫る。
…………それを私は寸前で交わし、片腕の鎖に体重をかけた。
相手はパンチを放った衝撃と鎖の引力でバランスを崩す。
「これは来るぞおぉぉっっ! マスクガールの十八番がぁ!」
司会の声が空間に満ち満ちる。
同時に観客が喉を潰さんばかりに叫んだ。
相手、私と同じ鎖で片手を繋がれた男は、慌てて防御態勢を取った。
しかし、私の全力をその程度で防げるはずがない。
「ふんっ!」
元からの身体能力と登校で鍛えた脚力、この状況への怒りをもろもろ込めて、一撃必殺の蹴りを放つ。
魔法無しのそれは空気を切りつつ男のガードに直撃し、そのガード諸共側頭部をぶち抜いた。
鈍い音と共に男は膝を崩す。
だがまだ意識はあるようだった。
ワンショットで決められなかったことを悔やみつつ、鎖を引き、弾みをつける。
「これで通算三勝」
トドメの拳を叩きこみ、男を完全に沈黙させた。
途端に司会が大声で私の勝利を宣言し、観客は立ち上がって空気を震わせる。
「……帰りたい」
覆面の下で、うなだれるように呟いた。
と、その時観客の中に、見覚えのある顔がある。
相手側の選手を応援していた観客たちだ。
「あああああー! なんで勝つんだよもー!」
ここに居る上では必ずのように浴びせかけられる言葉。
だが問題はそれを放った人物。
すこし古い服に着替えているが、あの灰色の髪と童顔を見間違えるはずがない、そこに居たのは私のメイド、エルだった。